本編(改)【完】
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11.Taste of your kiss(1)
「ぅおっエッロ……」
「やっぱりキムタクの色気半端無ぇー」
朝の始業前。ざわめきに満ちた教室の一角で、こずえと、その前の席の詩織が女性向け雑誌を広げて盛り上がっていた。
誉は自分の席に鞄を置きながら、その異様な熱気に首を傾げる。
「おはよー」
「おはよう!誉ちゃんも見る?unun.の最新号♪」
「unun.?」
ずい、と顔の前に突き出された表紙に思わず目を凝らしてみれば、
「えーと……『彼との愛を深めるテクニック』……うッ!?」
そこには、今話題のイケメンアイドルと超絶美女が、肌を寄せ合う際どいカット。
朝の教室には少々刺激が強すぎる。
「こ、こここんな雑誌学校に持ってきていいのですかっ!?」
「え、やだーなにそのウブな反応。誉ちゃんかわいい♡」
茶化す声も、ほとんど耳に入らない。ページから目が離せないのだ。
「あれ?誉ちゃんってさ、よく一緒にいる不良の先輩と付き合ってんじゃなかったっけ?ほら、二年の」
「……え?」
詩織の言葉に、誉は時が止まったかのように固まる。
──よく一緒にいる二年の不良といえば、該当者は一人しかいない。
「ちっ、違う!付き合ってないッ!!」
「んー?怪しいなぁ」
「しっ、真一郎先輩は、そのー……おっぱいおっきい子が好きって言ってたしッ!」
「「はァ!?」」
二人の形相が一瞬にして豹変した。必死に否定しようとして、余計な爆弾を投下してしまったらしい。──が、後の祭り。
「なにそれ、最っ低!」
「あんの野郎なに考えてんの!?」
誉は心の中で謝罪の言葉を唱えると、二年の教室に向かって手を合わせた。
──その頃──
「──っぶぇっくし!」
──誰かが自分の噂をしているのか。イケメンは辛ぇな──。
真一郎の頭の中は、今日も平和だった。
──なんとか二人の怒りを鎮めたあと、誉は流されるまま雑誌を覗き込んでいた。
「はは、なにこれ。『ファーストキスはどんな味だった?』だって」
「中学生かよ」
「ええ!?みんな、中学生でもう……!?」
「おーっと。誉ちゃんはまだなんだ」
「はっ」
誉は、翻弄されていた。
「真面目な話、私はレモン味だったー」
「ぇえ!?」
「当時付き合ってた彼が『C.Cレモン』飲んだ直後だったから」
それを聞いた詩織がゲラゲラと笑う。仰天していた誉も、こずえが言う非生物学的事象の謎が解けて納得した。
「でもさ、結構いるよね。ファーストキスはレモン味だったってマジで言う子」
「あぁ、中学の友達はいちご味って言ってたなー」
「ええ……」
誉は困惑する。恋愛とは、なんと奥深く、そして謎に満ちた世界なのだろう。自分もいつか、異性とそのようなやり取りを交わす日が来るのだろうか。
──不意に、脳裏に浮かぶ顔がひとつ。
誉は、眉を顰めて小さく頭を振る。少し複雑な心境のまま、鞄を開き1限目の教科書を取り出した。
***
放課後、立ち上がった真一郎はぎょっと目を見開いた。足を力強く踏み鳴らすこずえが、殴り込むかの如く教室へ入ってくる姿を捉える。
「ちょっと、佐野先輩!」
「は、え、こずえちゃん!?ちょちょ、それ以上来られると窓割れるぅ!」
真一郎は迫力に押されるまま後退し、気づけば背中は窓際まで追い詰められていた。
「なんで誉ちゃんに“おっぱいデカい子がタイプ”だなんて言っちゃったの!?」
「はぁッ!?んなこと言っ──……いや待てよ?」
真一郎は静かに空を見上げた。先日ラブレターの返事の仕方を相談されたときに、「おっぱい大きい子が好きなのか?」と聞かれてはっきり否定出来ていなかったような──。
身に覚えのあるやり取りが、脳裏を過る。
「サイテー」
「いや、あれは不可抗力!」
「なになにぃ?面白そうだから俺も混ぜろー」
