本編(改)
Name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
8.Life is impermanence
この学校には、一つ特別な部屋がある。
音楽室とはまた別の、厚い扉と防音材に覆われた場所──軽音楽部の練習室だ。
そこに出入りする生徒の中に、2年の沖田竜也がいる。
彼は、誰に対しても気さくで優しい性格をしており、人と関わることが好きなタイプの人間だった。所謂、人たらし。みんなから好かれるモテ男である。
彼は、文化祭で代役を務めたあの日以来、誉をよく目で追ってくるようになった。別棟を挟んだ向こう側にいても、わざわざ「おーい!」と声を張って呼び止めてくるほどに。
今日も今日とて、誉が中庭のベンチで楽譜とにらめっこしていると、
「──なるべく小ーさな幸せとー なるべく小ーさな不幸せー♪」
「ブルーハーツか。センスいいなぁ」
「わっ!?」
驚きに張った声は、心臓が喉から飛び出る勢いだった。
誉が振り向くと、いつもの柔らかな笑顔を携えた沖田が立っていた。
「えっ、お、沖田先輩……!」
「やっぱ誉ちゃん、イイもん持ってんだよなー」
隣に座りながら、沖田先輩は楽しそうに笑う。
「は、恥ずかし……」
「なんで?堂々と歌いな?」
「いえ、もうあれっきりにしとう存じます……」
「軽音、いつでも歓迎するよ?」
「それだけはご勘弁を……!」
沖田は、事あるごとに軽音に入ろうよと誉を誘ってくる。その度に、どぎまぎと断りを入れる羽目になっていた。
医大を目指す為、勉学に力を入れているから──そう言っているのに、なかなか諦めてはくれないらしい。
「ブルーハーツ、好きなの?」
「わたしが、というか、兄が好きで」
「へぇ。お兄さんいるんだ」
「はい……で、昔、わたしがギター弾けるようになったら弾き語り聴かせてくれって言われたことがあって。今年の春に父からアコギ譲ってもらえたので練習中なんですけど、まだコード覚えるのに必死で……まずは歌の練習を、と」
そう言うと、沖田が満面の笑みを浮かべた。
「ギターの練習、手伝おうか?」
「……えっ?」
「文化祭の礼もしてなかったし。俺、その曲弾けるよ」
「ほ、本当ですか……!?」
思わず勢いがついてしまった。
高まる気持ちに気恥ずかしさを感じて、誉は頬を染めて俯く。
「その代わり──」
ゆったりと溜めがちにそう言われ、反射的に顔を上げれば、目の前の沖田がにこっと笑って、
「もっかい、俺らのバンドで1曲歌って♪」
「……ぇえっ!?」
予想だにしなかった交換条件に、誉は暫し思案する。
身近に、これ以上の適任者はいないだろう。“もう一度ステージに上って歌う”という条件は悩ましいが、これはまたとないチャンスでもある──。
手書きの楽譜を顔の前に掲げた誉は、とうとう沖田を前に首を縦に振ったのだった。
***
──ある日の昼休み。
「……会いてぇ……」
両の手をズボンのポケットに突っ込んだリーゼント男子は、机に顎を乗せながらボヤいた。
真一郎はここ数日、誉と顔を合わせていなかった。バイクで学校に来れば彼女を乗せて帰る日もあるが、それ以外は校内でたまにすれ違うくらい。それすら運悪く、暫くその姿を見ていない。
「っし」
真一郎は、一緒に帰ろうと誘いに行くことにした。今日はバイクに乗ってこなかったが、別になくても誉なら普通に「いいですよ」と言ってくれるはずだ──。断られたことなど無いのだから。
──真一郎が1年の教室を覗くと、こずえの姿を捉えた。
「こずえちゃん。誉は?」
「あ、佐野先輩。中庭に行くって言ってましたけど」
「中庭……?」
