本編
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露西亜(四)
いつだったか、鶴見が言っていた。生死を彷徨ったある兵士が「過去の記憶が走馬灯のように頭の中を巡ったのです」──そう語っていたのだと。
菊乃は今、その走馬灯とやらを見ているのだと思った。どれほど願っても思い出せなかった、過去の記憶。それが皮肉にも、死をもって蘇るとは。
見慣れない寝台で寝ているようだ。窓の外には、静かに降りしきる雪が見える。そして周りを見渡す。木造の見慣れない家屋のようだった。
ふと横を見ると、すぐ傍で男が歌を口ずさんでいる。誰だろう、と彼の顔を見ようとしたら、そっと額に大きな手が乗せられた。優しい、掌。撫でるような仕草に、思わず瞼が落ちた。
♪ ……
まるで子守唄のような、落ち着いた響き──。
暫くして男の手が離れて、目を開けた。そのまま、ゆっくりと視線を上げる。
その顔は、幾度も写真で見た──森岡だった。
「……」
目隠しでもされたかのように視界が暗転した。それから、一瞬にして別の情景が開ける。
見えるのは、木目。ひたすら木目が視界を占領する中、ツンと鼻をつくにおいを感じ、少しだけ頭が冴えた。
あ、次の走馬灯だ──菊乃は思った。出来ることなら、先ほどの森岡らしき男に話しかけようと思ったのに。私が死んだのはあなたのせいですか?と。
そして、今度は何処だろうと周囲を見渡す。まず目についたのは、大きな窓から燦々と注がれる太陽の光。温かくて心地よい。
次いで、その窓辺で眠る、男が一人──。
「……ぁ……」
森岡ではない。椅子に腰かけ、腕を組み、スラリと長い両の脚を無造作に投げ出している、特徴的な褐色肌の男──。
「…っこ、い……っ!」
起き上がろうとして、激痛に悶える。胸を裂くような痛みに襲われ、呼吸ができなくなった。
菊乃の唸る声に気が付き、目の前の男──鯉登が即座に目を覚ました。慌てて立ち上がると、菊乃の元へと駆け寄る。
「菊乃!動くな傷に触る……!」
「はっ……、鯉、登さん……?」
「ここは病院だ。医者を呼んでくる。じっとしていろ」
そう言い残し、足早に去っていく鯉登の背中を目で追う。
これは夢か──?
走馬灯なのだから夢のようなものか。とか、でも夢ってこんなに痛いっけ?とか、記憶を巡っているはずなのに何故鯉登がいるんだろう。とか。もう頭の中はぐちゃぐちゃだ。
暫くして、医者が看護婦を連れてやってきた。名前を訊ねられ、年齢を問われ、胸の状態を確認される。そうこうしているうちに、菊乃は徐々に今の状況を理解した。
ここは現実だ──生きていたのだ、と。
鯉登は戻ってこない。彼の姿が見えないことが、菊乃を不安にさせた。急に、死に対する恐怖が心の中を支配する。傍にいて、名前を呼んでほしくなる。
寂しさで涙が溢れそうになるのを、菊乃は必死に堪えていた。
──あの夜から、丸一日以上が経っていた。意識のない菊乃、それから裂傷を受けたみさ子が重篤者として病院へ運ばれたのだという。みさ子は未だ熱が下がらないようだが、山は越えたと鯉登から聞かされた。姿が見えなかった巡回の兵士二人も、襲われて重症を負っていたが、命に別状はなかったようでほっとした。
そして、詰まった不安を取り除くように、菊乃は長い息を一気に吐いた。
「私、どうして……」
胸に銃弾を受けたのは間違いない。しかも至近距離から。痛みは強いが、想像していた苦しさではない……ような気がする。
「こいつだ」
鯉登が目の前に差し出したのは、菊乃の絵本だった。角のあたりが丸く焦げ、穴があいている。
「う、そ……」
「小さいくせに妙に頑丈な作りだとは思っていたが……」
鯉登は、指先で表紙の縁をなぞりながら、
「表紙に、鉄板が仕込まれていた」
「え……て、鉄板?」
