番外編(改)
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Two conditions
つい数十分前、仲間たちの前で「一生安全運転」と高らかに宣言したばかりの真一郎だったが、今は後ろで必死にしがみつく誉に急かされ、全力でバイクを飛ばしていた。事故だけは絶対に起こさぬよう安全マージンを保てる限界の速度で夜道を駆け抜ける。
誉に課せられた門限11時まで残りわずか数分──玄関前に滑り込むと、二人は揃って胸を撫で下ろした。
「──ま、間に合ったー!先輩ありがとうございました……!」
「はは……柴田さんも抜かりねぇな」
万が一、1分でも間に合わなかった時は無事では済まなかっただろう──そんな事を考え苦笑いを浮かべる真一郎だったが、ふと隣にいる誉の様子がおかしいことに気がついた。気まずそうに視線を逸らし、何か言いたげにもじもじと指先を動かしている。
真一郎も周りから「分かりやすい男」と散々言われてきたものだが、誉も大概、その内面の感情がそっくりそのまま表に出やすいタイプだ。
「あ、あの……気をつけて帰ってくださいね」
真一郎から見ても、彼女が別れを惜しんでいるのは火を見るより明らかで。
そんな愛おしい顔をされてしまっては、大人しく帰る気なんて失せてしまう。
「待って」
誉がドアノブに手をかけたところで呼び止めると、振り返った瞬間なにか言いかけた唇を塞いだ。
まるで引き止めるような少し甘えた口づけに、誉が息を呑む気配がして、真一郎の胸を小さく押し返してきた。
「っせ、先ぱ……もう、時間が……」
「まだ……もう少しだけ……」
低く切なげに囁きながら、真一郎はさらに距離を詰めた。
困ったようにドアの脇へ一歩下がった誉を追いかけ、もう一歩前へと踏み出す。
真一郎が、逃がすまいとその腰にスルりと手を回した──その時。
「ぐふぉっ!?」
突如、脇から来た凄まじい衝撃波に突き飛ばされた。視界がグラリと回転し、目の前にいたはずの誉の姿が、一瞬で灰色へと変わる。
気がつけば、真一郎は冷たい床の上に這いつくばり、蛙が潰れでもしたような声を漏らしながら悶絶していた。
「し、真一郎先輩!?」
上から降ってきた誉の悲鳴に、真一郎は涙目でなんとか顔を上げた。
どうやら、凄まじい勢いで開いたドアに、完璧なタイミングでド突かれたようだった。直撃した肩骨がバラバラに砕け散ったかと思うほどの激痛が走る。
「──お嬢、1分遅刻」
冷徹極まりない地獄の底からの声に、真一郎と誉はヒッと喉を鳴らす。
開いたドアの方を見上げれば、そこには柴田が腕を組んで仁王立ちをしていた。まるで奈落の底から自分の命を刈り取りに来た閻魔大王かのような、身震いするほどの暗黒の眼光。
向けられたモノホンの殺気に、真一郎は冷や汗を一気に噴き出させて背筋を凍らせた。
「し、柴田……!」
「躾のなってねぇ獣が一匹彷徨いとるのぉ。お嬢、早ぉ中入り」
「し、柴田さん……、冗談抜きで結構痛い……ッ」
「あぁぁぁ先輩大丈夫ですかっ!?」
床に肘と膝をついたまま、生まれたての小鹿のようにプルプルと無様に震える真一郎の元へ、誉が大慌てで駆け寄った。
その手に肩を支えられ、情けない声を漏らしながら何とか立ち上がろうとした真一郎だったが、ふと、自分を見つめる誉の瞳が酷く揺れていることに気がつく。
「先輩、実は……先日柴田に言っちゃって……」
「え……マジ……?」
「真一郎、話がある。明日また出直してこい」
「ハ……ハィ……」
当然、覚悟はしていた。
心配そうに見つめる誉の背を撫でながら「大丈夫だよ」と告げた真一郎は、腹をくくると明日の訪問時間を伝えその場を後にした。
***
──翌日。
柴田は、鋭い眼光で腕を組みソファでふんぞり返っている。ローテーブルを挟んだ正面では、正座をした誉と真一郎が対峙していた。