騒ぎを聞きつけた沖田がひょこっと顔を出す。
瞬間、こずえは即座に矛先を変えた。
「あ。軽音学部の天然タラシ、沖田先輩」
「ちょっと待ってぇ?何その不名誉な通り名」
「有名ですよ。泣かされた女子は数知れず」
「身に覚えが全くないんだけど!?」
「だから天然なんじゃないですか」
「あー……オレもう帰るねぇ?」
「ダメです」「ダメだろ」
面倒くさい人間二人に挟まれて、真一郎は深々とため息を吐いた。
「──誕生日会?」
誉の誕生日前日、彼女の自宅で誕生日会を開くのだという誘い。それを受けた真一郎は首を傾げながら言った。
「つーかオレ、あいつの誕生日にスタバのなんだっけ……クリスマス限定?のなんか飲みに行こうって誘われてっから、女子二人で過ごしなよ」
すると、こずえが勢いよく机を叩いた。
「せっっっかく人が気を使ってセッティングをしたというのに!」
思いの外響いた荒々しい音に、真一郎と沖田が同時に肩を震わせる。
「イイですか? 誕生日会は夜からやる予定なんです」
こずえは人差し指を立てた。
「しかもその日、誉ちゃんと同居してる叔父さんたちは翌日まで帰ってこないんですよ」
「ほう?」
「そこで佐野先輩も参加する」
「おう」
「私が途中で帰る」
「おう?」
「するとどうなると思います?」
真一郎は数秒考えた。
そして――。
「ハッ!!」
わざとらしいほど大きな声を上げる。
「誉の家で二人っきりになれる!?」
「その通り!」
こずえは満足げに頷いた。
「しかも粘って日付を跨げば、誰よりも早く誉ちゃんに『お誕生日おめでとう』が言えるんですよ?」
「なっ……なるほど!!」
「そこでサプライズプレゼントでも渡して『好きだよ誉』って言えば完璧でしょーが!」
「こずえちゃん、君は天才なのかっ!!」
興奮のあまり勢いよく立ち上がった真一郎は、椅子を盛大に吹っ飛ばした。
そんな二人を傍観していた沖田が、ふと思い立ったように口を開く。
「ねぇねぇ。その誕生日会、俺も行っていーい?」
「は?」
真一郎が即座に振り向いた。
「お前関係ねーだろ」
「いやいや。俺もう誉ちゃんとはセッション済みだから」
「セッション済みってなんだよ」
「マブダチってこと」
「誰がマブダチだ。オレは認めねぇ」
真一郎が睨みつけても、沖田はどこ吹く風だ。
そんなやり取りなど構わず、こずえはあっさり頷いた。
「いいですよ。人数多い方が誉ちゃんも喜ぶだろうし」
「ちょっと、こずえさん!?」
「やった☆」
沖田は親指を立てて満面の笑みを浮かべる。
一方、真一郎は恨めしそうな目でこずえを見た。
しかし、当の本人は涼しい顔で、
「じゃあ、佐野先輩は誉ちゃんへのプレゼントしっかり考えといてくださいね」
と言うだけ言って知らん顔を決め込む。
――こうして、誉の誕生日会は思わぬ方向へと転がり始めたのだった。
***
「ほ、ほんとにいる……!」
誉が玄関ドアを開けると、目の前にはこずえと沖田、そして真一郎が立っていた。
「だから言ったでしょ。先輩たちも誘ったって」
「すご。誉ちゃんちのマンション最新設備?金持ちぃーおじゃましまーす!」
沖田は感心したように辺りを見回しながら、さっさと中へ入っていく。
こずえも後に続き、あっという間に二人の姿は廊下の向こうへ消えていった。
その後ろで、
「はぁ……」
と、真一郎が小さくため息を吐く。
「先輩、あの……わざわざ来てくれてありがとうございます」
誉がそう言うと、真一郎は少し肩を竦めた。
「沖田はなに仕出かすか分かんねーからな。見張り役が必要だろ」
まるで問題児扱いである。
誉が思わず苦笑すると、真一郎は照れ隠しのように視線を逸らした。
「それに……オレの誕生日サプライズしてもらったお返ししないとな」
その言葉が、誉の胸をじんわりと温める。
家族以外で初めて出来た大切な友人たち──。
自分の誕生日を祝うために集まってくれたのだと思うと、廊下の空気はひんやりとしているはずなのに、不思議と陽だまりの中にいるような心地がした。
