本編
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保護(三)
「中々戻らないと思ったら……」
面会室にいた鯉登と菊乃の元へ、呆れ顔の月島が現れた。二人は、陽の差し込む窓辺で緩やかに茶をすすっていた。目の前には、湯気の立つ湯呑と並べられた茶菓子が堂々と鎮座している。
「そろそろ仕事してください」
「しているではないか。菊乃に兵舎内を案内しているところだぞ」
きっぱりと言い返した鯉登に、月島の目が細くなる。どう見ても仕事中の雰囲気ではない、と言いたげに軍帽の影から冷たい視線を向けている。暫し沈黙ののち、菓子皿に置かれた饅頭を一瞥した。
「私には、案内の途中でくつろいでるだけに見えますが」
「ここは広いんだから休憩も必要だっ」
「いつまでも少尉殿がうろうろしていると下の者たちが萎縮します早く戻ってください」
「きぇぇっ!」
微笑ましいやり取りに、菊乃は思わず小さく笑った。鯉登の方が階級は上でも、年齢も軍歴も月島の方が上だ。どこか兄弟のようであり、子どもを窘める父親のようでもある。
「菊乃さん。笑い事ではありません」
「ふふ、ごめんなさい。じゃあ、私はそろそろ戻りましょうね」
「む。歩いて疲れただろう。ここでもう少し休めばいいっ」
席を立とうとする菊乃に、口を尖らせた鯉登が名残惜しげに言った。どこか駄々をこねる子どものような口調に微笑みながら、菊乃はふいに眉根を下げてためらいがちに、
「あ、でも私このままじゃやることなさそうで……何かお手伝いできることってないでしょうか?」
菊乃の声に滲む切実さに、鯉登と月島が思わず顔を見合わせて、
「手伝い……?」
「と、言われましても……」
曖昧に返す二人に、菊乃は真剣な眼差しを向ける。あの大きな建物で一日中、一人きりで籠らないといけない。一度は了承したものの、見張りを立てられ自由に身動きが取れないとあっては、やはり窮屈だ。
書物くらい貸してもらえるだろうし、持参した刺繍でもしていれば時間は潰せる。けれど、何か頼まれ事の一つ二つ──欲を言えば、人と関わることをさせてもらえれば、鬱屈することもないのだろうが。
菊乃が二人の様子を窺うと、何かないかと思案を巡らせている。
暫しの後、「あ」と小さく声を上げた月島が菊乃に訊ねた。
「菊乃さん。そろばんは使えますか?」
「はい。使えますけど」
菊乃が首を傾げつつ答えると、月島は頷いた。
「では、兵舎で出す食事の献立表を作成していただけませんか?」
思いがけない依頼に、菊乃はきょとんとした。てっきり掃除や洗濯、縫い物といった雑務を想像していたのだ。
「お食事の、献立?」
「ええ。聯隊の兵舎ごとに予算が決まっていて、献立も自分たちで考えて作るんです。毎日三食、変わり映えしないとたまに不満を漏らす奴もいたり、地味に頭を悩ませる仕事でして」
「なるほど……」
男所帯で自ら食事を考えているとは思わなかった。菊乃は感心しながら、相槌を打つ。
「それはいいな!菊乃なら、様々な食事を見てきているものな」
鯉登が嬉しそうに言うと、月島も真面目な顔で頷いた。
「いかがでしょう?」
二人の眼差しに、菊乃は心が躍った。ここで役に立てるかもしれないことが、単純に嬉しかった。
「はい!やります!」
思わず弾んだ声に、二人は穏やかに微笑んで応えてくれた。
──献立は、経理担当者が週ごとに七日分を考える決まりになっていた。菊乃は早速、来週分の献立作りから取り掛かった。
机の上に過去の献立表を並べ、食材の種類と配分を細かく確認していく。手元のそろばんを弾きながら、予算と照らし合わせつつ、人数分の分量も慎重に計算する。炊爨の実情を知らぬ身で最初は戸惑いもあったが、数字と材料を見ていくうちに自然と段取りが見えてきた。
そんな中、何より驚いたのは使われる米の量だった。一人あたり、二合は優に食べられる程度が確保されているという。「毎日、米が食えるから入った」という兵士もいると聞き、思わず目を丸くした。贅沢ではなく、生きるための切実な動機。料亭での優雅な食事とは別の意味で、食の持つ力を改めて思い知らされる。
ただ、一つだけ残念なことがあった。平時の将校たちは、兵舎の食事を口にしないという。通常、彼らは外で食事をとったり出前を頼んだりすものらしい──当然、鯉登も例外ではない。