「……で?まずはお前から俺に言わにゃあいけんことがあるんやないんか、真一郎」
「ハィ……あの、この度誉さんとお付き合いすることになりました……!報告が遅れて申し訳ございませんッ!!」
半ば肺の空気をすべて吐き出すような叫びと共に、真一郎は額を擦り付ける勢いで深く頭を下げた。
「柴田……あんまり先輩いじめないで」
「これは男のケジメとして当然です」
モノホンの殺気に怯える真一郎を横目に、誉はハラハラと心配そうにその様子を交互に窺っていた。
「一応聞くが、お前、組長の娘に唾ぁ付けるんがどういう事か分かっとんよのぉ?」
「だからそういうの止めてって──!」
「オレは、関係ないと思ってます」
強く言い切った声に、誉は思わず視線を向ける。真一郎は、頭を下げたまま間髪入れずに答えた。頭を深く下げたままの姿勢で、その声音は先程までの震えが消え去って低く芯が通っている。
「誉が何処の家の娘でも、オレは絶対好きになってます。たまたまヤクザの娘だったってだけだ」
「先輩……」
真一郎は床を見つめたまま、話を続ける。
「死にたくないけど、誉のこと好きになってから死ぬ覚悟は出来てます……脅されようが、殴られようが、銃ぶっ放されようが、オレは絶対倒れないし、諦めるつもりありません」
──もしも本当に、自分の家のせいでこの人に牙が剥かれるようなら、その時は彼を守るため身を引くべきだ。
誉は心のどこかで、そんな哀しい未来すら覚悟していた。しかし、それとは真逆の覚悟を目の当たりにして思い直す。
もう、逃げてはいけない──命を懸けて戦うと言ってくれた彼の揺るぎない決意に、誉はこれ以上ない程に胸を強く打たれた。
「……お嬢、真一郎と二人で話がしたい。席を外してくれませんか」
「……うん」
なんだかんだと、柴田も真一郎の人柄を買っていることは知っている。ひとまず半殺しの目に遭うことはなさそうで、誉は大人しく柴田の言葉に従った。
***
「真一郎。お前に出す条件が二つある」
──二つ、か。
正面に座る柴田の言葉に、真一郎の背中にドッと冷や汗が流れた。むしろ、たった二つで済むならマシと捉えるべきだろうか。最悪の場合、「ケジメをつけろ」とエンコを詰めさせられたり、目の前に拳銃を置かれてロシアンルーレットを強要されるかもしれない──。
あらゆる最悪の可能性が脳裏を駆け巡り、真一郎は生きた心地がしないまま、喉をゴクリと鳴らして次の言葉を待った。
「一つ目。あの子が成人するまで、絶対に手ぇ出すな」
「……へ?」
あまりにも想定外すぎる要望に、真一郎は思わずバッと顔を上げた。そのままパチクリと目を丸くする。
──手を出すな、とは、つまり男と女の、いわゆる『そういう行為』に及んではならないという意味か。
「お嬢は親父の娘だが、親友から託された大事な預かりものでもある。未成年のうちは俺等が守ってやると誓いを立てとる。じゃけぇ、それまでの間は好き勝手させるわけにいかん──俺の言ってる意味、分かるな?」
「は、はい」
「……反故にした時ぁ、今度こそお前のタマ取るけぇのォ」
「はッ、はははいぃッ!」
柴田の目が、今まで見たこともないほどギラリと狂暴に据わっている。
──これは冗談抜きでガチのやつだ。
真一郎の顔から一瞬で血の気が引いた。思わず自分の股間を庇いたくなる衝動を必死に抑えながら、かねてより気になっていた疑問を恐る恐る口にする。
「あ、あの、柴田さん……オレ、誉の親父さんにも会いに行った方がいいんでしょうか……?」
いくら目の前の保護者(世話役)に付き合う報告をしたとはいえ、肝心の父親を放ったまま話が進んでいることに、いささか懸念が残っていた。大事な一人娘に男が出来たとあっては、心中穏やかではないだろう──。
「いい。お前が今行ったら間違いなく頭ブチ抜かれる」
「ブ……ッ!?」
「神保の敷居を跨いだ瞬間が、お前の命日じゃ」
「…………ヤメトキマス」
