それはまるで太陽のようで。
予定されていた手術日からしばらく経った休日に前に訪ねた病室と同じ部屋に唯我の見舞いに赴くと部屋の中の唯我はやはり窓の外を眺めていた。
「いつまで眺めてるつもりだ。」
部屋に入った灯がやはり見舞い品の焼き菓子を棚に置き窓に近い椅子に腰掛けながら声をかけると、リハビリを順調にこなし前に会った時よりも幾分か元気になったらしい唯我は、窓から視線を外し前回同様にベッドの上に腰掛けながらも前回とは全く異なった満面の笑みを浮かべた。
「灯、俺もうすぐ外に出られるんだって」
そうか、とだけ端的に返答しながら灯が鞄の中から資料の束を取り出し唯我の座るベッドの中央に備え付けられた簡易的な机の上に置く。何の説明もしなくても唯我はそれだけで資料を手に取った。
中を捲るうちに唯我の顔がぱあっと明るくなる。資料の中身はもちろん唯我が言っていた「泣いてる女の子」について書かれたものだ。そしてそれは少し前に灯のデスクに置かれていた新入社員の女性でもあった。
「ありがとう、灯!ありがとう…!」
今日持ってきた資料は調べ上げた調査報告書を個人的にまとめ直したものだが、何の手かがりもなかった唯我にとって其れが宝のようなものに感じられている事は明らかだった。その証拠に感謝の言葉とは裏腹に視線は資料に釘付けだ。
「…中村、奈美…。奈美っていうんだ…。」
少し時間が経つと灯の存在など忘れたように資料に没頭し独り言を溢し始める。
独り言と共に幸福にも似た歪な笑みを浮かべる唯我を横目に見つめてから、灯は窓の外に視線を移した。
唯我の話では、彼女ーーー中村奈美ーーーはこの窓から見える庭園でよく泣いていたらしい。資料の中に書いてあった絶望の淵も、そこで味わったのだろうか。だとしたら1人目の恋人はここで…。
そこまで考えた辺りで窓からの突然の強風に顔を殴られハッと我に返った。
資料を読み終わったらしい唯我は余韻に浸るように奈美の名前を延々と繰り返し呟いている。
灯が呆れるように大きくため息を漏らすと、唯我はその音でハッとし思い出したように灯に視線を合わせ資料を大切そうに抱き締めながら感謝の言葉を述べた。
「灯ありがとう、これすごく嬉しい。俺、退院したらすぐ会いに行こうと思う、一刻も早く奈美に会いたいんだ…!」
少し早口で真っ直ぐな熱量を向けるゆえに自分の話ばかりしがちな唯我を前にして初めて少々の不安を感じる。眩しいほどに全てを持ち合わせているように見える唯我もこの身体のせいで他人との関わりは少ないためか、女性の心に寄り添うことは難しいのかもしれない。でも、それでは、彼女の心の痛みに触れられないかもしれない。
「…すぐに会いに行っても良いが、まずはその早口を止めた方がいい。もう少し落ち着いて話して…そうだな、自分の話をするより相手の話をよく聞いてやれ。」
もしも俺なら、まずは信頼される立場を確立出来るくらい仲良くなるだろうな。それから辛かった過去の話を隣に座って気が済むまで聞いてやりたい。そして、彼女の髪を撫でながら彼女が幸せを感じられる未来を一緒に…。
「…うん、分かった。俺が、一緒に幸せになれる未来を作る。」
好きなものを前にした時の少し早口で熱のある話し方とは異なった、いつもよりも落ち着いた穏やかな唯我の口調で現実に呼び戻された。いつの間にか個人的な主観を口走っていたらしい灯の言葉を恋愛指南でも受けたかのように真摯に受け止めた唯我は、酷く優しそうに微笑み「ありがとうね、」と付け足してくる。
「…俺は何もしてない。用は済んだ、帰る。」
胸がざわつくような感覚を覚え急用でも思い出したように立ち上がると、唯我は資料を抱き抱える両手のうち右手だけを離しひらひらと振ってそれに応えた。
病室から逃げるように立ち去り、ドアを閉める。
俺は、何を口にした?
