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1.いちばん近くできみの恋を見てきたんだ

「ほんと、めちゃくちゃ好きなんだよぉ…。」
がやがやと騒がしいチェーン居酒屋のカウンターでレモンサワーのジョッキを片手にした茶髪ショートヘアな人の良さそうな青年ーーー佐々木元気ーーーは喧騒に紛れようもない音量ではっきりと言葉を溢した。それは大して強くもない酒のせいで明朗さを失っていてもなお心底心酔しているような口調であり、幸福という言葉を体現するような呟きでもあった。
幼馴染というだけで呼び出され隣の席に腰掛け女子のような甘ったるいカクテルを口に運んでいた赤髪のショートヘアにパンクロックな服装の青年ーーー星野煉ーーーは興味なさそうに適当な相槌を打つ。それは聞いているかどうかも不安になるような適当な相槌にも関わらず、元気は全く勢いを失わずに上機嫌に話し続けている。

話の内容はいつも元気が小学生の頃から好きな女についてだ。煉もなかなかに我が道を行く生き方をしてきたタイプだったが、元気も恋愛についてはそういう意味で群を抜いていた。
例えば、小学生高学年にもなると大抵の男子が思春期を拗らせ女子と距離を取るにも関わらず、元気は好きな女に真っ向からアプローチするようになった。仲良くしたいと公言して四六時中側にいたり、話をしたり聞いたり、2人きりで出掛けようと誘ったり。何故そんなに仲良くしたいのかと聞かれれば、それが当人であろうと周囲の野次馬だろうと恥ずかしげもなく「一目惚れしたから。」等とあっさり答えたりする。隣にいる身としては先行きに若干の不安を覚えもしたが本人は至極当然のことをしているという感覚らしく注意しても改まらなさそうなので諦めようと心に決めた日のことは今も鮮明だ。普段は比較的常識人でどちらかと言えば大人しいタイプにも関わらず恋愛面については上記の通り人目を憚らないせいで学生時代は何度か有名になった事もあったほどだった。
ちなみに相手の女はというと、幼い頃から言い寄られ続けているせいか煉には満更でもなさそうに見えていたが、世間体が気になる性分なのか元気の事を周囲から聞かれるとしつこがっているような素振りを漏らしている節があった。煉としてはそれが大層腹立たしかったので最初に目にした時に元気にもそのまま伝えてやったのだが、何故か元気の熱が冷める様子はなかった。
そんなこんなで気付けば15年以上1人の女を愛し続けている元気は学生時代から今に至るまで時折、煉を呼び付けてはその女についての一方的な惚気を聞かせてくる。ある種のストレス発散ともいうべきこの行為も今となっては習慣や日課のようなもの。
学生時代から変わらず、ある日突然に待ち合わせ場所と時間だけの短文メッセージが送られてくる度に、煉は元気に会いに行った。
常識人なせいで普段は誰に対しても横柄な態度を取らない元気がそのメッセージ越しに煉にだけは横柄な態度で「来い」と呼んでいるような気がして何故か嬉しかったからだ。

「煉はぁ、いねぇのぉ?すきなやつとかぁ…」
一通り惚気を吐き出し終えた頃にはだいぶ酔いが回ったらしく、甘えた子供のような語尾が僅かに伸びた口調で元気が問いかけてくる。
「…いわねぇよ。」
自嘲にも似た微笑みと共に簡潔な言葉を漏らした。でもそもそもそんな奴がいたらこんな所に来るわけないだろ、と続けると呑気そうにそれもそうかなんて返答が返ってくる。
本当は見た目が中性的で、かつ偏見らしいものがなかったせいで付き合って欲しいと言われれば男とも女とも付き合った事があった。ただ、付き合っている中で女は煉にステータスと特別感を求め、男は煉に顔と身体を求める傾向が強いことを早々に理解して、煉は恋愛が心底つまらないものなんだなと思った事をよく覚えている。
かくいう煉も、付き合ってみたら元気の気持ちが分かるのかとか、それらしい相談相手になれるのかとかその程度の好奇心があって付き合っただけで、相手の事をちゃんと好きになった事はおろか好きになろうとした事は多分一度もなかったけれど。
それでも、これまでの人生で元気の呼び出しよりも優先できるような夢中になれる相手に出会う事はなく、深い人付き合いなどしてこなかった。だからこそ煉は毎回元気の隣に座っていた。