真一郎が不思議そうに聞き返すと、
「最近、一人で考え事したいってよく言ってて。先輩なんか聞いてます?」
と言うこずえの言葉に、真一郎は眉を寄せる。
──また何か悩み事か。
「いや、分かった。聞いてみるわ。ありがとう」
そう言って、足早に中庭へと向かった。
***
──その頃誉は、教わったコードを書き加えた楽譜を見ながら、エアーで弦を押さえる練習をしていた。
「じょ、お、ねー、つの……ま、っかな、ばー……」
「誉」
「ぎゃ!」
肩を揺らして驚いた拍子に、誉の膝から楽譜がばさばさと滑り落ちる。
その姿につられ、真一郎も大きく肩を揺らした。
「え……そんなびっくりする?」
「しっ、真一郎先輩……!」
「なにそれ」
指さされた先の楽譜を、誉は慌てて拾い集める。
「こ、こここれは返ってきたミニテストでしてっ!」
と慌てて誤魔化したけれど、
「ふーん」
真一郎は、それをじっと覗きこみながら隣に座る。
誉は、拾った紙を素早く背に隠した──。その様子を不思議そうに見つめながら真一郎が、
「なんで隠すの?」
「えぁー……あんまり結果が良くなくてぇ……」
「良くねーっつってどうせ90点は取ってんだろ?おまえのことだし」
「そ、それがそうでも……」
「あ、分かった。それで落ち込んでたの?」
「え?」
「さっきこずえちゃんから、「一人で考え事したい」って言ってたって聞いたから」
そういえば、こずえにはそういうことにして出てきたような──。
とりあえず誤魔化せていると踏んで、誉はそのまま話を合わせる。
「そんな感じです、ハイ」
「些細なことでも俺に言えって言っただろ?一人で悩むより、口に出しちまった方がスッキリすんだから」
──「助けてやるから」──
そう言った彼の言葉が蘇る。心の奥が暖かく揺れた。
ひだまりの中、真一郎の人懐っこい笑顔を見て、誉も笑う。
「お、そうだ。今日バイクじゃないんだけど、一緒に帰ろうぜ」
「え……」
返答に詰まってしまった。放課後は、沖田とギターの練習をする約束をしているのだ。
真一郎には内緒にしておいてほしい──そう頼みこんで。
「あの、ごめんなさい……。今日は放課後、用事があるんです」
「え……そ、っか。しゃーねーな。……じゃ明日は?」
と真一郎が聞くと、
「明日も、用事が入ってまして……」
「明後日は?」
「明後日も……」
「……」
真一郎の眉がぴくりと動く。腑に落ちないと言わんばかりの感情が顔面に溢れた。
「用事って何?」
「え」
「どっかいくの?」
「いや、どこか行くというほどの」
「じゃあ誰かと会うの?」
「あ、あの先ぱ」
「誰?」
低く凄みのある声だった。
睨むように向けられる視線に、誉の背筋がひゅっと冷える。不穏な気配に、ドッドッと心臓が忙しない音を立てた。
焦る心中で、この場を切り抜ける術を探る──その時、
「俺とデートに行くんだよ。ね?誉ちゃん」
振り向くと、後方から現れた沖田が誉の肩に手を添えていた。
「はぁッ!?」
「お、沖田先輩……!」
「文化祭の時のお礼してなかったからさ。誉ちゃんの行きたいところ行って、好きなもん買ってあげよーって思って」
「そんなんに何で3日もかけんだよ。つーか二人で出かける必要ねーだろッ」
「あれはそれだけの価値があったんだって」
二人の声がぶつかりあい、空気がピリついた。
助け舟を期待したのに、沖田の出現は事態をより悪化させているような──。誉がその成り行きをハラハラと見守っていると、
「てことで、デートプラン練ろっか誉ちゃん♡」
「え、あっ、あの……!」
沖田に促されるまま立ち上がれば、肩を抱かれ中庭を背に歩き出す。
