それはまるで太陽のようで。
一通りを話し終え2人の涙が落ち着いた頃、唯我が帰った。きっと唯我はしばらく会いに来ないだろう。もしかしたら自分の継ぐべき会社に戻るかもしれない。そんな事をぼんやりと考えていると再び扉が開く音がして、もう帰ったと思っていた奈美が戻って来たのが見えた。
安否確認も終わり唯我の事も落ち着いた今、もう俺と話す事はないだろうにと思いながらも何かあるかもしれないゆえに追い返すわけにもいかず灯はゆっくりとベッドヘッドに背を凭れさせる。
「…あの日、お別れ言いに来たの、御灯じゃないって本当…?」
奈美の口から飛び出た言葉に思わず刹那的に視線が泳いだ。『あの日』というのは俺と彼女が付き合っていたという事実が終わった日の事だろうか。心当たりはあるが肯定しても良いものなのかを少し考える。考えている間に奈美の口が再び開いた。
「…唯我を生かすために自分の身体を犠牲にしようとしたのも本当…?」
彼女が知るはずのないことばかりが言葉になっている事に驚きが隠せない。彼女に伝えないようにとあれだけ言い含めたのに誰かが話してしまったのだろうか。とにかく否定するべきだ。彼女にこれ以上の負担をかけるわけにはいかない。彼女は優しすぎて、同情で俺に気を許してしまうかもしれない。
「…いまっ、本当は何も覚えてないのも本当なの…っ…?!」
混乱しながらもどうにか言葉を捻り出そうとして口を開きかけると、先に聞こえて来た奈美の言葉に思わず目が見開かれ声にならない声だけが漏れた。瞳いっぱいの涙を溜めた奈美が悔しそうにこちらを睨んでいる。
「……な、にを……」
否定の言葉を口にしたいのに脳が回らない。いつものように頭を回転させれば言い訳くらい思い付くはずだ。俺は月島灯で、全ての事象は事実として知っている。取り繕う事などいくらでも出来る。出来る、はずなのに。
どうしてそこに行き着いたのかが分からなければ言い訳のしようがなかった。だってそれは、誰も知るはずのない、灯の最大の秘密で、否定しようもない事実だったのだから。
好きに身体を使うと言われて死ぬ事を覚悟していた灯はいくつかの手紙を用意していた。もしも死んだ時には留衣と煉に今後についての手紙が届くように医師に頼んであったし、死ななかった場合にも何かの不都合がある可能性を予期して自分宛の手紙を残しておいた。また、こちらはもしも自分が何処かの病院に収容されるか自宅に帰るような事があれば他の誰にも見つからないように自分の手に渡るように手続きをしてあった。
案の定、病院で目覚めた時、灯はほとんどと言っていい記憶を失っていた。そこに届いた自分からの手紙は驚くほどの厚みと長さを兼ね備えた膨大な報告書のようだったが、簡潔に灯の人生における事実と経過だけが記されていた。仕事や日常会話はその事実だけで十分事足りるために記憶が無くなっても全く問題なかったが、奈美についてだけはそうはいかなかった。好きになるまでの経過、自覚した時の事実、付き合うに至る経緯、別れるに至る経緯、別れるべきだと思った理由、その方法。それらを読み込んでも当時の灯の気持ちの全てを推し量る事など出来なかった。また『彼女が気に病まないように、記憶の欠損がある場合はそれついては伝えない事を望む』という記述が全てを言い表していた。奈美にこの事実を伝えないために過去の灯は深い理由なしに彼女と別れ、思い出話が出来ないようにとあっさりと彼女を遠ざけたのだと。しかし心にもない事を言うのが辛すぎて人にその役を他人に任せた事も懺悔と共に書き記されていた。
灯からの手紙を灯は読んで直ぐ処分したはずだった。この決意を、誰にも見せてはならないと思った。だから歩けるようになってからすぐ、病院の外に置かれた焼却炉で火をつけて封筒ごと燃やしたはずだった。
「ばか!御灯のばか!なんで辛いこと全部1人でやろうとするの?!…わたし…私彼女だったのに…!!」
声を荒げていたはずの奈美が崩れ落ちるように床に膝を着き涙を溢す。悔しげに、苦しげに、呻くように泣いていた。
