SONGS 〜MASAKI〜
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「もうこんな時間……か」
打ち合わせの帰り、彼女に今から帰る事を伝えようと取り出した携帯の時計で、自分が思っているよりも随分と遅い時間に気づく。
もちろんヒロインには前もって帰りが遅くなるとは伝えている。
こんな時間じゃ……さすがにもう寝てるだろうな。
ここ数日、帰りが深夜になる日が続いている。
それというのも初脚本と初主演の舞台成功の話題が、マスコミによって大々的に取り上げられたからで。
それ以来、舞台脚本以外にドラマのシナリオまでも依頼され始めた。
そうなると当然、監督やプロデューサーに出演者、時にはスポンサーの人達と接する機会も多くなる。
加えて、年明けのクランクインに向けるとかで、年内中に脚本を書き終えておいてくれと頼まれた。
そして、それに関わった全員――厳密に言うと僕を除いた全員、だ――が納得のいく展開に仕上がったのが、大晦日を明日に控えた今日。
様々な職種の人との顔合わせや話し合いは、西園寺の家に生まれた環境や生徒会長の経験が影響してか、特に緊張を感じる事はない。
だけど……本当に、あんな内容の脚本で良かったのかと、ずっと自問自答を繰り返している。
舞台とTVドラマでは演出の仕方は異なる。それは充分承知の上だけど……。
何度も何度も書き直しを重ねた結果、最終的には僕ではない、誰か他の人が書いたような脚本になってしまっていた。
当然、納得なんてしていない。
違和感は、日に日に増える携帯のアドレス件数同様、増殖していた。
上辺だけのアドレス交換と、中身がなく心が込められていない脚本。
書くことがこんなに苦痛だと感じたのは初めてだ。
駆け出しだから仕方ない……正直、そんな弱気なセリフで片づけたくはない。
けれど、無理矢理に飲み込まざるを得ない。……そんな日々だった。
明日からクランクインまで、束の間の休暇。
年越しから正月三が日は西園寺家で過ごす事になっている。
そういえば……食事も局が用意してくれているケータリングばかりで、ヒロインの料理をしばらく口にしていないな。
クリスマスもかろうじて取れた少しの時間を彼女と過ごしただけ。
なのに、ヒロインは「お仕事の方が大事だから、私の事は気にしないで」と、逆に僕を気遣ってくれた。
彼女が僕の為に我慢しているのは明らかだ。
――ヒロインを、誰よりも一番幸せにしてあげたい。
彼女の優しさに甘えてばかりな今の僕は、その気持ちだけが虚しく空回りし続けていた。
――翌日。
ガチャリと鍵が掛けられた音で目が覚めた。
昨夜、僕が帰った時、静かな寝息を立てていたヒロインの姿が見当たらない。
代わりに、テーブルの上には、“先にお屋敷に行ってお手伝いしてきます”と書かれたメモと種類が豊富に作られたサンドイッチ。
「……“雅季くんはゆっくり休んでてね。”か……」
ベッドに腰掛けながら、レタスと胡瓜、玉子の入った一口大のサンドイッチをかじる。
……久し振りにヒロインの作ったものを食べた様な気がする。
ケータリングで用意されたどんな料理より。
そんなもの比較にならないほど、ヒロインが作ってくれたサンドイッチは何倍も美味しく感じて……荒みかけていた心を包み込んでくれているようだった。
突然頭の中に言葉が洪水のように押し寄せてきた。
気持ちを表現するのが苦手な僕の、心が感じた素直な偽りのない感情――。
文章に纏まりを作る余裕もなく、ただ思うがまま溢れ出した言葉たちが、真っ白なノートを黒く埋め尽くしていく。
衝動に突き動かされるように走らせていたペンで、右手の小指が薄黒く染まっている。
その事に気づいたのは、新しい年を迎える一時間半前。
慌てて出掛ける支度を整え、さっきまで書いていたノートを手にアパートを出た。
「遅ぇーよ。雅季。来ないんじゃねぇかと思ったぜ?」
カウントダウンパーティーが始まる少し前に屋敷に着いた僕を、雅弥の憎まれ口が出迎える。
「お帰りなさいませ。雅季さま」
予定よりかなり遅れて到着した僕を、みんながそれぞれに心配を口に表してくれた。
だけど、その中にヒロインはいなくて。
「……ヒロインは?」
「ヒロインさんなら、部屋で休憩しているんじゃないでしょうか」
そう教えてくれた修一兄さんの言葉に、随分と張り切ってパーティーの手伝いをしていたからね、と裕次兄さんが付け足す。
その様子を語る嬉しそうなみんなの表情から、ヒロインの一挙一動が容易に想像出来てしまう。
思わずこぼれそうになる笑みを隠し、兄弟たちに断りを入れてから彼女の元へ向かった。
――……
こんこんこん。
ノックを繰り返すけれど、返事がない。
「ヒロイン?」