──デンジャラス。
付き合うだけでも命がけなのに、もし将来、本当に結婚するとなったら一体どうなってしまうのだろうかと考える。
最悪、その時は誉を盾にして乗り込むしかないか──そんな情けない未来を想像し、真一郎は早くも胃が痛くなってきた。
「親父には俺から話を通しておく……あの人にも、暫く気持ちの整理をつける時間をやってくれ」
「ハイ……何卒、何卒よろしくお願いします……!」
「心配せんでええ。お前になんかあれば、今度こそお嬢がどうなるか分からんけぇの」
柴田の射抜くような真剣な眼差しに、真一郎は言葉を失った。
言われずとも、そんなことは痛いほど承知している。誉のこれまでの苦しみを、涙を、近くで見てきた。もう二度と、同じ悲しみを繰り返させてはならない──その決意を心で唱えながら、真一郎は強く拳を握りしめた。
「次、二つ目の条件」
ゴクリ、と喉を鳴らす真一郎が再び身を強張らせると、柴田はふっと目元を和らげた。
「──あの子より先に死んでくれるな、真一郎」
その言葉の重みに、真一郎は息を呑んだ。
いつもは鬼のように強面の柴田が、今まで見たこともないほど穏やかで、温かい笑みを浮かべている。
目の前にいるこの男も極道である前に、娘の幸せを、笑顔を、誰よりも深く案じている一人の父親なのだ。
「はい……!」
真一郎は、まっすぐ柴田の目を見返し、その大きな信頼に応えるように力強く頷いた。
──柴田との緊張の時間を終えた真一郎は、誉の部屋にある透の写真の前で静かに手を合わせていた。
「お仏壇じゃないんだけどな」
隣でその姿を見守っていた誉が、複雑そうに笑う。
「いいんだよ、こういうのは気持ちの問題なんだから」
目を開けた真一郎は、写真の中で優しく笑う兄の瞳を見つめ返した。
──妹のことは、一生をかけて幸せにする。
そんな誓いを胸の中で告げて、ゆっくりと手を下ろした。
「なんて言ったんですか?」
「内緒」
「ええ?気になる」
「んー……誉が二十歳になった時教えてやるよ」
真一郎が意味深に答えた瞬間、誉の頬が赤く色づく。
過剰に反応したその様子を見て、真一郎はすべてを察し、確信犯の笑みを深めた。
「やっぱ誉、さっき柴田さんとの会話聴いてたろ」
「え……!?いや、その……っ」
図星だったらしく、誉はみるみるうちに耳まで真っ赤にして狼狽えはじめた。
「こりゃ盗み聞きする悪いコにはお仕置きだなぁ」
「な……んっ……!?」
誉が抵抗する間もなく、真一郎は華奢な肩を引き寄せ、その唇をそっと塞いだ。
驚きで丸くなっていた誉の瞳が、切なげに熱を帯びていく──唇が離れた後も、部屋の中には甘く切ない余韻が残された。
「あ、ぅ……」
「やっべ……ムラムラしてきた」
「っえ、なっ、なん、な!?」
「嘘嘘、冗談。柴田さんに釘刺されたんだ、約束破ったら間違いなくコ●される」
「……死んじゃいや……」
「うん、分かってる」
その胸に去来したであろう過去のトラウマと不安をすべて消し去るように、真一郎は愛おしさを込めて、その小さな身体を強く優しく腕の中に抱き寄せた。
真一郎の鼓動を確かめるように、誉もまた、彼の背中に細い腕を回して身を委ねた。
「いつか広島行ってみてえなー。親父さんの気持ちの整理とやらがついてたら、誉ん家にも……生きて帰れっかな」
「その時は、柴田も連れて行かなくちゃ」
「えー?寧ろ、柴田さんも共謀してコ●しにかかってきたりして……」
「ダメ!絶対止める!」
「おぅ、めっちゃ期待してる。オレのこと守ってね」
冗談交じりに、そんないつかを想像する。
──幸せそうに抱き合う二人を、写真の中の透が穏やかに見つめていた。
卍おまけ卍
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つい数十分前、仲間たちの前で「一生安全運転」と高らかに宣言したばかりの真一郎だったが、今は後ろで必死にしがみつく誉に急かされ、全力でバイクを飛ばしていた。事故だけは絶対に起こさぬよう安全マージンを保てる限界の速度で夜道を駆け抜ける。