自分が考えた献立の味を、彼がどう感じるのか知りたかったけれど仕方が無い。まずは月島から意見を聞いて、改善の糸口を探ればいい──。
そう思うと、再び菊乃の胸に熱が灯る。鉛筆を握りしめる手に力がこもった。
「──これはすごいな」
──翌日。仕上がった献立表を手にした経理担当兵が目を見開いた。思わず漏れた声に、菊乃は身構える。
「作り方と盛り付け例を別紙にまとめました。……参考になりますでしょうか?」
「へぇ……。これはありがたい。栄養素も申し分無いし、問題なく主任に通してもらえそうですよ」
驚きと感嘆の意が現れていた。思わず唸るような声と共に、彼の紙をめくる指が止まる。
「これ魁燿亭でも似たようなの出すんでしょ?憧れるよ、ほんと」
「店の味と全く同じ、とはいかないんですけどね。小樽にお越しの際は、是非お店へいらしてください」
菊乃が柔らかく笑みを浮かべて言うと、兵は少し困ったように眉を下げた。
「私の給金じゃあ、とてもとても」
「じゃあ、鯉登さんに連れて行ってもらってください」
「いや、こりゃ参ったな」
はっはっは、と肩を揺らして笑う経理兵に、菊乃も自然と笑みを返す。朗らかで気取らぬその人柄に、胸の緊張が解けた。
こうして、菊乃案の献立は無事採用となったのだった。
🌙side story🌙
「……で。何故こんなところにいらっしゃるのですか、少尉殿」
薄曇りの夕刻。
食事の時間になり下士居室へとやってきた月島が、異様な空気を察して足を止めた。
ざわめきの中心──入り口前に、鯉登が立っていた。腕を組み、仏頂面で仁王立ちしている姿は、まるで衛兵のようであった。
聞けば「月島を待っていたのだ」という。
「私も、菊乃の飯が食べたい」
堂々と言い放った一言に月島は、「菊乃が作ったわけではないのだが──」と口から出かかって言葉を引っ込めた。鯉登の様子に、いつになく意地のようなものを感じた。
そのうち、鯉登が肩に縋りついてきて、
「な~月島ぁんっ」
「……」
面倒くさい。と心中でだけ呟いて、配膳担当者に「鯉登少尉殿にも盛って差し上げろ」と指示すると、月島は自ら先導し奥の角席へと向かうのだった。
「中々戻らないと思ったら……」
面会室にいた鯉登と菊乃の元へ、呆れ顔の月島が現れた。二人は、陽の差し込む窓辺で緩やかに茶をすすっていた。目の前には、湯気の立つ湯呑と並べられた茶菓子が堂々と鎮座している。
「そろそろ仕事してください」
「しているではないか。菊乃に兵舎内を案内しているところだぞ」
きっぱりと言い返した鯉登に、月島の目が細くなる。どう見ても仕事中の雰囲気ではない、と言いたげに軍帽の影から冷たい視線を向けている。暫し沈黙ののち、菓子皿に置かれた饅頭を一瞥した。
「私には、案内の途中でくつろいでるだけに見えますが」
「ここは広いんだから休憩も必要だっ」
「いつまでも少尉殿がうろうろしていると下の者たちが萎縮します早く戻ってください」
「きぇぇっ!」
微笑ましいやり取りに、菊乃は思わず小さく笑った。鯉登の方が階級は上でも、年齢も軍歴も月島の方が上だ。どこか兄弟のようであり、子どもを窘める父親のようでもある。
「菊乃さん。笑い事ではありません」
「ふふ、ごめんなさい。じゃあ、私はそろそろ戻りましょうね」
「む。歩いて疲れただろう。ここでもう少し休めばいいっ」
席を立とうとする菊乃に、口を尖らせた鯉登が名残惜しげに言った。どこか駄々をこねる子どものような口調に微笑みながら、菊乃はふいに眉根を下げてためらいがちに、
「あ、でも私このままじゃやることなさそうで……何かお手伝いできることってないでしょうか?」
菊乃の声に滲む切実さに、鯉登と月島が思わず顔を見合わせて、
「手伝い……?」
「と、言われましても……」
曖昧に返す二人に、菊乃は真剣な眼差しを向ける。あの大きな建物で一日中、一人きりで籠らないといけない。一度は了承したものの、見張りを立てられ自由に身動きが取れないとあっては、やはり窮屈だ。
書物くらい貸してもらえるだろうし、持参した刺繍でもしていれば時間は潰せる。けれど、何か頼まれ事の一つ二つ──欲を言えば、人と関わることをさせてもらえれば、鬱屈することもないのだろうが。
