本編(改)
Name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
1.First meeting(1)
その日、
人生で初めてできた友達は──不良だった。
ここは、渋谷のとある高校。放課後のチャイムが鳴り響き、校舎の外では生徒たちの笑い声が弾んでいる。
この春、広島から上京したばかりの少女、神保誉は、帰り支度をしていたところ、ヤンチャなクラスメイトに呼び出された。校舎裏という、まるでテンプレートのような場所に──である。
誉の実家は、広島を拠点とする安芸水心会・神保組──。
環境は言うまでもなく特殊で、ヤクザの子というだけで周囲からの風当たりは強かった。
親から言い聞かせられているのだろう。同年代の子たちは、彼女を避けていたし、あるいは陰湿ないじめもあった。
誉に、“友達”と呼べる存在などひとりもいない。だからこそ、高校進学を機に決意したのだ。
自分の素性を隠して、平穏に勉学に励もう──。
誉の夢は、医者になること。そのためにも、波風を立てたくなかった。
「調子乗ってんじゃないわよ!」
だというのに、入学早々この有様である。
訳の分からない因縁をつけられ、いきなり頬を打たれた。赤く腫れ上がった頬がじんじんと痛む。
要約すると、「勉強ができて顔がいいからムカつく」らしい。昭和の学園ドラマも顔負けのくだらなさだ、と誉は思った。
悪目立ちは避けたい──しかし、回避しようにも人数が多すぎなのだ。
女子二人に加え、後ろには五人の他校生らしき男子がいた。ニヤけた顔でこちらを見下ろしている。
何でもいい。隙が欲しい──。
「──おい。お前ら、そこで何やってんだよ」
数メートル先から届いたそれは、救世主の聖なる声に聞こえた。
皆の視線がその声の主へと向かう。誉がこの隙に逃げてしまおうと思った瞬間、
「お、おいヤバいぞ……あれ、佐野真一郎じゃねぇか……!?」
「黒龍 の総長……ッ!この学校だったのかよ!」
「は?何なのよ。あんなの放っといてこの子やっちゃって!」
ざわめく男子生徒たち。彼の、らしき名を聞いた瞬間に、空気は一変した。
「お前らよぉ、女ひとりに寄ってたかって恥ずかしくねぇのかよ」
聖なる声の主──学ラン姿の男子が、鋭い眼差しでこちらを見据えていた。
リーゼントスタイルに固めた前髪、強面──。誉がひと目で分かるほどに喧嘩慣れした佇まいで、彼の威圧感は思わず竦むほどだった。
「黒龍敵に回したら終わりだ。オレら降りるぜ……ッ!」
「ちょ、待ちなさいよ!」
逃げるように散っていく不良たちに、暫く呆気にとられていた誉は、ようやく息をついた。緊張が解け、どっと疲労が押し寄せる。
だが、まずはお礼を言わねばなるまいと何とか歩を進めた。
親譲りの“仁義は通す”という信条は、彼女の中に根づいていた。
「あ、あの、ありがとうございます……!助かりました」
そう声をかけると、
「おう」
彼は、先ほど見せた鋭さとは打って変わって、穏やかな眼差しを向けてきた。
「同じ学校の方……ですよね?」
「うん、2年。あんた1年だろ?」
「はい。あの、大したことはできませんけど、なにかお礼を……」
「あーいいって。アイツらみたいな卑怯なヤツ見ると黙ってらんねぇ性質でさ」
そういって彼は、顔を背けてしまった。照れ隠しなのかと思い窺い見ていると、
「なんだ、その……今日は一人になりたいし……うぅ……っ」
「えっ、え?ど、どうかされたんですか……!?」
突然、彼がうつむき呻き出す。
「ぐす……っ今回もフラれたぁ……。マイちゃぁぁんッ!!」
身も震えるほどの威圧感はどこへやら──。人目も憚らず泣きじゃくる彼を前に、誉はただ呆然と立ち尽くす。
一難去ってまた一難とは、このことか──。
──結局、“ドリンク一杯おごり”で話がつき、二人は近くのファミレスへ向かって歩いていた。
涙と鼻水で顔面が悲惨な彼に、誉はハンカチを差し出した。どうやら、愛の告白19連敗中らしい──。タイミングが悪かったのだ。
