本編(改)【完】
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11.Taste of your kiss(2)
電気を消した薄暗い室内に、小さな灯火が揺れている。
テーブルの中央に置かれたケーキを見つめ、誉は少し照れ臭そうに息を吸い込むと、ふっ――と一気に吹き消す。
パッと辺りが暗くなった瞬間、パンッ!とクラッカーの乾いた音が弾けた。
「「「バースデーイブおめでとー!」」」
「そっか、前日だもんね。ありがとう!」
消えたばかりのろうそくから煙が細く立ち上る。その真ん中で、誉は本当に嬉しそうにくすぐったげな笑みを浮かべていた。
4人はそれぞれジュースのグラスを手に持ち、勢いよく乾杯する。テーブルの上にはピザ、チキン、フライドポテト、サラダが所狭しと並んでいた。
「もうクリスマス込みのメニューにしてみました♪」
得意げなこずえに、
「そうだ、三日後ってもうイブじゃん!」
沖田が天を仰ぐ。
「俺、今年も一人かぁ……くっそー!」
叫びながら沖田が真一郎の首に腕を回して締め上げる。
「やめろぉ゛っ!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人を見て、誉の口元からは笑みがこぼれ続ける。
家族以外の人が自分のために集まって、こんな風に笑い合ってくれる。そんな初めての温かい誕生日に、胸の奥がじんわりと満たされていくようだった。
嬉しくて、楽しくて。気づけば食事を進めるのも忘れて、みんなの楽しそうな顔ばかりを眺めてしまう。
誉がジュースを一口飲み、小さく微笑みながらフライドポテトをつまんでいると、そんな様子に気づいたこずえが声を上げた。
「誉ちゃん、もっと食べてよ!」
「え?」
「ほとんど温めただけメニューだけど、サラダとケーキは私が作ったんだから!」
「えっ!?ケーキ作ったの!?」
こずえの手先の器用さは、もはや尊敬を通り越して憧れだ。自分にないものを持っている自慢の友人を、誉はどこか誇らしい気持ちで見つめる。
「作り方教えてほしいな」
「いいよ!今度うち来なよ」
こずえは即答する。そして、そっと誉の耳元へ顔を寄せた。
「出来たやつ、佐野先輩に食べてもらいな♡」
「え!?」
誉の頬がふわりと赤くなる。その反応を見て、こずえは小さく笑った。
──本人はまだ気付いていない。けれど真一郎から向けられる好意を、誉は誰よりも嬉しそうに受け取る。真一郎が喜ぶ姿を想像して照れる。
それはもう十分すぎるほど、恋する女の子だった。
あとは当の本人たちが、その事実に気付くだけである。
***
──食事も落ち着いた頃、室内にはのんびりとした空気が流れていた。
女子二人はキッチンで食器の片付け。リビングには男二人だけが残されている。
ソファに座りコーラを飲んでいた沖田が、ニヤニヤしながら真一郎へと身体を寄せた。
「で?」
「何だよ」
「今日どこまでやるつもりなんだよ?」
真一郎は即座に顔をしかめた。
「お前にはぜってー言わねぇ」
沖田は面白そうに笑った。
「それもう最後まで致す気満々じゃねぇか」
「アホ」
「このこのぉ♡」
肘でぐいぐい脇腹を突かれる。
真一郎は、うっとうしくて離れようと腰を浮かせた──その瞬間、ジーンズのポケットの中に仕舞った特徴的な丸い感触が太腿に伝わる。
「…………」
以前、万が一に備えて買ったアレである。結局使う機会など訪れず、今もポケットの中で存在感を主張している。
真一郎は沖田から顔を背けた──こずえと並んで楽しそうに笑う誉が目に入る。
その姿を捉えた瞬間、丸い存在がポケットの中からより主張してきたような気がした。
***
「チョコレートの詰め合わせ買ってあったんだ。よかったらつまんで」
誉が中休みのおつまみに、と一口サイズのチョコをテーブルに乗せたところで、こずえが立ち上がった。
「ごめん。私と沖田先輩はそろそろ帰るね」
「え?もう帰っちゃうの?」