「唯我がいなくなって、御灯が側にいてくれて、ずっと、ずっと側にいてくれて、それなのに唯我のことまだ好きなわけないじゃん!御灯が忙しいから別れたいって言った時も、落ち着いたらまた帰って来てくれるんじゃないかって、ずっと待っちゃったって仕方ないじゃん!御灯にそんな気持ちないって分かっても、ずっと、ずっと好きだったって仕方ないでしょ!なんで分かんないの?!」
めちゃくちゃで支離滅裂だ。泣きながら途切れ途切れに聞こえてくるその言葉たちは滑稽で酷く可笑しいはずなのに何故か胸が熱くなった。
「俺を、…好き…。」
ぽろぽろと釣られるように涙が溢れる。
ありえない事だと思っていた。ずっと、ずっとそんな奇跡は起きないと必死に自分に言い聞かせて生きて来た。太陽のように眩しく優しく愛おしい彼女は、太陽のように眩しい唯我と結ばれるべきなのだと。だから自分は身を引くべきだと。愛されるべきじゃないのだと。
そうやって必死に積み重ねて来た我慢も苦しみも、こんなにも簡単に崩れて解けてしまうものなのか。彼女の泣き顔と、愛の言葉ひとつで。
「…ごめん、ごめんな…。」
涙と共に謝罪の言葉が漏れた。彼女の前だとしても、あんなに守り切ると誓った過去の自分への約束があっても、これ以上強がっていられなかった。
彼女を、求めてもいいんだろうか。罪深い俺が。今までいくつもの罪を犯した俺が。幸せになってもーーー
「…いいんだよ、もう。我慢しなくて。」
泣き始めた灯を見て落ち着きを取り戻したのか、相変わらず涙を流しながらも先程よりも静かになった奈美が立ち上がりベッドの上の灯の手を握り微笑む。心を読んだかのようなその言葉に後押しされ、更なる涙が溢れた。
「…君を、愛してる…。」
涙に濡れた声で呟くように愛を囁く。今まで一度も本気で言えなかったであろう言葉に胸いっぱいの想いを込めた。
それを聞いた奈美は軽く唇を合わせる程度の優しい口付けを灯の唇に落として少し照れたように微笑む。
「ちゃんと御灯だけが大好きだから…もう、1人で何処かに行かないでね。」
病室の窓の外は未だ明るく、空には憧れていた眩しい太陽の姿がある。
自分はやはり太陽にはなれないだろうけれど、これからは無いものねだりをしなくても済むようになるかもしれない。
腕の中に抱き締めた太陽を2度と離さない事を心に誓って灯は目を伏せた。
ーーーあぁ、君はまるで太陽のようだ。
目を閉じても感じる腕の中のその暖かさと眩しさに、思わず、笑みが溢れた。
Fin.
安否確認も終わり唯我の事も落ち着いた今、もう俺と話す事はないだろうにと思いながらも何かあるかもしれないゆえに追い返すわけにもいかず灯はゆっくりとベッドヘッドに背を凭れさせる。
「…あの日、お別れ言いに来たの、御灯じゃないって本当…?」
奈美の口から飛び出た言葉に思わず刹那的に視線が泳いだ。『あの日』というのは俺と彼女が付き合っていたという事実が終わった日の事だろうか。心当たりはあるが肯定しても良いものなのかを少し考える。考えている間に奈美の口が再び開いた。
「…唯我を生かすために自分の身体を犠牲にしようとしたのも本当…?」
彼女が知るはずのないことばかりが言葉になっている事に驚きが隠せない。彼女に伝えないようにとあれだけ言い含めたのに誰かが話してしまったのだろうか。とにかく否定するべきだ。彼女にこれ以上の負担をかけるわけにはいかない。彼女は優しすぎて、同情で俺に気を許してしまうかもしれない。
「…いまっ、本当は何も覚えてないのも本当なの…っ…?!」
混乱しながらもどうにか言葉を捻り出そうとして口を開きかけると、先に聞こえて来た奈美の言葉に思わず目が見開かれ声にならない声だけが漏れた。瞳いっぱいの涙を溜めた奈美が悔しそうにこちらを睨んでいる。
「……な、にを……」
否定の言葉を口にしたいのに脳が回らない。いつものように頭を回転させれば言い訳くらい思い付くはずだ。俺は月島灯で、全ての事象は事実として知っている。取り繕う事などいくらでも出来る。出来る、はずなのに。
どうしてそこに行き着いたのかが分からなければ言い訳のしようがなかった。だってそれは、誰も知るはずのない、灯の最大の秘密で、否定しようもない事実だったのだから。