「コラー!なにイチャイチャしてんのそこぉ!」
リビングからこずえの声が飛んでくる。
「早く手伝ってください佐野先輩!」
「へーへー」
「い、イチャイチャ……!?」
真一郎は苦笑しながらリビングへ向かっていく。
残された誉は真っ赤になったまま、その背中を見送った。
──やがて準備が進み、テーブルに取り皿や箸、フォークを並べ終えた誉は、暇を持て余していた。
こずえから「今日の主役は大人しくしておけ」とキッチンから半ば追い出されてしまい、ローテーブルとソファの間にちょこんと座る。
そんな誉のもとへ、沖田がひょいと顔を出した。
「誉ちゃん♪」
「沖田先輩。今日は来てくれてありがとうございます」
「全然全然。むしろマブダチの誉ちゃんの誕生日会に呼んでもらえて嬉しいし」
マブ──。それは、若者が「本物の、本当の」という意味でよく使うが、元々は江戸時代、賊が使っていた言葉が後にヤクザへと伝わった隠語である。
そんな曰くのある表現を聞いて、誉は少し可笑しくて笑ってしまった。もちろん、沖田が何かを含んで言ったはずもなく、友達だと言ってもらえることが素直に嬉しかった。
「そうだ。誉ちゃんってさ、医者になるんだろ?」
「え。あ、はい。その予定、です」
「最近さー、肩こりひでぇんだけど、なんかいい方法知らない?」
沖田は自分の肩を揉みながらぼやく。
彼はギタリストだ。演奏中は常に片側へ負荷がかかる。そのため、身体の歪みや肩こりに悩む音楽家も少なくない。
「こまめに、体全体のストレッチをすると多少楽にはなると思うんですけど……」
医学についてはまだかじった程度の素人レベル。誉は、今持つ知識で解決できる方法がないか考えて、
「あ、東洋医学」
「なになに?よく分かんないけどすげぇ効きそう」
「別に特別なことじゃないです。ツボ押しです」
「ツボ?」
誉は沖田の左手をそっと取った。
手の甲を上に向け、人差し指と親指の付け根辺りを指差す。
「ここの、人差し指と親指の骨が交わるくぼみに「合谷 」ってツボがあるんです。目の疲れとか、緊張を和らげる効果もある万能ツボです」
誉が、親指の腹を当て、小指の方向に向かって骨に当たるようにぐりぐりと押していく。
沖田は感心したように何度も頷いていた。
***
── 一方キッチンでは、一人どす黒い空気を放つ男がいた。
「佐野先輩」
こずえが冷静に声を掛ける。
「…………」
「先輩!ポテト焦げますってば」
「……あ?」
「だからポテト」
真一郎はハッと我に返った。
視線の先には、沖田の手を取ってツボを押している誉。妙に距離が近い。
――非常に面白くない。
「ねぇ」
「はい?」
「アイツにも仕事投げろよ」
真一郎が顎で沖田を示す。
「完全にサボってんじゃねーか」
「いやぁ……」
こずえは微妙な顔をした。
「沖田先輩、全然ダメなんですもん」
「は?」
「器用なのギターだけなんですよ」
そう言って指差した先には、ピザ一枚とチキンが無理やり同じ皿に押し込まれた惨状があった。
皿からピザが盛大にはみ出している。
「……オレも人のこと言えねぇけど、雑すぎんだよなアイツ」
流石の真一郎も、呆気に取られるしかなかった。
「誉ちゃんってさぁ、結構指長いよねぇ」
不意に沖田が、ツボ押しをしていた誉の手を取った。そして興味深そうに、その指先をまじまじと眺める。
その瞬間、辛抱ならぬ真一郎は火を止めキッチンを抜け出した。
「え?そう……ですか?」
「うん、ギター教えてる時から思ってた。弦が押さえやすくていいよなーって」
不思議そうな顔をした誉が自分の手を見下ろしていると、
「あれ、ちょっと俺と手の長さあんま変わんねーぞ?」
サラッと自然に掌を合わせてきた沖田が、驚いた表情を見せた。
「ほんとですね、気にしたことなかっ──」
構わず、真一郎はぐぃと誉の細い手首をつかんだ。合わされた掌を剥がせば、誉が突然のことに驚いて振り返る。