誉がすかさず時計を見ると、既に夜10時を回っていた。
「時間経つの早い……」
「また月曜ね!誉ちゃん」
「じゃ、俺はこずえちゃん家までささやかなデートを楽しんでくるわ。佐野、しっかりヤれよ」
「いいからさっさと帰れギター馬鹿」
真一郎が、呆れ顔で沖田に向かってシッシ、と言わんばかりに手をひらひらさせた。
「誉ちゃんのことお願いしますね」と言いながら、誉の見ていない隙に真一郎へガッツポーズを送ったこずえが、沖田と共に去っていった。
見送り終えてリビングへと戻る。騒がしさから一転、室内はしん――と、静まり返っていた。
「先輩も……もうちょっとしたら帰りますか……?」
憂いを帯びた顔を向けて問いかける誉は、「佐野家に泊まりたい」と言った時と同じ表情をしている。
楽しい時間が終わるのを惜しんでいるのが丸わかりで、真一郎はつい悪戯心が疼いてしまう。
「寂しい?」
「さ……っ!?さ、寂しいとかじゃ、ない、です……!」
誉は慌ててコップを掴み、「片付けてくる」と言ってキッチンへと逃げ出していった。
──いじめすぎたか。
この様子だと、帰らなくてもしばらく咎められることは無さそうだ、と真一郎は安堵の溜息を一つ吐いた。
「──あ、しまったコーラこれで最後か」
最後の一本を空けたらしく、真一郎が一滴残らずグラスに注ごうとペットボトルを振っていた。
「コンビニ行きます?」
「いや、いいよ。他に炭酸なんかない?」
「残念ながら……」
「沖田が一人で2リットル2本開けてたからなー……あのヤローめ」
誉が「何かなかったなぁ」とつぶやきながら冷蔵庫を漁ると、
「あ、柴田が頂き物だって持って帰って来てたシャンメリーならあるんですけど……」
「シャンメリー?柴田さんと飲まなくていいの?」
「はい、柴田はジュース飲みませんから」
誉はワイングラスとボトルをローテーブルまで持ってくると、ソファに座る真一郎にずいっと差し出した。
「先輩っ、お願いします!」
「あれ?これコルク栓じゃん。随分本格的だな」
真一郎は、コルクを押さえているワイヤーを解き、布きんを被せて、ぐぐっと押し上がってくる栓をゆっくりと押さえ込んでいく。
誉が眉間にしわを寄せ、今にも飛び出しそうな栓をドキドキしながら凝視している姿に、真一郎は去年のクリスマスイブを思い出した。弟妹も同じような表情で開ける様子を見ていたな──そう思うと、ふっと思わず笑みがこぼれた。
「なんですかその含み笑いは」
「いや、ガキみてーにガン見してるなって」
「だ、だって!どっか飛んでかないかって落ち着かないんですもん」
その瞬間、ポンッ!と一際大きな音が響き渡った。
あまりの勢いにビクッと肩を跳ね上げた誉を見て、真一郎は堪らず声を上げて爆笑した。
「もう、笑いすぎです!」
「だって、アイツらと反応一緒なんだもん」
ケラケラ笑う真一郎からボトルをふんだくった誉が、二つのワイングラスに中身を注いでいく。
カチン、と軽くグラスを合わせた二人は、少し大人の雰囲気を味わった。
しかし、グラスに口を近づけた真一郎はその瞬間、飲むのを躊躇う。鼻に通った独特の香りに違和感を感じた。
「んん?……これアルコール入ってねぇ?」
スンスン、と改めて匂いを確認し一口を含んだ。程よい炭酸の刺激と、後からくる全身の血の巡りが活発になるこの感じ。
まさか──、と思いボトルの裏ラベルをよく見ると、そこには「弱発泡性ワイン」という表示。
「誉、ちょっと待て。これシャンメリーじゃなくてスパークリングワインじ──」
慌てて誉のグラスを奪おうとしたが、時すでに遅し。真一郎の肩に重みが乗る。
誉の手元にあったグラスはすでに空っぽで、テーブルに頼りなくコト、と置かれたところだった。
驚き見れば、隣に座る誉が「んぅ……」と唸りながら真一郎にもたれ掛かっていた。どこか遠くを見つめる瞳は、焦点が定まっていない。
「おっ、おい誉」
「ねぇ、せんぱいは、キスってどんな味か知ってますぅ?」
「…………へ?」
