本編
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中央(一)
今夜は、やけに胸の傷が疼いた。じっとしていると一層痛みが強くなる気がして、菊乃は部屋を出て気晴らしに庭を眺めることにした。
見上げれば相変わらず曇天が空を覆い、空気はじっとりと重たい。風が抜けるたび、庭の竹がかさりと揺れて音を立てる。そのささやかな音さえも、傷跡に鋭く触れた。
「菊乃ちゃん、ここに居たのか」
「……白石さん」
聞き慣れた声に振り返ると、白石が盆を片手に立っていた。銚子と小ぶりな盃が二つ、それに漬物の小鉢が乗っている。
「女将さんが気を利かせてくれてさ。せっかくだから一杯付き合ってくんない?」
そう言って、白石は縁側に座る菊乃の隣に腰を下ろした。
「今日は疲れたでしょ?ずっと気張ってたもんな」
「はい。コタンから小樽駅まで歩いていったのも結構体力消耗しました……」
銚子が傾けられ、とくとくと盃に注がれた。静かに波を立てる音が心地いい。互いに注ぎ合いひと口つける。まろやかでほんのり甘く、芯から沁みる優しい味だった。
「お。イケる口だねぇ」
「はい。お酒は好きです」
「じゃあさ~、これ一本開けたら、続きは俺の、部・屋・でぇ~」
頬を染めデレっとだらしない顔が、菊乃を覗き込む。菊乃は、思わずその剃り上げた生え際をぺちん、と軽く叩いた。「イテッ☆」と大げさに頭を押さえながらもどこか嬉しそうな白石に、菊乃はくすりと笑う。
「……菊乃ちゃん。今なら引き返せるよ」
不意に真剣な表情をして、白石が静かな声で言った。
「誰にも言わず黙って出てきたんでしょ?杉元たちも心配してると思うしさ。……きっと鯉登少尉たちのほうがあっちの事情に詳しいし、任せるべきじゃ」
その言葉を、菊乃は小さく首を振って遮った。
「怖い……万が一のことがあったら……」
菊乃は、声を震わせた。自分の選択次第で、彼らの人生を無茶苦茶にしてしまう。その恐怖が、今も心を支配している。
「私は、あの方を裏切って来ました……約束を破って、きっと傷つけた……今更、助けてなんて言えない……っ」
泣く資格すらない。そう思いながら、菊乃は声を殺して嗚咽した。
その時、不意に影が差し、回された手がそっと背を撫でていた。何も言わず、ただ背中を優しく叩く白石の手が温かくて、涙を止めることを諦めた。無茶な行いを咎めもせず、責めもせず、ただ傍にいてくれる彼の優しさに、菊乃は少しだけ救われた気がした。
──翌朝。上野行きの始発列車は、発車の汽笛と共に冷たいレールの上を軋ませた。車窓には、雨上がりの空が青々と流れている。
「うーん」
向かいに座る白石が、眉間に皺を寄せながら芹沢からの手紙を睨み、低く唸っている。
「どうしたんですか?」
菊乃が尋ねると、白石は手紙を軽く持ち上げ、ヒラヒラと振って見せた。
「いやさ、陸軍省っていったって広いんだよ?この芹沢ってやつ、階級も所属も書いてないじゃん。ほんとに招く気あるのかよって感じ」
「私も気にはなりましたけど……珍しいお名前だし、行けば分かると思ってました」
その返答に、白石がズコッと肩から崩れ落ちた。
「……菊乃ちゃんってさ、怖いもの知らずというか、見た目によらず思い切りがいいよねぇ」
「鯉登さんから“図太い”って言われたことならあります」
「はあ〜ん」
心底納得したという顔で、白石は背もたれに起き直る。
「ま。東京に着いたらまずは、この芹沢って男の素性を詳しく洗ったほうがいいな」
「……どうやって?」
菊乃が小首をかしげると、白石は得意げに胸を張って言った。
「まぁ任せなって。いかに情報を余す所なく把握するかが、脱獄の極意なのさ」
