~第1幕 人格破綻者の強欲~
――夢を、見た。
感想にもならない一言で言うのならば、淡々とした夢だった。
僕が紙に何かの文章を書いている。
ソレをどこかに運ぼうとしていて、ふと落としてしまった。
咄嗟に拾おうとしたが、そこで意識が歪み、気を失う。
目を覚ますと、いつの間にか目の前に少女が立っていた。
手には先程落としたソレ。
少女は倒れていた僕に、優しい声で囁いた。
少女:あなたの書いた文章は、心のないひとが書いたみたい。
――僕は…
肯定も否定もせず、少女の瞳をじっと見つめた。
少女は少し悲しそうな顔をして、僕の傍に紙束を置いた。
そして、そのままゆっくりと、どこかへ歩いて行ってしまった。
僕はただ、その小さな背中を見つめた。
少女の置いた紙束は、誰かの書いた日記だった。
日誌はあれど、日記等は書いた事の無い僕は、ソレを手に取って、読んでみる。
人間が日記というモノを書く時。ソレは、自己肯定感を高める為、健忘を避ける為、様々な理由が存在するが、結局は自分の為でしかない。
日記を書いている自分が何となくお洒落に感じる。
毎日良い事をしているようだ。
こうすると充実していると思える。
対して見返しもしないのに、ページ数は増えていく。
文字を追いかけるように視線を動かしていく。
綴られているのは、とある女性の何でもない日常だった。
カフェで友人と話して楽しんだり、恋愛関係で傷付いたり、一般的な生活と言えるだろう。
ソレを、少し大袈裟にしたような内容。
3ヶ月、毎日書いていた彼女の日記は、何でもないある日をきっかけに、ぷつりと途絶えてしまった。
それまでに前兆があったようには感じない。つまり、この女性は日記に飽きてしまったのだ。
自ら始め、自分の中のトレンドでなくなったらやめる。
とても人間らしいと感じた。
そもそも、一般的に、日記というモノは他人に見せない感情の羅列だ。
他人に見せている自分と、日記に書いてある自分の人物像が違い過ぎて、耐えられなくなるケースもあるだろう。
なぜ、人間は日記を書くのか。よく聞く話では、ゲームの話だが、死を感じた瞬間にヒントとしてメモを残すという事だ。
ゾンビに追いかけられているのに、閉じ籠って「俺はもうすぐ殺されるが、実はアイツは火に弱いらしい」等というメッセージを残してくれるのだ。
現実には、どういった時に日記を書くのかはわからないが、個人的に、死が近い人間なら、あまり書かない方がいいと思っている。
真面目な人間なら、尚更だ。一度書いてしまえば、「やりたい事」から「やらなければならない事」に代わり、苦痛となる。
結果、精神衛生が悪くなり、容体が安定しなくなるだろう。
勝手な意見だが、そういった推測も出来る。
それに、見舞いに来る人間と手紙の交換をしたり、言葉を交わした方が精神衛生にも良いだろう。
日記という自己完結に入り込むだなんて、いささか悲しい事なのではないだろうか。
人それぞれという言葉に尽きるだろうが、交流は大切だ。
コレは僕の思想だが、弱っている人間の周りに、それでもまだ居てくれる人間は、大切にするべきだ。
それにしても、あの少女によれば、僕の文章には心が無いらしい。
まあ、僕は小説家ではないので、別にそうだって構わない。支障は無い。
僕は悪くない。
しかしながら、息が詰まるような感覚がするのは、なぜだろうか。
あの少女の言葉は、妙に刺さるモノがある。
人間らしいとは一体何なのだろうか。
雨のようにでたらめな思考が降り注ぐ。たった、それだけの夢。
そう、僕は夢までもつまらない。
感想にもならない一言で言うのならば、淡々とした夢だった。
僕が紙に何かの文章を書いている。
ソレをどこかに運ぼうとしていて、ふと落としてしまった。
咄嗟に拾おうとしたが、そこで意識が歪み、気を失う。
目を覚ますと、いつの間にか目の前に少女が立っていた。
手には先程落としたソレ。
少女は倒れていた僕に、優しい声で囁いた。
少女:あなたの書いた文章は、心のないひとが書いたみたい。
――僕は…
肯定も否定もせず、少女の瞳をじっと見つめた。
少女は少し悲しそうな顔をして、僕の傍に紙束を置いた。
そして、そのままゆっくりと、どこかへ歩いて行ってしまった。
僕はただ、その小さな背中を見つめた。
少女の置いた紙束は、誰かの書いた日記だった。
日誌はあれど、日記等は書いた事の無い僕は、ソレを手に取って、読んでみる。
人間が日記というモノを書く時。ソレは、自己肯定感を高める為、健忘を避ける為、様々な理由が存在するが、結局は自分の為でしかない。
日記を書いている自分が何となくお洒落に感じる。
毎日良い事をしているようだ。
こうすると充実していると思える。
対して見返しもしないのに、ページ数は増えていく。
文字を追いかけるように視線を動かしていく。
綴られているのは、とある女性の何でもない日常だった。
カフェで友人と話して楽しんだり、恋愛関係で傷付いたり、一般的な生活と言えるだろう。
ソレを、少し大袈裟にしたような内容。
3ヶ月、毎日書いていた彼女の日記は、何でもないある日をきっかけに、ぷつりと途絶えてしまった。
それまでに前兆があったようには感じない。つまり、この女性は日記に飽きてしまったのだ。
自ら始め、自分の中のトレンドでなくなったらやめる。
とても人間らしいと感じた。
そもそも、一般的に、日記というモノは他人に見せない感情の羅列だ。
他人に見せている自分と、日記に書いてある自分の人物像が違い過ぎて、耐えられなくなるケースもあるだろう。
なぜ、人間は日記を書くのか。よく聞く話では、ゲームの話だが、死を感じた瞬間にヒントとしてメモを残すという事だ。
ゾンビに追いかけられているのに、閉じ籠って「俺はもうすぐ殺されるが、実はアイツは火に弱いらしい」等というメッセージを残してくれるのだ。
現実には、どういった時に日記を書くのかはわからないが、個人的に、死が近い人間なら、あまり書かない方がいいと思っている。
真面目な人間なら、尚更だ。一度書いてしまえば、「やりたい事」から「やらなければならない事」に代わり、苦痛となる。
結果、精神衛生が悪くなり、容体が安定しなくなるだろう。
勝手な意見だが、そういった推測も出来る。
それに、見舞いに来る人間と手紙の交換をしたり、言葉を交わした方が精神衛生にも良いだろう。
日記という自己完結に入り込むだなんて、いささか悲しい事なのではないだろうか。
人それぞれという言葉に尽きるだろうが、交流は大切だ。
コレは僕の思想だが、弱っている人間の周りに、それでもまだ居てくれる人間は、大切にするべきだ。
それにしても、あの少女によれば、僕の文章には心が無いらしい。
まあ、僕は小説家ではないので、別にそうだって構わない。支障は無い。
僕は悪くない。
しかしながら、息が詰まるような感覚がするのは、なぜだろうか。
あの少女の言葉は、妙に刺さるモノがある。
人間らしいとは一体何なのだろうか。
雨のようにでたらめな思考が降り注ぐ。たった、それだけの夢。
そう、僕は夢までもつまらない。
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