夜行梟
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あの日と違うのは彼が来ないことだけ。
爪が勢いよく空気を薙ぐ。命の終わる音、は聞こえなかった。えへ、耳も死ぬもんね。
__グッ、ォォオオオ……!
……いいえ、聞こえる?
苛ついた魔物の叫び。空気を揺らす片羽根の音。
「違わないよ」
「……っ!」
遠ざかる獲物に獣が悔しそうに遠吠えを立てた。相変わらず珍しい服を着込んでいる体を力の限り抱きしめて、羽毛に顔を埋めながら深く息を吸う。
梟が鳴いた。
溜めた涙を晴らすように、森へ誘うように。
「やこぅ、さん"……ッ!!」
「……ごめん」
「ひと、が、おちて! たすけて、たすけてください……っ!」
彼に会った途端死を覚悟してぼんやり鈍っていた頭が回りだした。泣きすぎてなんにもわからないけれどやらなくちゃいけないことは分かる。たった一つの願いを込めて縋れば夜行さんは戸惑って私を見つめた。
「ヒト? ヒトなんてこの辺りには」
「いる"の"……あの、きらいなひとっ」
「……。もしかしてイソップくんのことかい?」
こくこくっと激しく頷く。嫌いだけど人間の味方だ。人を殺したくはない。
だけど夜行さんは必死な私を見て拗ねた。
「私より彼が気になるのかい?」
「そういう問題じゃっ」
「そういう問題だよ。……私だって、さあ戻ろうと軽い気持ちで戻って来た訳じゃない」
夜行さんは私を安全な場所に下ろす。急いで辺りを見回すとイソップさんの重たそうな箱が歪に転がっていた。
「嫌われているだろうなと思って、それでも泣いているのが視えたから……」
「や、っば……」
「……」
「血はないけど……? 夜行さん?」
振り返ればごにょごにょ喋っていた夜行さんが膨れっ面をして身体を丸めていた。化粧箱を持って近寄ると、箱だけ弾き飛ばしてそっぽを向く。
「あの、ごめんなさい……? でも人が死んでたら」
「生きてるよ」
「そ、そうなんですか? 落ちた音もしたんですが……」
「……」
「拗ねないでください……」
「……」
「夜行さん」
「イライ」
「……いらい?」
「……」
「イライさん?」
「クラーク」
「イライ、クラークさん」
「……」
もうイソップさんのことを気にする必要はないみたいだ。だけど、その代わりに夜行さん__イライさんがぷっくりと頬を膨らませたまま動かなくなってしまった。
仕方がないので隣に座って、私も丸くなった。私にだって拗ねる権利はあるもの。
「……」
「……」
そよ風が髪を吹いてくすぐったい。
「……」
「……」
落ち着く匂いだ。
「……」
「……イライさん、また助けてくれましたね」
「助けに来た訳じゃないさ」
「え?」
「〇に会いに来ただけだよ」
格好つけた癖に白い頬に差す紅にぎゅっと心臓を掴まれて思わず抱きついた。じわじわと熱くなって逸る鼓動、嬉しさに指先まで震える。
この人に会えてよかった。この人を好きになってよかった。この人と、また、会えて。
「っ……なんで、置いてったの……」
「それは……」
「さみしかったし、いやでした! せめてなにか、言ってほしかった……」
か細く震えてゆく声は着地できずに萎んでゆく。このまま二度と会えなかったら? とか、知らぬ間に嫌われたのではないか? とか、森で考えたいっぱいの不安が出ていこうとして喉を絞めていた。まさかお引っ越ししたかったから……なんて理由ではあるまい。涙を見せたくなくて額をぐりぐりと押しつけると、イライさんは困ったように私を抱えて木の上へ飛んだ。
「ひあ!?」
「君から離れたのはね」
落ち着いた低い声に口を噤む。羽毛に埋もれたまま耳を傾けると、あやすように背を撫でられた。
「今考えれば身勝手な話だ。覚悟が足りていなかった」
「……」
「君は私を探しに来て、実際半月も森で過ごせてしまうような強い人だったのに__信じてあげられなかった。私が臆病だったせいだ」
ちりん、硬い音色が響いたかと思えば魔物避けの鈴だった。優雅にチリンチリンと鳴らしてみせる彼には全く堪えているように見えない。
「でもいいのかい、私と居たら村八分にされてしまうよ」
……それが理由?
人々は魔物が怖いから、人は力に弱いから、決して私も例外ではなかったから__だから、迷惑をかけてはいけないと身を引いた。この人は本当に__ああ、本当にやさしい"人"だ。
「! そ、そんなに強く抱きつかれると……」
「元からほとんど村八分なんですよ」
「え」
私の言葉に彼は驚いて体を強張らせた。自分が相手の中でどれほど大切な存在になっているのかを想像したことがなかったようだから、この身に分からせてやるんだ。
村では一人で暮らしていること、集団にあまり馴染めなかったこと、あの家で食べた焼き林檎の甘い蜜が私を救っていたこと、その全部を話した。話すほどに彼は私をしまうように自分の体に押しつけて、口元が弧を描くのを見た。
あ、魔物だ。
「〇、君は美味しそうだね。魔物に二度も目をつけられるのも無理はない」
二度めは私が食べられに行ったようなものだけれど。
「しかしそういう事情であれば__魔物と、暮らしてみるかい?」
もう一度。イライさんは元あった家の方角を目で指した。
「それって……」
「__番つがいになってほしいんだ」
覆う仮面にスラリと伸びた指を置いて、彼の素顔が晒される。最早虜にはならなかった。だって。
「おいで。その覚悟があるのなら」
月が笑みを残した朝、梟がホゥ、と一度鳴いた。
爪が勢いよく空気を薙ぐ。命の終わる音、は聞こえなかった。えへ、耳も死ぬもんね。
__グッ、ォォオオオ……!
……いいえ、聞こえる?