誉に課せられた門限11時まで残りわずか数分──玄関前に滑り込むと、二人は揃って胸を撫で下ろした。
「──ま、間に合ったー!先輩ありがとうございました……!」
「はは……柴田さんも抜かりねぇな」
万が一、1分でも間に合わなかった時は無事では済まなかっただろう──そんな事を考え苦笑いを浮かべる真一郎だったが、ふと隣にいる誉の様子がおかしいことに気がついた。気まずそうに視線を逸らし、何か言いたげにもじもじと指先を動かしている。
真一郎も周りから「分かりやすい男」と散々言われてきたものだが、誉も大概、その内面の感情がそっくりそのまま表に出やすいタイプだ。
「あ、あの……気をつけて帰ってくださいね」
真一郎から見ても、彼女が別れを惜しんでいるのは火を見るより明らかで。
そんな愛おしい顔をされてしまっては、大人しく帰る気なんて失せてしまう。
「待って」
誉がドアノブに手をかけたところで呼び止めると、振り返った瞬間なにか言いかけた唇を塞いだ。
まるで引き止めるような少し甘えた口づけに、誉が息を呑む気配がして、真一郎の胸を小さく押し返してきた。
「っせ、先ぱ……もう、時間が……」
「まだ……もう少しだけ……」
低く切なげに囁きながら、真一郎はさらに距離を詰めた。
困ったようにドアの脇へ一歩下がった誉を追いかけ、もう一歩前へと踏み出す。
真一郎が、逃がすまいとその腰にスルりと手を回した──その時。
「ぐふぉっ!?」
突如、脇から来た凄まじい衝撃波に突き飛ばされた。視界がグラリと回転し、目の前にいたはずの誉の姿が、一瞬で灰色へと変わる。
気がつけば、真一郎は冷たい床の上に這いつくばり、蛙が潰れでもしたような声を漏らしながら悶絶していた。
「し、真一郎先輩!?」
上から降ってきた誉の悲鳴に、真一郎は涙目でなんとか顔を上げた。
どうやら、凄まじい勢いで開いたドアに、完璧なタイミングでド突かれたようだった。直撃した肩骨がバラバラに砕け散ったかと思うほどの激痛が走る。
「──お嬢、1分遅刻」
冷徹極まりない地獄の底からの声に、真一郎と誉はヒッと喉を鳴らす。
開いたドアの方を見上げれば、そこには柴田が腕を組んで仁王立ちをしていた。まるで奈落の底から自分の命を刈り取りに来た閻魔大王かのような、身震いするほどの暗黒の眼光。
向けられたモノホンの殺気に、真一郎は冷や汗を一気に噴き出させて背筋を凍らせた。
「し、柴田……!」
「躾のなってねぇ獣が一匹彷徨いとるのぉ。お嬢、早ぉ中入り」
「し、柴田さん……、冗談抜きで結構痛い……ッ」
「あぁぁぁ先輩大丈夫ですかっ!?」
床に肘と膝をついたまま、生まれたての小鹿のようにプルプルと無様に震える真一郎の元へ、誉が大慌てで駆け寄った。
その手に肩を支えられ、情けない声を漏らしながら何とか立ち上がろうとした真一郎だったが、ふと、自分を見つめる誉の瞳が酷く揺れていることに気がつく。
「先輩、実は……先日柴田に言っちゃって……」
「え……マジ……?」
「真一郎、話がある。明日また出直してこい」
「ハ……ハィ……」
当然、覚悟はしていた。
心配そうに見つめる誉の背を撫でながら「大丈夫だよ」と告げた真一郎は、腹をくくると明日の訪問時間を伝えその場を後にした。
***
──翌日。
柴田は、鋭い眼光で腕を組みソファでふんぞり返っている。ローテーブルを挟んだ正面では、正座をした誉と真一郎が対峙していた。
「……で?まずはお前から俺に言わにゃあいけんことがあるんやないんか、真一郎」
「ハィ……あの、この度誉さんとお付き合いすることになりました……!報告が遅れて申し訳ございませんッ!!」
半ば肺の空気をすべて吐き出すような叫びと共に、真一郎は額を擦り付ける勢いで深く頭を下げた。