「し、真一郎先、輩……?」
少し怯えた様子の誉に、真一郎は自身が酷く不機嫌な表情をしているだと分かった。
「おい佐野ぉ。せっかく誉ちゃんと手と手のしわを合わせて幸せ♡ってやってたのに」
「テメェは黙ってろ」
「あらやだ怖ぁい」
言葉とは裏腹に全く怖がっていない。むしろ楽しんでいる沖田は完全に確信犯だった。
そして、数秒睨み合った後、
「しゃーねーなぁ、代わってやんよ」
そう言って肩を竦めた沖田がキッチンへと向かっていく。その背中を見送る真一郎の視線は、最後まで冷ややかだ。
やがてその場にしゃがみ込み、誉と目線を合わせる。
「なんで沖田に好き勝手させてんの」
「え?」
突然責められたような口調に誉は目を瞬かせた。
「別に何かされたわけじゃ……」
そう言いかけたところで、掴む手首に思わず力がこもる。
誉の肩がぴくりと跳ね、その怯えたような視線にハッとした真一郎は、慌てて「あ……悪い」と指の力を緩めた。けれど、そのまま手放すことだけはできなくて、顰めた顔のままそっと包み込むようにして引き留める。
「あ、あの……」
「……沖田に近づくと妊娠するらしーぞ」
「……ええ!?」
もちろん、そんなことなど有り得ない。周囲(主に女子)が"天然タラシ"を「近付くと妊娠する」と比喩的に表現しているのだと耳にした(こずえから聞いた)だけだ。それすなわち、遠回しに危機感を持てと言っているに等しいわけで。
声を上げて驚いた誉は、数秒もすると「うふふ」と可笑しそうに笑いだした。何か面白い答えを思いついたと言わんばかりに微笑んでいて──真一郎の中で嫌な予感が湧いてくる。
「先輩、それはあり得ません」
「……ん?」
「異性に近づくだけで妊娠するなら、わたしとっくに先輩の赤ちゃん妊娠してますから」
「…………」
思考が止まったかのように固まる真一郎。
やがて、
「なッ!?」
耳まで真っ赤になると、真一郎は片手で顔を覆いそのまま深く項垂れた。
「……勘弁してくれ……」
――こっちの天然は、いつか本当に心臓を止めに来そうである。
「ぅおっエッロ……」
「やっぱりキムタクの色気半端無ぇー」
朝の始業前。ざわめきに満ちた教室の一角で、こずえと、その前の席の詩織が女性向け雑誌を広げて盛り上がっていた。
誉は自分の席に鞄を置きながら、その異様な熱気に首を傾げる。
「おはよー」
「おはよう!誉ちゃんも見る?unun.の最新号♪」
「unun.?」
ずい、と顔の前に突き出された表紙に思わず目を凝らしてみれば、
「えーと……『彼との愛を深めるテクニック』……うッ!?」
そこには、今話題のイケメンアイドルと超絶美女が、肌を寄せ合う際どいカット。
朝の教室には少々刺激が強すぎる。
「こ、こここんな雑誌学校に持ってきていいのですかっ!?」
「え、やだーなにそのウブな反応。誉ちゃんかわいい♡」
茶化す声も、ほとんど耳に入らない。ページから目が離せないのだ。
「あれ?誉ちゃんってさ、よく一緒にいる不良の先輩と付き合ってんじゃなかったっけ?ほら、二年の」
「……え?」
詩織の言葉に、誉は時が止まったかのように固まる。
──よく一緒にいる二年の不良といえば、該当者は一人しかいない。
「ちっ、違う!付き合ってないッ!!」
「んー?怪しいなぁ」
「しっ、真一郎先輩は、そのー……おっぱいおっきい子が好きって言ってたしッ!」
「「はァ!?」」
二人の形相が一瞬にして豹変した。必死に否定しようとして、余計な爆弾を投下してしまったらしい。──が、後の祭り。
「なにそれ、最っ低!」
「あんの野郎なに考えてんの!?」
誉は心の中で謝罪の言葉を唱えると、二年の教室に向かって手を合わせた。
──その頃──
「──っぶぇっくし!」
──誰かが自分の噂をしているのか。イケメンは辛ぇな──。
真一郎の頭の中は、今日も平和だった。