ひとまず彼女に声を掛けてから、ドアをそっと開ける。
「……ヒロイン? 入るよ?」
もう一度声を掛けて、中へと足を踏み入れる。
煌々と明かりが点いた部屋をぐるりと見回す。
そのままベッドの方に目を向けると、子猫のように丸くなって眠っているヒロインを見つけた。
あまりにも幸せそうな寝顔で、ずっと見ていたくなる。けれど……。
「ヒロイン……ヒロイン? ほら、起きて。パーティー始まるよ?」
ノートをサイドテーブルに置いて、ベッドに腰掛けた僕はヒロインの肩を優しく揺すった。
「ん……」
ゆっくりと上がる睫毛。2、3度瞬きを繰り返した後、薄茶色の瞳が僕を捉えた。
「目、覚めた?」
「……あ、れ……? ここ……?」
まだ寝ぼけているのか、不思議そうにきょろきょろ辺りを見回す。
「うん。キミの部屋」
「…………あ。そっか……準備が早く終わったからパーティーまで部屋で休んでてって言われて……ふわあぁ……そのまま、寝ちゃったんだ」
欠伸混じりにそう言って、ベッドから上半身を起こすヒロイン。
「うん。兄さん達から聞いたよ。随分張り切ってたみたいだね」
腰掛けていたベッドから立ち上がると、僕と同じく立ち上がろうとするヒロインへ差し伸べた手に、彼女の小さな手が重なる。
そして、何かを思い出したようにヒロインが小さく、「……あ」と呟いてから僕を真っ直ぐ見つめた。
「おかえりなさい」
「……え?」
一瞬、なにを言われたのかわからなくて、目をしばたかせる。
変わらず、柔らかい笑みを浮かべるヒロイン。
「ふふっ……やっと、雅季くんに“おかえり”って言えた」
……その、言葉の意味を解した僕は
気づけば彼女を抱きしめていた――。
「ま、雅季……くん?」
「……少しだけ」
「え……」
「少しだけ……こう、させて……」
腕の中にすっぽり収まったヒロインの体は、以前よりも少し痩せていた。
ただでさえ華奢なのに……これ以上、力を入れたら壊してしまいそうで、怖くなる。
「……ごめん」
「? どうして謝るの?」
「ずっと……ヒロインに寂しい思いさせてたから。……だから…………」
その後に続ける言葉が見つからなくて黙り込む。
すると腕の中で彼女が、くすっ、と笑った。
「ねぇ、雅季くん。私、さっき“おかえり”って言ったんだよ? それなのに、返事が“ごめん”って変だよ?」
僕を見上げて、「ね?」と促す彼女。
ああ……いつも、こうだ。僕に負い目を感じさせないように、いつだって、ヒロインはこうして笑顔を向けてくれる。
「……ただいま」
“いつも支えてくれてありがとう”とか。
“キミは誰より大切な存在だ”とか……。
言いたい事はたくさんあるのに、どれも口に出して言えない。
そんなありふれた言葉なんかじゃ伝え足りない。彼女への想いを表すのに、どんな言葉もそぐわない……。
切々と募る気持ちを託そうと、ぎゅ、とヒロインを抱きしめる腕にほんの少し力を込める。
応えるようにヒロインの腕が僕の背中に添えられたその時、廊下から騒がしい声が聞こえてきた。
雅弥と裕次兄さんの言い合いを筆頭に、修一兄さんや要さん、瞬の声まで聞こえる。
「あ。お兄ちゃん達呼びに来た……」
「……みたいだね」
残念。だけど仕方ない。彼女を包み込んでいた腕を緩め、代わりに彼女の指を絡め取りみんなの元へ向かった……――。
――……家族だけのパーティーでは、たいてい食堂が会場として使われる。
ダイニングテーブルに並んだ豪華な料理の数々。そして、それらをさらに彩るように飾られた、フラワーアレンジメント。
大勢が集まるパーティーと違ってシンプルだけれど、久しぶりに家族みんなが一堂に会した場を、充分華やかなものに演出してくれている。
そんな懐かしく心地良いざわめきを一番後ろで眺めていると、ヒロインがこちらに近づいてきた。
「雅季くん、何してるの?」
「いや……。昔に戻ったみたいで懐かしいな、と思って」
そう告げると、彼女も、そうだね、と柔らかく微笑んだ。
「……そうだ。サンドイッチ、ありがとう」
「あ、ううん。たいしたものじゃなくて、ごめんね?」
「全然! ……そんなこと、ない。やっぱり、ヒロインが作ってくれるものが一番美味しい、から」
言いながら段々小さくなっていく声を、彼女は耳を傾けてきちんと拾ってくれる。
「ふふ。じゃあ、来年はもーっとお料理の腕磨かなくっちゃ」
「……それ、来年の目標にするつもり?」
「うん! 雅季くんにいっぱい褒められたいし」
そう満面の笑みで僕をまっすぐ見つめる彼女。
……そんなの、いくらでも褒めてあげるよ。
だけど、心の中で呟いた言葉とは裏腹に口をついて出たのは、「……そ」という一言だけ。
無愛想で素っ気ない……どうしたら、彼女みたいに素直に言いたいことを伝えられるんだろう?