菊乃が二人の様子を窺うと、何かないかと思案を巡らせている。
暫しの後、「あ」と小さく声を上げた月島が菊乃に訊ねた。
「菊乃さん。そろばんは使えますか?」
「はい。使えますけど」
菊乃が首を傾げつつ答えると、月島は頷いた。
「では、兵舎で出す食事の献立表を作成していただけませんか?」
思いがけない依頼に、菊乃はきょとんとした。てっきり掃除や洗濯、縫い物といった雑務を想像していたのだ。
「お食事の、献立?」
「ええ。聯隊の兵舎ごとに予算が決まっていて、献立も自分たちで考えて作るんです。毎日三食、変わり映えしないとたまに不満を漏らす奴もいたり、地味に頭を悩ませる仕事でして」
「なるほど……」
男所帯で自ら食事を考えているとは思わなかった。菊乃は感心しながら、相槌を打つ。
「それはいいな!菊乃なら、様々な食事を見てきているものな」
鯉登が嬉しそうに言うと、月島も真面目な顔で頷いた。
「いかがでしょう?」
二人の眼差しに、菊乃は心が躍った。ここで役に立てるかもしれないことが、単純に嬉しかった。
「はい!やります!」
思わず弾んだ声に、二人は穏やかに微笑んで応えてくれた。
──献立は、経理担当者が週ごとに七日分を考える決まりになっていた。菊乃は早速、来週分の献立作りから取り掛かった。
机の上に過去の献立表を並べ、食材の種類と配分を細かく確認していく。手元のそろばんを弾きながら、予算と照らし合わせつつ、人数分の分量も慎重に計算する。炊爨の実情を知らぬ身で最初は戸惑いもあったが、数字と材料を見ていくうちに自然と段取りが見えてきた。
そんな中、何より驚いたのは使われる米の量だった。一人あたり、二合は優に食べられる程度が確保されているという。「毎日、米が食えるから入った」という兵士もいると聞き、思わず目を丸くした。贅沢ではなく、生きるための切実な動機。料亭での優雅な食事とは別の意味で、食の持つ力を改めて思い知らされる。
ただ、一つだけ残念なことがあった。平時の将校たちは、兵舎の食事を口にしないという。通常、彼らは外で食事をとったり出前を頼んだりすものらしい──当然、鯉登も例外ではない。
自分が考えた献立の味を、彼がどう感じるのか知りたかったけれど仕方が無い。まずは月島から意見を聞いて、改善の糸口を探ればいい──。
そう思うと、再び菊乃の胸に熱が灯る。鉛筆を握りしめる手に力がこもった。
「──これはすごいな」
──翌日。仕上がった献立表を手にした経理担当兵が目を見開いた。思わず漏れた声に、菊乃は身構える。
「作り方と盛り付け例を別紙にまとめました。……参考になりますでしょうか?」
「へぇ……。これはありがたい。栄養素も申し分無いし、問題なく主任に通してもらえそうですよ」
驚きと感嘆の意が現れていた。思わず唸るような声と共に、彼の紙をめくる指が止まる。
「これ魁燿亭でも似たようなの出すんでしょ?憧れるよ、ほんと」
「店の味と全く同じ、とはいかないんですけどね。小樽にお越しの際は、是非お店へいらしてください」
菊乃が柔らかく笑みを浮かべて言うと、兵は少し困ったように眉を下げた。
「私の給金じゃあ、とてもとても」
「じゃあ、鯉登さんに連れて行ってもらってください」
「いや、こりゃ参ったな」
はっはっは、と肩を揺らして笑う経理兵に、菊乃も自然と笑みを返す。朗らかで気取らぬその人柄に、胸の緊張が解けた。
こうして、菊乃案の献立は無事採用となったのだった。
🌙side story🌙
「……で。何故こんなところにいらっしゃるのですか、少尉殿」
薄曇りの夕刻。
食事の時間になり下士居室へとやってきた月島が、異様な空気を察して足を止めた。
ざわめきの中心──入り口前に、鯉登が立っていた。腕を組み、仏頂面で仁王立ちしている姿は、まるで衛兵のようであった。
聞けば「月島を待っていたのだ」という。
「私も、菊乃の飯が食べたい」
堂々と言い放った一言に月島は、「菊乃が作ったわけではないのだが──」と口から出かかって言葉を引っ込めた。鯉登の様子に、いつになく意地のようなものを感じた。
そのうち、鯉登が肩に縋りついてきて、
「な~月島ぁんっ」
「……」
面倒くさい。と心中でだけ呟いて、配膳担当者に「鯉登少尉殿にも盛って差し上げろ」と指示すると、月島は自ら先導し奥の角席へと向かうのだった。
