傍観者の横槍
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遠くから雷の音が地面を伝って近づいてくる。
ああ、雨がくる。きっと嵐になる。
本能的に悟って踵 を返したところで気づいた。
──どうして自分は、ここにいるのか。
直前までは何をしていたか。明日の起床時間を思い浮かべながら目覚ましをかけて、布団に潜 り込んだところまでは覚えている。それからの記憶がぷっつりと途切れている。
気づいたら、ここにいた。妙に肌寒いと思えば霧 が立ち込め、その見渡しにくい視界にはどうやら山岳地帯のような景色が広がっている。それも異様に切り立った崖 の続く場所で、足下も断崖から数歩とわかって慌てて飛び退いた。
──何の為に?
登山が趣味の人間なら、登攀 中に何らかの要因で気を失っていたとかの説明もつく。それはそれで危ないが、少なくともここにいる理由は成立する。ところが自分……山田の趣味はアウトドアとは無縁の読書で、文系の嗜 みとして図書館や本屋には足繁 く通うが、山になんか興味の欠片もない。そんなこと言わずに登ってみろと勧められた経験もゼロではないが、ことごとく断ってきた経歴の持ち主だった。
──そうだ。今日は新刊を買いに行こうと思ってたんじゃないか。
今時、本屋に行かなくても通販で本を購入できるし、電子書籍という選択肢もある。それでも山田が本屋に赴くのは、書店に陳列された書籍を片っ端から眺め、人気のありそうな本をチェックする為だった。インターネットで発表される売り上げランキングを見れば良さそうなものだが、実地検分した方が趣 があると言ってのけるのは、要は山田が大学二年生という微妙に暇 な社会的地位に甘んじていたからだ。
そこまで思い出した山田はズボンのポケットに突っ込まれているべきスマホと財布を取り出そうとして、我が目を疑った。
「……はあ?」
思わず声も出る。同じ立場の誰もが似た行動をとるだろう。
山田はジャージのズボンに長袖シャツという姿だった。彼の外出スタイルとしては不適切な恰好であり、彼にとってこれは寝間着である。十月の半ばになれば、暖房をつけていない室内の夜には肌寒く感じることもある。それ故の長袖シャツであり、これに布団が加われば寒さなど感じずにぬくぬくと眠ることができる。
しかし外出ともなれば面倒臭がりの山田も自分なりのTPOのもと、服装はそれなりに小奇麗 にしていた。間違っても裸足で外出なんて真似はしない。
「うわ……」
恐る恐る見た足の裏は真っ黒になっていて、怪我はしていないが地面に直接触れることに慣れていない肌が赤くなっていた。所々、岩肌が剥き出しになっている崖っぷちにいたのだ。無理もない。
──寝てる間に拉致 されたとか?
夢遊病や記憶喪失でない限り、思いつくのはそれだ。しかし本人や実家が大金持ちでもない山田を攫 うメリットはと考えると、その線は薄い。誰でも良いから身代金をと考えるような短絡的な犯罪者も、学生向けの安アパートで見るからに質素な暮らしをしている男子学生よりはグレードが上のマンションに住む者を狙うだろう。親から仕送りを受けている学生の方が社会人より良い生活をしている例は山ほどある。いずれにせよ、誘拐した相手をわざわざこんな山に運ぶよりは、言い方は悪いがさっさと殺して身代金だけ回収する方法を考えるのではないか。
そこまで考えて身震いした。そういうことであれば、運が良い。かくなるうえは命だけでも助かった幸運を糧 にして、どうにか人里に戻るしかない。景色だけでは現在地がどこかの見当もつかないが。
灰色の雲が渦巻くような空模様は、近く雨が降ることを教えていた。この場に留まることが良くないと判断した山田は裸足の痛みに耐えながら、見知らぬ山を下りようと歩き始めた。
だが、推測で三百メートルほど歩いて雨よけになりそうな森に入った頃、どこからか大声で呼び止められた。
「止まれ! 死にたくなければ、そのままじっとしていろ!」
「へっ? な、何?」
いきなりそんなことを言われれば、声のした方に振り向きたくなるものだ。そうしようとした山田の鼻先を何かが掠 め、足下にズドンと重い衝撃が走った。
