本編(改)
Name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
10.One and only
師走の寒さが身にしみる頃。あと一か月で今年が終わる──そんな節目を前に、世間ではどこか落ち着かない空気が漂っていた。
そしてここに、別の意味で大変焦っている男が一人。
「……やべー……」
真一郎は、返却された答案用紙を前に言葉を失った。机の上に扇形に並べられたそれらは、見事なまでにオール赤点。
来年度の進級可否は、今回の期末と三学期の試験結果が反映される。
流石に留年ともなれば、祖父・万作の雷が落ちるのは確実だった。これまでは補習でどうにかなってきたが、今回は追試験を突破しなければならない。実施は一週間後。
──時間が、ない。
「お前、流石にオール赤点はねーわ」
脇を通りかかった沖田が、答案を覗き込んで呆れた声を出す。
「うっせ!おめぇこそどうなんだよ。俺と成績ドッコイだろーが」
「俺は選択授業の音楽以外、赤点だ!」
「変わんねーじゃねーか!」
どっちもどっちだった。
***
「相変わらず凄いですなぁ。お見逸れしました」
一年の教室では、誉とこずえが期末テストの答え合わせをしていた。
「目標点取れなかったの結構あったんだ。今回全体的に難しかったよ」
「それでも学年一位じゃん……特進、確実でしょ。それより問題は私だよぉ……」
がくりと項垂れるこずえ。彼女も特進クラスへの進級を希望しており、芸大を目指している。
「まだ期末だけで決まるわけじゃないよ。三学期で挽回しよ」
「よし。覚悟決めた。誉先生にお願いするしかないわね!」
同じ目標を持って切磋琢磨できる仲間がいること。そのありがたさを、二人は噛みしめた。
「そうだ。二十日の誕生日会、お邪魔できそう?」
「うん。叔父さんたち、次の日まで不在だって」
こずえから、誉の誕生日前日に自宅で誕生日会をしようと提案されていた。柴田には事情を話し、その日は家を空けてもらう約束をしているのだ。
「よしよし。あと来てほしい人がいたら遠慮なく誘っていいからね」
「ええ?いやそんな……自分の誕生日会開くから来てっていう歳でもないし……」
「なんで?佐野先輩は誘えるでしょ。絶対来るでしょ」
「ええっ!?それこそ恥ずかしい!」
慌てた誉が顔を赤くしながら叫ぶと、
「ここは、こずえさんが一肌脱ぐしかないわね……」
「え?」
ぼそりと漏らした呟きは、誉の耳に届かぬままこずえは立ち上がる。
「おっと。今日から部活再開だったわ。行ってくる」
「あ、そっか。頑張ってね」
「今日は佐野先輩と帰るの?」
「うん。今から二年の教室行ってくる」
「よろしく言っといて~」
手をひらひらと振るこずえが去った教室で、誉は口元を緩めた。
真一郎の名前を出せば、その度に心配されたものだが、それもいつからかパタリと無くなた。文化祭の準備期間に、二人は誉の知らないところで話をしていたと言っていたから、その時誤解が解けたのかもしれない。彼への印象が変わったのなら、それはとても喜ばしいことだった。
誉は帰り支度を整えると、真一郎の待つ二年の教室へと向かった。
──教室に残っていたのは、真一郎ひとりだった。
彼の元へ近づけば、机に答案を広げ、腕を組んで唸っている。
「……18、15、19……」
「うぉあっ!?」
前触れもなく数字を読み上げた声に驚いて、真一郎はガタッと音を立て飛び跳ねた。
「追試決定だ」
「おま、入ってくるとき声かけろ!ビビるだろーが」
「すごい集中してたから、どうしようかと思って」
にこっと微笑んでみせれば、それ以上なにも言えなくなったのか、真一郎は黙って答案用紙をガサっとかき集めて鞄に押し込んだ。
「追試で合格点なんて、ぜってー無理だー……こりゃ留年決まりか?」
肩を落としながらボヤく真一郎。
その背中を見つめ、誉は彼の為に何かできないかと考えた。真一郎は、相変わらず授業をサボっているようだし自業自得ではあるのだが、元気のない顔を見るのは誉にとっても不本意である。もし、真一郎の力になれるのであれば、やぶさかではない。
「先輩。嫌じゃなければ……わたしの家で勉強合宿しませんか?」