そう得意げに言った白石は、「ピュウ☆」と鳴きながら口をとがらせ二本指を突きつけてきた。
確かに、言っていることは正論だった。しかし、そう簡単に事が運ぶとは思えなかった。軍内部にいる鯉登と月島を持ってしても、芹沢の正体を掴むには至らなかったのだ。
だからこそ、向こうから差し出された“機会”に乗らない手は無かった──。
ただ一つ、大きな懸念が残っている。
「そういえば、持ってこいって要求されているの“森岡の文書”ってヤツだろ?結局それってなんなの?」
白石の疑問に、菊乃は視線を伏せた。結局、その存在が明らかになったのか、文書には何が書かれているのか──。一切分からないまま敵と対峙しようとしている。
「……私にも分からないんです」
「わ……分からないぃ?」
「存在するのかどうかも……森岡さんが私に託した手掛かりから、鯉登さんに調べてもらっていた途中で芹沢から手紙が来たから……」
新たな手掛かりが見つかったのかさえ、返事を受け取ることは叶わなかった。
「それ……鯉登少尉に聞いといたほうがよくない?」
白石が慎重な顔で問いかけると、菊乃はそれに対してゆっくりと首を振った。
「いいんです。文書なんて、無いって言い切るつもりですから」
「はぁあ!?」
思わず前のめりになった白石が、目を見開いて菊乃を覗き込む。
「私は、元々記憶を失っていて、そんな文書のことなんて知らないし見覚えもない。森岡さんのことだって、写真で顔は分かってたけど名前すら知らなかった……それは嘘じゃないもの」
「いやいやいや、それが通じる相手かどうかって話で」
「例え存在したとして、森岡さんが子どもだった私に託してまで隠したかった文書だったのなら……きっと渡しちゃいけないものなんです」
菊乃は、伏せていた眼差しをそっと上げた。その瞳には、迷いのない、確固とした意志が宿る。
「例え見つかったとしても、私は──」
「ご乗車ありがとうございます。切符を拝見します」
その時、列車の車掌が横から声をかけてきて、二人して弾かれるように顔を上げた。
慌てて切符を差し出す菊乃とは対照的に、白石はいつもの調子で、なんてこともない風を装いながら車掌に話しかけていた。不審がられないよう配慮が含まれていることが分かる。「ちょいと夫婦水入らずで~」と引っかかることを言っているのが聞こえたが、菊乃は口を挟むでもなく車窓の景色を眺めた。
新緑はすでに若葉色を脱ぎ、陽の光を受けて青々と輝いている。風にそよぐ梢の向こうに、遠く霞む山並みが見えた。けれど、その雄大さもどこか遠い世界のもののようで、菊乃はそっとひとつ息を吐いた。
──話には聞いていたが、東京とはなんと近代的な街なのだろう。
文明開化の波のど真ん中に立たされている。菊乃は、そんな心地でただ唖然としていた。
通りは人、人、人。行き交う男たちの帽子や洋服が陽光を弾き、頭上に張り巡らされた電線は、北海道のものより背が高い。馬車と電車が入り混じった街路を進むと、鼻先をかすめるのはどこか異国めいた食べ物の匂い。洗練された西洋文化がこの地に溶け込んでいる様に、感嘆の息がもれる。
「鶴見さんが言ってました。北海道の馬鉄も近いうちに電気で走るようになるって……すごい技術ですね!」
「だね~。菊乃ちゃんと一緒じゃなかったら乗る機会なかったわ」
二人は上野駅から東京鉄道に乗り込んだ。車窓から移り変わる街並みに目を奪われながら、宿のある神田へとやってきた。
きゃっきゃと旅の高揚を分かち合いながら、それぞれ宛てがわれた部屋に入った。それから荷を下ろし、卓を挟んで今後の段取りを決める。白石が芹沢の情報を探っている間、菊乃は宿の従業員を相手に、軍関係者の出入りについてそれとなく探る役目を担うことになった。