苛ついた魔物の叫び。空気を揺らす片羽根の音。
「違わないよ」
「……っ!」
遠ざかる獲物に獣が悔しそうに遠吠えを立てた。相変わらず珍しい服を着込んでいる体を力の限り抱きしめて、羽毛に顔を埋めながら深く息を吸う。
梟が鳴いた。
溜めた涙を晴らすように、森へ誘うように。
「やこぅ、さん"……ッ!!」
「……ごめん」
「ひと、が、おちて! たすけて、たすけてください……っ!」
彼に会った途端死を覚悟してぼんやり鈍っていた頭が回りだした。泣きすぎてなんにもわからないけれどやらなくちゃいけないことは分かる。たった一つの願いを込めて縋れば夜行さんは戸惑って私を見つめた。
「ヒト? ヒトなんてこの辺りには」
「いる"の"……あの、きらいなひとっ」
「……。もしかしてイソップくんのことかい?」
こくこくっと激しく頷く。嫌いだけど人間の味方だ。人を殺したくはない。
だけど夜行さんは必死な私を見て拗ねた。
「私より彼が気になるのかい?」
「そういう問題じゃっ」
「そういう問題だよ。……私だって、さあ戻ろうと軽い気持ちで戻って来た訳じゃない」
夜行さんは私を安全な場所に下ろす。急いで辺りを見回すとイソップさんの重たそうな箱が歪に転がっていた。
「嫌われているだろうなと思って、それでも泣いているのが視えたから……」
「や、っば……」
「……」
「血はないけど……? 夜行さん?」
振り返ればごにょごにょ喋っていた夜行さんが膨れっ面をして身体を丸めていた。化粧箱を持って近寄ると、箱だけ弾き飛ばしてそっぽを向く。
「あの、ごめんなさい……? でも人が死んでたら」
「生きてるよ」
「そ、そうなんですか? 落ちた音もしたんですが……」
「……」
「拗ねないでください……」
「……」
「夜行さん」
「イライ」
「……いらい?」
「……」
「イライさん?」
「クラーク」
「イライ、クラークさん」
「……」
もうイソップさんのことを気にする必要はないみたいだ。だけど、その代わりに夜行さん__イライさんがぷっくりと頬を膨らませたまま動かなくなってしまった。
仕方がないので隣に座って、私も丸くなった。私にだって拗ねる権利はあるもの。
「……」
「……」
そよ風が髪を吹いてくすぐったい。
「……」
「……」
落ち着く匂いだ。
「……」
「……イライさん、また助けてくれましたね」
「助けに来た訳じゃないさ」
「え?」
「〇に会いに来ただけだよ」
格好つけた癖に白い頬に差す紅にぎゅっと心臓を掴まれて思わず抱きついた。じわじわと熱くなって逸る鼓動、嬉しさに指先まで震える。
この人に会えてよかった。この人を好きになってよかった。この人と、また、会えて。
「っ……なんで、置いてったの……」
「それは……」
「さみしかったし、いやでした! せめてなにか、言ってほしかった……」
か細く震えてゆく声は着地できずに萎んでゆく。このまま二度と会えなかったら? とか、知らぬ間に嫌われたのではないか? とか、森で考えたいっぱいの不安が出ていこうとして喉を絞めていた。まさかお引っ越ししたかったから……なんて理由ではあるまい。涙を見せたくなくて額をぐりぐりと押しつけると、イライさんは困ったように私を抱えて木の上へ飛んだ。
「ひあ!?」
「君から離れたのはね」
落ち着いた低い声に口を噤む。羽毛に埋もれたまま耳を傾けると、あやすように背を撫でられた。
「今考えれば身勝手な話だ。覚悟が足りていなかった」
「……」
「君は私を探しに来て、実際半月も森で過ごせてしまうような強い人だったのに__信じてあげられなかった。私が臆病だったせいだ」
ちりん、硬い音色が響いたかと思えば魔物避けの鈴だった。優雅にチリンチリンと鳴らしてみせる彼には全く堪えているように見えない。
「でもいいのかい、私と居たら村八分にされてしまうよ」
……それが理由?
人々は魔物が怖いから、人は力に弱いから、決して私も例外ではなかったから__だから、迷惑をかけてはいけないと身を引いた。この人は本当に__ああ、本当にやさしい"人"だ。
「! そ、そんなに強く抱きつかれると……」
「元からほとんど村八分なんですよ」
「え」
私の言葉に彼は驚いて体を強張らせた。自分が相手の中でどれほど大切な存在になっているのかを想像したことがなかったようだから、この身に分からせてやるんだ。
村では一人で暮らしていること、集団にあまり馴染めなかったこと、あの家で食べた焼き林檎の甘い蜜が私を救っていたこと、その全部を話した。話すほどに彼は私をしまうように自分の体に押しつけて、口元が弧を描くのを見た。
あ、魔物だ。
「〇、君は美味しそうだね。魔物に二度も目をつけられるのも無理はない」
二度めは私が食べられに行ったようなものだけれど。
「しかしそういう事情であれば__魔物と、暮らしてみるかい?」
もう一度。イライさんは元あった家の方角を目で指した。
「それって……」
「__番つがいになってほしいんだ」
覆う仮面にスラリと伸びた指を置いて、彼の素顔が晒される。最早虜にはならなかった。だって。
「おいで。その覚悟があるのなら」
月が笑みを残した朝、梟がホゥ、と一度鳴いた。