「……合宿?」
「先輩のお家だと、万次郎たちがいて集中できないかなって。うちなら静かだから捗ると思うし。空いてる部屋もあるので、1週間くらい集中すれば何とかなると思うんです」
提案を受けた真一郎は、暫し考えを巡らせるように黙っていた。
やがて、覇気の無かったその表情が、どこか熱っぽく生き生きとしてくる。
それから、ガタッと勢いよく立ち上がり、
「よろしくお願いしゃす」
九十度の最敬礼。
あまりにも行儀の良い不良の姿に、誉は思わず吹き出した。
***
──勉強。合宿。彼女の家で。二人きり。
誉からの提案は、真一郎の胸をこれ以上ないほどに高鳴らせた。下級生に教えを乞うなどというプライドより、彼女と過ごせる時間の方が圧倒的に勝った。
合宿は、早速今日から始めることに。真一郎は、自宅から荷物を引っ提げバイクで誉の自宅へ向かった。
万次郎とエマからは、「顔がいやらしい」だの「鼻の下が伸びている」だの散々の言われようだったが、「兄貴の一世一代のビッグチャンス黙って見とけバカ野郎」と十以上も歳の離れた弟妹相手に一蹴して飛び出してきた。万が一、と買っておいたゴム製品をジーンズのポケットに突っ込んでくる始末。思春期男子は暴走しかけていた。
真一郎がマンションの駐輪場にバイクを停めたところで、エントランスホールから外へ出てきた誉の声が届く。
「真一郎先輩。ひとまず荷物置いて、買い物付き合ってくれませんか?」
「買い物?」
玄関に荷物を置き、向かった先は近所のスーパーマーケットだった。
「今日はエビフライと、中華サラダにしようかなって」
誉が、エビやたまご、春雨などの食材を真一郎の持つかごに入れていく。
その様子を眺めながら、こんな新婚夫婦のような生活を一週間も味わえるのかと思ったら、幸せすぎて顔の緩みを抑えるのに必死だった。
「あ、俺出すよ」
「ううん。柴田が先輩の分もって出してくれたのでお構いなく。あ、これはちゃんとキレイなお金ですのでご安心を」
という誉の話を聞きながら、真一郎は目を丸くする。あの柴田が誉の家に寝泊まりすると知って金を出した──?思わぬ後押しに、真一郎の心の高鳴りは留まるところを知らない。
***
「──どうぞ」
「おっ、オジャマシマス」
少しだけ緊張した様子で、真一郎が玄関ホールに足を踏み入れた。
長い廊下からそれぞれの部屋へ続く扉が数か所。よく見るマンションの間取りだ。
「ここがトイレで、向かいが洗面所とお風呂。先輩はこの部屋使ってください」
客室に荷物を置いてもらい、リビングへと向かう。
南向きのリビングダイニングキッチンは、十四畳ほど。日当たりの良い、明るい部屋だ。
「なんか、随分贅沢な部屋だなー」
「ここ、名前は伏せてますけど神保が不動産管理してる建物なんですよ」
「ナルホドな……」
ヤクザと不動産は切っても切れない関係──。なにかを察した様子の真一郎は、それ以上口を開くことはなかった。
「お夕飯までまだ時間あるし、テスト範囲の確認からやりましょうか」
ソファに並んで腰掛け、ローテーブルに教科書と答案用紙を広げる。
補修対象の科目すべて、偶然にも同じ教科担任が受け持っていた。出題傾向が似ていてヤマが張りやすい。
「あの先生、今回すっごい難しい問題作ってましたよ」
「マジ?あのナルシー野郎めぇ……」
教師の悪口を挟みながら、着々と勉強のポイントを押さえていく。
暫く真面目に誉の話を聞いていた真一郎──しかし、
「ここは暗記物なので可能な限り覚えましょう。点数稼……先輩、聞いてます?」
誉が視線を感じて向き直れば、こちらに真っ直ぐとその瞳を向ける真一郎がいて、
「集中力切れた」
「ええっ?まだ三十分も経ってない……」
「誉がちょっとお願い聞いてくれたらやる気出るかも」
「……なんですか?」
「……ハグしたい」
一瞬で言葉の意味を捉えることができず、誉は目を瞬かせた。徐々に、そのとんでもない要求を理解して驚きのあまり仰天する。
「え……っ、ハ、ハグ!?」
「うん」
真一郎とは、出会って間もない頃から触れ合う機会が度々あった。抱き締められたこともある。