──なんとか二人の怒りを鎮めたあと、誉は流されるまま雑誌を覗き込んでいた。
「はは、なにこれ。『ファーストキスはどんな味だった?』だって」
「中学生かよ」
「ええ!?みんな、中学生でもう……!?」
「おーっと。誉ちゃんはまだなんだ」
「はっ」
誉は、翻弄されていた。
「真面目な話、私はレモン味だったー」
「ぇえ!?」
「当時付き合ってた彼が『C.Cレモン』飲んだ直後だったから」
それを聞いた詩織がゲラゲラと笑う。仰天していた誉も、こずえが言う非生物学的事象の謎が解けて納得した。
「でもさ、結構いるよね。ファーストキスはレモン味だったってマジで言う子」
「あぁ、中学の友達はいちご味って言ってたなー」
「ええ……」
誉は困惑する。恋愛とは、なんと奥深く、そして謎に満ちた世界なのだろう。自分もいつか、異性とそのようなやり取りを交わす日が来るのだろうか。
──不意に、脳裏に浮かぶ顔がひとつ。
誉は、眉を顰めて小さく頭を振る。少し複雑な心境のまま、鞄を開き1限目の教科書を取り出した。
***
放課後、立ち上がった真一郎はぎょっと目を見開いた。足を力強く踏み鳴らすこずえが、殴り込むかの如く教室へ入ってくる姿を捉える。
「ちょっと、佐野先輩!」
「は、え、こずえちゃん!?ちょちょ、それ以上来られると窓割れるぅ!」
真一郎は迫力に押されるまま後退し、気づけば背中は窓際まで追い詰められていた。
「なんで誉ちゃんに“おっぱいデカい子がタイプ”だなんて言っちゃったの!?」
「はぁッ!?んなこと言っ──……いや待てよ?」
真一郎は静かに空を見上げた。先日ラブレターの返事の仕方を相談されたときに、「おっぱい大きい子が好きなのか?」と聞かれてはっきり否定出来ていなかったような──。
身に覚えのあるやり取りが、脳裏を過る。
「サイテー」
「いや、あれは不可抗力!」
「なになにぃ?面白そうだから俺も混ぜろー」
騒ぎを聞きつけた沖田がひょこっと顔を出す。
瞬間、こずえは即座に矛先を変えた。
「あ。軽音学部の天然タラシ、沖田先輩」
「ちょっと待ってぇ?何その不名誉な通り名」
「有名ですよ。泣かされた女子は数知れず」
「身に覚えが全くないんだけど!?」
「だから天然なんじゃないですか」
「あー……オレもう帰るねぇ?」
「ダメです」「ダメだろ」
面倒くさい人間二人に挟まれて、真一郎は深々とため息を吐いた。
「──誕生日会?」
誉の誕生日前日、彼女の自宅で誕生日会を開くのだという誘い。それを受けた真一郎は首を傾げながら言った。
「つーかオレ、あいつの誕生日にスタバのなんだっけ……クリスマス限定?のなんか飲みに行こうって誘われてっから、女子二人で過ごしなよ」
すると、こずえが勢いよく机を叩いた。
「せっっっかく人が気を使ってセッティングをしたというのに!」
思いの外響いた荒々しい音に、真一郎と沖田が同時に肩を震わせる。
「イイですか? 誕生日会は夜からやる予定なんです」
こずえは人差し指を立てた。
「しかもその日、誉ちゃんと同居してる叔父さんたちは翌日まで帰ってこないんですよ」
「ほう?」
「そこで佐野先輩も参加する」
「おう」
「私が途中で帰る」
「おう?」
「するとどうなると思います?」
真一郎は数秒考えた。
そして――。
「ハッ!!」
わざとらしいほど大きな声を上げる。
「誉の家で二人っきりになれる!?」
「その通り!」
こずえは満足げに頷いた。
「しかも粘って日付を跨げば、誰よりも早く誉ちゃんに『お誕生日おめでとう』が言えるんですよ?」
「なっ……なるほど!!」
「そこでサプライズプレゼントでも渡して『好きだよ誉』って言えば完璧でしょーが!」
「こずえちゃん、君は天才なのかっ!!」
興奮のあまり勢いよく立ち上がった真一郎は、椅子を盛大に吹っ飛ばした。
そんな二人を傍観していた沖田が、ふと思い立ったように口を開く。
「ねぇねぇ。その誕生日会、俺も行っていーい?」
「は?」