「んじゃ、早速調査に行ってくるわ」
「どちらへ行くんですか?」
「んまぁ、ちょっとそこまで?」
深く詮索するな──そんな空気をまとわせた白石に、菊乃は眉を顰めた。不服の色を滲ませて視線を送るも、彼は肩を竦めてそそくさと部屋を出て行ってしまった。
聞くところによれば、白石は通人とのことだから吉原あたりにでも向かったのだろう。先ほどせがまれた軍資金を握りしめて──。
菊乃は、ふと小さく息を吐くと、顔から感情を引き剥がし手帳と鉛筆を手に取った。
──甘い香をほんのりまとわせた白石が戻ってきたのは、夜もすっかり更けた九時過ぎだった。
菊乃は、呼び出されるまま白石の部屋へ行き、卓上に手帳を広げる。
「宿に出入りしている業者さんが陸軍省とも取り引きがあるらしくて、もしかすると軍館内の位置関係を把握されているかも……と、私のほうはこのくらいしか分かりませんでした」
芹沢に直結する情報は得られず、菊乃は肩を落とす。だが、白石の口元には不敵な笑みが浮かんでいた。
「こっちはバッチリ掴んだぜ。階級は少将。兵器局っていう新設されたばかりの部局の局長やってるらしい。本棟の何処かにいるのは間違いないぜ」
「え。白石さん、すごい……!」
たった数時間でそこまで。軍資金の元は十分取れたとばかりに、菊乃は尊敬の眼差しを向ける。白石は得意げに鼻を蠢かせた。
「明日、その業者に兵器局に出入りしたことがあるか聞いてみよう。そんで、俺ちょいと忍び込んで芹沢の動向を探ってくるわ」
「え……そ、そんなことして万が一……!」
「菊乃ちゃーん。俺を誰だと思ってんのさ。捕まったって逃げてみせるっての」
白石は、飄々と言ってのけた。それは、杉本とアシㇼパからも聞かされている事実なのだが、今相手にしているのは底が知れない人物だ──そのことが、信じたい気持ちを容易に掻き消す。
困惑した表情を隠せぬまま、しかし菊乃はそれ以上何も言えなかった。
今夜は、やけに胸の傷が疼いた。じっとしていると一層痛みが強くなる気がして、菊乃は部屋を出て気晴らしに庭を眺めることにした。
見上げれば相変わらず曇天が空を覆い、空気はじっとりと重たい。風が抜けるたび、庭の竹がかさりと揺れて音を立てる。そのささやかな音さえも、傷跡に鋭く触れた。
「菊乃ちゃん、ここに居たのか」
「……白石さん」
聞き慣れた声に振り返ると、白石が盆を片手に立っていた。銚子と小ぶりな盃が二つ、それに漬物の小鉢が乗っている。
「女将さんが気を利かせてくれてさ。せっかくだから一杯付き合ってくんない?」
そう言って、白石は縁側に座る菊乃の隣に腰を下ろした。
「今日は疲れたでしょ?ずっと気張ってたもんな」
「はい。コタンから小樽駅まで歩いていったのも結構体力消耗しました……」
銚子が傾けられ、とくとくと盃に注がれた。静かに波を立てる音が心地いい。互いに注ぎ合いひと口つける。まろやかでほんのり甘く、芯から沁みる優しい味だった。
「お。イケる口だねぇ」
「はい。お酒は好きです」
「じゃあさ~、これ一本開けたら、続きは俺の、部・屋・でぇ~」
頬を染めデレっとだらしない顔が、菊乃を覗き込む。菊乃は、思わずその剃り上げた生え際をぺちん、と軽く叩いた。「イテッ☆」と大げさに頭を押さえながらもどこか嬉しそうな白石に、菊乃はくすりと笑う。
「……菊乃ちゃん。今なら引き返せるよ」
不意に真剣な表情をして、白石が静かな声で言った。
「誰にも言わず黙って出てきたんでしょ?杉元たちも心配してると思うしさ。……きっと鯉登少尉たちのほうがあっちの事情に詳しいし、任せるべきじゃ」
その言葉を、菊乃は小さく首を振って遮った。
「怖い……万が一のことがあったら……」