誉は、それを不快に思ったことは一度もなかった。だが、改めて面と向かって「ハグしたい」と言われると、それはそれでやりづらいし、恥ずかしい。
しかし、それでやる気が出るのなら安いものではないか──。
「……はい」
誉は覚悟を決めて、さぁ来いや。と言わんばかりに両腕を広げる。
しかし、真一郎は信じられないといった表情で目を剥いた。自分から言っておきながらなんなのだ。
「ほっほんとに?いいの!?」
「その代わり、晩ご飯の時間までちゃんと集中してくださいよ」
「じゃ……じゃあ、お言葉に甘えてぇ……」
恐る恐る近づいてきた真一郎が、誉の背中に手を回して抱き締める。
誉も、それに合わせて彼の背中に手を回した。彼の鼓動を近くで感じる。
「先輩……あの、もういいんじゃないでしょうか……」
「……やだ」
「え?」
「もう少し」
「もう十分で」
「あとちょっと」
「……」
離れようとすると、力が強まった。やる前に制限時間を設けておくべきだった。
そんなことを考えいるうち、誉は睡魔に襲われはじめていた。真一郎に抱き締められると、心地良いし安心した。亡くなった透と一緒に寝ていた時の感覚を思い出させた。
彼から香る、お日様のような匂いとほんの少し、オイルとか鉄とかの匂いが微かに混じる。不思議と嫌ではない匂いだった。
うっかりまどろみかけて、誉はハっとした。肝心なことを真一郎に告げていなかったことを思い出した。チラっと壁時計を見て、さらに焦りは募る。
「せ、先輩……!あのっ、た、多分もうそろそろ」
「まだダメ」
「いやダメじゃなくてですね……!?」
その時、
「お嬢、ただいま戻りま……」
「あ」
「え?」
開いた扉の向こうに立っていたのは、柴田だった。
「し、柴田さん!?」
「おかえり、柴田……」
苦笑いの誉が、おかえりと言ったその瞬間、背中に回された腕がビクリと震えたのが分かった。
「ごめんなさい、先輩。言うタイミング逃しちゃって……」
「へ……」
「実は、柴田とルームシェア、してるんです……」
ひゅ、と喉がなる音がした。真一郎の顔をみると、表情を引きつらせ視線が定まっていない。
「……お前、余っ程俺にブチ●ロされたいんやのぉ、真一郎」
程なくして、真一郎の断末魔が木霊した。
師走の寒さが身にしみる頃。あと一か月で今年が終わる──そんな節目を前に、世間ではどこか落ち着かない空気が漂っていた。
そしてここに、別の意味で大変焦っている男が一人。
「……やべー……」
真一郎は、返却された答案用紙を前に言葉を失った。机の上に扇形に並べられたそれらは、見事なまでにオール赤点。
来年度の進級可否は、今回の期末と三学期の試験結果が反映される。
流石に留年ともなれば、祖父・万作の雷が落ちるのは確実だった。これまでは補習でどうにかなってきたが、今回は追試験を突破しなければならない。実施は一週間後。
──時間が、ない。
「お前、流石にオール赤点はねーわ」
脇を通りかかった沖田が、答案を覗き込んで呆れた声を出す。
「うっせ!おめぇこそどうなんだよ。俺と成績ドッコイだろーが」
「俺は選択授業の音楽以外、赤点だ!」
「変わんねーじゃねーか!」
どっちもどっちだった。
***
「相変わらず凄いですなぁ。お見逸れしました」
一年の教室では、誉とこずえが期末テストの答え合わせをしていた。
「目標点取れなかったの結構あったんだ。今回全体的に難しかったよ」
「それでも学年一位じゃん……特進、確実でしょ。それより問題は私だよぉ……」
がくりと項垂れるこずえ。彼女も特進クラスへの進級を希望しており、芸大を目指している。
「まだ期末だけで決まるわけじゃないよ。三学期で挽回しよ」
「よし。覚悟決めた。誉先生にお願いするしかないわね!」
同じ目標を持って切磋琢磨できる仲間がいること。そのありがたさを、二人は噛みしめた。
「そうだ。二十日の誕生日会、お邪魔できそう?」
「うん。叔父さんたち、次の日まで不在だって」
こずえから、誉の誕生日前日に自宅で誕生日会をしようと提案されていた。柴田には事情を話し、その日は家を空けてもらう約束をしているのだ。
「よしよし。あと来てほしい人がいたら遠慮なく誘っていいからね」
「ええ?いやそんな……自分の誕生日会開くから来てっていう歳でもないし……」