「ぐすっ……。悪いな、みっともねぇとこ見せちまって」
「いえ、お気になさらず」
「ありがとな。ハンカチ、洗って返すから」
いや……もうびっちゃびちゃなんで大丈夫です──。ついそう言いかけて、誉はぐっと飲み込んだ。
「あ、……さっきのヤツに殴られたのか……?」
不意の問いかけに誉は一瞬呆けて、それから思い出したように、
「あ、そういえば……いちばん気の強そうな女子の方に」
頬に手を当てると、まだ少しじんじんと痛んだ。
その時、彼の手がそっとその上に重なった。
「まだ痛むか……?」
突然迫った距離に、誉は思わず肩を揺らした。
「……あ、の。大丈夫ですので、その……手を」
「あッ!?ご、ごめん、つい……ッ!」
慌てて手を引っ込めた彼が、照れくさそうに自分の頬を掻いた。
見た目によらず素直に心配してくれるその姿に、少し心が和らいだ。
「えっと……自己紹介まだでしたよね。私、神保誉といいます」
「オレは佐野真一郎。よろしくな」
──佐野真一郎。
先ほどの不良たちが口にしていた名だ。誉は、あのとき聞いた言葉を思い出す。
「そういえば、さっき“ブラック”……なんとかっ、て聞こえたんですけど、何のことですか?」
「……あー。それ、黒龍。オレのチームの名前」
そういった彼は、バイクを吹かす仕草をして苦笑した。
「オレの、チーム……?」
この日、最悪のトラブルから救ってくれたリーゼントのヒーローは、
暴走族の総長をしている男だった。
──ファミレスで注文を済ませ、やっと一息ついた頃、
「──神保はオレのこと怖くねーの?」
正面に座る彼からそんな質問をされた。
誉を輩から助けてくれたヒーローは、黒龍なる暴走族の総長だ、と名乗った。聞けば、この渋谷界隈を賑わす大きなチームだという。
誉からしてみれば、その辺のヤンキーなんてかわいい犬猫のような感覚に近かった。実家には、もっと強面の人たちがいるのだ──。
「驚きましたけど……先輩は助けてくれたし、悪い人ではないです。よね……?」
「ふーん。オレの周りのやつらはさ、わざわざ近づいてくる奴あんまいないし。特に女子は……神保は変わってんな」
真一郎の言葉を聞いて、ツッコミを入れずにはいられなかった。自覚があるのに、よくもまぁ19回も告白に挑み続けてきたものだ──と。
こんな人物が本当に暴走族の頭をしているのだろうか──誉の中で、疑わしさは益々強まるばかりだった。
「今日絡んできたヤツら、いつもあーなの?」
注文したドリンクが運ばれてきたところで、真一郎が先ほどの出来事について尋ねてきた。
誉は、コーヒーに砂糖を入れながら正面を向く。眼の前には、ガラスコップの中を細かな気泡がとめどなく湧き上がっていた。
コーラとは、いかにも男子学生好みのチョイスである。
「あの女子二人は数日前から……。あんな数で囲まれたのは今日が初めてで。後ろにいた男子生徒は他校の不良かな」
「やっぱそうか。何人かどっかで見たことある面だったんだよ。めんどくせーのに目ぇつけられたな」
「やっぱそうですよね……」
とぼやき、盛大なため息をついて誉は項垂れた。
「せっかく上京までしてきたのに……」
「なに。神保って越してきたの?」
「はい、広島から。こっちの高校に通う為に先月」
「へー。親の都合?」
と真一郎が更に問いかけてきて、誉は一瞬だけ言い淀んだ。
家のことに触れなければ問題ないか──そう思い、当たり障り無い内容で、
「いえ、一人で……わたし、医者になりたいんです」
誉がそう答えると、真一郎は目を見開き、ほー、と物珍しそうな視線を向けてきた。
医者を目指しているなんて、家族以外の人間に話したのは初めてだった。普段なら、初対面の人に言うことなどあり得ない。
しかし、不思議と彼には話してもいいと思えた。取り囲んできたヤツらのことを「卑怯だ」と言った彼の信念が、垣間見えた人柄が嫌いじゃなかったから。
「わたし、家族が仕事柄怪我が多くて。そんな姿見てたら、わたしが治してあげられたら……って思ったんです。だから、親戚が近くにいる渋谷の特進クラスがある学校を選んで入りました」