「な……うわ! 矢、か?」
地面に深く突き刺さった物はいやにレトロな矢だった。スポーツ競技のアーチェリーで用いるカーボン製の矢ではなく、どうやら木製だ。
それが警告射撃であることだけは理解できた山田が動けずにいると、死角に何者かが近づく気配がした。
「まだ動くなよ。お前、何者だ。そんな丸腰でどこに行くんだ?」
「どこに行くって……ここはどこなんですか?」
「とぼけているのか? 先触れは出した。旅人なら戦になるとわかってるこの経路は避けるはずだ。何が目的だ? いや、どこの間者 だ?」
厳しい口調で問いかけてくる相手の息遣いがすぐ背後に感じられる。戦などと意味不明なことを言っているが、本気らしいことは察せられた。いい加減な答えを返せば、足下に突き立った矢が山田の体に当たるのだろう。
「ま、待って。射るのはやめてください。俺も何が何だかわかりません。気づいたら、ここにいたんです」
「気づいたら? 攫われたっていうのか? わざわざ今の時期に、ここに攫った相手を放り出していく莫迦 がいるか。もっとましな嘘をつけ」
「け、けど! それ以外に言い様がないんです! だいたい、ここはどこなんですか? 俺の住所は東京都の……」
「あー……。言い訳はいい。後で尋問するから、とりあえず寝てろよ」
「えっ? ……っあ」
面倒臭そうな声の後で、頭に衝撃が走った。殴られたのだと理解するが、そのまま視界がぐるりと回る。
──あ、赤い……。
視界を覆う色が弾けて黒くなる。ブラックアウトしつつある世界の中央に、こちらを見下ろす男の顔が見える。その小脇には、ひどく大がかりな赤い弓があった。
「殺しちまえよ。この時期にうろついてる野郎だ。たぶん蜀 か魏 の間者だろ」
「あんたねえ……。もし間違ってたら、こいつにどうやって詫びるつもりなんだい? 殺すことはないだろう」
「間違いなら、俺が死んだ後でまとめて詫びてやるぜ。今はおっさんの策を成功させるのが優先だ。疑わしい奴をいちいち取り調べてる暇はねえんだ」
「ならせめて、呂蒙 さんの許可を得るべきだ。また勝手したって怒られたいのかい?」
それは本格的に覚醒する少し前から続いていたやりとりのようだ。声からして若い男が二人、おそらく山田の処遇を巡って議論している。目隠しをされているのか、何も見えない。
目覚めると同時に微 かに呻 いて身じろぎをしたはずだが、腕も足も痺れていて、関節の痛みだけを感じた。体の下が妙に冷たく硬いのは、縛られたうえで地面に転がされているかららしい。
近くで聞こえる物騒な言い合いをぼんやりと聞いていると、別の声が割って入った。
「おやめください。呂蒙殿がご不在の間に将同士で揉めたとあっては、お二人とも叱責は免れませんよ」
「何もしねえわけにもいかねえだろ。おっさん無しだと何もできねえって思われてえのか、陸遜 ?」
「そういうわけでは……」
「あんたも意地の悪いこと言うなよ。どうしてそんなに殺したがりなんだ。こうして縛り上げておくだけで、こいつは何も出来ないだろ」
「ちっ」
舌打ちの後で、ドスドスと地面を踏み抜くような荒っぽい足音が離れていく。
「はあ……けど、甘寧 の心配も結局は呂蒙さんの心労を考えてのことだから。このまま牢に入れておくのが妥当かね」
「そうですね。殿 のご命令もなく、呂蒙殿のご意見も伺わないのに、すぐ殺すのには反対です。ただの無宿人ならば、こちらの役に立っていただくこともできるでしょう」
「あんたの考えも別方向に怖いね。……ん、朱然 、おかえり」
また別の人間が増えたらしい。一旦 、山田の側に寄った気配が離れて、もともといた二人に加わる。
「早馬が戻った。呂蒙殿からの指示だ。その男は俺が預かる」
「朱然殿が? しかし慣例ならば、牢に繋いで主人を吐かせるべきでは?」
「そいつの着ていた変な衣も一緒に送ったのは知ってるだろう? 呂蒙殿がそいつから直々に話を聴きたいそうだ」
「確かにあれは、何なんだろうね。仕立ては妙だし、雨に濡れたのにすぐ乾いた。絹でもああはいかない」
「ああ。蜀錦でも魏の織物でもない。他国にもあんなものは無いはずだ。だから、もしかしたらそいつは中華の出じゃないんじゃないかってさ」