思わず聞き返す菊乃の声に、動揺が混じる。
確かに、これまでも妙に重いとは感じていた。でもそれは、紙質が分厚いから、程度にしか思わなくて。
「アメリカに、こういう鉄製の表紙を装丁した聖書があると聞いたことはあったが……何にせよ、助けられたな」
鯉登の語調は淡々としていたが、その奥には少しの戸惑いと安堵が入り混じったように聞こえた。
彼の持つ絵本に、菊乃は手を伸ばす。震える指でそっと触れる。
その時、その手を鯉登が徐に掴んだ。菊乃が驚いて弾かれるように彼の目を捉えると、どこか泣きそうな顔で、
「……生きた心地が、しなかった」
静かな空間に、絞り出すような声が落ちた。
「手出しはさせんと、言った手前この様だ……。すまなかった」
助けてくれたじゃないか。そんな顔をしないで……。
かけたい言葉はいくつもあるのに、声にならなかった。どんな言葉を口にしても、彼が求めているのはそんなものでは無い気がして、菊乃はただその手を握り返した。
鯉登の瞳が、僅かに揺れる。それから、彼はそっと絵本を枕元に置くと、その手で菊乃の頭を優しく撫でた。
大きくて、見た目に似合わず少し無骨で、温かかった。頭を撫でられたのは久しぶりで、懐かしさに浸り菊乃が目を閉じる──。
そこで、ふと脳裏を過ったもう一つの記憶。見知らぬ家の中で、男が自分の頭を撫でながら、歌を──。
「──あっ!!」
突き上げるように口をついて出た声に、鯉登も肩を揺らした。そして、声を出した衝撃で痛む傷に菊乃が悶える。
「ど、どうした!?」
「うっ……も、森、岡さんが……」
「森岡……?」
「私、森岡さんと、一緒にいたことが、あったんです……!」
混乱と興奮で荒くなる呼吸。失っていた断片が、焼け焦げた頁のように、ぽろぽろと零れ落ちる。
まだ掴みきれないまま、それでも確かに、記憶の結び目が徐々に解かれはじめていた。
──思えば、菊乃が最初に疑っていたことだった。写真に写る人物が、本当の家族なのでは、と。
それを、鶴見に完全否定された瞬間、撃沈したわけだが。
森岡が菊乃の記憶の中に現れ、一日が過ぎた。今朝、消毒と包帯を替えてもらった際、菊乃は初めて自分の傷の状態を見た。想像以上に生々しいものだった。幸い、絵本のおかげで奇跡的に臓器を傷つけることなく致命傷には至らなかったものの、胸骨が折れ「絶対安静一ヶ月」と告げられた。
看護婦から「これぐらいで済んでよかったんですよ」と励まされたが、それでもやはり、傷は痛むし気持ちは沈む。
じっと体を寝台に預けていると、扉を叩く音がした。菊乃が小さく返事をすると、姿を見せたのは鯉登だった。
「具合はどうだ」
菊乃の胸中は、そわそわと落ち着かなかった。昨日会ったばかりだというのに、こうして顔を見せてくれる。彼の気遣いを感じて、嬉しさが胸に広がる。
菊乃が起き上がろうと布団をはがした瞬間、鯉登が焦ったように駆け寄った。
「無理しなくていい」
「ううん。身体起こす方が痛くないんです」
少しずつではあるが、痛みの位置や楽な姿勢も分かってきた。彼の腕を借りて背を起こし、枕を柵に立てかけ簡易の背もたれを作る。
座った姿勢になると、菊乃はぽつりと呟いた。
「……やっぱこれって、痕、残っちゃいますよね」
菊乃の指先が自然と胸のあたりに触れる。この事実を一人で消化しきれそうになくて、ただ誰かに聞いてほしくなった。
軍人の鯉登なら、例えば目立たなくする方法、みたいな豆知識なんか知ってるかも──そんな軽い気持ちで言ったわけだが、ふと視線を上げると、しかめっ面が胸元を凝視していた。いや、睨んでいるに近い。かと思えば、口を開いては閉じていて、それはまるで魚が餌を食らおうと水面で口をパクパクさせるようだった。
あ、困らせた──。途端に後悔が押し寄せた。よく分からないが気に触った事を言ったのかも、と思った菊乃は、
「あ、あの、鯉と」