真一郎が即座に振り向いた。
「お前関係ねーだろ」
「いやいや。俺もう誉ちゃんとはセッション済みだから」
「セッション済みってなんだよ」
「マブダチってこと」
「誰がマブダチだ。オレは認めねぇ」
真一郎が睨みつけても、沖田はどこ吹く風だ。
そんなやり取りなど構わず、こずえはあっさり頷いた。
「いいですよ。人数多い方が誉ちゃんも喜ぶだろうし」
「ちょっと、こずえさん!?」
「やった☆」
沖田は親指を立てて満面の笑みを浮かべる。
一方、真一郎は恨めしそうな目でこずえを見た。
しかし、当の本人は涼しい顔で、
「じゃあ、佐野先輩は誉ちゃんへのプレゼントしっかり考えといてくださいね」
と言うだけ言って知らん顔を決め込む。
――こうして、誉の誕生日会は思わぬ方向へと転がり始めたのだった。
***
「ほ、ほんとにいる……!」
誉が玄関ドアを開けると、目の前にはこずえと沖田、そして真一郎が立っていた。
「だから言ったでしょ。先輩たちも誘ったって」
「すご。誉ちゃんちのマンション最新設備?金持ちぃーおじゃましまーす!」
沖田は感心したように辺りを見回しながら、さっさと中へ入っていく。
こずえも後に続き、あっという間に二人の姿は廊下の向こうへ消えていった。
その後ろで、
「はぁ……」
と、真一郎が小さくため息を吐く。
「先輩、あの……わざわざ来てくれてありがとうございます」
誉がそう言うと、真一郎は少し肩を竦めた。
「沖田はなに仕出かすか分かんねーからな。見張り役が必要だろ」
まるで問題児扱いである。
誉が思わず苦笑すると、真一郎は照れ隠しのように視線を逸らした。
「それに……オレの誕生日サプライズしてもらったお返ししないとな」
その言葉が、誉の胸をじんわりと温める。
家族以外で初めて出来た大切な友人たち──。
自分の誕生日を祝うために集まってくれたのだと思うと、廊下の空気はひんやりとしているはずなのに、不思議と陽だまりの中にいるような心地がした。
「コラー!なにイチャイチャしてんのそこぉ!」
リビングからこずえの声が飛んでくる。
「早く手伝ってください佐野先輩!」
「へーへー」
「い、イチャイチャ……!?」
真一郎は苦笑しながらリビングへ向かっていく。
残された誉は真っ赤になったまま、その背中を見送った。
──やがて準備が進み、テーブルに取り皿や箸、フォークを並べ終えた誉は、暇を持て余していた。
こずえから「今日の主役は大人しくしておけ」とキッチンから半ば追い出されてしまい、ローテーブルとソファの間にちょこんと座る。
そんな誉のもとへ、沖田がひょいと顔を出した。
「誉ちゃん♪」
「沖田先輩。今日は来てくれてありがとうございます」
「全然全然。むしろマブダチの誉ちゃんの誕生日会に呼んでもらえて嬉しいし」
マブ──。それは、若者が「本物の、本当の」という意味でよく使うが、元々は江戸時代、賊が使っていた言葉が後にヤクザへと伝わった隠語である。
そんな曰くのある表現を聞いて、誉は少し可笑しくて笑ってしまった。もちろん、沖田が何かを含んで言ったはずもなく、友達だと言ってもらえることが素直に嬉しかった。
「そうだ。誉ちゃんってさ、医者になるんだろ?」
「え。あ、はい。その予定、です」
「最近さー、肩こりひでぇんだけど、なんかいい方法知らない?」
沖田は自分の肩を揉みながらぼやく。
彼はギタリストだ。演奏中は常に片側へ負荷がかかる。そのため、身体の歪みや肩こりに悩む音楽家も少なくない。
「こまめに、体全体のストレッチをすると多少楽にはなると思うんですけど……」
医学についてはまだかじった程度の素人レベル。誉は、今持つ知識で解決できる方法がないか考えて、
「あ、東洋医学」
「なになに?よく分かんないけどすげぇ効きそう」
「別に特別なことじゃないです。ツボ押しです」
「ツボ?」
誉は沖田の左手をそっと取った。
手の甲を上に向け、人差し指と親指の付け根辺りを指差す。