「なるほどねえ。けど、海岸に流れ着いたならともかく、山の中になんでいたんだろうね。まさか龍 の背に乗って飛んできたとか?」
「そちらですよね。いろいろと話を聴く必要がありそうです」
床に転がる山田に視線が集まっているようだ。そして一人の足音が再び側まで近づくと、目隠しに手をかけた。
「聞いてただろう。お前は俺が預かる。起きろ」
瞼 を閉じていたかったが、無言の圧力を受けて目を開いた。
目の前には山田とそう齢の変わらなさそうな若者がいた。
──こいつは、俺を矢で襲った……。
間違いない。気を失う前に見上げた顔だ。赤くごてごてとした弓を抱えていた男がコスプレか民族衣装のような謎の恰好で屈んでいる。
「俺は朱然だ。お前、名前は?」
「……山田、孝之 です」
「タカユキ? なんだその名前。やっぱり中華の外から来たのか? どこの出だ?」
「いえ、住所は東京都の……」
残りの二人も山田に近づいてきて、胡乱 な目を向けてくる。赤い帽子が特徴的な女顔の若者と、長身で髪を長く伸ばした若者だ。その二人もコスプレのように装飾の多い服を着ていた。しかもやたらと派手な赤を基調にした色彩の衣装だ。
「胡散 臭い名前ですね。ですが、即興の偽名とも考えにくいです」
「ああ。学の無い奴でも、こんな変な名前は名乗らないだろ。あんた、本当に外 つ国 の男なのか」
二人の言葉を受け、朱然と名乗った男の表情がやや穏やかになった。どうやら弁解を聴いてくれるらしい。
「いえ、東京ですから。もしかしてここは、日本ではないのですか?」
「ニホン? トウキョウ? それがお前の国の名前か? ……中華じゃないのは確かか。呂蒙殿に報告して良かったのかもしれないな。迂闊 に殺してたら、後で大目玉だぞ」
「そうだね。一応、甘寧の奴に言っとくよ」
長身の若者が急ぎ気味に出て行く。
それを見送った朱然が山田を縛る縄を解いて立たせた。節々が痛むが、間違いなく命がかかっているので無理をして立つと、最初に着ていた服ではなく白い服を着せられていた。
「あの、俺の服は?」
「さっき言ってただろ。呂蒙殿……えっと、俺達の上官に確認していただいた。それは喪服 だけど、裸よりましだろ」
「な、なんで喪服を? それに白いし……普通、喪服は黒じゃないんですか?」
朱然が帽子の若者と顔を見合わせた。
「あなたは本当に外つ国の方なのですね。疑って申し訳ありません。後で適当な服をお届けしましょう」
「俺も何か探すよ。それにしても、黒い喪服なんて……お前の国は変な国なんだな。それに、よほど平和なんだな」
「いや、だって……」
「呂蒙殿のお言葉が身に染みますね。私の見識はまだまだのようです」
「こんな目に遭って喪服を着せられてても呑気に構えてるしな」
苦笑いした朱然が山田の背を叩いた。予想以上に強い力によろけるのをじっと観察していた彼は更に囁 いてくる。
「一応教えてやるけど、この状況で喪服着せられてる時点で、首を斬られる準備と同じだぞ。呂蒙殿が戦前に血を流すのを避けてたから助かったんだ。他の方なら、お前を戦勝祈願の生贄 にしただろうな」
「い、生贄?」
山田の脳裏に、大昔のどこかの部族が神に生贄を捧げるシーンが浮かんだ。あれは山羊だったか。見るからに鋭い刃物を持った髭 ぼうぼうの老人が四肢を縛られた白い山羊 に近づき、その喉を一気に掻き切る。吹き出した真っ赤な血を器 に受けた老人が意味不明の言葉を叫びながら、祭壇を振り仰ぐ……。
ぐらりと揺れた山田の体を朱然が支えた。
「おい、大丈夫か?」
「朱然殿が生贄なんて仰るからですよ」
「本当のことだろう。たまたま呂蒙殿が俺の上官だったから、こいつは助かったんだ」
「それに、朱然殿が殺さなかったからでしょう。あなたも男なら、この程度で眩暈 を起こしているなんて情けないですよ」
呆れたように帽子の若者も山田を支えた。朱然と二人がかりで両脇を支え、どうにか歩かせようとする。
「あ、いえ……大丈夫です。そういえば、確かに朱然さんが助けてくださったとも言え……ますかね?」
殴られて気絶した覚えがあるのだが。しかし終わった話でもある。何より、この若者たちの言動から察するに、ここでは人殺しが日常のようだ。機嫌を損ねたら殺されかねない。