「なんで?佐野先輩は誘えるでしょ。絶対来るでしょ」
「ええっ!?それこそ恥ずかしい!」
慌てた誉が顔を赤くしながら叫ぶと、
「ここは、こずえさんが一肌脱ぐしかないわね……」
「え?」
ぼそりと漏らした呟きは、誉の耳に届かぬままこずえは立ち上がる。
「おっと。今日から部活再開だったわ。行ってくる」
「あ、そっか。頑張ってね」
「今日は佐野先輩と帰るの?」
「うん。今から二年の教室行ってくる」
「よろしく言っといて~」
手をひらひらと振るこずえが去った教室で、誉は口元を緩めた。
真一郎の名前を出せば、その度に心配されたものだが、それもいつからかパタリと無くなた。文化祭の準備期間に、二人は誉の知らないところで話をしていたと言っていたから、その時誤解が解けたのかもしれない。彼への印象が変わったのなら、それはとても喜ばしいことだった。
誉は帰り支度を整えると、真一郎の待つ二年の教室へと向かった。
──教室に残っていたのは、真一郎ひとりだった。
彼の元へ近づけば、机に答案を広げ、腕を組んで唸っている。
「……18、15、19……」
「うぉあっ!?」
前触れもなく数字を読み上げた声に驚いて、真一郎はガタッと音を立て飛び跳ねた。
「追試決定だ」
「おま、入ってくるとき声かけろ!ビビるだろーが」
「すごい集中してたから、どうしようかと思って」
にこっと微笑んでみせれば、それ以上なにも言えなくなったのか、真一郎は黙って答案用紙をガサっとかき集めて鞄に押し込んだ。
「追試で合格点なんて、ぜってー無理だー……こりゃ留年決まりか?」
肩を落としながらボヤく真一郎。
その背中を見つめ、誉は彼の為に何かできないかと考えた。真一郎は、相変わらず授業をサボっているようだし自業自得ではあるのだが、元気のない顔を見るのは誉にとっても不本意である。もし、真一郎の力になれるのであれば、やぶさかではない。
「先輩。嫌じゃなければ……わたしの家で勉強合宿しませんか?」
「……合宿?」
「先輩のお家だと、万次郎たちがいて集中できないかなって。うちなら静かだから捗ると思うし。空いてる部屋もあるので、1週間くらい集中すれば何とかなると思うんです」
提案を受けた真一郎は、暫し考えを巡らせるように黙っていた。
やがて、覇気の無かったその表情が、どこか熱っぽく生き生きとしてくる。
それから、ガタッと勢いよく立ち上がり、
「よろしくお願いしゃす」
九十度の最敬礼。
あまりにも行儀の良い不良の姿に、誉は思わず吹き出した。
***
──勉強。合宿。彼女の家で。二人きり。
誉からの提案は、真一郎の胸をこれ以上ないほどに高鳴らせた。下級生に教えを乞うなどというプライドより、彼女と過ごせる時間の方が圧倒的に勝った。
合宿は、早速今日から始めることに。真一郎は、自宅から荷物を引っ提げバイクで誉の自宅へ向かった。
万次郎とエマからは、「顔がいやらしい」だの「鼻の下が伸びている」だの散々の言われようだったが、「兄貴の一世一代のビッグチャンス黙って見とけバカ野郎」と十以上も歳の離れた弟妹相手に一蹴して飛び出してきた。万が一、と買っておいたゴム製品をジーンズのポケットに突っ込んでくる始末。思春期男子は暴走しかけていた。
真一郎がマンションの駐輪場にバイクを停めたところで、エントランスホールから外へ出てきた誉の声が届く。
「真一郎先輩。ひとまず荷物置いて、買い物付き合ってくれませんか?」
「買い物?」
玄関に荷物を置き、向かった先は近所のスーパーマーケットだった。
「今日はエビフライと、中華サラダにしようかなって」
誉が、エビやたまご、春雨などの食材を真一郎の持つかごに入れていく。
その様子を眺めながら、こんな新婚夫婦のような生活を一週間も味わえるのかと思ったら、幸せすぎて顔の緩みを抑えるのに必死だった。
「あ、俺出すよ」
「ううん。柴田が先輩の分もって出してくれたのでお構いなく。あ、これはちゃんとキレイなお金ですのでご安心を」
という誉の話を聞きながら、真一郎は目を丸くする。あの柴田が誉の家に寝泊まりすると知って金を出した──?思わぬ後押しに、真一郎の心の高鳴りは留まるところを知らない。