菊乃は、声を震わせた。自分の選択次第で、彼らの人生を無茶苦茶にしてしまう。その恐怖が、今も心を支配している。
「私は、あの方を裏切って来ました……約束を破って、きっと傷つけた……今更、助けてなんて言えない……っ」
泣く資格すらない。そう思いながら、菊乃は声を殺して嗚咽した。
その時、不意に影が差し、回された手がそっと背を撫でていた。何も言わず、ただ背中を優しく叩く白石の手が温かくて、涙を止めることを諦めた。無茶な行いを咎めもせず、責めもせず、ただ傍にいてくれる彼の優しさに、菊乃は少しだけ救われた気がした。
──翌朝。上野行きの始発列車は、発車の汽笛と共に冷たいレールの上を軋ませた。車窓には、雨上がりの空が青々と流れている。
「うーん」
向かいに座る白石が、眉間に皺を寄せながら芹沢からの手紙を睨み、低く唸っている。
「どうしたんですか?」
菊乃が尋ねると、白石は手紙を軽く持ち上げ、ヒラヒラと振って見せた。
「いやさ、陸軍省っていったって広いんだよ?この芹沢ってやつ、階級も所属も書いてないじゃん。ほんとに招く気あるのかよって感じ」
「私も気にはなりましたけど……珍しいお名前だし、行けば分かると思ってました」
その返答に、白石がズコッと肩から崩れ落ちた。
「……菊乃ちゃんってさ、怖いもの知らずというか、見た目によらず思い切りがいいよねぇ」
「鯉登さんから“図太い”って言われたことならあります」
「はあ〜ん」
心底納得したという顔で、白石は背もたれに起き直る。
「ま。東京に着いたらまずは、この芹沢って男の素性を詳しく洗ったほうがいいな」
「……どうやって?」
菊乃が小首をかしげると、白石は得意げに胸を張って言った。
「まぁ任せなって。いかに情報を余す所なく把握するかが、脱獄の極意なのさ」
そう得意げに言った白石は、「ピュウ☆」と鳴きながら口をとがらせ二本指を突きつけてきた。
確かに、言っていることは正論だった。しかし、そう簡単に事が運ぶとは思えなかった。軍内部にいる鯉登と月島を持ってしても、芹沢の正体を掴むには至らなかったのだ。
だからこそ、向こうから差し出された“機会”に乗らない手は無かった──。
ただ一つ、大きな懸念が残っている。
「そういえば、持ってこいって要求されているの“森岡の文書”ってヤツだろ?結局それってなんなの?」
白石の疑問に、菊乃は視線を伏せた。結局、その存在が明らかになったのか、文書には何が書かれているのか──。一切分からないまま敵と対峙しようとしている。
「……私にも分からないんです」
「わ……分からないぃ?」
「存在するのかどうかも……森岡さんが私に託した手掛かりから、鯉登さんに調べてもらっていた途中で芹沢から手紙が来たから……」
新たな手掛かりが見つかったのかさえ、返事を受け取ることは叶わなかった。
「それ……鯉登少尉に聞いといたほうがよくない?」
白石が慎重な顔で問いかけると、菊乃はそれに対してゆっくりと首を振った。
「いいんです。文書なんて、無いって言い切るつもりですから」
「はぁあ!?」
思わず前のめりになった白石が、目を見開いて菊乃を覗き込む。
「私は、元々記憶を失っていて、そんな文書のことなんて知らないし見覚えもない。森岡さんのことだって、写真で顔は分かってたけど名前すら知らなかった……それは嘘じゃないもの」
「いやいやいや、それが通じる相手かどうかって話で」
「例え存在したとして、森岡さんが子どもだった私に託してまで隠したかった文書だったのなら……きっと渡しちゃいけないものなんです」
菊乃は、伏せていた眼差しをそっと上げた。その瞳には、迷いのない、確固とした意志が宿る。
「例え見つかったとしても、私は──」
「ご乗車ありがとうございます。切符を拝見します」