「すげーじゃん!めちゃくちゃ勉強しないとだな」
真一郎は、特に疑うこともなく納得した様子だった。ひとまず下手に深掘りされることはなく、誉は心の中で安堵する。
「はい。広島では落ち着いて勉強できそうになくて。こっちに来てみたんですが……出鼻くじかれた気分です」
「あはは。なるほどね、それは困ったな」
笑い事ではないのです、佐野真一郎さん──。誉がコーヒーに一口つけながら彼を見ると、なにやら真面目な顔つきをしていた。顎に手を当て、考える仕草をみせる姿を不思議に思って見ていると、暫くして彼が、
「なぁ。オレがお前の傍にいてやろうか」
「……はい?」
「たぶん、虫よけくらいにはなれると思うぜ」
「と、と言いますと……?」
突然の提案に、誉が目を丸くしていると、
「その辺のヤツらなら、今日みたいにビビって逃げ出してくれれば儲けもんだろ?オレ、神保のこと応援したくなったからさ」
「い、いや、でもこれ以上ご迷惑になることは……」
「言っただろ?応援してぇって。オレが好きでやりたいんだって。悪い話じゃないと思うけど」
誉は、呆気にとられた。
確かに、また絡まれる可能性は否定できない。何か手を打たなければならないのも事実。佐野真一郎の存在をチラつかせれば、もう無理な突っかかりはしてこないだろう。言われた通り、彼の好意に甘えてみるのもいいかもしれない──。なにより、余計なことを考えなくて済むなら好都合である。
「……じゃあ、お願いしよう、かな……?」
「おう!任せろ」
「でも、傍にいるって、ずっとついててもらうわけにいきませんよね……?」
「ああ。ま、とりあえずはオレたちがダチってことをアピールすりゃあいい」
イタズラっ子のような顔をした佐野真一郎が、無邪気に答えた。
よく考えれば、ちょっとした有名人であるこの人の友達になったら、別の意味で絡まれる可能性が出てきやしないか──?そんな心配事が頭を過る。
しかし、他に有効な手も思いつく訳もなく。こうなったら、もうこの流れに乗るしかない。
「じゃあ、その。お、お友達ってことで……よろしくお願いします。佐野先輩」
その日、
人生で初めてできた友達は──不良だった。
ここは、渋谷のとある高校。放課後のチャイムが鳴り響き、校舎の外では生徒たちの笑い声が弾んでいる。
この春、広島から上京したばかりの少女、神保誉は、帰り支度をしていたところ、ヤンチャなクラスメイトに呼び出された。校舎裏という、まるでテンプレートのような場所に──である。
誉の実家は、広島を拠点とする安芸水心会・神保組──。
環境は言うまでもなく特殊で、ヤクザの子というだけで周囲からの風当たりは強かった。
親から言い聞かせられているのだろう。同年代の子たちは、彼女を避けていたし、あるいは陰湿ないじめもあった。
誉に、“友達”と呼べる存在などひとりもいない。だからこそ、高校進学を機に決意したのだ。
自分の素性を隠して、平穏に勉学に励もう──。
誉の夢は、医者になること。そのためにも、波風を立てたくなかった。
「調子乗ってんじゃないわよ!」
だというのに、入学早々この有様である。
訳の分からない因縁をつけられ、いきなり頬を打たれた。赤く腫れ上がった頬がじんじんと痛む。
要約すると、「勉強ができて顔がいいからムカつく」らしい。昭和の学園ドラマも顔負けのくだらなさだ、と誉は思った。
悪目立ちは避けたい──しかし、回避しようにも人数が多すぎなのだ。
女子二人に加え、後ろには五人の他校生らしき男子がいた。ニヤけた顔でこちらを見下ろしている。
何でもいい。隙が欲しい──。
「──おい。お前ら、そこで何やってんだよ」
数メートル先から届いたそれは、救世主の聖なる声に聞こえた。
皆の視線がその声の主へと向かう。誉がこの隙に逃げてしまおうと思った瞬間、
「お、おいヤバいぞ……あれ、佐野真一郎じゃねぇか……!?」
「
「は?何なのよ。あんなの放っといてこの子やっちゃって!」
ざわめく男子生徒たち。彼の、らしき名を聞いた瞬間に、空気は一変した。
