本編
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養子(二)
────バァンッ!
突如、二度目の銃声が鳴り響き、鈍い呻きが鼓膜を震わせた。
芹沢がよろけた勢いに押され、菊乃は膝から崩れた。何が起きたのか分からぬまま恐る恐る顔を上げると、視界の片隅で倉庫の出口が大きく開く。外光が差し込んだことで、薄暗い中そこに立つ人影が輪郭ごと浮かび上がった。
「随分と卑劣な真似をしてくれたな……芹沢ァッ!!」
拳銃を握った鯉登の怒号が、倉庫の中に轟いた。
菊乃は、目玉がこぼれ落ちるんじゃないかというほどに瞼を大きく開いた。縁を切る覚悟だった己の決断が、その姿を捉えた瞬間に容易くも解け落ちる。
「鯉、登……さん……っ」
「つ゛……っ」
芹沢は肩から血を滴らせ、呻きながら膝をついた。鯉登の隣には月島が拳銃を構え、殺気を放っているのが見える。
「お前等……ッ!この私に向かって、タダで済むと思ってんのかァッ!?」
「芹沢少将。菊乃さんへの不敬、到底見過ごすわけにはいきません」
芹沢が錯乱した声を上げる中、月島の声は冷たく毅然としていた。
「ッはぁ?私はこの娘がここに不法侵入していたところを尋問していただけだ……ッ、何が悪い!?」
「“有坂閣下のご令嬢”に向かって、これ以上の無礼を働くおつもりですか?」
月島の声が低く響く。言葉は淡々としているのに、それは刃のように鋭かった。
「……え……?」
彼の放った言葉は信じがたいもので、菊乃は思わず瞳を揺らした。閉口している芹沢を見ると、微動だにせず肩口から滴る赤が床を濡らしている。彼も、この場で起こっていることを掴みきれていない様子で、ただ驚愕の表情を浮かべていた。
更に外が騒がしくなり、足音が次々と迫る。数人の兵士たちが雪崩れ込むように現れ、じりじりと距離を詰めてきた。芹沢が立ち上がろうとすると、乾いた銃声と共に膝を撃たれた身体は床へと崩れ落ちる。
直後、兵士たちが左右に割れ、開けられた道の先から老将が姿を現した。
「やぁッ!随分と探したよ芹沢くんッ!!」
この場に似つかわしくない飄々とした口調に、庫内の空気が色を変えた。
「……ッ、なんでアンタがここにいる……ッ!?」
「最近、“暁星”なる密命組織の存在について言及する輩がいる……という噂を耳にしてねッ。本部に確認を取ったッ!」
彼の声は捉えどころがなく、しかしその中には不思議と威厳が宿っている。
「大臣からの正式な回答だッ。──『密命組織など我が国に存在しない』『工作計画が実行された事実もなし』ッ!!」
その宣言に、芹沢の顔色が変わる。彼が虚を突かれる中、鯉登と月島が有坂の後方に並んだ。
「有りもしない偽りを振りかざし菊乃を傷つけた……タダで済むと思うな」
「まさか、あれを……ッ!?」
それ以上言葉を探す間もなく、芹沢は兵士たちに取り押さえられた。
あっという間の出来事に、菊乃は放心していた。ただ、座り込み震えながらも、危険が去ったことだけをかろうじて飲み込む。
暫しふらつかせていた視線の先で、強い眼差しが自分を捉えているのに気づく。沈痛な表情をしながらも、その瞳の奥に安堵の光を携えていた。
張りつめていたものが一気に切れる。涙が菊乃の視界を滲ませ、立ち上がった瞬間もう堪えきれなかった。
一度は手放して、それでもずっとこの瞬間を望んでいた。菊乃は、ふらつきながら一直線に鯉登の胸へ飛び込みその温もりに縋る。嗚咽混じりに軍服を掴み、声を絞り出した。
「……っ、ごめっ、ごめん、なさい……!ごめんなさい……っ!」