「ここの、人差し指と親指の骨が交わるくぼみに「
誉が、親指の腹を当て、小指の方向に向かって骨に当たるようにぐりぐりと押していく。
沖田は感心したように何度も頷いていた。
***
── 一方キッチンでは、一人どす黒い空気を放つ男がいた。
「佐野先輩」
こずえが冷静に声を掛ける。
「…………」
「先輩!ポテト焦げますってば」
「……あ?」
「だからポテト」
真一郎はハッと我に返った。
視線の先には、沖田の手を取ってツボを押している誉。妙に距離が近い。
――非常に面白くない。
「ねぇ」
「はい?」
「アイツにも仕事投げろよ」
真一郎が顎で沖田を示す。
「完全にサボってんじゃねーか」
「いやぁ……」
こずえは微妙な顔をした。
「沖田先輩、全然ダメなんですもん」
「は?」
「器用なのギターだけなんですよ」
そう言って指差した先には、ピザ一枚とチキンが無理やり同じ皿に押し込まれた惨状があった。
皿からピザが盛大にはみ出している。
「……オレも人のこと言えねぇけど、雑すぎんだよなアイツ」
流石の真一郎も、呆気に取られるしかなかった。
「誉ちゃんってさぁ、結構指長いよねぇ」
不意に沖田が、ツボ押しをしていた誉の手を取った。そして興味深そうに、その指先をまじまじと眺める。
その瞬間、辛抱ならぬ真一郎は火を止めキッチンを抜け出した。
「え?そう……ですか?」
「うん、ギター教えてる時から思ってた。弦が押さえやすくていいよなーって」
不思議そうな顔をした誉が自分の手を見下ろしていると、
「あれ、ちょっと俺と手の長さあんま変わんねーぞ?」
サラッと自然に掌を合わせてきた沖田が、驚いた表情を見せた。
「ほんとですね、気にしたことなかっ──」
構わず、真一郎はぐぃと誉の細い手首をつかんだ。合わされた掌を剥がせば、誉が突然のことに驚いて振り返る。
「し、真一郎先、輩……?」
少し怯えた様子の誉に、真一郎は自身が酷く不機嫌な表情をしているだと分かった。
「おい佐野ぉ。せっかく誉ちゃんと手と手のしわを合わせて幸せ♡ってやってたのに」
「テメェは黙ってろ」
「あらやだ怖ぁい」
言葉とは裏腹に全く怖がっていない。むしろ楽しんでいる沖田は完全に確信犯だった。
そして、数秒睨み合った後、
「しゃーねーなぁ、代わってやんよ」
そう言って肩を竦めた沖田がキッチンへと向かっていく。その背中を見送る真一郎の視線は、最後まで冷ややかだ。
やがてその場にしゃがみ込み、誉と目線を合わせる。
「なんで沖田に好き勝手させてんの」
「え?」
突然責められたような口調に誉は目を瞬かせた。
「別に何かされたわけじゃ……」
そう言いかけたところで、掴む手首に思わず力がこもる。
誉の肩がぴくりと跳ね、その怯えたような視線にハッとした真一郎は、慌てて「あ……悪い」と指の力を緩めた。けれど、そのまま手放すことだけはできなくて、顰めた顔のままそっと包み込むようにして引き留める。
「あ、あの……」
「……沖田に近づくと妊娠するらしーぞ」
「……ええ!?」
もちろん、そんなことなど有り得ない。周囲(主に女子)が"天然タラシ"を「近付くと妊娠する」と比喩的に表現しているのだと耳にした(こずえから聞いた)だけだ。それすなわち、遠回しに危機感を持てと言っているに等しいわけで。
声を上げて驚いた誉は、数秒もすると「うふふ」と可笑しそうに笑いだした。何か面白い答えを思いついたと言わんばかりに微笑んでいて──真一郎の中で嫌な予感が湧いてくる。
「先輩、それはあり得ません」
「……ん?」
「異性に近づくだけで妊娠するなら、わたしとっくに先輩の赤ちゃん妊娠してますから」
「…………」
思考が止まったかのように固まる真一郎。
やがて、
「なッ!?」
耳まで真っ赤になると、真一郎は片手で顔を覆いそのまま深く項垂れた。
「……勘弁してくれ……」
――こっちの天然は、いつか本当に心臓を止めに来そうである。