背後で、真一郎の冷えた気配を感じて──誉は不安を抱えたまま、それでもこの場は前へと進むしかなかったのだった。
この学校には、一つ特別な部屋がある。
音楽室とはまた別の、厚い扉と防音材に覆われた場所──軽音楽部の練習室だ。
そこに出入りする生徒の中に、2年の沖田竜也がいる。
彼は、誰に対しても気さくで優しい性格をしており、人と関わることが好きなタイプの人間だった。所謂、人たらし。みんなから好かれるモテ男である。
彼は、文化祭で代役を務めたあの日以来、誉をよく目で追ってくるようになった。別棟を挟んだ向こう側にいても、わざわざ「おーい!」と声を張って呼び止めてくるほどに。
今日も今日とて、誉が中庭のベンチで楽譜とにらめっこしていると、
「──なるべく小ーさな幸せとー なるべく小ーさな不幸せー♪」
「ブルーハーツか。センスいいなぁ」
「わっ!?」
驚きに張った声は、心臓が喉から飛び出る勢いだった。
誉が振り向くと、いつもの柔らかな笑顔を携えた沖田が立っていた。
「えっ、お、沖田先輩……!」
「やっぱ誉ちゃん、イイもん持ってんだよなー」
隣に座りながら、沖田先輩は楽しそうに笑う。
「は、恥ずかし……」
「なんで?堂々と歌いな?」
「いえ、もうあれっきりにしとう存じます……」
「軽音、いつでも歓迎するよ?」
「それだけはご勘弁を……!」
沖田は、事あるごとに軽音に入ろうよと誉を誘ってくる。その度に、どぎまぎと断りを入れる羽目になっていた。
医大を目指す為、勉学に力を入れているから──そう言っているのに、なかなか諦めてはくれないらしい。
「ブルーハーツ、好きなの?」
「わたしが、というか、兄が好きで」
「へぇ。お兄さんいるんだ」
「はい……で、昔、わたしがギター弾けるようになったら弾き語り聴かせてくれって言われたことがあって。今年の春に父からアコギ譲ってもらえたので練習中なんですけど、まだコード覚えるのに必死で……まずは歌の練習を、と」
そう言うと、沖田が満面の笑みを浮かべた。
「ギターの練習、手伝おうか?」
「……えっ?」
「文化祭の礼もしてなかったし。俺、その曲弾けるよ」
「ほ、本当ですか……!?」
思わず勢いがついてしまった。
高まる気持ちに気恥ずかしさを感じて、誉は頬を染めて俯く。
「その代わり──」
ゆったりと溜めがちにそう言われ、反射的に顔を上げれば、目の前の沖田がにこっと笑って、
「もっかい、俺らのバンドで1曲歌って♪」
「……ぇえっ!?」
予想だにしなかった交換条件に、誉は暫し思案する。
身近に、これ以上の適任者はいないだろう。“もう一度ステージに上って歌う”という条件は悩ましいが、これはまたとないチャンスでもある──。
手書きの楽譜を顔の前に掲げた誉は、とうとう沖田を前に首を縦に振ったのだった。
***
──ある日の昼休み。
「……会いてぇ……」
両の手をズボンのポケットに突っ込んだリーゼント男子は、机に顎を乗せながらボヤいた。
真一郎はここ数日、誉と顔を合わせていなかった。バイクで学校に来れば彼女を乗せて帰る日もあるが、それ以外は校内でたまにすれ違うくらい。それすら運悪く、暫くその姿を見ていない。
「っし」
真一郎は、一緒に帰ろうと誘いに行くことにした。今日はバイクに乗ってこなかったが、別になくても誉なら普通に「いいですよ」と言ってくれるはずだ──。断られたことなど無いのだから。
──真一郎が1年の教室を覗くと、こずえの姿を捉えた。
「こずえちゃん。誉は?」
「あ、佐野先輩。中庭に行くって言ってましたけど」
「中庭……?」
真一郎が不思議そうに聞き返すと、
「最近、一人で考え事したいってよく言ってて。先輩なんか聞いてます?」