震える身体を抱きしめ返した鯉登は、深く息を吐いた。
「謝るべきは私のほうだ。私が不甲斐ないばかりに菊乃を不安にさせた……本当に、すまなかった」
菊乃は首を大きく振った。彼は何も悪くない。責められるべきは不義理を働いた自分だ──。
「……絵本に、隠されていた」
鯉登の言葉は、菊乃の息が落ち着きを取り戻したのを見計らってぼそりと零れた。
菊乃は、はっと顔を上げて、
「……指令、文……?」
呟くように小さく、しかし確かな声で問い返す。
一瞬目を見開いた鯉登は、苦悶の表情を浮かべ、それでも強く頷いた。
「菊乃ちゃーん!」
その時、強く名を呼ぶ声が菊乃の刻を巻き戻す。今はっきりと思い出した。ここへ来た肝心の目的を。
「しっ、白石さんっ!!」
振り返ると、杉本、アシㇼパと並んで笑顔の白石が駆けてくるのが見えた。
菊乃は鯉登から離れ、震える脚で駆け出した。慌てふためく白石に構わず、勢いのまま彼の胸に飛び込んで、
「白石さぁんっ!よかっ、よかったぁぁ……っ!」
「……ごめんね。俺がヘマしちゃったから……菊乃ちゃんも無事でよかった」
ぐすぐすと泣き続ける菊乃を抱きとめる白石は、徐々にだらしない笑みを浮かべる。
だが、彼のふざけきった顔面がふいに凍りつき、冷や汗が全身から吹き出した。鯉登の忿怒の顔がすぐ目の前に迫っていたからだ。
「あ、あーっと菊乃ちゃあん?出来ることなら俺も暫くこうしていたいんだけどぉ……!」
声を裏返しながらそう言って、白石は慌てて菊乃を引き剥がした。
それを見計らったように、隣りにいたアシㇼパがむすっと唇を尖らせ、
「菊乃!相談なしに出ていくこと無かっただろうっ」
叱るように、しかしその眼差しは心底心配していたことを隠しきれていない。
「アシㇼパさん……」
すぐ隣には杉本もいた。まさか二人がここまで追いかけてくるとは思いもよらず、いたたまれなくなった菊乃は涙を拭って視線を下げた。
「いざとなれば俺達だって戦う覚悟だったんだ。一人で抱えることなかったんだよ?」
怒られたって仕方ないことをしたのに、杉本からは諭すように優しく言葉をかけられた。知り合って間もない自分を心から気遣ってくれる二人に、申し訳ないことをしたと、その事実が胸に痛いほど沁みた。
「心配、かけてごめんなさい……。二人とも、本当にありがとう」
三人笑顔で再会を喜び合う。
その一方、直ぐ傍では鯉登が白石の首を締め上げている──ちぐはぐで混沌とした空気が場を包んでいた。
「やぁッ!君が菊乃くんだねッ!」
その時、先程突然の登場に圧倒された老将が、菊乃の名を呼んだ。大仰すぎるその声に、奇しくも場が整えられる。
「あ、はい。あ、あの……」
「菊乃さん。この方は陸軍技術本部の有坂中将です」
彼の側についている月島が、前に出て言葉を添えた。菊乃は慌てて頭を下げる。
しかし、挨拶もそこそこに、先程「有坂中将のご令嬢」と言われたことを思い出し、
「つ、月島さんっ。さっきの、私が有坂様の、ってどういう……」
月島の表情は喜怒哀楽すらはっきりしないもので、菊乃は不味いことを聞いてしまったのかと言葉に詰まった。
やがて、月島が静かに隣の有坂へ視線を投げると、
「君の承諾を得る時間がなくてねッ!勝手を承知で三日前から君を私の“養子”にしちゃったからッ!よろしくねぇッ!!」
この場に似つかわしくない陽気な声が、鼓膜を震わせた。
「……ぇええーっ!?」
街灯の明かりが差し込み、舞う埃が黄金の粒のように漂う中、菊乃の喚声が倉庫中に反響した。
────バァンッ!