「お前らよぉ、女ひとりに寄ってたかって恥ずかしくねぇのかよ」
聖なる声の主──学ラン姿の男子が、鋭い眼差しでこちらを見据えていた。
リーゼントスタイルに固めた前髪、強面──。誉がひと目で分かるほどに喧嘩慣れした佇まいで、彼の威圧感は思わず竦むほどだった。
「黒龍敵に回したら終わりだ。オレら降りるぜ……ッ!」
「ちょ、待ちなさいよ!」
逃げるように散っていく不良たちに、暫く呆気にとられていた誉は、ようやく息をついた。緊張が解け、どっと疲労が押し寄せる。
だが、まずはお礼を言わねばなるまいと何とか歩を進めた。
親譲りの“仁義は通す”という信条は、彼女の中に根づいていた。
「あ、あの、ありがとうございます……!助かりました」
そう声をかけると、
「おう」
彼は、先ほど見せた鋭さとは打って変わって、穏やかな眼差しを向けてきた。
「同じ学校の方……ですよね?」
「うん、2年。あんた1年だろ?」
「はい。あの、大したことはできませんけど、なにかお礼を……」
「あーいいって。アイツらみたいな卑怯なヤツ見ると黙ってらんねぇ性質でさ」
そういって彼は、顔を背けてしまった。照れ隠しなのかと思い窺い見ていると、
「なんだ、その……今日は一人になりたいし……うぅ……っ」
「えっ、え?ど、どうかされたんですか……!?」
突然、彼がうつむき呻き出す。
「ぐす……っ今回もフラれたぁ……。マイちゃぁぁんッ!!」
身も震えるほどの威圧感はどこへやら──。人目も憚らず泣きじゃくる彼を前に、誉はただ呆然と立ち尽くす。
一難去ってまた一難とは、このことか──。
──結局、“ドリンク一杯おごり”で話がつき、二人は近くのファミレスへ向かって歩いていた。
涙と鼻水で顔面が悲惨な彼に、誉はハンカチを差し出した。どうやら、愛の告白19連敗中らしい──。タイミングが悪かったのだ。
「ぐすっ……。悪いな、みっともねぇとこ見せちまって」
「いえ、お気になさらず」
「ありがとな。ハンカチ、洗って返すから」
いや……もうびっちゃびちゃなんで大丈夫です──。ついそう言いかけて、誉はぐっと飲み込んだ。
「あ、……さっきのヤツに殴られたのか……?」
不意の問いかけに誉は一瞬呆けて、それから思い出したように、
「あ、そういえば……いちばん気の強そうな女子の方に」
頬に手を当てると、まだ少しじんじんと痛んだ。
その時、彼の手がそっとその上に重なった。
「まだ痛むか……?」
突然迫った距離に、誉は思わず肩を揺らした。
「……あ、の。大丈夫ですので、その……手を」
「あッ!?ご、ごめん、つい……ッ!」
慌てて手を引っ込めた彼が、照れくさそうに自分の頬を掻いた。
見た目によらず素直に心配してくれるその姿に、少し心が和らいだ。
「えっと……自己紹介まだでしたよね。私、神保誉といいます」
「オレは佐野真一郎。よろしくな」
──佐野真一郎。
先ほどの不良たちが口にしていた名だ。誉は、あのとき聞いた言葉を思い出す。
「そういえば、さっき“ブラック”……なんとかっ、て聞こえたんですけど、何のことですか?」
「……あー。それ、黒龍。オレのチームの名前」
そういった彼は、バイクを吹かす仕草をして苦笑した。
「オレの、チーム……?」
この日、最悪のトラブルから救ってくれたリーゼントのヒーローは、
暴走族の総長をしている男だった。
──ファミレスで注文を済ませ、やっと一息ついた頃、
「──神保はオレのこと怖くねーの?」
正面に座る彼からそんな質問をされた。
誉を輩から助けてくれたヒーローは、黒龍なる暴走族の総長だ、と名乗った。聞けば、この渋谷界隈を賑わす大きなチームだという。
誉からしてみれば、その辺のヤンキーなんてかわいい犬猫のような感覚に近かった。実家には、もっと強面の人たちがいるのだ──。
「驚きましたけど……先輩は助けてくれたし、悪い人ではないです。よね……?」
「ふーん。オレの周りのやつらはさ、わざわざ近づいてくる奴あんまいないし。特に女子は……神保は変わってんな」