「柴田……あんまり先輩いじめないで」
「これは男のケジメとして当然です」
モノホンの殺気に怯える真一郎を横目に、誉はハラハラと心配そうにその様子を交互に窺っていた。
「一応聞くが、お前、組長の娘に唾ぁ付けるんがどういう事か分かっとんよのぉ?」
「だからそういうの止めてって──!」
「オレは、関係ないと思ってます」
強く言い切った声に、誉は思わず視線を向ける。真一郎は、頭を下げたまま間髪入れずに答えた。頭を深く下げたままの姿勢で、その声音は先程までの震えが消え去って低く芯が通っている。
「誉が何処の家の娘でも、オレは絶対好きになってます。たまたまヤクザの娘だったってだけだ」
「先輩……」
真一郎は床を見つめたまま、話を続ける。
「死にたくないけど、誉のこと好きになってから死ぬ覚悟は出来てます……脅されようが、殴られようが、銃ぶっ放されようが、オレは絶対倒れないし、諦めるつもりありません」
──もしも本当に、自分の家のせいでこの人に牙が剥かれるようなら、その時は彼を守るため身を引くべきだ。
誉は心のどこかで、そんな哀しい未来すら覚悟していた。しかし、それとは真逆の覚悟を目の当たりにして思い直す。
もう、逃げてはいけない──命を懸けて戦うと言ってくれた彼の揺るぎない決意に、誉はこれ以上ない程に胸を強く打たれた。
「……お嬢、真一郎と二人で話がしたい。席を外してくれませんか」
「……うん」
なんだかんだと、柴田も真一郎の人柄を買っていることは知っている。ひとまず半殺しの目に遭うことはなさそうで、誉は大人しく柴田の言葉に従った。
***
「真一郎。お前に出す条件が二つある」
──二つ、か。
正面に座る柴田の言葉に、真一郎の背中にドッと冷や汗が流れた。むしろ、たった二つで済むならマシと捉えるべきだろうか。最悪の場合、「ケジメをつけろ」とエンコを詰めさせられたり、目の前に拳銃を置かれてロシアンルーレットを強要されるかもしれない──。
あらゆる最悪の可能性が脳裏を駆け巡り、真一郎は生きた心地がしないまま、喉をゴクリと鳴らして次の言葉を待った。
「一つ目。あの子が成人するまで、絶対に手ぇ出すな」
「……へ?」
あまりにも想定外すぎる要望に、真一郎は思わずバッと顔を上げた。そのままパチクリと目を丸くする。
──手を出すな、とは、つまり男と女の、いわゆる『そういう行為』に及んではならないという意味か。
「お嬢は親父の娘だが、親友から託された大事な預かりものでもある。未成年のうちは俺等が守ってやると誓いを立てとる。じゃけぇ、それまでの間は好き勝手させるわけにいかん──俺の言ってる意味、分かるな?」
「は、はい」
「……反故にした時ぁ、今度こそお前のタマ取るけぇのォ」
「はッ、はははいぃッ!」
柴田の目が、今まで見たこともないほどギラリと狂暴に据わっている。
──これは冗談抜きでガチのやつだ。
真一郎の顔から一瞬で血の気が引いた。思わず自分の股間を庇いたくなる衝動を必死に抑えながら、かねてより気になっていた疑問を恐る恐る口にする。
「あ、あの、柴田さん……オレ、誉の親父さんにも会いに行った方がいいんでしょうか……?」
いくら目の前の保護者(世話役)に付き合う報告をしたとはいえ、肝心の父親を放ったまま話が進んでいることに、いささか懸念が残っていた。大事な一人娘に男が出来たとあっては、心中穏やかではないだろう──。
「いい。お前が今行ったら間違いなく頭ブチ抜かれる」
「ブ……ッ!?」
「神保の敷居を跨いだ瞬間が、お前の命日じゃ」
「…………ヤメトキマス」
──デンジャラス。
付き合うだけでも命がけなのに、もし将来、本当に結婚するとなったら一体どうなってしまうのだろうかと考える。
最悪、その時は誉を盾にして乗り込むしかないか──そんな情けない未来を想像し、真一郎は早くも胃が痛くなってきた。