突如、二度目の銃声が鳴り響き、鈍い呻きが鼓膜を震わせた。
芹沢がよろけた勢いに押され、菊乃は膝から崩れた。何が起きたのか分からぬまま恐る恐る顔を上げると、視界の片隅で倉庫の出口が大きく開く。外光が差し込んだことで、薄暗い中そこに立つ人影が輪郭ごと浮かび上がった。
「随分と卑劣な真似をしてくれたな……芹沢ァッ!!」
拳銃を握った鯉登の怒号が、倉庫の中に轟いた。
菊乃は、目玉がこぼれ落ちるんじゃないかというほどに瞼を大きく開いた。縁を切る覚悟だった己の決断が、その姿を捉えた瞬間に容易くも解け落ちる。
「鯉、登……さん……っ」
「つ゛……っ」
芹沢は肩から血を滴らせ、呻きながら膝をついた。鯉登の隣には月島が拳銃を構え、殺気を放っているのが見える。
「お前等……ッ!この私に向かって、タダで済むと思ってんのかァッ!?」
「芹沢少将。菊乃さんへの不敬、到底見過ごすわけにはいきません」
芹沢が錯乱した声を上げる中、月島の声は冷たく毅然としていた。
「ッはぁ?私はこの娘がここに不法侵入していたところを尋問していただけだ……ッ、何が悪い!?」
「“有坂閣下のご令嬢”に向かって、これ以上の無礼を働くおつもりですか?」
月島の声が低く響く。言葉は淡々としているのに、それは刃のように鋭かった。
「……え……?」
彼の放った言葉は信じがたいもので、菊乃は思わず瞳を揺らした。閉口している芹沢を見ると、微動だにせず肩口から滴る赤が床を濡らしている。彼も、この場で起こっていることを掴みきれていない様子で、ただ驚愕の表情を浮かべていた。
更に外が騒がしくなり、足音が次々と迫る。数人の兵士たちが雪崩れ込むように現れ、じりじりと距離を詰めてきた。芹沢が立ち上がろうとすると、乾いた銃声と共に膝を撃たれた身体は床へと崩れ落ちる。
直後、兵士たちが左右に割れ、開けられた道の先から老将が姿を現した。
「やぁッ!随分と探したよ芹沢くんッ!!」
この場に似つかわしくない飄々とした口調に、庫内の空気が色を変えた。
「……ッ、なんでアンタがここにいる……ッ!?」
「最近、“暁星”なる密命組織の存在について言及する輩がいる……という噂を耳にしてねッ。本部に確認を取ったッ!」
彼の声は捉えどころがなく、しかしその中には不思議と威厳が宿っている。
「大臣からの正式な回答だッ。──『密命組織など我が国に存在しない』『工作計画が実行された事実もなし』ッ!!」
その宣言に、芹沢の顔色が変わる。彼が虚を突かれる中、鯉登と月島が有坂の後方に並んだ。
「有りもしない偽りを振りかざし菊乃を傷つけた……タダで済むと思うな」
「まさか、あれを……ッ!?」
それ以上言葉を探す間もなく、芹沢は兵士たちに取り押さえられた。
あっという間の出来事に、菊乃は放心していた。ただ、座り込み震えながらも、危険が去ったことだけをかろうじて飲み込む。
暫しふらつかせていた視線の先で、強い眼差しが自分を捉えているのに気づく。沈痛な表情をしながらも、その瞳の奥に安堵の光を携えていた。
張りつめていたものが一気に切れる。涙が菊乃の視界を滲ませ、立ち上がった瞬間もう堪えきれなかった。
一度は手放して、それでもずっとこの瞬間を望んでいた。菊乃は、ふらつきながら一直線に鯉登の胸へ飛び込みその温もりに縋る。嗚咽混じりに軍服を掴み、声を絞り出した。
「……っ、ごめっ、ごめん、なさい……!ごめんなさい……っ!」
震える身体を抱きしめ返した鯉登は、深く息を吐いた。