「あ……」
不意に、ヒロインの部屋に置いてきたノートの存在を思い出す。
勢いだけで書いた、全然形になってない、未完成なものだけど。
少しでも、キミに伝わる、かな。
「ヒロイン……」
「皆様、只今23時57分でございます。1分前よりカウントダウンを始めさせていただきます」
あとで見て欲しいものがあるんだ、と続く言葉が要さんの声でかき消される。
わっ、と沸き起こる歓声に彼女も、期待感たっぷりに、いよいよだね、と目を輝かせた。
今度は彼女の耳に届かなかったらしい。
タイミングが悪かったな……その事に軽い落胆を感じていた時。
「あれ。そういえば、雅季くん。さっき、何か言いかけなかった?」
「……え?」
「名前、呼ばれた気がしたんだけど……違った?」
「ああ……うん。あとで、キミに見せたいものがあるって、言おうとして……けど、よくわかったね」
「ん?」
「僕の声。てっきり、要さんの声に消されたと思ったけど」
そう。要さんが話し出したのと僕が彼女の名前を呼んだのは、ほぼ同時。不思議に思って投げかけた問いに、彼女は即答する。
「だって、雅季くんの声だもん。わかるよ?」
当然、とでも言うように、ヒロインが自信満々に目を細める。
そんな答えと笑顔が返ってくるとは思わなかった僕は、一気に顔が熱くなっていく。
彼女にそれを悟られないように顔を背けた時、カウントダウン開始となり、10秒毎に歓声があがる。
30秒前のコールが響き渡った瞬間、シャツの袖がくいっ、と引っ張られて、自然とその方向に顔を向ける。
少し背伸びをしたヒロインが、口元に片手を添えて耳打ちをする。
「今年一年、雅季くんの傍にいられて幸せだったよ。だから来年も、雅季くんの傍にいさせてね?」
「…………っ」
……本当、狡い。
素直で、ストレートで……しかも、僕が言いたくても言えなかった事、そんな簡単に口にするだなんて。
収まりつつあった体の熱が、どきどきと逸る心臓の音を引き連れて戻ってきた。
長針と短針が完全に重なるまであと10秒。一際みんなの歓声が大きくなる。
「そんなの……当たり前、でしょ」
「え? なに?」
8……7……6と、秒読みする歓声に混じって聞こえないはずの呟きでさえ、彼女は受け止めて僕を覗き込んでくる。
……5秒前。彼女の肩を僕の方へと引き寄せる。
「えっ……え!? 雅季……く……っ」
……3秒前。ヒロインの唇に自分のそれを重ね合わせる。
「……2!! ……1!! HAPPY NEW YEAR!!」
秒読みが終わり、年が明けるのを待って、唇を解放する。
目の前には、真っ赤な顔で僕を見上げるヒロイン。
ほんの数秒、交わした密やかなキス。
口下手な僕が、愛情を表せる唯一の方法。
ノートに書いた文章だってもちろん、彼女への想いを込めたものだ。
ヒロインがいなければ生まれなかっただろう感情。
彼女がいたから、夢だった脚本家にもなれた。
また忙しい日々に逆戻りしても……僕の帰る場所は、ヒロインの隣。
これからも、ずっと永遠に――。
HEART SNOW~心に降る雪~/GLAY
打ち合わせの帰り、彼女に今から帰る事を伝えようと取り出した携帯の時計で、自分が思っているよりも随分と遅い時間に気づく。
もちろんヒロインには前もって帰りが遅くなるとは伝えている。
こんな時間じゃ……さすがにもう寝てるだろうな。
ここ数日、帰りが深夜になる日が続いている。
それというのも初脚本と初主演の舞台成功の話題が、マスコミによって大々的に取り上げられたからで。
それ以来、舞台脚本以外にドラマのシナリオまでも依頼され始めた。
そうなると当然、監督やプロデューサーに出演者、時にはスポンサーの人達と接する機会も多くなる。
加えて、年明けのクランクインに向けるとかで、年内中に脚本を書き終えておいてくれと頼まれた。
そして、それに関わった全員――厳密に言うと僕を除いた全員、だ――が納得のいく展開に仕上がったのが、大晦日を明日に控えた今日。
様々な職種の人との顔合わせや話し合いは、西園寺の家に生まれた環境や生徒会長の経験が影響してか、特に緊張を感じる事はない。