「おい、そろそろ帰った方がいいんじゃねぇのか…」
今にも眠ってしまうのではないかと思うほどカウンターに無防備に左頬を預けながらもジョッキから左手を離さないままでいる元気の差し出された右頬を指で軽く摘みながら呆れたように煉が声を掛ける。
うーん等と唸り声をあげながらも全く動かない元気を見て、どうしたもんかと困ったように眉を下げると居酒屋のドアが開いた音と店員の掛け声から程なく店に入った見覚えのある女がこちらに近付いてきた。
「…ほら、元気。起きて。帰るんでしょ?」
こちらをちらりと一瞥し愛想程度の会釈をするともうそこに煉がいないものであるかのように元気の肩を叩き声を掛ける女の姿を凝視する。何処かで見た事が…と考えて間も無く煉がそれを誰だったかを思い出すと、それとほぼ同時に元気が顔を上げ微笑んだ。
「あれ…えみだぁ…すきだぞーっ」
夢だと思っているのか愛おしげに優しく微笑む元気が黒髪ロングの少し気の強そうな顔の落ち着いた女ーーー篠宮えみーーーの腰辺りに遠慮なくぎゅっと抱き付いて愛を語る。篠宮は少し困ったように眉を下げてからそれを叱咤するようにぺちんと元気の頭を叩いた。
「…連れて帰ります。今日はありがとうございました。」
叩かれた衝撃で僅かに現実に連れ戻されたのか困惑するように篠宮を凝視する元気の腕を篠宮が引き、それに促されるように元気が立ち上がる。篠宮の形ばかりのお礼の言葉を適当に流すように返答した煉がカクテルの残りを口に運ぶ頃には、2人は支払いを済ませてそのまま店の外へと消えていた。
煉の知らないうちに2人は連れて帰られるほどの仲に進展したらしい。しかも嫉妬なのか何なのか分からないが視線でしっかり牽制される程度には篠宮は元気に惚れ込んでいるように見えた。
「…そういえばアイツ、いつも惚気しか言わねぇから進展してるかとか聞いてねぇわ。」
残り少ないカクテルを減らしながら独り言のように呟く。
いつか、こうなるだろうと分かってはいた。
あんなに強く激しく長いこと真っ直ぐに乞われて、拒めるような人間なんか存在するわけがない。人間は愛に飢えている生き物だ。1人では生きていけない生き物だ。だからこそ、元気はいつの日か望みを叶え幸せになるだろうという確信が煉にはあった。
そのうち、長いこと繰り返しているうちに習慣化してしまった、あのメッセージも来なくなるのかもしれない。
両思いになったら元気の胸の中は彼女で埋め尽くされ、自分のことは忘れ去られてしまうのかもしれない。それはきっと、煉にとってはとてつもなく寂しい未来であると同時に元気にとっては喜ぶべき待望の未来でもあった。
「…大丈夫、分かってっから。」
呟きと共にカクテルを飲み干してグラスを置く。からん、と小さくなった氷が相棒のように相槌を打ち、先程までの自分を彷彿とさせた。
この氷のように、俺の役目は必要なくなる日が来る。
そう思うと、不意に僅かに胸を刺すようなチクリとした痛みを感じた。しかし、それが何かは追求したくはないので敢えて無視する。
「…ごちそうさん。」
支払いを終えて1人店を出る。駅までのいつもの道のりを歩きながら、そういえばこの店を1人で出るのも駅までの道を1人で帰るのも初めてだななんて思った。
1人の帰路で煉は今まで元気と関わった時の事を思い返していた。それはあまりにも膨大な期間の思い出にも関わらず全て、色褪せていなかった。

いちばん近くで見てきた。
元気の恋を、いちばん近くで応援してきた。
毎日毎日聴きたくもない惚気を聞かされた。
嫌そうに聞いていたはずなのに、いつの間にか聞いているのが苦痛じゃなくなったのは元気がいつも楽しそうに幸せそうに話していたからだ。
諦めるように説得した事もあったが、元気が諦める気配がないと悟ればその後は落ち込む度に話を聞いたし、飽きるほどに何度も励ました。

そんな元気を、
自分とは違う生き方を、
何度羨ましく思ったか分からない。
こんなに強く人を想えることを。
ただ1人を想い続けるその真っ直ぐな心を。

そして。
自分もこんなに強く愛されたならと。


「…くそ、しんど…。」
もう向かっていた駅は直ぐそこだが、込み上げた気持ちのせいで前に踏み出していた足が止まった。開けた駅前広場の真ん中で迷惑も考えずに足を曲げ子供のように縮こまる。まばらな帰宅途中の人が迷惑そうにこちらを見つめる視線も構わずに呟いた言葉は周りの雑踏に霞んで消えた。

本当は。
いつかこっちを向いてくれるんじゃない
かと思いながら側にいたこと。
それが、叶わないと知りながらも密かに夢見ていたこと。

『いねぇの?好きなやつとか。』
脳内の元気がこちらの気持ちなど知るはずもない様子で問いかけてくる。
本当のことは言うはずもないのに。
言えるはずも、ないのに。

いちばん近くできみの恋を見てきた。
だから。
「…言わねぇよ、馬鹿野郎…」
涙で視界が滲みそうになり無理矢理に微笑んだ。
脳内の元気は、やはり「そっか」と微笑んだ。

fin.
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