「この前こずえちゃんたちが、キスはレモン味とかいちご味だーって言ってたんですけどぉ、唇くっつけただけじゃ絶対分かるわけないしぃ、相手の口内を舐めたとしてもー、健康体なら唾液は限りなく無味無臭なので味なんて殆ど感じないはずなんですぅ」
「う、うん……うんっ!?」
「やっぱ医者を目指す身としては、そーゆーことも知っておかないとダメですかねえ?」
一杯で相当酔いが回っている誉に、真一郎はたじろいだ。しかも、深いキスの行為を淡々と語る誉に、何とも言えない複雑な気持ちになる。
誉は、フラつく身体をなんとか支えようと、片手を真一郎の太ももに乗せてその身体を益々寄せてくる。
──これは非常に、非常にマズい。
想いを通じ合わせる過程をすっ飛ばしかねない状況に、真一郎の焦りは増していくばかりだった。
「マンジローが言ってましたよぉ。せんぱいは、知らないことがあったらいつも教えてくれるって」
「は……!?」
「ねぇ、せんぱい……──」
ふわりと、普段の誉からは絶対にしない、甘いぶどう香るの熱い吐息が真一郎の鎖骨あたりをかすめる。
ほんのり桜色に染まっている頬。熱に潤んだ瞳で、すがるようにこちらを見上げる視線。更に、その唇は紅を差したように鮮やかで、小さく割り開かれた隙間から、先ほど彼女自身が語った「口内」の、未知の熱が覗いているようだった。
「教えて?」
──ドクン、と心臓がうるさく跳ねる。
酔っている。だから本当なら、こんな状況で応じるべきじゃない。今の誉にとってはただの好奇心で、真一郎を男として意識した言動ではない。
しかし、近すぎる距離も、肩越しに伝わる体温も、名前を呼ぶ甘い声も、真一郎の中で必死に押さえ込んできた感情を煽ってくる。
──好きだ。だからこそ、こんな形で手に入れたくない。
そう思う一方で、彼女に求められている今この瞬間を手放したくない自分もいた。
「……いいよ、教えてやる」
ゴクリ、と喉が鳴る。コチ、コチ、と壁掛け時計の秒針が響く。数秒にも満たない沈黙が、ひどく長く感じられた。
そして真一郎は、ゆっくりと誉の肩へ手を添えた。
電気を消した薄暗い室内に、小さな灯火が揺れている。
テーブルの中央に置かれたケーキを見つめ、誉は少し照れ臭そうに息を吸い込むと、ふっ――と一気に吹き消す。
パッと辺りが暗くなった瞬間、パンッ!とクラッカーの乾いた音が弾けた。
「「「バースデーイブおめでとー!」」」
「そっか、前日だもんね。ありがとう!」
消えたばかりのろうそくから煙が細く立ち上る。その真ん中で、誉は本当に嬉しそうにくすぐったげな笑みを浮かべていた。
4人はそれぞれジュースのグラスを手に持ち、勢いよく乾杯する。テーブルの上にはピザ、チキン、フライドポテト、サラダが所狭しと並んでいた。
「もうクリスマス込みのメニューにしてみました♪」
得意げなこずえに、
「そうだ、三日後ってもうイブじゃん!」
沖田が天を仰ぐ。
「俺、今年も一人かぁ……くっそー!」
叫びながら沖田が真一郎の首に腕を回して締め上げる。
「やめろぉ゛っ!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人を見て、誉の口元からは笑みがこぼれ続ける。
家族以外の人が自分のために集まって、こんな風に笑い合ってくれる。そんな初めての温かい誕生日に、胸の奥がじんわりと満たされていくようだった。
嬉しくて、楽しくて。気づけば食事を進めるのも忘れて、みんなの楽しそうな顔ばかりを眺めてしまう。
誉がジュースを一口飲み、小さく微笑みながらフライドポテトをつまんでいると、そんな様子に気づいたこずえが声を上げた。
「誉ちゃん、もっと食べてよ!」
「え?」
「ほとんど温めただけメニューだけど、サラダとケーキは私が作ったんだから!」
「えっ!?ケーキ作ったの!?」
こずえの手先の器用さは、もはや尊敬を通り越して憧れだ。自分にないものを持っている自慢の友人を、誉はどこか誇らしい気持ちで見つめる。