意識した途端に後頭部がズキリと痛んだが、山田は敢 えて笑顔を浮かべた。
「ああ。死ななくて良かったな。それにしても、お前、何歳だ?」
「二十歳ですけど」
山田を挟んで、朱然と帽子の若者が目配せを交わした。
「……お前、本当に呑気な国から来たんだな」
「えっ?」
「……羨ましいというより、お気の毒に」
「ええっ?」
帽子の若者に至っては山田より年下に見えたが、何が悲しくて年下に哀れみの眼差しを向けられなくてはいけないのか。ここが海外だとしても、ここまで馬鹿にされるものなのか。
俄 かに湧いた反発心も、帽子の若者が腰から提 げているものを見て縮んだ。いやにカチャカチャと煩 いと思ったのだが、それはまたしても派手な二振りの剣だった。土産物屋で学生向けに売っている木刀よりもずっしりと重そうな装飾が施され、柄には大きな輝石 が象嵌 されている。
──やっぱりコスプレかもしれない。
見た目通りにそれらが金属製なら、軽く見積もっても十キロ以上にはなるはずだ。山田よりも若くて華奢 に見える若者がそれを腰に下げて平然と歩いているなんて、信じられなかった。
気を取り直したように朱然が訊ねてくる。
「ニ十歳なら字 があるだろう。さっき名乗ったのがそれか?」
「あざな? 何ですか、それ?」
また朱然達が顔を見合わせる。帽子の若者からは隠しもしないため息が聞こえた。
「……そういう国もあるんだろうな。わかった。それで、お前は何て呼べば良い?」
「あー、それなら山田でも、孝之でも良いですよ」
「……どちらも字ではないんですね。はあ……。とにかく行きましょう」
「そうだな。お前が客になるか捕虜になるかは、呂蒙殿次第だけど」
二人に促 され、歩く。たまにすれ違うものものしい雰囲気の男達は兵士なのだろうか。鎧 なのは察せられるが、いつの時代なのかと問いたくなるような造りの衣装を纏 った厳 つい男達は、朱然達を見ると決まって道をあけ、胸の前で手を組み合わせた。どうやら挨拶らしかった。
ああ、雨がくる。きっと嵐になる。
本能的に悟って
──どうして自分は、ここにいるのか。
直前までは何をしていたか。明日の起床時間を思い浮かべながら目覚ましをかけて、布団に
気づいたら、ここにいた。妙に肌寒いと思えば
──何の為に?
登山が趣味の人間なら、
──そうだ。今日は新刊を買いに行こうと思ってたんじゃないか。
今時、本屋に行かなくても通販で本を購入できるし、電子書籍という選択肢もある。それでも山田が本屋に赴くのは、書店に陳列された書籍を片っ端から眺め、人気のありそうな本をチェックする為だった。インターネットで発表される売り上げランキングを見れば良さそうなものだが、実地検分した方が
そこまで思い出した山田はズボンのポケットに突っ込まれているべきスマホと財布を取り出そうとして、我が目を疑った。
「……はあ?」
思わず声も出る。同じ立場の誰もが似た行動をとるだろう。
山田はジャージのズボンに長袖シャツという姿だった。彼の外出スタイルとしては不適切な恰好であり、彼にとってこれは寝間着である。十月の半ばになれば、暖房をつけていない室内の夜には肌寒く感じることもある。それ故の長袖シャツであり、これに布団が加われば寒さなど感じずにぬくぬくと眠ることができる。
しかし外出ともなれば面倒臭がりの山田も自分なりのTPOのもと、服装はそれなりに
「うわ……」
恐る恐る見た足の裏は真っ黒になっていて、怪我はしていないが地面に直接触れることに慣れていない肌が赤くなっていた。所々、岩肌が剥き出しになっている崖っぷちにいたのだ。無理もない。
──寝てる間に
夢遊病や記憶喪失でない限り、思いつくのはそれだ。しかし本人や実家が大金持ちでもない山田を
そこまで考えて身震いした。そういうことであれば、運が良い。かくなるうえは命だけでも助かった幸運を
灰色の雲が渦巻くような空模様は、近く雨が降ることを教えていた。この場に留まることが良くないと判断した山田は裸足の痛みに耐えながら、見知らぬ山を下りようと歩き始めた。
だが、推測で三百メートルほど歩いて雨よけになりそうな森に入った頃、どこからか大声で呼び止められた。