「謝るべきは私のほうだ。私が不甲斐ないばかりに菊乃を不安にさせた……本当に、すまなかった」
菊乃は首を大きく振った。彼は何も悪くない。責められるべきは不義理を働いた自分だ──。
「……絵本に、隠されていた」
鯉登の言葉は、菊乃の息が落ち着きを取り戻したのを見計らってぼそりと零れた。
菊乃は、はっと顔を上げて、
「……指令、文……?」
呟くように小さく、しかし確かな声で問い返す。
一瞬目を見開いた鯉登は、苦悶の表情を浮かべ、それでも強く頷いた。
「菊乃ちゃーん!」
その時、強く名を呼ぶ声が菊乃の刻を巻き戻す。今はっきりと思い出した。ここへ来た肝心の目的を。
「しっ、白石さんっ!!」
振り返ると、杉本、アシㇼパと並んで笑顔の白石が駆けてくるのが見えた。
菊乃は鯉登から離れ、震える脚で駆け出した。慌てふためく白石に構わず、勢いのまま彼の胸に飛び込んで、
「白石さぁんっ!よかっ、よかったぁぁ……っ!」
「……ごめんね。俺がヘマしちゃったから……菊乃ちゃんも無事でよかった」
ぐすぐすと泣き続ける菊乃を抱きとめる白石は、徐々にだらしない笑みを浮かべる。
だが、彼のふざけきった顔面がふいに凍りつき、冷や汗が全身から吹き出した。鯉登の忿怒の顔がすぐ目の前に迫っていたからだ。
「あ、あーっと菊乃ちゃあん?出来ることなら俺も暫くこうしていたいんだけどぉ……!」
声を裏返しながらそう言って、白石は慌てて菊乃を引き剥がした。
それを見計らったように、隣りにいたアシㇼパがむすっと唇を尖らせ、
「菊乃!相談なしに出ていくこと無かっただろうっ」
叱るように、しかしその眼差しは心底心配していたことを隠しきれていない。
「アシㇼパさん……」
すぐ隣には杉本もいた。まさか二人がここまで追いかけてくるとは思いもよらず、いたたまれなくなった菊乃は涙を拭って視線を下げた。
「いざとなれば俺達だって戦う覚悟だったんだ。一人で抱えることなかったんだよ?」
怒られたって仕方ないことをしたのに、杉本からは諭すように優しく言葉をかけられた。知り合って間もない自分を心から気遣ってくれる二人に、申し訳ないことをしたと、その事実が胸に痛いほど沁みた。
「心配、かけてごめんなさい……。二人とも、本当にありがとう」
三人笑顔で再会を喜び合う。
その一方、直ぐ傍では鯉登が白石の首を締め上げている──ちぐはぐで混沌とした空気が場を包んでいた。
「やぁッ!君が菊乃くんだねッ!」
その時、先程突然の登場に圧倒された老将が、菊乃の名を呼んだ。大仰すぎるその声に、奇しくも場が整えられる。
「あ、はい。あ、あの……」
「菊乃さん。この方は陸軍技術本部の有坂中将です」
彼の側についている月島が、前に出て言葉を添えた。菊乃は慌てて頭を下げる。
しかし、挨拶もそこそこに、先程「有坂中将のご令嬢」と言われたことを思い出し、
「つ、月島さんっ。さっきの、私が有坂様の、ってどういう……」
月島の表情は喜怒哀楽すらはっきりしないもので、菊乃は不味いことを聞いてしまったのかと言葉に詰まった。
やがて、月島が静かに隣の有坂へ視線を投げると、
「君の承諾を得る時間がなくてねッ!勝手を承知で三日前から君を私の“養子”にしちゃったからッ!よろしくねぇッ!!」
この場に似つかわしくない陽気な声が、鼓膜を震わせた。
「……ぇええーっ!?」
街灯の明かりが差し込み、舞う埃が黄金の粒のように漂う中、菊乃の喚声が倉庫中に反響した。
