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それはまるで太陽のようで。

最初は戸惑うように灯の言葉を否定していた奈美も、灯が人を宥めている最中に人を揶揄うような人間でないと信頼していた事もあり比較的早くその告白を受け止める事になった。
そして、程なく2人は付き合う事になった。

灯にとって、初めて出来た愛する人との恋人としての生活は夢のように幸せだった。電話で聞く甘えた声や触れた時の体温、隣で微笑む顔や囁かれる愛の言葉もその全てが愛おしく感じられた。ただ、胸の内でそれと同等の唯我への罪悪感とそれに伴う自己嫌悪が燻っているのも事実だった。それゆえにこの不安定な幸せをあっさりと失うかもしれない不安に涙が溢れる事も度々あった。
本当に彼女を愛している。しかし、唯我が起きて来さえすれば、この現実など泡沫のように消え失せる程度のものだという確信があった。それは彼女がどれだけ唯我を愛していたかを隣で散々聞いてしまったからこその確信であり、唯我に圧倒的な劣等感を持つ灯だからこその確信でもあった。
「…御灯に、我儘なんか言えないよ。」
時折、奈美が溢すこの言葉もその確信の背中を押した。資料の中の彼女は恋人に大小なりにも我儘を言っていたにも関わらず、奈美は灯には一切の我儘を言わなかった。それはまるで自分だけ『恋人』という皮を被った他人だと言い含められているようで酷く寂しかった。

「そうだ、私のペンネームとして御灯のフルネーム使ってもいい?」
御灯の名前好きなの、と屈託なく彼女が笑う。嬉しいような悲しいような、そんな複雑な気持ちになった。彼女の好きだと言うその名前は、本物の欠陥品の名前で罪人とするべき男の名前だということを彼女は知らない。
「…だめ。」
灯の端的な否定の言葉を聞いて奈美が眉を下げる。灯は近くに置いてあったメモ帳とペンを手に取り自分の名前を簡単にアナグラムで組み直してから、奈美の前にそのメモ帳を差し出した。
「名乗るならこっちにしておきなさい。」
月島萊華と書かれたメモ帳を見つめ奈美の顔がぱぁっと明るくなる。なんて読むの、と子供のようにはしゃぐ彼女の横顔を見つめていつも通りに話し続けた。
「つきしまらいか、だよ。」
萊は本来、あかざという花の名前だ。萊は大ぶりの葉に隠れるように花を付ける慎ましやかな花で、純粋で優しい気持ちを乗せられることが多い。彼女の性質に良く似合う花だと思って当てた。そして、月島の月と合わせ連想出来る白い萊の花言葉は『結ばれた約束』だ。本来結婚すべき友人に送られるこの花の花言葉は予期せず唯我との関係を示唆するようであり、いつまでもこの関係を約束しておきたい灯の恋心そのものでもあったが、それは言わなかった。途中込み上げそうになった涙は彼女に見えないように飲み込み、代わりに笑顔を貼り付けて笑って見せておいた。

「灯様…!唯我さんが…!」
いつものように奈美に会いに行こうと歩き出したところを慌てた留衣に呼び止められ、その言葉に思わず足が止まる。頭の中でシンデレラがタイムリミットを知らされた時のような大きな崩壊音が鳴り響き、思考が停止した。
それなのに無意識に口元が緩んだ。唯我が戻って来たことを喜んでいるのか、自分の幸せが刹那的なことを自嘲しているのかは灯にも分からなかった。
ただ、自分の幸せはやはり酷く脆く、世界は自分に非情なものなのだと思った。

病室に行くと、既に唯我はベッドの上に腰掛けるように身体を起こしていた。足早に駆け寄るとその足音に気付いた唯我がこちらを視界に入れハッとしたように口を開く。
「…灯、…さん…?」
明らかに唯我の見た目をした『それ』から発される言葉の不可解さに困惑した。
「…お前は、誰だ…」
正しく思考が働かず、思ったままの言葉が口を突いて出た。目の前の『それ』は少し考えてから酷く申し訳なさそうに眉を下げ、
「ええと…多分…唯我、なんでしょうか…」
とだけ答えた。



理解が追いつかない灯の代わりに留衣が『それ』に一通り話を聞いてみると、彼は確かに唯我の記憶を持ち合わせているが唯我だという自覚は持ち合わせていないという不可思議な状態であるという。
自分が誰であるかと言われれば唯我としての記憶しか持ち合わせていないため唯我という人物なのだろうとは思うが、唯我の記憶は全て靄がかかったように不明瞭で、俄かに自分の記憶であるとは受け入れがたいとのことだった。
正直なところ、一通り話を聞いた上でも灯はこの唯我を唯我として認めることができなかった。目の前の唯我は、自分の知る太陽のような眩しさを何ひとつ持っていなかったからだ。
灯はこの唯我を唯我とは呼べそうになく、新たに『棗』という名前を与えた。棗はそれを前向きに喜んだが、灯にとってはやはりそれも面白くはなかった。

「留衣、煉。俺がいなくなったら奈美に棗を引き合わせてやってくれ。」
棗の処遇を決定した翌日、2人を呼び出して要件を端的に伝えると、留衣は顔を青くして口を開いた。
「…何を…されるおつもりなんですか…、」
「対価を支払いに行くだけだ。」
それ以上の説明は必要なかった。というのも灯自身、自分がどうなるかなど知らなかった。
手術を成功させ、唯我という生命を生存させ意識を取り戻させる。その対価は『この身体を好きに使わせる』事だ。
殺されて中身をバラバラにされて売り渡されても灯は文句など言うつもりもなかった。1つの人の命を救うという大それた傲慢に対する対価として別の1つの命を支払うのは妥当であり当然だと考えていた。
「奈美はどうすんだよ…付き合ってんだろ…」
煉が呟くように言葉を漏らす。
付き合っているわけじゃない。付き合って貰っているだけだ。彼女は胸の傷の痛みを舐める代わりに俺の我儘に付き合ってくれているに過ぎない。
世間が依存したり我儘を言い合ったりする関係を恋人と呼ぶのなら、それは絶対的に俺たちの事ではなかった。
だからこそ、唯我がきちんと唯我に戻れば、彼女はきっとその方が幸せになれるだろう。そして彼女と関わっていけば、唯我はきっと戻ってくる。灯にはその確信があった。
大丈夫。彼女は幸せになれる。それだけで、機械のようにつまらない自分の人生に十分に価値は存在するように思えた。

「……最後に1つ、煉に頼み事がある。」
会社のことを任せるための手解きをし、納得しきれない様子で涙をこぼし始めた留衣に部屋を出て行かせてから、残った煉を振り返る。留衣に釣られたのか悔しそうに涙を溢し始めた煉を見つめながら灯は苦い笑顔で微笑んだ。煉に頼むそれはきっと苦しいものになる事を灯は知っていた。

でも、俺のやるべき事は終わったのだ。
夢を見過ぎた事も、幸福に手を伸ばそうとした事も、友を裏切った事も、彼女を愛した事も、全ての罪をこの身体への罰で返そう。
後片付けをして、幕を閉める。それが、俺の最後の仕事だから。

だから
許して欲しい。
人生で1番辛い事を人に任せて逃げてしまう、この俺を。
最後の、我儘を。
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