その時、列車の車掌が横から声をかけてきて、二人して弾かれるように顔を上げた。
慌てて切符を差し出す菊乃とは対照的に、白石はいつもの調子で、なんてこともない風を装いながら車掌に話しかけていた。不審がられないよう配慮が含まれていることが分かる。「ちょいと夫婦水入らずで~」と引っかかることを言っているのが聞こえたが、菊乃は口を挟むでもなく車窓の景色を眺めた。
新緑はすでに若葉色を脱ぎ、陽の光を受けて青々と輝いている。風にそよぐ梢の向こうに、遠く霞む山並みが見えた。けれど、その雄大さもどこか遠い世界のもののようで、菊乃はそっとひとつ息を吐いた。
──話には聞いていたが、東京とはなんと近代的な街なのだろう。
文明開化の波のど真ん中に立たされている。菊乃は、そんな心地でただ唖然としていた。
通りは人、人、人。行き交う男たちの帽子や洋服が陽光を弾き、頭上に張り巡らされた電線は、北海道のものより背が高い。馬車と電車が入り混じった街路を進むと、鼻先をかすめるのはどこか異国めいた食べ物の匂い。洗練された西洋文化がこの地に溶け込んでいる様に、感嘆の息がもれる。
「鶴見さんが言ってました。北海道の馬鉄も近いうちに電気で走るようになるって……すごい技術ですね!」
「だね~。菊乃ちゃんと一緒じゃなかったら乗る機会なかったわ」
二人は上野駅から東京鉄道に乗り込んだ。車窓から移り変わる街並みに目を奪われながら、宿のある神田へとやってきた。
きゃっきゃと旅の高揚を分かち合いながら、それぞれ宛てがわれた部屋に入った。それから荷を下ろし、卓を挟んで今後の段取りを決める。白石が芹沢の情報を探っている間、菊乃は宿の従業員を相手に、軍関係者の出入りについてそれとなく探る役目を担うことになった。
「んじゃ、早速調査に行ってくるわ」
「どちらへ行くんですか?」
「んまぁ、ちょっとそこまで?」
深く詮索するな──そんな空気をまとわせた白石に、菊乃は眉を顰めた。不服の色を滲ませて視線を送るも、彼は肩を竦めてそそくさと部屋を出て行ってしまった。
聞くところによれば、白石は通人とのことだから吉原あたりにでも向かったのだろう。先ほどせがまれた軍資金を握りしめて──。
菊乃は、ふと小さく息を吐くと、顔から感情を引き剥がし手帳と鉛筆を手に取った。
──甘い香をほんのりまとわせた白石が戻ってきたのは、夜もすっかり更けた九時過ぎだった。
菊乃は、呼び出されるまま白石の部屋へ行き、卓上に手帳を広げる。
「宿に出入りしている業者さんが陸軍省とも取り引きがあるらしくて、もしかすると軍館内の位置関係を把握されているかも……と、私のほうはこのくらいしか分かりませんでした」
芹沢に直結する情報は得られず、菊乃は肩を落とす。だが、白石の口元には不敵な笑みが浮かんでいた。
「こっちはバッチリ掴んだぜ。階級は少将。兵器局っていう新設されたばかりの部局の局長やってるらしい。本棟の何処かにいるのは間違いないぜ」
「え。白石さん、すごい……!」
たった数時間でそこまで。軍資金の元は十分取れたとばかりに、菊乃は尊敬の眼差しを向ける。白石は得意げに鼻を蠢かせた。
「明日、その業者に兵器局に出入りしたことがあるか聞いてみよう。そんで、俺ちょいと忍び込んで芹沢の動向を探ってくるわ」
「え……そ、そんなことして万が一……!」
「菊乃ちゃーん。俺を誰だと思ってんのさ。捕まったって逃げてみせるっての」
白石は、飄々と言ってのけた。それは、杉本とアシㇼパからも聞かされている事実なのだが、今相手にしているのは底が知れない人物だ──そのことが、信じたい気持ちを容易に掻き消す。
困惑した表情を隠せぬまま、しかし菊乃はそれ以上何も言えなかった。
