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それはまるで太陽のようで。


「…灯様、今度は何をされるつもりなんですか。」
最近の行動からか何かを察して終業後の帰り際に声を掛けてきたのは留衣だった。あからさまに視線を下げ申し訳なさそうな口調をしているのは自らの申し出がプライベートまで関わる差し出がましい事を理解しているからだろう。
「…留衣は気にしなくていい。会社には問題が出ないようにする。」
突き放すような言葉を紡ぎながらもなるべく冷たくなりすぎないようにと柔らかな口調に努める。適度に突き放しておかないと留衣は手を貸そうとしてきてしまいそうだ。社員に私事の悪行の片棒を担がせるわけにはいかない。
「灯様、お願いです。何をなさろうとしているかは敢えて聞きませんが、どうかご自愛を…!」
突き放したせいか何故か少し必死な声で留衣が懇願してくる。
ご自愛。正直に言えば、俺なんかを自愛する必要性はこれっぽっちも感じない。自愛すべきはもっと優しく立派な人間であるべきだ。
しかし当の俺は自愛するべき聖人どころか友を裏切っている罪人。見当違いも甚だしい。
そう言ったら留衣はどんな反応をするんだろう。そんな事を考えたせいか、ふっと自嘲にも似た笑みが溢れた。
「…あぁ、ありがとう。」
いつも通り肯定も否定もせずに感謝を述べる。小さく笑んだこともあり留衣は此方の言葉を良いように自己解釈してくれたのか少し表情を明るくし、軽く会釈して出て行った。
1人の社長室で灯は考える。あとどのくらいで、唯我はあの病院という籠の中に戻ることになるのだろう。
そして、自分は一体、あと何回この会社に出社出来るのだろう。


予想通り、唯我の体調は日に日に悪くなった。灯は何度も病院での療養を勧めたが唯我はそれに応じなかった。
そのせいか発作の頻度も月に数回、週に1回、3日に1回、1日に1回、と日を追う毎に増えた。それでも、唯我はがんとして奈美に会いに行くのをやめようとはしなかった。
1日に何回かの発作が出るようになった頃、灯は非正規のルートで唯我の家の鍵を手に入れ、それに合わせて前に見つけた非合法の医師にも声を掛け直した。また、もしもの場合にも迷惑がかからないようにと会社の社長室のデスクの中にこっそりと辞表も用意しておいた。
が、手術用の臓器がすぐに用意出来ないらしく直ぐ手術というわけにはいかなかった。とはいえ唯我の主治医からは今の生活を繰り返せば唯我は直ぐにでも限界を迎えると言われてもいた。
そこで灯は合鍵を使って深夜に唯我の家に侵入した。半ば無理矢理にでも今すぐに環境の整った場所に入れて安静にさせる必要があると思ったからだ。
家の中を探索すると、発作で安眠する事も出来ていないのか深夜にも関わらず、いつか見た時と同じ真っ青な顔でリビングの床にへたり込んだ唯我を見つけた。目の前まで近付いて見下ろすと、唯我は夢でも見ているかのような虚ろな瞳でこちらを凝視してくる。
「…あれ、灯…?…なんで…家に…」
悠長に答えている暇などない。弱っている間にと唯我の身体を肩に担ぐようにして持ち上げる。弱った唯我は驚くほど軽くなっていたが、その衝撃を無視して家の前に停めてあった車に乗せ走り出す。
自らの経済力とコネを使って用意したICU並みの施設と医療従事者を揃えた滅菌室に唯我を移動させ、ベッドに固定させて少しすると薬が効いたのか唯我は先程よりもずっとはっきりした視線でガラス張りの滅菌室の外にいる灯を睨み付けた。
「灯…っ、離してよ…!」
ばたばたとベッドに拘束された手足を揺らして唯我が暴れる。しかし精神患者用のベッドを採用したため耐久性は折り紙付きだ。拘束は解ける様子もない。
ガラス越しのせいで僅かばかり抑えられている唯我の怒号を聞きながら灯は唯我には届くはずもない音量で呟く。
「…悪いな、唯我。時間が無いんだ。」
唯我は相変わらず抵抗を止めない。嫌だ嫌だと発狂し暴れ続ける。ここに収容されるということの意味を、唯我は理解っているのだ。ここにいるという事は、つまり奈美に会えないということ。そして、それは唯我にとって死ぬよりも辛いこと。分かっていた通りの結果だ。それでも。
「お前を、死なせるわけにはいかない。」
その場の医療従事者に命令し身体に負担のかからない程度の鎮静剤を打ち込んで唯我の意識を失わせる。ばたばたと暴れていた音が止むと、灯はその場に崩れ落ちるように床に膝をついた。

唯我をここに収容するのを決めたのは、他でもない奈美の希望があったからだ。可能性があるなら手術を受けて欲しい、と彼女は言った。それはきっと「我慢するから生きて」という意味の希望の言葉だ。
だとしても、唯我はその言葉の意味を理解出来ない事を灯は知っていた。死ぬかもしれないリスクがある未来を唯我は選べない。死ぬかもしれないならと最後の最後まで奈美に会いに行きたがる。だからこその実力行使だった。
彼女には唯我が必要だ。恋人がいなくなる未来はもう見せたくない。ましてや、限界まで会いに行ってその場で倒れるなんて絶対にさせてはならなかった。

こんな時、俺は何もしてやることが出来ない。唯我を無理矢理閉じ込めて手術までの日をなんとか稼ぐことしか出来ない。俺が代わりに死んで唯我にこの身体をやれるというのなら今すぐ喜んで死ぬことも出来るのに。
「…もしも、」
俺と唯我の身体が逆であったなら。
唯我の発作が増える度にそんな事をよく考えるようになった。下らない空想。叶わないたられば。それでも。もしそうであったならきっとどんなに幸せだったか。
唯我はきっと本来収まるはずだった仕事をして暮らせていて、それでもやはり彼女を好きになったはずだ。そして死ぬ前にきっと俺に会わせたいと彼女を連れてくるに違いない。
俺はきっと本物の欠陥品として病室の上で死の間際まで仕事をして仕事のために生きるだけの生涯を終える。それでもこんな絶望感を覚えながら毎日を送らずに夢を見るだけで死ねただろう。夢なら見るだけ見ても誰にも怒られも咎められもしない。たとえそれが、やはり彼女を想うような穢れきった夢だとしても。
だからこそ思わずにはいられない。どうして。どうして唯我なんだ。どうして俺じゃない。
生きたい人間が生きられず、生きる資格を持たない俺のような人間ばかりが生かされる。世界は不平等だ。
世界は非情だ。

俺は、無力だ。

絶望感に打ちひしがれて涙が止まらなかった。鎮静剤で意識を失った唯我の横たわる滅菌室の前で1人膝を抱えて子供のように泣いた。
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