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~第1幕 色欲は全肯定してくれる~

――気が付くと、無機質な病院のような部屋で、点滴に繋がれた私は、ベッドの上に座っていた。
腕には点滴が繋がれていて、白に近いとても薄い茶色の掛け布団は膝にかけられている。
そして「彼」は、そこに居た。私の方を見て、足を組んで座っていた。
「彼」が座っていたのは、赤いシャツによく似合う、真っ白な1人用のソファ。

長い薄茶色の髪を後ろで纏め、整った顔立ちをしている青年。
「彼」は、戸惑う私を見て、ゆっくりと首を傾げ、にこやかに微笑んだ。
さらりと「彼」の横髪が揺れる。
すると、胸の中にあった不安感が溶けて無くなっていく。
この場所はどこか、この状況はどうなっているのか、「彼」は誰なのか。全てがどうでもいい。
今は、ただ「彼」と話がしたい。話を聞きたい。救われたい。報われたい。
疑問は衝動へと変化し、その事に対して、私は何も思わなかった。

詩織:きちんと起きられたみたいですね。偉いですよ。
「彼」は、私の頭を撫でるでもなく、手を取るでもなく、ただただ言葉で私の心を解す優しい声色で、話しかけてきた。
詩織:最近はどうですか?…そうですか。よく頑張っていますね。
え?「頑張っていない」?「寝ていただけ」?…そうですか。
「彼」は心から笑顔になり、私の顔を覗き込んでくる。

詩織:頑張っていないというのは、そう思ってしまっているだけですよ。
いえ、この世界に思い込まされているのかも知れないですね。
ニコニコと話してくる「彼」の薄茶色の瞳を見ればわかる。
本気で言っているのだ。私が偉いのだ、と。
詩織:何にせよ、貴女は謙虚なのですね。だから、きっと、自分を許してあげられていないだけです。
何か罪の意識があるのですか?話してみてくれれば、必ず力になりますよ。

私の事を何も知らないのだろうに、「彼」は知って、理解しようとしてくれている。
なぜだろう。その問いには答えてはくれない気がした。
詩織:寝ていただけ?意識を手放しても、息をして、きちんと生きていたなら十分過ぎる程に偉いじゃないですか。
だって、生きていなかったら、こうして話せもしない訳ですし、ね。
少し寂しそうに、虚空を見つめた「彼」は、すぐに次の話題を振ってきた。

詩織:「生きているだけで偉い」という考え方は、実は少し危険なのですよね。その危険性もわかった上で、俺は話していますよ。
首を傾げた「彼」は、私が理解していない事を確認すると、再度笑みを浮かべ、説明してくれる。
詩織:では、ここに生きた犯罪者が居たとします。
俺が貴女に「生きているだけで偉い」と言った。そうなると、犯罪者は偉いのか。
…とても難しい話だ。哲学的な話のようだと感じた。

困る私を見透かしたかのような眼差しで、「彼」は続ける。
詩織:ええ、その場合、犯罪者も偉いですよ。「生きている」という点でのみ、共通して。
犯罪を犯した、犯していない。そこは関係無く、「生きていて偉い」のです。
「彼」は余裕そうに胸に右手を当てる。

詩織:社会が勝手に確立したルールを破った人間を犯罪者と呼びます。
では、貴女が勝手に確立したルールを破った貴女を許すには?コレが正解となります。
抑揚を付けて、聞き取りやすい声で私の痛いところに、優しく触れてくる。
そんな「彼」は、一切の躊躇を見せない。
詩織:そう、俺のこの発言はこじつけです。でも、ソレで何が悪いのですか?
個人的に貴女を許そうと努力して言葉を紡ぐのはいけない事なのでしょうか?

間をおいて、「彼」は私を見ている。
詩織:困っていますか?ふ、悪いなら悪いでいいですよ。
俺が悪者になって、貴女を肯定出来るのなら、それで。

詩織:そうですね。コレは、「例えば貴女が犯罪者よりも偉くないと仮定して」の話ですが…
自己を肯定するのが苦手な方は、「犯罪者よりも…」という思考に陥ってしまうと思っています。
満面の笑みを浮かべた「彼」は、手を差し伸べてくる。
詩織:俺は肯定しますよ。今、貴女を。さあ、俺に肯定させてください。
「全てを任せろ」とは言いません。ただ、弱くても、いいんですよ。

ずっと、こちらを見ていてくれる「彼」は、どうしようもなくまっすぐに、どうしようもない私の面を見ていた。
詩織:ずっと、涙は堪えて、笑顔は出るようにして、大変だったでしょう。つらかったですね。
もう大丈夫ですよ。俺が居ますからね。ここに、ほら。

「彼」の手を取ろうとした時、くらり、意識が傾いた。
詩織:眠くなってしまったのですか?そうですね。もうこんな時間ですから。
ゆっくりおやすみなさい。また今度も話しましょうね。
隣に「彼」が居ると、わかっていた為か、私は安心して意識を手放した。
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