好きに身体を使うと言われて死ぬ事を覚悟していた灯はいくつかの手紙を用意していた。もしも死んだ時には留衣と煉に今後についての手紙が届くように医師に頼んであったし、死ななかった場合にも何かの不都合がある可能性を予期して自分宛の手紙を残しておいた。また、こちらはもしも自分が何処かの病院に収容されるか自宅に帰るような事があれば他の誰にも見つからないように自分の手に渡るように手続きをしてあった。
案の定、病院で目覚めた時、灯はほとんどと言っていい記憶を失っていた。そこに届いた自分からの手紙は驚くほどの厚みと長さを兼ね備えた膨大な報告書のようだったが、簡潔に灯の人生における事実と経過だけが記されていた。仕事や日常会話はその事実だけで十分事足りるために記憶が無くなっても全く問題なかったが、奈美についてだけはそうはいかなかった。好きになるまでの経過、自覚した時の事実、付き合うに至る経緯、別れるに至る経緯、別れるべきだと思った理由、その方法。それらを読み込んでも当時の灯の気持ちの全てを推し量る事など出来なかった。また『彼女が気に病まないように、記憶の欠損がある場合はそれついては伝えない事を望む』という記述が全てを言い表していた。奈美にこの事実を伝えないために過去の灯は深い理由なしに彼女と別れ、思い出話が出来ないようにとあっさりと彼女を遠ざけたのだと。しかし心にもない事を言うのが辛すぎて人にその役を他人に任せた事も懺悔と共に書き記されていた。
灯からの手紙を灯は読んで直ぐ処分したはずだった。この決意を、誰にも見せてはならないと思った。だから歩けるようになってからすぐ、病院の外に置かれた焼却炉で火をつけて封筒ごと燃やしたはずだった。
「ばか!御灯のばか!なんで辛いこと全部1人でやろうとするの?!…わたし…私彼女だったのに…!!」
声を荒げていたはずの奈美が崩れ落ちるように床に膝を着き涙を溢す。悔しげに、苦しげに、呻くように泣いていた。
「唯我がいなくなって、御灯が側にいてくれて、ずっと、ずっと側にいてくれて、それなのに唯我のことまだ好きなわけないじゃん!御灯が忙しいから別れたいって言った時も、落ち着いたらまた帰って来てくれるんじゃないかって、ずっと待っちゃったって仕方ないじゃん!御灯にそんな気持ちないって分かっても、ずっと、ずっと好きだったって仕方ないでしょ!なんで分かんないの?!」
めちゃくちゃで支離滅裂だ。泣きながら途切れ途切れに聞こえてくるその言葉たちは滑稽で酷く可笑しいはずなのに何故か胸が熱くなった。
「俺を、…好き…。」
ぽろぽろと釣られるように涙が溢れる。
ありえない事だと思っていた。ずっと、ずっとそんな奇跡は起きないと必死に自分に言い聞かせて生きて来た。太陽のように眩しく優しく愛おしい彼女は、太陽のように眩しい唯我と結ばれるべきなのだと。だから自分は身を引くべきだと。愛されるべきじゃないのだと。
そうやって必死に積み重ねて来た我慢も苦しみも、こんなにも簡単に崩れて解けてしまうものなのか。彼女の泣き顔と、愛の言葉ひとつで。
「…ごめん、ごめんな…。」
涙と共に謝罪の言葉が漏れた。彼女の前だとしても、あんなに守り切ると誓った過去の自分への約束があっても、これ以上強がっていられなかった。
彼女を、求めてもいいんだろうか。罪深い俺が。今までいくつもの罪を犯した俺が。幸せになってもーーー
「…いいんだよ、もう。我慢しなくて。」
泣き始めた灯を見て落ち着きを取り戻したのか、相変わらず涙を流しながらも先程よりも静かになった奈美が立ち上がりベッドの上の灯の手を握り微笑む。心を読んだかのようなその言葉に後押しされ、更なる涙が溢れた。
「…君を、愛してる…。」
涙に濡れた声で呟くように愛を囁く。今まで一度も本気で言えなかったであろう言葉に胸いっぱいの想いを込めた。
それを聞いた奈美は軽く唇を合わせる程度の優しい口付けを灯の唇に落として少し照れたように微笑む。
「ちゃんと御灯だけが大好きだから…もう、1人で何処かに行かないでね。」
病室の窓の外は未だ明るく、空には憧れていた眩しい太陽の姿がある。
自分はやはり太陽にはなれないだろうけれど、これからは無いものねだりをしなくても済むようになるかもしれない。
腕の中に抱き締めた太陽を2度と離さない事を心に誓って灯は目を伏せた。
ーーーあぁ、君はまるで太陽のようだ。
目を閉じても感じる腕の中のその暖かさと眩しさに、思わず、笑みが溢れた。
Fin.