「作り方教えてほしいな」
「いいよ!今度うち来なよ」
こずえは即答する。そして、そっと誉の耳元へ顔を寄せた。
「出来たやつ、佐野先輩に食べてもらいな♡」
「え!?」
誉の頬がふわりと赤くなる。その反応を見て、こずえは小さく笑った。
──本人はまだ気付いていない。けれど真一郎から向けられる好意を、誉は誰よりも嬉しそうに受け取る。真一郎が喜ぶ姿を想像して照れる。
それはもう十分すぎるほど、恋する女の子だった。
あとは当の本人たちが、その事実に気付くだけである。
***
──食事も落ち着いた頃、室内にはのんびりとした空気が流れていた。
女子二人はキッチンで食器の片付け。リビングには男二人だけが残されている。
ソファに座りコーラを飲んでいた沖田が、ニヤニヤしながら真一郎へと身体を寄せた。
「で?」
「何だよ」
「今日どこまでやるつもりなんだよ?」
真一郎は即座に顔をしかめた。
「お前にはぜってー言わねぇ」
沖田は面白そうに笑った。
「それもう最後まで致す気満々じゃねぇか」
「アホ」
「このこのぉ♡」
肘でぐいぐい脇腹を突かれる。
真一郎は、うっとうしくて離れようと腰を浮かせた──その瞬間、ジーンズのポケットの中に仕舞った特徴的な丸い感触が太腿に伝わる。
「…………」
以前、万が一に備えて買ったアレである。結局使う機会など訪れず、今もポケットの中で存在感を主張している。
真一郎は沖田から顔を背けた──こずえと並んで楽しそうに笑う誉が目に入る。
その姿を捉えた瞬間、丸い存在がポケットの中からより主張してきたような気がした。
***
「チョコレートの詰め合わせ買ってあったんだ。よかったらつまんで」
誉が中休みのおつまみに、と一口サイズのチョコをテーブルに乗せたところで、こずえが立ち上がった。
「ごめん。私と沖田先輩はそろそろ帰るね」
「え?もう帰っちゃうの?」
誉がすかさず時計を見ると、既に夜10時を回っていた。
「時間経つの早い……」
「また月曜ね!誉ちゃん」
「じゃ、俺はこずえちゃん家までささやかなデートを楽しんでくるわ。佐野、しっかりヤれよ」
「いいからさっさと帰れギター馬鹿」
真一郎が、呆れ顔で沖田に向かってシッシ、と言わんばかりに手をひらひらさせた。
「誉ちゃんのことお願いしますね」と言いながら、誉の見ていない隙に真一郎へガッツポーズを送ったこずえが、沖田と共に去っていった。
見送り終えてリビングへと戻る。騒がしさから一転、室内はしん――と、静まり返っていた。
「先輩も……もうちょっとしたら帰りますか……?」
憂いを帯びた顔を向けて問いかける誉は、「佐野家に泊まりたい」と言った時と同じ表情をしている。
楽しい時間が終わるのを惜しんでいるのが丸わかりで、真一郎はつい悪戯心が疼いてしまう。
「寂しい?」
「さ……っ!?さ、寂しいとかじゃ、ない、です……!」
誉は慌ててコップを掴み、「片付けてくる」と言ってキッチンへと逃げ出していった。
──いじめすぎたか。
この様子だと、帰らなくてもしばらく咎められることは無さそうだ、と真一郎は安堵の溜息を一つ吐いた。
「──あ、しまったコーラこれで最後か」
最後の一本を空けたらしく、真一郎が一滴残らずグラスに注ごうとペットボトルを振っていた。
「コンビニ行きます?」
「いや、いいよ。他に炭酸なんかない?」
「残念ながら……」
「沖田が一人で2リットル2本開けてたからなー……あのヤローめ」
誉が「何かなかったなぁ」とつぶやきながら冷蔵庫を漁ると、
「あ、柴田が頂き物だって持って帰って来てたシャンメリーならあるんですけど……」
「シャンメリー?柴田さんと飲まなくていいの?」
「はい、柴田はジュース飲みませんから」
誉はワイングラスとボトルをローテーブルまで持ってくると、ソファに座る真一郎にずいっと差し出した。
「先輩っ、お願いします!」
「あれ?これコルク栓じゃん。随分本格的だな」