「だいじょッ!!」
勢いよく割って入ったその声に、思わず目を瞠った。それから、まくし立てるように続いたのは、濃い薩摩の言葉で、
「案じなッ!お、おっ、おいんとこよ、よよよ、よめじょに、来っ」
バターンッ!!「キェェェェエエッ!!?」
突然勢いよく開いた扉と、鯉登の荒ぶる猿叫が菊乃の耳を劈いた。
思わず耳をふさぎながら開いた扉の方を見ると、そこには泣き腫らした目をした玉の姿があった。
「玉……!」
「菊乃ちゃーん!!」
わーっと泣き叫びながら玉は勢いよく駆け寄り、寝台に飛び込んできた。
「よく頑張ったね……鯉登さんたちを呼んできてくれてありがと」
「うん……うん……っ!」
一人で心細かっただろう。小さな背を優しく撫でながら、心から労わる。すすり泣きながら、玉は何度も強く頷いていた。
「菊乃さん」
暫し玉を宥めていた菊乃の元に、低く重厚な声がふと落ちる。
「月島さん……!」
「……本当によかった」
いつもよりも、少しだけ柔和な表情の月島が立っていた。関係者全員の聴取が終わり、月島が玉をここまで連れてきたのだという。
「ご心配を、おかけしました」
「全くです。料亭の人間全員で迎え撃つなんて、前代未聞だ」
半ば呆れ返った言い様に、菊乃は半笑いで返すしかなかった。
「お前はここまで説教をしに来たのか、月島ぁ」
怪我人を労われ、と無言で訴える鯉登の視線を受けて、月島は一度、視線を上官へと逸らした。それから再び、まっすぐに菊乃を見据える。
「菊乃さん。襲撃犯の目的……少し見えてきました」
「え……」
「お話しても?」
鯉登と目が合う。彼は無言で一つ頷いた。
その仕草に背を押されるように、菊乃は月島を見上げ「お願いします」と静かに返した。
いつだったか、鶴見が言っていた。生死を彷徨ったある兵士が「過去の記憶が走馬灯のように頭の中を巡ったのです」──そう語っていたのだと。
菊乃は今、その走馬灯とやらを見ているのだと思った。どれほど願っても思い出せなかった、過去の記憶。それが皮肉にも、死をもって蘇るとは。
見慣れない寝台で寝ているようだ。窓の外には、静かに降りしきる雪が見える。そして周りを見渡す。木造の見慣れない家屋のようだった。
ふと横を見ると、すぐ傍で男が歌を口ずさんでいる。誰だろう、と彼の顔を見ようとしたら、そっと額に大きな手が乗せられた。優しい、掌。撫でるような仕草に、思わず瞼が落ちた。
♪ ……
まるで子守唄のような、落ち着いた響き──。
暫くして男の手が離れて、目を開けた。そのまま、ゆっくりと視線を上げる。
その顔は、幾度も写真で見た──森岡だった。
「……」
目隠しでもされたかのように視界が暗転した。それから、一瞬にして別の情景が開ける。
見えるのは、木目。ひたすら木目が視界を占領する中、ツンと鼻をつくにおいを感じ、少しだけ頭が冴えた。
あ、次の走馬灯だ──菊乃は思った。出来ることなら、先ほどの森岡らしき男に話しかけようと思ったのに。私が死んだのはあなたのせいですか?と。
そして、今度は何処だろうと周囲を見渡す。まず目についたのは、大きな窓から燦々と注がれる太陽の光。温かくて心地よい。
次いで、その窓辺で眠る、男が一人──。
「……ぁ……」
森岡ではない。椅子に腰かけ、腕を組み、スラリと長い両の脚を無造作に投げ出している、特徴的な褐色肌の男──。
「…っこ、い……っ!」
起き上がろうとして、激痛に悶える。胸を裂くような痛みに襲われ、呼吸ができなくなった。
菊乃の唸る声に気が付き、目の前の男──鯉登が即座に目を覚ました。慌てて立ち上がると、菊乃の元へと駆け寄る。
「菊乃!動くな傷に触る……!」
「はっ……、鯉、登さん……?」
「ここは病院だ。医者を呼んでくる。じっとしていろ」
そう言い残し、足早に去っていく鯉登の背中を目で追う。
これは夢か──?