真一郎の言葉を聞いて、ツッコミを入れずにはいられなかった。自覚があるのに、よくもまぁ19回も告白に挑み続けてきたものだ──と。
こんな人物が本当に暴走族の頭をしているのだろうか──誉の中で、疑わしさは益々強まるばかりだった。
「今日絡んできたヤツら、いつもあーなの?」
注文したドリンクが運ばれてきたところで、真一郎が先ほどの出来事について尋ねてきた。
誉は、コーヒーに砂糖を入れながら正面を向く。眼の前には、ガラスコップの中を細かな気泡がとめどなく湧き上がっていた。
コーラとは、いかにも男子学生好みのチョイスである。
「あの女子二人は数日前から……。あんな数で囲まれたのは今日が初めてで。後ろにいた男子生徒は他校の不良かな」
「やっぱそうか。何人かどっかで見たことある面だったんだよ。めんどくせーのに目ぇつけられたな」
「やっぱそうですよね……」
とぼやき、盛大なため息をついて誉は項垂れた。
「せっかく上京までしてきたのに……」
「なに。神保って越してきたの?」
「はい、広島から。こっちの高校に通う為に先月」
「へー。親の都合?」
と真一郎が更に問いかけてきて、誉は一瞬だけ言い淀んだ。
家のことに触れなければ問題ないか──そう思い、当たり障り無い内容で、
「いえ、一人で……わたし、医者になりたいんです」
誉がそう答えると、真一郎は目を見開き、ほー、と物珍しそうな視線を向けてきた。
医者を目指しているなんて、家族以外の人間に話したのは初めてだった。普段なら、初対面の人に言うことなどあり得ない。
しかし、不思議と彼には話してもいいと思えた。取り囲んできたヤツらのことを「卑怯だ」と言った彼の信念が、垣間見えた人柄が嫌いじゃなかったから。
「わたし、家族が仕事柄怪我が多くて。そんな姿見てたら、わたしが治してあげられたら……って思ったんです。だから、親戚が近くにいる渋谷の特進クラスがある学校を選んで入りました」
「すげーじゃん!めちゃくちゃ勉強しないとだな」
真一郎は、特に疑うこともなく納得した様子だった。ひとまず下手に深掘りされることはなく、誉は心の中で安堵する。
「はい。広島では落ち着いて勉強できそうになくて。こっちに来てみたんですが……出鼻くじかれた気分です」
「あはは。なるほどね、それは困ったな」
笑い事ではないのです、佐野真一郎さん──。誉がコーヒーに一口つけながら彼を見ると、なにやら真面目な顔つきをしていた。顎に手を当て、考える仕草をみせる姿を不思議に思って見ていると、暫くして彼が、
「なぁ。オレがお前の傍にいてやろうか」
「……はい?」
「たぶん、虫よけくらいにはなれると思うぜ」
「と、と言いますと……?」
突然の提案に、誉が目を丸くしていると、
「その辺のヤツらなら、今日みたいにビビって逃げ出してくれれば儲けもんだろ?オレ、神保のこと応援したくなったからさ」
「い、いや、でもこれ以上ご迷惑になることは……」
「言っただろ?応援してぇって。オレが好きでやりたいんだって。悪い話じゃないと思うけど」
誉は、呆気にとられた。
確かに、また絡まれる可能性は否定できない。何か手を打たなければならないのも事実。佐野真一郎の存在をチラつかせれば、もう無理な突っかかりはしてこないだろう。言われた通り、彼の好意に甘えてみるのもいいかもしれない──。なにより、余計なことを考えなくて済むなら好都合である。
「……じゃあ、お願いしよう、かな……?」
「おう!任せろ」
「でも、傍にいるって、ずっとついててもらうわけにいきませんよね……?」
「ああ。ま、とりあえずはオレたちがダチってことをアピールすりゃあいい」
イタズラっ子のような顔をした佐野真一郎が、無邪気に答えた。
よく考えれば、ちょっとした有名人であるこの人の友達になったら、別の意味で絡まれる可能性が出てきやしないか──?そんな心配事が頭を過る。
しかし、他に有効な手も思いつく訳もなく。こうなったら、もうこの流れに乗るしかない。
「じゃあ、その。お、お友達ってことで……よろしくお願いします。佐野先輩」
1/22ページ