だけど……本当に、あんな内容の脚本で良かったのかと、ずっと自問自答を繰り返している。
舞台とTVドラマでは演出の仕方は異なる。それは充分承知の上だけど……。
何度も何度も書き直しを重ねた結果、最終的には僕ではない、誰か他の人が書いたような脚本になってしまっていた。
当然、納得なんてしていない。
違和感は、日に日に増える携帯のアドレス件数同様、増殖していた。
上辺だけのアドレス交換と、中身がなく心が込められていない脚本。
書くことがこんなに苦痛だと感じたのは初めてだ。
駆け出しだから仕方ない……正直、そんな弱気なセリフで片づけたくはない。
けれど、無理矢理に飲み込まざるを得ない。……そんな日々だった。
明日からクランクインまで、束の間の休暇。
年越しから正月三が日は西園寺家で過ごす事になっている。
そういえば……食事も局が用意してくれているケータリングばかりで、ヒロインの料理をしばらく口にしていないな。
クリスマスもかろうじて取れた少しの時間を彼女と過ごしただけ。
なのに、ヒロインは「お仕事の方が大事だから、私の事は気にしないで」と、逆に僕を気遣ってくれた。
彼女が僕の為に我慢しているのは明らかだ。
――ヒロインを、誰よりも一番幸せにしてあげたい。
彼女の優しさに甘えてばかりな今の僕は、その気持ちだけが虚しく空回りし続けていた。
――翌日。
ガチャリと鍵が掛けられた音で目が覚めた。
昨夜、僕が帰った時、静かな寝息を立てていたヒロインの姿が見当たらない。
代わりに、テーブルの上には、“先にお屋敷に行ってお手伝いしてきます”と書かれたメモと種類が豊富に作られたサンドイッチ。
「……“雅季くんはゆっくり休んでてね。”か……」
ベッドに腰掛けながら、レタスと胡瓜、玉子の入った一口大のサンドイッチをかじる。
……久し振りにヒロインの作ったものを食べた様な気がする。
ケータリングで用意されたどんな料理より。
そんなもの比較にならないほど、ヒロインが作ってくれたサンドイッチは何倍も美味しく感じて……荒みかけていた心を包み込んでくれているようだった。
突然頭の中に言葉が洪水のように押し寄せてきた。
気持ちを表現するのが苦手な僕の、心が感じた素直な偽りのない感情――。
文章に纏まりを作る余裕もなく、ただ思うがまま溢れ出した言葉たちが、真っ白なノートを黒く埋め尽くしていく。
衝動に突き動かされるように走らせていたペンで、右手の小指が薄黒く染まっている。
その事に気づいたのは、新しい年を迎える一時間半前。
慌てて出掛ける支度を整え、さっきまで書いていたノートを手にアパートを出た。
「遅ぇーよ。雅季。来ないんじゃねぇかと思ったぜ?」
カウントダウンパーティーが始まる少し前に屋敷に着いた僕を、雅弥の憎まれ口が出迎える。
「お帰りなさいませ。雅季さま」
予定よりかなり遅れて到着した僕を、みんながそれぞれに心配を口に表してくれた。
だけど、その中にヒロインはいなくて。
「……ヒロインは?」
「ヒロインさんなら、部屋で休憩しているんじゃないでしょうか」
そう教えてくれた修一兄さんの言葉に、随分と張り切ってパーティーの手伝いをしていたからね、と裕次兄さんが付け足す。
その様子を語る嬉しそうなみんなの表情から、ヒロインの一挙一動が容易に想像出来てしまう。
思わずこぼれそうになる笑みを隠し、兄弟たちに断りを入れてから彼女の元へ向かった。
――……
こんこんこん。
ノックを繰り返すけれど、返事がない。
「ヒロイン?」
ひとまず彼女に声を掛けてから、ドアをそっと開ける。
「……ヒロイン? 入るよ?」
もう一度声を掛けて、中へと足を踏み入れる。
煌々と明かりが点いた部屋をぐるりと見回す。
そのままベッドの方に目を向けると、子猫のように丸くなって眠っているヒロインを見つけた。
あまりにも幸せそうな寝顔で、ずっと見ていたくなる。けれど……。
「ヒロイン……ヒロイン? ほら、起きて。パーティー始まるよ?」
ノートをサイドテーブルに置いて、ベッドに腰掛けた僕はヒロインの肩を優しく揺すった。
「ん……」
ゆっくりと上がる睫毛。2、3度瞬きを繰り返した後、薄茶色の瞳が僕を捉えた。