走馬灯なのだから夢のようなものか。とか、でも夢ってこんなに痛いっけ?とか、記憶を巡っているはずなのに何故鯉登がいるんだろう。とか。もう頭の中はぐちゃぐちゃだ。
暫くして、医者が看護婦を連れてやってきた。名前を訊ねられ、年齢を問われ、胸の状態を確認される。そうこうしているうちに、菊乃は徐々に今の状況を理解した。
ここは現実だ──生きていたのだ、と。
鯉登は戻ってこない。彼の姿が見えないことが、菊乃を不安にさせた。急に、死に対する恐怖が心の中を支配する。傍にいて、名前を呼んでほしくなる。
寂しさで涙が溢れそうになるのを、菊乃は必死に堪えていた。
──あの夜から、丸一日以上が経っていた。意識のない菊乃、それから裂傷を受けたみさ子が重篤者として病院へ運ばれたのだという。みさ子は未だ熱が下がらないようだが、山は越えたと鯉登から聞かされた。姿が見えなかった巡回の兵士二人も、襲われて重症を負っていたが、命に別状はなかったようでほっとした。
そして、詰まった不安を取り除くように、菊乃は長い息を一気に吐いた。
「私、どうして……」
胸に銃弾を受けたのは間違いない。しかも至近距離から。痛みは強いが、想像していた苦しさではない……ような気がする。
「こいつだ」
鯉登が目の前に差し出したのは、菊乃の絵本だった。角のあたりが丸く焦げ、穴があいている。
「う、そ……」
「小さいくせに妙に頑丈な作りだとは思っていたが……」
鯉登は、指先で表紙の縁をなぞりながら、
「表紙に、鉄板が仕込まれていた」
「え……て、鉄板?」
思わず聞き返す菊乃の声に、動揺が混じる。
確かに、これまでも妙に重いとは感じていた。でもそれは、紙質が分厚いから、程度にしか思わなくて。
「アメリカに、こういう鉄製の表紙を装丁した聖書があると聞いたことはあったが……何にせよ、助けられたな」
鯉登の語調は淡々としていたが、その奥には少しの戸惑いと安堵が入り混じったように聞こえた。
彼の持つ絵本に、菊乃は手を伸ばす。震える指でそっと触れる。
その時、その手を鯉登が徐に掴んだ。菊乃が驚いて弾かれるように彼の目を捉えると、どこか泣きそうな顔で、
「……生きた心地が、しなかった」
静かな空間に、絞り出すような声が落ちた。
「手出しはさせんと、言った手前この様だ……。すまなかった」
助けてくれたじゃないか。そんな顔をしないで……。
かけたい言葉はいくつもあるのに、声にならなかった。どんな言葉を口にしても、彼が求めているのはそんなものでは無い気がして、菊乃はただその手を握り返した。
鯉登の瞳が、僅かに揺れる。それから、彼はそっと絵本を枕元に置くと、その手で菊乃の頭を優しく撫でた。
大きくて、見た目に似合わず少し無骨で、温かかった。頭を撫でられたのは久しぶりで、懐かしさに浸り菊乃が目を閉じる──。
そこで、ふと脳裏を過ったもう一つの記憶。見知らぬ家の中で、男が自分の頭を撫でながら、歌を──。
「──あっ!!」
突き上げるように口をついて出た声に、鯉登も肩を揺らした。そして、声を出した衝撃で痛む傷に菊乃が悶える。
「ど、どうした!?」
「うっ……も、森、岡さんが……」
「森岡……?」
「私、森岡さんと、一緒にいたことが、あったんです……!」
混乱と興奮で荒くなる呼吸。失っていた断片が、焼け焦げた頁のように、ぽろぽろと零れ落ちる。
まだ掴みきれないまま、それでも確かに、記憶の結び目が徐々に解かれはじめていた。
──思えば、菊乃が最初に疑っていたことだった。写真に写る人物が、本当の家族なのでは、と。