真一郎は、コルクを押さえているワイヤーを解き、布きんを被せて、ぐぐっと押し上がってくる栓をゆっくりと押さえ込んでいく。
誉が眉間にしわを寄せ、今にも飛び出しそうな栓をドキドキしながら凝視している姿に、真一郎は去年のクリスマスイブを思い出した。弟妹も同じような表情で開ける様子を見ていたな──そう思うと、ふっと思わず笑みがこぼれた。
「なんですかその含み笑いは」
「いや、ガキみてーにガン見してるなって」
「だ、だって!どっか飛んでかないかって落ち着かないんですもん」
その瞬間、ポンッ!と一際大きな音が響き渡った。
あまりの勢いにビクッと肩を跳ね上げた誉を見て、真一郎は堪らず声を上げて爆笑した。
「もう、笑いすぎです!」
「だって、アイツらと反応一緒なんだもん」
ケラケラ笑う真一郎からボトルをふんだくった誉が、二つのワイングラスに中身を注いでいく。
カチン、と軽くグラスを合わせた二人は、少し大人の雰囲気を味わった。
しかし、グラスに口を近づけた真一郎はその瞬間、飲むのを躊躇う。鼻に通った独特の香りに違和感を感じた。
「んん?……これアルコール入ってねぇ?」
スンスン、と改めて匂いを確認し一口を含んだ。程よい炭酸の刺激と、後からくる全身の血の巡りが活発になるこの感じ。
まさか──、と思いボトルの裏ラベルをよく見ると、そこには「弱発泡性ワイン」という表示。
「誉、ちょっと待て。これシャンメリーじゃなくてスパークリングワインじ──」
慌てて誉のグラスを奪おうとしたが、時すでに遅し。真一郎の肩に重みが乗る。
誉の手元にあったグラスはすでに空っぽで、テーブルに頼りなくコト、と置かれたところだった。
驚き見れば、隣に座る誉が「んぅ……」と唸りながら真一郎にもたれ掛かっていた。どこか遠くを見つめる瞳は、焦点が定まっていない。
「おっ、おい誉」
「ねぇ、せんぱいは、キスってどんな味か知ってますぅ?」
「…………へ?」
「この前こずえちゃんたちが、キスはレモン味とかいちご味だーって言ってたんですけどぉ、唇くっつけただけじゃ絶対分かるわけないしぃ、相手の口内を舐めたとしてもー、健康体なら唾液は限りなく無味無臭なので味なんて殆ど感じないはずなんですぅ」
「う、うん……うんっ!?」
「やっぱ医者を目指す身としては、そーゆーことも知っておかないとダメですかねえ?」
一杯で相当酔いが回っている誉に、真一郎はたじろいだ。しかも、深いキスの行為を淡々と語る誉に、何とも言えない複雑な気持ちになる。
誉は、フラつく身体をなんとか支えようと、片手を真一郎の太ももに乗せてその身体を益々寄せてくる。
──これは非常に、非常にマズい。
想いを通じ合わせる過程をすっ飛ばしかねない状況に、真一郎の焦りは増していくばかりだった。
「マンジローが言ってましたよぉ。せんぱいは、知らないことがあったらいつも教えてくれるって」
「は……!?」
「ねぇ、せんぱい……──」
ふわりと、普段の誉からは絶対にしない、甘いぶどう香るの熱い吐息が真一郎の鎖骨あたりをかすめる。
ほんのり桜色に染まっている頬。熱に潤んだ瞳で、すがるようにこちらを見上げる視線。更に、その唇は紅を差したように鮮やかで、小さく割り開かれた隙間から、先ほど彼女自身が語った「口内」の、未知の熱が覗いているようだった。
「教えて?」
──ドクン、と心臓がうるさく跳ねる。
酔っている。だから本当なら、こんな状況で応じるべきじゃない。今の誉にとってはただの好奇心で、真一郎を男として意識した言動ではない。
しかし、近すぎる距離も、肩越しに伝わる体温も、名前を呼ぶ甘い声も、真一郎の中で必死に押さえ込んできた感情を煽ってくる。
──好きだ。だからこそ、こんな形で手に入れたくない。
そう思う一方で、彼女に求められている今この瞬間を手放したくない自分もいた。
「……いいよ、教えてやる」
ゴクリ、と喉が鳴る。コチ、コチ、と壁掛け時計の秒針が響く。数秒にも満たない沈黙が、ひどく長く感じられた。
そして真一郎は、ゆっくりと誉の肩へ手を添えた。
