俺のじゃくよつを見てくれ(全年齢)
疲れた。
玄関を開けた先の薄暗い廊下がより身体を重くさせる気がして、寂雷はひとりため息をついた。
どことなく重い足を動かして廊下の先のリビングへと向かう。リビングはカーテンも閉め切っているせいか空気までもが重たく感じる。パチッと明かりをつけて、寂雷はようやく人心地がついたのだった。
今日はなんだか疲れた。何が、というわけではない。今のこの研修医は寂雷が選び、寂雷の意思で進んだ道だ。想像と違ったわけでも嫌になったわけでもない。ただ、なんとなく、元気が出ないな、と。本当にそれだけなのだった。
「衢くんは……もう寝てますね」
衢は、半年ほど前に交通事故によって天涯孤独となった少年だ。孤児院に行くところをいろいろあって寂雷が引き取り共に暮らしている。
が、ここ数日は寂雷の方がバタバタと忙しくて顔を合わせることもない。片付けられた食器、テーブルに置かれている連絡帳や保護者宛てのプリントなんかで衢の気配だけを感じる生活が続いていた。
寂雷は自身の荷物を置くのもそこそこに、テーブルにある連絡帳を広げて目を通す。特別変わったことはなさそうだ。
保護者欄に確認のサインをして連絡帳を閉じる。朝になったら衢がランドセルに入れていくだろう。今日はプリント類はないようだ。他にやり忘れたことはないか辺りを見回す。問題なさそうだ。
それならば、もう寝る準備をしようと少しだけ気合を入れて椅子から立ち上がる。こんなふうに疲れている時はさっさと寝るに限る。
軽くシャワーだけ浴びて汗を流した。そして寝巻きに着替えて歯磨きをする。あとはもう寝るだけだ。
自室の扉を開ける。暗闇の中をそっと進みベッドに潜り込んだ――が、睡魔がやって来る気配はない。
面倒臭がらず湯船に浸かればよかったと思いながらごろごろと布団の中に転がってみたものの、一向に睡魔が顔を覗かせるそぶりはなかったのだった。
寂雷は諦めてベッドサイドの明かりをつけた。何か本でも読んでいればそのうち眠気が湧いてくるだろう、そう思って姿勢を変えたときだった……窓際に見慣れないものが飾られているのが目に入った。
「クローバー?」
ベッドから出て窓の方へと近づく。三分の一ほど水の入った小さなガラスのコップに、細長い茎に丸く小さな白い花がついたものと深い緑色をした葉がついたものが生けてある。確か正式な名前はシロツメクサだったはずだ。
「おや」
コップの近くには小さな紙が置かれていた。見覚えのある丁寧な字で、「幸せのおすそわけです」と書いてある。どういうことだろうとまじまじとコップを見つめればその理由がわかった――葉の方、俗に言うクローバーをよく見れば葉が四枚付いている。幸運の象徴、四つ葉のクローバーだったようだ。
朝の朧げな記憶を辿ったが今朝は置かれてなかったように思う。だからこれを置いたのは衢で間違いはないはずだ。そういえば昨日の連絡帳に、今日は生物クラブの活動日だと書いてあった気がする。きっとそこで見つけて持ち帰ったのだろう。
コップを手に取る。長い茎がコップの中で音もなく揺れた。
それらは寂雷より遥かに小さい。このままではしおれていくだけだと理解している。けれど寂雷は、このクローバーに確かに力強い生命力を感じるのだった。
「……あとで押し花にして、しおりにでもしましょう」
ガラスのコップを窓際に戻す。ベッドに潜り込んで明かりを消した。今なら心地よく眠れる気がしたのだった。
玄関を開けた先の薄暗い廊下がより身体を重くさせる気がして、寂雷はひとりため息をついた。
どことなく重い足を動かして廊下の先のリビングへと向かう。リビングはカーテンも閉め切っているせいか空気までもが重たく感じる。パチッと明かりをつけて、寂雷はようやく人心地がついたのだった。
今日はなんだか疲れた。何が、というわけではない。今のこの研修医は寂雷が選び、寂雷の意思で進んだ道だ。想像と違ったわけでも嫌になったわけでもない。ただ、なんとなく、元気が出ないな、と。本当にそれだけなのだった。
「衢くんは……もう寝てますね」
衢は、半年ほど前に交通事故によって天涯孤独となった少年だ。孤児院に行くところをいろいろあって寂雷が引き取り共に暮らしている。
が、ここ数日は寂雷の方がバタバタと忙しくて顔を合わせることもない。片付けられた食器、テーブルに置かれている連絡帳や保護者宛てのプリントなんかで衢の気配だけを感じる生活が続いていた。
寂雷は自身の荷物を置くのもそこそこに、テーブルにある連絡帳を広げて目を通す。特別変わったことはなさそうだ。
保護者欄に確認のサインをして連絡帳を閉じる。朝になったら衢がランドセルに入れていくだろう。今日はプリント類はないようだ。他にやり忘れたことはないか辺りを見回す。問題なさそうだ。
それならば、もう寝る準備をしようと少しだけ気合を入れて椅子から立ち上がる。こんなふうに疲れている時はさっさと寝るに限る。
軽くシャワーだけ浴びて汗を流した。そして寝巻きに着替えて歯磨きをする。あとはもう寝るだけだ。
自室の扉を開ける。暗闇の中をそっと進みベッドに潜り込んだ――が、睡魔がやって来る気配はない。
面倒臭がらず湯船に浸かればよかったと思いながらごろごろと布団の中に転がってみたものの、一向に睡魔が顔を覗かせるそぶりはなかったのだった。
寂雷は諦めてベッドサイドの明かりをつけた。何か本でも読んでいればそのうち眠気が湧いてくるだろう、そう思って姿勢を変えたときだった……窓際に見慣れないものが飾られているのが目に入った。
「クローバー?」
ベッドから出て窓の方へと近づく。三分の一ほど水の入った小さなガラスのコップに、細長い茎に丸く小さな白い花がついたものと深い緑色をした葉がついたものが生けてある。確か正式な名前はシロツメクサだったはずだ。
「おや」
コップの近くには小さな紙が置かれていた。見覚えのある丁寧な字で、「幸せのおすそわけです」と書いてある。どういうことだろうとまじまじとコップを見つめればその理由がわかった――葉の方、俗に言うクローバーをよく見れば葉が四枚付いている。幸運の象徴、四つ葉のクローバーだったようだ。
朝の朧げな記憶を辿ったが今朝は置かれてなかったように思う。だからこれを置いたのは衢で間違いはないはずだ。そういえば昨日の連絡帳に、今日は生物クラブの活動日だと書いてあった気がする。きっとそこで見つけて持ち帰ったのだろう。
コップを手に取る。長い茎がコップの中で音もなく揺れた。
それらは寂雷より遥かに小さい。このままではしおれていくだけだと理解している。けれど寂雷は、このクローバーに確かに力強い生命力を感じるのだった。
「……あとで押し花にして、しおりにでもしましょう」
ガラスのコップを窓際に戻す。ベッドに潜り込んで明かりを消した。今なら心地よく眠れる気がしたのだった。
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