それを、鶴見に完全否定された瞬間、撃沈したわけだが。
森岡が菊乃の記憶の中に現れ、一日が過ぎた。今朝、消毒と包帯を替えてもらった際、菊乃は初めて自分の傷の状態を見た。想像以上に生々しいものだった。幸い、絵本のおかげで奇跡的に臓器を傷つけることなく致命傷には至らなかったものの、胸骨が折れ「絶対安静一ヶ月」と告げられた。
看護婦から「これぐらいで済んでよかったんですよ」と励まされたが、それでもやはり、傷は痛むし気持ちは沈む。
じっと体を寝台に預けていると、扉を叩く音がした。菊乃が小さく返事をすると、姿を見せたのは鯉登だった。
「具合はどうだ」
菊乃の胸中は、そわそわと落ち着かなかった。昨日会ったばかりだというのに、こうして顔を見せてくれる。彼の気遣いを感じて、嬉しさが胸に広がる。
菊乃が起き上がろうと布団をはがした瞬間、鯉登が焦ったように駆け寄った。
「無理しなくていい」
「ううん。身体起こす方が痛くないんです」
少しずつではあるが、痛みの位置や楽な姿勢も分かってきた。彼の腕を借りて背を起こし、枕を柵に立てかけ簡易の背もたれを作る。
座った姿勢になると、菊乃はぽつりと呟いた。
「……やっぱこれって、痕、残っちゃいますよね」
菊乃の指先が自然と胸のあたりに触れる。この事実を一人で消化しきれそうになくて、ただ誰かに聞いてほしくなった。
軍人の鯉登なら、例えば目立たなくする方法、みたいな豆知識なんか知ってるかも──そんな軽い気持ちで言ったわけだが、ふと視線を上げると、しかめっ面が胸元を凝視していた。いや、睨んでいるに近い。かと思えば、口を開いては閉じていて、それはまるで魚が餌を食らおうと水面で口をパクパクさせるようだった。
あ、困らせた──。途端に後悔が押し寄せた。よく分からないが気に触った事を言ったのかも、と思った菊乃は、
「あ、あの、鯉と」
「だいじょッ!!」
勢いよく割って入ったその声に、思わず目を瞠った。それから、まくし立てるように続いたのは、濃い薩摩の言葉で、
「案じなッ!お、おっ、おいんとこよ、よよよ、よめじょに、来っ」
バターンッ!!「キェェェェエエッ!!?」
突然勢いよく開いた扉と、鯉登の荒ぶる猿叫が菊乃の耳を劈いた。
思わず耳をふさぎながら開いた扉の方を見ると、そこには泣き腫らした目をした玉の姿があった。
「玉……!」
「菊乃ちゃーん!!」
わーっと泣き叫びながら玉は勢いよく駆け寄り、寝台に飛び込んできた。
「よく頑張ったね……鯉登さんたちを呼んできてくれてありがと」
「うん……うん……っ!」
一人で心細かっただろう。小さな背を優しく撫でながら、心から労わる。すすり泣きながら、玉は何度も強く頷いていた。
「菊乃さん」
暫し玉を宥めていた菊乃の元に、低く重厚な声がふと落ちる。
「月島さん……!」
「……本当によかった」
いつもよりも、少しだけ柔和な表情の月島が立っていた。関係者全員の聴取が終わり、月島が玉をここまで連れてきたのだという。
「ご心配を、おかけしました」
「全くです。料亭の人間全員で迎え撃つなんて、前代未聞だ」
半ば呆れ返った言い様に、菊乃は半笑いで返すしかなかった。
「お前はここまで説教をしに来たのか、月島ぁ」
怪我人を労われ、と無言で訴える鯉登の視線を受けて、月島は一度、視線を上官へと逸らした。それから再び、まっすぐに菊乃を見据える。
「菊乃さん。襲撃犯の目的……少し見えてきました」
「え……」
「お話しても?」
鯉登と目が合う。彼は無言で一つ頷いた。
その仕草に背を押されるように、菊乃は月島を見上げ「お願いします」と静かに返した。