「目、覚めた?」
「……あ、れ……? ここ……?」
まだ寝ぼけているのか、不思議そうにきょろきょろ辺りを見回す。
「うん。キミの部屋」
「…………あ。そっか……準備が早く終わったからパーティーまで部屋で休んでてって言われて……ふわあぁ……そのまま、寝ちゃったんだ」
欠伸混じりにそう言って、ベッドから上半身を起こすヒロイン。
「うん。兄さん達から聞いたよ。随分張り切ってたみたいだね」
腰掛けていたベッドから立ち上がると、僕と同じく立ち上がろうとするヒロインへ差し伸べた手に、彼女の小さな手が重なる。
そして、何かを思い出したようにヒロインが小さく、「……あ」と呟いてから僕を真っ直ぐ見つめた。
「おかえりなさい」
「……え?」
一瞬、なにを言われたのかわからなくて、目をしばたかせる。
変わらず、柔らかい笑みを浮かべるヒロイン。
「ふふっ……やっと、雅季くんに“おかえり”って言えた」
……その、言葉の意味を解した僕は
気づけば彼女を抱きしめていた――。
「ま、雅季……くん?」
「……少しだけ」
「え……」
「少しだけ……こう、させて……」
腕の中にすっぽり収まったヒロインの体は、以前よりも少し痩せていた。
ただでさえ華奢なのに……これ以上、力を入れたら壊してしまいそうで、怖くなる。
「……ごめん」
「? どうして謝るの?」
「ずっと……ヒロインに寂しい思いさせてたから。……だから…………」
その後に続ける言葉が見つからなくて黙り込む。
すると腕の中で彼女が、くすっ、と笑った。
「ねぇ、雅季くん。私、さっき“おかえり”って言ったんだよ? それなのに、返事が“ごめん”って変だよ?」
僕を見上げて、「ね?」と促す彼女。
ああ……いつも、こうだ。僕に負い目を感じさせないように、いつだって、ヒロインはこうして笑顔を向けてくれる。
「……ただいま」
“いつも支えてくれてありがとう”とか。
“キミは誰より大切な存在だ”とか……。
言いたい事はたくさんあるのに、どれも口に出して言えない。
そんなありふれた言葉なんかじゃ伝え足りない。彼女への想いを表すのに、どんな言葉もそぐわない……。
切々と募る気持ちを託そうと、ぎゅ、とヒロインを抱きしめる腕にほんの少し力を込める。
応えるようにヒロインの腕が僕の背中に添えられたその時、廊下から騒がしい声が聞こえてきた。
雅弥と裕次兄さんの言い合いを筆頭に、修一兄さんや要さん、瞬の声まで聞こえる。
「あ。お兄ちゃん達呼びに来た……」
「……みたいだね」
残念。だけど仕方ない。彼女を包み込んでいた腕を緩め、代わりに彼女の指を絡め取りみんなの元へ向かった……――。
――……家族だけのパーティーでは、たいてい食堂が会場として使われる。
ダイニングテーブルに並んだ豪華な料理の数々。そして、それらをさらに彩るように飾られた、フラワーアレンジメント。
大勢が集まるパーティーと違ってシンプルだけれど、久しぶりに家族みんなが一堂に会した場を、充分華やかなものに演出してくれている。
そんな懐かしく心地良いざわめきを一番後ろで眺めていると、ヒロインがこちらに近づいてきた。
「雅季くん、何してるの?」
「いや……。昔に戻ったみたいで懐かしいな、と思って」
そう告げると、彼女も、そうだね、と柔らかく微笑んだ。
「……そうだ。サンドイッチ、ありがとう」
「あ、ううん。たいしたものじゃなくて、ごめんね?」
「全然! ……そんなこと、ない。やっぱり、ヒロインが作ってくれるものが一番美味しい、から」
言いながら段々小さくなっていく声を、彼女は耳を傾けてきちんと拾ってくれる。
「ふふ。じゃあ、来年はもーっとお料理の腕磨かなくっちゃ」
「……それ、来年の目標にするつもり?」
「うん! 雅季くんにいっぱい褒められたいし」
そう満面の笑みで僕をまっすぐ見つめる彼女。
……そんなの、いくらでも褒めてあげるよ。
だけど、心の中で呟いた言葉とは裏腹に口をついて出たのは、「……そ」という一言だけ。
無愛想で素っ気ない……どうしたら、彼女みたいに素直に言いたいことを伝えられるんだろう?