***
「──どうぞ」
「おっ、オジャマシマス」
少しだけ緊張した様子で、真一郎が玄関ホールに足を踏み入れた。
長い廊下からそれぞれの部屋へ続く扉が数か所。よく見るマンションの間取りだ。
「ここがトイレで、向かいが洗面所とお風呂。先輩はこの部屋使ってください」
客室に荷物を置いてもらい、リビングへと向かう。
南向きのリビングダイニングキッチンは、十四畳ほど。日当たりの良い、明るい部屋だ。
「なんか、随分贅沢な部屋だなー」
「ここ、名前は伏せてますけど神保が不動産管理してる建物なんですよ」
「ナルホドな……」
ヤクザと不動産は切っても切れない関係──。なにかを察した様子の真一郎は、それ以上口を開くことはなかった。
「お夕飯までまだ時間あるし、テスト範囲の確認からやりましょうか」
ソファに並んで腰掛け、ローテーブルに教科書と答案用紙を広げる。
補修対象の科目すべて、偶然にも同じ教科担任が受け持っていた。出題傾向が似ていてヤマが張りやすい。
「あの先生、今回すっごい難しい問題作ってましたよ」
「マジ?あのナルシー野郎めぇ……」
教師の悪口を挟みながら、着々と勉強のポイントを押さえていく。
暫く真面目に誉の話を聞いていた真一郎──しかし、
「ここは暗記物なので可能な限り覚えましょう。点数稼……先輩、聞いてます?」
誉が視線を感じて向き直れば、こちらに真っ直ぐとその瞳を向ける真一郎がいて、
「集中力切れた」
「ええっ?まだ三十分も経ってない……」
「誉がちょっとお願い聞いてくれたらやる気出るかも」
「……なんですか?」
「……ハグしたい」
一瞬で言葉の意味を捉えることができず、誉は目を瞬かせた。徐々に、そのとんでもない要求を理解して驚きのあまり仰天する。
「え……っ、ハ、ハグ!?」
「うん」
真一郎とは、出会って間もない頃から触れ合う機会が度々あった。抱き締められたこともある。
誉は、それを不快に思ったことは一度もなかった。だが、改めて面と向かって「ハグしたい」と言われると、それはそれでやりづらいし、恥ずかしい。
しかし、それでやる気が出るのなら安いものではないか──。
「……はい」
誉は覚悟を決めて、さぁ来いや。と言わんばかりに両腕を広げる。
しかし、真一郎は信じられないといった表情で目を剥いた。自分から言っておきながらなんなのだ。
「ほっほんとに?いいの!?」
「その代わり、晩ご飯の時間までちゃんと集中してくださいよ」
「じゃ……じゃあ、お言葉に甘えてぇ……」
恐る恐る近づいてきた真一郎が、誉の背中に手を回して抱き締める。
誉も、それに合わせて彼の背中に手を回した。彼の鼓動を近くで感じる。
「先輩……あの、もういいんじゃないでしょうか……」
「……やだ」
「え?」
「もう少し」
「もう十分で」
「あとちょっと」
「……」
離れようとすると、力が強まった。やる前に制限時間を設けておくべきだった。
そんなことを考えいるうち、誉は睡魔に襲われはじめていた。真一郎に抱き締められると、心地良いし安心した。亡くなった透と一緒に寝ていた時の感覚を思い出させた。
彼から香る、お日様のような匂いとほんの少し、オイルとか鉄とかの匂いが微かに混じる。不思議と嫌ではない匂いだった。
うっかりまどろみかけて、誉はハっとした。肝心なことを真一郎に告げていなかったことを思い出した。チラっと壁時計を見て、さらに焦りは募る。
「せ、先輩……!あのっ、た、多分もうそろそろ」
「まだダメ」
「いやダメじゃなくてですね……!?」
その時、
「お嬢、ただいま戻りま……」
「あ」
「え?」
開いた扉の向こうに立っていたのは、柴田だった。
「し、柴田さん!?」
「おかえり、柴田……」
苦笑いの誉が、おかえりと言ったその瞬間、背中に回された腕がビクリと震えたのが分かった。
「ごめんなさい、先輩。言うタイミング逃しちゃって……」
「へ……」
「実は、柴田とルームシェア、してるんです……」
ひゅ、と喉がなる音がした。真一郎の顔をみると、表情を引きつらせ視線が定まっていない。
「……お前、余っ程俺にブチ●ロされたいんやのぉ、真一郎」
程なくして、真一郎の断末魔が木霊した。