と言うこずえの言葉に、真一郎は眉を寄せる。
──また何か悩み事か。
「いや、分かった。聞いてみるわ。ありがとう」
そう言って、足早に中庭へと向かった。
***
──その頃誉は、教わったコードを書き加えた楽譜を見ながら、エアーで弦を押さえる練習をしていた。
「じょ、お、ねー、つの……ま、っかな、ばー……」
「誉」
「ぎゃ!」
肩を揺らして驚いた拍子に、誉の膝から楽譜がばさばさと滑り落ちる。
その姿につられ、真一郎も大きく肩を揺らした。
「え……そんなびっくりする?」
「しっ、真一郎先輩……!」
「なにそれ」
指さされた先の楽譜を、誉は慌てて拾い集める。
「こ、こここれは返ってきたミニテストでしてっ!」
と慌てて誤魔化したけれど、
「ふーん」
真一郎は、それをじっと覗きこみながら隣に座る。
誉は、拾った紙を素早く背に隠した──。その様子を不思議そうに見つめながら真一郎が、
「なんで隠すの?」
「えぁー……あんまり結果が良くなくてぇ……」
「良くねーっつってどうせ90点は取ってんだろ?おまえのことだし」
「そ、それがそうでも……」
「あ、分かった。それで落ち込んでたの?」
「え?」
「さっきこずえちゃんから、「一人で考え事したい」って言ってたって聞いたから」
そういえば、こずえにはそういうことにして出てきたような──。
とりあえず誤魔化せていると踏んで、誉はそのまま話を合わせる。
「そんな感じです、ハイ」
「些細なことでも俺に言えって言っただろ?一人で悩むより、口に出しちまった方がスッキリすんだから」
──「助けてやるから」──
そう言った彼の言葉が蘇る。心の奥が暖かく揺れた。
ひだまりの中、真一郎の人懐っこい笑顔を見て、誉も笑う。
「お、そうだ。今日バイクじゃないんだけど、一緒に帰ろうぜ」
「え……」
返答に詰まってしまった。放課後は、沖田とギターの練習をする約束をしているのだ。
真一郎には内緒にしておいてほしい──そう頼みこんで。
「あの、ごめんなさい……。今日は放課後、用事があるんです」
「え……そ、っか。しゃーねーな。……じゃ明日は?」
と真一郎が聞くと、
「明日も、用事が入ってまして……」
「明後日は?」
「明後日も……」
「……」
真一郎の眉がぴくりと動く。腑に落ちないと言わんばかりの感情が顔面に溢れた。
「用事って何?」
「え」
「どっかいくの?」
「いや、どこか行くというほどの」
「じゃあ誰かと会うの?」
「あ、あの先ぱ」
「誰?」
低く凄みのある声だった。
睨むように向けられる視線に、誉の背筋がひゅっと冷える。不穏な気配に、ドッドッと心臓が忙しない音を立てた。
焦る心中で、この場を切り抜ける術を探る──その時、
「俺とデートに行くんだよ。ね?誉ちゃん」
振り向くと、後方から現れた沖田が誉の肩に手を添えていた。
「はぁッ!?」
「お、沖田先輩……!」
「文化祭の時のお礼してなかったからさ。誉ちゃんの行きたいところ行って、好きなもん買ってあげよーって思って」
「そんなんに何で3日もかけんだよ。つーか二人で出かける必要ねーだろッ」
「あれはそれだけの価値があったんだって」
二人の声がぶつかりあい、空気がピリついた。
助け舟を期待したのに、沖田の出現は事態をより悪化させているような──。誉がその成り行きをハラハラと見守っていると、
「てことで、デートプラン練ろっか誉ちゃん♡」
「え、あっ、あの……!」
沖田に促されるまま立ち上がれば、肩を抱かれ中庭を背に歩き出す。
背後で、真一郎の冷えた気配を感じて──誉は不安を抱えたまま、それでもこの場は前へと進むしかなかったのだった。