「あ……」
不意に、ヒロインの部屋に置いてきたノートの存在を思い出す。
勢いだけで書いた、全然形になってない、未完成なものだけど。
少しでも、キミに伝わる、かな。
「ヒロイン……」
「皆様、只今23時57分でございます。1分前よりカウントダウンを始めさせていただきます」
あとで見て欲しいものがあるんだ、と続く言葉が要さんの声でかき消される。
わっ、と沸き起こる歓声に彼女も、期待感たっぷりに、いよいよだね、と目を輝かせた。
今度は彼女の耳に届かなかったらしい。
タイミングが悪かったな……その事に軽い落胆を感じていた時。
「あれ。そういえば、雅季くん。さっき、何か言いかけなかった?」
「……え?」
「名前、呼ばれた気がしたんだけど……違った?」
「ああ……うん。あとで、キミに見せたいものがあるって、言おうとして……けど、よくわかったね」
「ん?」
「僕の声。てっきり、要さんの声に消されたと思ったけど」
そう。要さんが話し出したのと僕が彼女の名前を呼んだのは、ほぼ同時。不思議に思って投げかけた問いに、彼女は即答する。
「だって、雅季くんの声だもん。わかるよ?」
当然、とでも言うように、ヒロインが自信満々に目を細める。
そんな答えと笑顔が返ってくるとは思わなかった僕は、一気に顔が熱くなっていく。
彼女にそれを悟られないように顔を背けた時、カウントダウン開始となり、10秒毎に歓声があがる。
30秒前のコールが響き渡った瞬間、シャツの袖がくいっ、と引っ張られて、自然とその方向に顔を向ける。
少し背伸びをしたヒロインが、口元に片手を添えて耳打ちをする。
「今年一年、雅季くんの傍にいられて幸せだったよ。だから来年も、雅季くんの傍にいさせてね?」
「…………っ」
……本当、狡い。
素直で、ストレートで……しかも、僕が言いたくても言えなかった事、そんな簡単に口にするだなんて。
収まりつつあった体の熱が、どきどきと逸る心臓の音を引き連れて戻ってきた。
長針と短針が完全に重なるまであと10秒。一際みんなの歓声が大きくなる。
「そんなの……当たり前、でしょ」
「え? なに?」
8……7……6と、秒読みする歓声に混じって聞こえないはずの呟きでさえ、彼女は受け止めて僕を覗き込んでくる。
……5秒前。彼女の肩を僕の方へと引き寄せる。
「えっ……え!? 雅季……く……っ」
……3秒前。ヒロインの唇に自分のそれを重ね合わせる。
「……2!! ……1!! HAPPY NEW YEAR!!」
秒読みが終わり、年が明けるのを待って、唇を解放する。
目の前には、真っ赤な顔で僕を見上げるヒロイン。
ほんの数秒、交わした密やかなキス。
口下手な僕が、愛情を表せる唯一の方法。
ノートに書いた文章だってもちろん、彼女への想いを込めたものだ。
ヒロインがいなければ生まれなかっただろう感情。
彼女がいたから、夢だった脚本家にもなれた。
また忙しい日々に逆戻りしても……僕の帰る場所は、ヒロインの隣。
これからも、ずっと永遠に――。
HEART SNOW~心に降る雪~/GLAY