『俺だったら』なんて、烏滸がましい。
唯我は、俺にはないものを全て持っているのに。俺が努力して得たものも、強請れないようなものも、全て、全て手に出来る男なのに。
まるで自分の方が優位に立っているかのような自分の発言に吐き気すら覚えそうになるのを堪えて、病院の壁に背を凭れさせ目を伏せる。深呼吸をしてからもう一度しっかりと立ち直し歩き出して病院を後にした。
もう、ここにくる事はないだろう。そして、唯我がうまくやれば、きっと彼女ももう泣かないで済む。
ざわざわと騒ぐ胸の感覚は唯我がうまく出来るかを不安に思っているだけだ。他意はない。
繰り返し言い聞かせるように胸の内に言葉を染み込ませて家に帰った。これからの不安のせいか、やけに酒が進んだ。
「いつまで眺めてるつもりだ。」
部屋に入った灯がやはり見舞い品の焼き菓子を棚に置き窓に近い椅子に腰掛けながら声をかけると、リハビリを順調にこなし前に会った時よりも幾分か元気になったらしい唯我は、窓から視線を外し前回同様にベッドの上に腰掛けながらも前回とは全く異なった満面の笑みを浮かべた。
「灯、俺もうすぐ外に出られるんだって」
そうか、とだけ端的に返答しながら灯が鞄の中から資料の束を取り出し唯我の座るベッドの中央に備え付けられた簡易的な机の上に置く。何の説明もしなくても唯我はそれだけで資料を手に取った。
中を捲るうちに唯我の顔がぱあっと明るくなる。資料の中身はもちろん唯我が言っていた「泣いてる女の子」について書かれたものだ。そしてそれは少し前に灯のデスクに置かれていた新入社員の女性でもあった。
「ありがとう、灯!ありがとう…!」
今日持ってきた資料は調べ上げた調査報告書を個人的にまとめ直したものだが、何の手かがりもなかった唯我にとって其れが宝のようなものに感じられている事は明らかだった。その証拠に感謝の言葉とは裏腹に視線は資料に釘付けだ。
「…中村、奈美…。奈美っていうんだ…。」
少し時間が経つと灯の存在など忘れたように資料に没頭し独り言を溢し始める。
独り言と共に幸福にも似た歪な笑みを浮かべる唯我を横目に見つめてから、灯は窓の外に視線を移した。
唯我の話では、彼女ーーー中村奈美ーーーはこの窓から見える庭園でよく泣いていたらしい。資料の中に書いてあった絶望の淵も、そこで味わったのだろうか。だとしたら1人目の恋人はここで…。
そこまで考えた辺りで窓からの突然の強風に顔を殴られハッと我に返った。
資料を読み終わったらしい唯我は余韻に浸るように奈美の名前を延々と繰り返し呟いている。
灯が呆れるように大きくため息を漏らすと、唯我はその音でハッとし思い出したように灯に視線を合わせ資料を大切そうに抱き締めながら感謝の言葉を述べた。
「灯ありがとう、これすごく嬉しい。俺、退院したらすぐ会いに行こうと思う、一刻も早く奈美に会いたいんだ…!」
少し早口で真っ直ぐな熱量を向けるゆえに自分の話ばかりしがちな唯我を前にして初めて少々の不安を感じる。眩しいほどに全てを持ち合わせているように見える唯我もこの身体のせいで他人との関わりは少ないためか、女性の心に寄り添うことは難しいのかもしれない。でも、それでは、彼女の心の痛みに触れられないかもしれない。
「…すぐに会いに行っても良いが、まずはその早口を止めた方がいい。もう少し落ち着いて話して…そうだな、自分の話をするより相手の話をよく聞いてやれ。」
もしも俺なら、まずは信頼される立場を確立出来るくらい仲良くなるだろうな。それから辛かった過去の話を隣に座って気が済むまで聞いてやりたい。そして、彼女の髪を撫でながら彼女が幸せを感じられる未来を一緒に…。
「…うん、分かった。俺が、一緒に幸せになれる未来を作る。」
好きなものを前にした時の少し早口で熱のある話し方とは異なった、いつもよりも落ち着いた穏やかな唯我の口調で現実に呼び戻された。いつの間にか個人的な主観を口走っていたらしい灯の言葉を恋愛指南でも受けたかのように真摯に受け止めた唯我は、酷く優しそうに微笑み「ありがとうね、」と付け足してくる。
「…俺は何もしてない。用は済んだ、帰る。」
胸がざわつくような感覚を覚え急用でも思い出したように立ち上がると、唯我は資料を抱き抱える両手のうち右手だけを離しひらひらと振ってそれに応えた。
病室から逃げるように立ち去り、ドアを閉める。
俺は、何を口にした?
『俺だったら』なんて、烏滸がましい。
唯我は、俺にはないものを全て持っているのに。俺が努力して得たものも、強請れないようなものも、全て、全て手に出来る男なのに。
まるで自分の方が優位に立っているかのような自分の発言に吐き気すら覚えそうになるのを堪えて、病院の壁に背を凭れさせ目を伏せる。深呼吸をしてからもう一度しっかりと立ち直し歩き出して病院を後にした。
もう、ここにくる事はないだろう。そして、唯我がうまくやれば、きっと彼女ももう泣かないで済む。
ざわざわと騒ぐ胸の感覚は唯我がうまく出来るかを不安に思っているだけだ。他意はない。
繰り返し言い聞かせるように胸の内に言葉を染み込ませて家に帰った。これからの不安のせいか、やけに酒が進んだ。