「止まれ! 死にたくなければ、そのままじっとしていろ!」
「へっ? な、何?」
いきなりそんなことを言われれば、声のした方に振り向きたくなるものだ。そうしようとした山田の鼻先を何かが
「な……うわ! 矢、か?」
地面に深く突き刺さった物はいやにレトロな矢だった。スポーツ競技のアーチェリーで用いるカーボン製の矢ではなく、どうやら木製だ。
それが警告射撃であることだけは理解できた山田が動けずにいると、死角に何者かが近づく気配がした。
「まだ動くなよ。お前、何者だ。そんな丸腰でどこに行くんだ?」
「どこに行くって……ここはどこなんですか?」
「とぼけているのか? 先触れは出した。旅人なら戦になるとわかってるこの経路は避けるはずだ。何が目的だ? いや、どこの
厳しい口調で問いかけてくる相手の息遣いがすぐ背後に感じられる。戦などと意味不明なことを言っているが、本気らしいことは察せられた。いい加減な答えを返せば、足下に突き立った矢が山田の体に当たるのだろう。
「ま、待って。射るのはやめてください。俺も何が何だかわかりません。気づいたら、ここにいたんです」
「気づいたら? 攫われたっていうのか? わざわざ今の時期に、ここに攫った相手を放り出していく
「け、けど! それ以外に言い様がないんです! だいたい、ここはどこなんですか? 俺の住所は東京都の……」
「あー……。言い訳はいい。後で尋問するから、とりあえず寝てろよ」
「えっ? ……っあ」
面倒臭そうな声の後で、頭に衝撃が走った。殴られたのだと理解するが、そのまま視界がぐるりと回る。
──あ、赤い……。
視界を覆う色が弾けて黒くなる。ブラックアウトしつつある世界の中央に、こちらを見下ろす男の顔が見える。その小脇には、ひどく大がかりな赤い弓があった。
「殺しちまえよ。この時期にうろついてる野郎だ。たぶん
「あんたねえ……。もし間違ってたら、こいつにどうやって詫びるつもりなんだい? 殺すことはないだろう」
「間違いなら、俺が死んだ後でまとめて詫びてやるぜ。今はおっさんの策を成功させるのが優先だ。疑わしい奴をいちいち取り調べてる暇はねえんだ」
「ならせめて、
それは本格的に覚醒する少し前から続いていたやりとりのようだ。声からして若い男が二人、おそらく山田の処遇を巡って議論している。目隠しをされているのか、何も見えない。
目覚めると同時に
近くで聞こえる物騒な言い合いをぼんやりと聞いていると、別の声が割って入った。
「おやめください。呂蒙殿がご不在の間に将同士で揉めたとあっては、お二人とも叱責は免れませんよ」
「何もしねえわけにもいかねえだろ。おっさん無しだと何もできねえって思われてえのか、
「そういうわけでは……」
「あんたも意地の悪いこと言うなよ。どうしてそんなに殺したがりなんだ。こうして縛り上げておくだけで、こいつは何も出来ないだろ」
「ちっ」
舌打ちの後で、ドスドスと地面を踏み抜くような荒っぽい足音が離れていく。
「はあ……けど、
「そうですね。
「あんたの考えも別方向に怖いね。……ん、
また別の人間が増えたらしい。
「早馬が戻った。呂蒙殿からの指示だ。その男は俺が預かる」
「朱然殿が? しかし慣例ならば、牢に繋いで主人を吐かせるべきでは?」
「そいつの着ていた変な衣も一緒に送ったのは知ってるだろう? 呂蒙殿がそいつから直々に話を聴きたいそうだ」
「確かにあれは、何なんだろうね。仕立ては妙だし、雨に濡れたのにすぐ乾いた。絹でもああはいかない」
「ああ。蜀錦でも魏の織物でもない。他国にもあんなものは無いはずだ。だから、もしかしたらそいつは中華の出じゃないんじゃないかってさ」
「なるほどねえ。けど、海岸に流れ着いたならともかく、山の中になんでいたんだろうね。まさか
「そちらですよね。いろいろと話を聴く必要がありそうです」
床に転がる山田に視線が集まっているようだ。そして一人の足音が再び側まで近づくと、目隠しに手をかけた。
「聞いてただろう。お前は俺が預かる。起きろ」
目の前には山田とそう齢の変わらなさそうな若者がいた。
──こいつは、俺を矢で襲った……。
間違いない。気を失う前に見上げた顔だ。赤くごてごてとした弓を抱えていた男がコスプレか民族衣装のような謎の恰好で屈んでいる。