「親父には俺から話を通しておく……あの人にも、暫く気持ちの整理をつける時間をやってくれ」
「ハイ……何卒、何卒よろしくお願いします……!」
「心配せんでええ。お前になんかあれば、今度こそお嬢がどうなるか分からんけぇの」
柴田の射抜くような真剣な眼差しに、真一郎は言葉を失った。
言われずとも、そんなことは痛いほど承知している。誉のこれまでの苦しみを、涙を、近くで見てきた。もう二度と、同じ悲しみを繰り返させてはならない──その決意を心で唱えながら、真一郎は強く拳を握りしめた。
「次、二つ目の条件」
ゴクリ、と喉を鳴らす真一郎が再び身を強張らせると、柴田はふっと目元を和らげた。
「──あの子より先に死んでくれるな、真一郎」
その言葉の重みに、真一郎は息を呑んだ。
いつもは鬼のように強面の柴田が、今まで見たこともないほど穏やかで、温かい笑みを浮かべている。
目の前にいるこの男も極道である前に、娘の幸せを、笑顔を、誰よりも深く案じている一人の父親なのだ。
「はい……!」
真一郎は、まっすぐ柴田の目を見返し、その大きな信頼に応えるように力強く頷いた。
──柴田との緊張の時間を終えた真一郎は、誉の部屋にある透の写真の前で静かに手を合わせていた。
「お仏壇じゃないんだけどな」
隣でその姿を見守っていた誉が、複雑そうに笑う。
「いいんだよ、こういうのは気持ちの問題なんだから」
目を開けた真一郎は、写真の中で優しく笑う兄の瞳を見つめ返した。
──妹のことは、一生をかけて幸せにする。
そんな誓いを胸の中で告げて、ゆっくりと手を下ろした。
「なんて言ったんですか?」
「内緒」
「ええ?気になる」
「んー……誉が二十歳になった時教えてやるよ」
真一郎が意味深に答えた瞬間、誉の頬が赤く色づく。
過剰に反応したその様子を見て、真一郎はすべてを察し、確信犯の笑みを深めた。
「やっぱ誉、さっき柴田さんとの会話聴いてたろ」
「え……!?いや、その……っ」
図星だったらしく、誉はみるみるうちに耳まで真っ赤にして狼狽えはじめた。
「こりゃ盗み聞きする悪いコにはお仕置きだなぁ」
「な……んっ……!?」
誉が抵抗する間もなく、真一郎は華奢な肩を引き寄せ、その唇をそっと塞いだ。
驚きで丸くなっていた誉の瞳が、切なげに熱を帯びていく──唇が離れた後も、部屋の中には甘く切ない余韻が残された。
「あ、ぅ……」
「やっべ……ムラムラしてきた」
「っえ、なっ、なん、な!?」
「嘘嘘、冗談。柴田さんに釘刺されたんだ、約束破ったら間違いなくコ●される」
「……死んじゃいや……」
「うん、分かってる」
その胸に去来したであろう過去のトラウマと不安をすべて消し去るように、真一郎は愛おしさを込めて、その小さな身体を強く優しく腕の中に抱き寄せた。
真一郎の鼓動を確かめるように、誉もまた、彼の背中に細い腕を回して身を委ねた。
「いつか広島行ってみてえなー。親父さんの気持ちの整理とやらがついてたら、誉ん家にも……生きて帰れっかな」
「その時は、柴田も連れて行かなくちゃ」
「えー?寧ろ、柴田さんも共謀してコ●しにかかってきたりして……」
「ダメ!絶対止める!」
「おぅ、めっちゃ期待してる。オレのこと守ってね」
冗談交じりに、そんないつかを想像する。
──幸せそうに抱き合う二人を、写真の中の透が穏やかに見つめていた。
卍おまけ卍
誉「そう言えば、髪下ろしてる先輩見るのはお泊まりした時以来です」
真一郎「もうフリョーは卒業したかんな」
誉「……そっちの方が……カッコイイ、です……」
真一郎「……っマ、マジぃ!?」
誉「マジ」
真一郎「もうフリョーは卒業したかんな」
誉「……そっちの方が……カッコイイ、です……」
真一郎「……っマ、マジぃ!?」
誉「マジ」
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