「俺は朱然だ。お前、名前は?」
「……山田、
「タカユキ? なんだその名前。やっぱり中華の外から来たのか? どこの出だ?」
「いえ、住所は東京都の……」
残りの二人も山田に近づいてきて、
「
「ああ。学の無い奴でも、こんな変な名前は名乗らないだろ。あんた、本当に
二人の言葉を受け、朱然と名乗った男の表情がやや穏やかになった。どうやら弁解を聴いてくれるらしい。
「いえ、東京ですから。もしかしてここは、日本ではないのですか?」
「ニホン? トウキョウ? それがお前の国の名前か? ……中華じゃないのは確かか。呂蒙殿に報告して良かったのかもしれないな。
「そうだね。一応、甘寧の奴に言っとくよ」
長身の若者が急ぎ気味に出て行く。
それを見送った朱然が山田を縛る縄を解いて立たせた。節々が痛むが、間違いなく命がかかっているので無理をして立つと、最初に着ていた服ではなく白い服を着せられていた。
「あの、俺の服は?」
「さっき言ってただろ。呂蒙殿……えっと、俺達の上官に確認していただいた。それは
「な、なんで喪服を? それに白いし……普通、喪服は黒じゃないんですか?」
朱然が帽子の若者と顔を見合わせた。
「あなたは本当に外つ国の方なのですね。疑って申し訳ありません。後で適当な服をお届けしましょう」
「俺も何か探すよ。それにしても、黒い喪服なんて……お前の国は変な国なんだな。それに、よほど平和なんだな」
「いや、だって……」
「呂蒙殿のお言葉が身に染みますね。私の見識はまだまだのようです」
「こんな目に遭って喪服を着せられてても呑気に構えてるしな」
苦笑いした朱然が山田の背を叩いた。予想以上に強い力によろけるのをじっと観察していた彼は更に
「一応教えてやるけど、この状況で喪服着せられてる時点で、首を斬られる準備と同じだぞ。呂蒙殿が戦前に血を流すのを避けてたから助かったんだ。他の方なら、お前を戦勝祈願の
「い、生贄?」
山田の脳裏に、大昔のどこかの部族が神に生贄を捧げるシーンが浮かんだ。あれは山羊だったか。見るからに鋭い刃物を持った
ぐらりと揺れた山田の体を朱然が支えた。
「おい、大丈夫か?」
「朱然殿が生贄なんて仰るからですよ」
「本当のことだろう。たまたま呂蒙殿が俺の上官だったから、こいつは助かったんだ」
「それに、朱然殿が殺さなかったからでしょう。あなたも男なら、この程度で
呆れたように帽子の若者も山田を支えた。朱然と二人がかりで両脇を支え、どうにか歩かせようとする。
「あ、いえ……大丈夫です。そういえば、確かに朱然さんが助けてくださったとも言え……ますかね?」
殴られて気絶した覚えがあるのだが。しかし終わった話でもある。何より、この若者たちの言動から察するに、ここでは人殺しが日常のようだ。機嫌を損ねたら殺されかねない。
意識した途端に後頭部がズキリと痛んだが、山田は
「ああ。死ななくて良かったな。それにしても、お前、何歳だ?」
「二十歳ですけど」
山田を挟んで、朱然と帽子の若者が目配せを交わした。
「……お前、本当に呑気な国から来たんだな」
「えっ?」
「……羨ましいというより、お気の毒に」
「ええっ?」
帽子の若者に至っては山田より年下に見えたが、何が悲しくて年下に哀れみの眼差しを向けられなくてはいけないのか。ここが海外だとしても、ここまで馬鹿にされるものなのか。
──やっぱりコスプレかもしれない。
見た目通りにそれらが金属製なら、軽く見積もっても十キロ以上にはなるはずだ。山田よりも若くて
気を取り直したように朱然が訊ねてくる。
「ニ十歳なら
「あざな? 何ですか、それ?」
また朱然達が顔を見合わせる。帽子の若者からは隠しもしないため息が聞こえた。
「……そういう国もあるんだろうな。わかった。それで、お前は何て呼べば良い?」
「あー、それなら山田でも、孝之でも良いですよ」
「……どちらも字ではないんですね。はあ……。とにかく行きましょう」
「そうだな。お前が客になるか捕虜になるかは、呂蒙殿次第だけど」
二人に
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