番外編
Name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
悪戯(ある日の魁燿亭)
「本日は、食後に甘味などいかがでしょう」
そう言いながら、菊乃はひとつの箱をそっと卓の上に置いた。その中には、餡子がたっぷり挟まった小ぶりな最中が品よく並んでいる。丸みを帯び少し歪な形が特徴的で、箱の表には菓子屋の名前が記されている。どこか気品と温かみのある佇まいだった。
「最中、ですか?」
月島が差し出されたそれに目を向ける。
「はい。東京で今話題のお店だそうで。取引先の方からいただいたんです」
そう答えながら、菊乃は二人の様子をそっと観察する。鯉登は、興味津々といった様子で覗きこみ、目を輝かせていた。菊乃から、ふふっと思わず笑みがこぼれる。子どもが新しいおもちゃを見た時のような、その素直な反応が微笑ましい。
「東京か!あちらではこういうものが流行っているのか」
一方の月島は、一歩引いたところで様子を伺っている。彼の眼差しは冷静で、どこか鋭い。その視線は菊乃へと一点集中されていた。
「せっかくですし、私と少し遊びませんか?」
菊乃が小首をかしげて微笑んだ。
「遊び?」
「この中に“あたり”を三つ入れています。一人ひとつずつ順に食べていくんです。どれかは引いてみてのお楽しみ」
その瞬間、鯉登の目がさらに輝きを増す。菊乃はその反応を見て、笑みを深くする。こういう素直な人がいると、より楽しい。
「なんだなんだ、あたりとは!まさか特別な味とかか?」
「ふふ、食べてみれば分かりますよ」
一方で、月島の目元が細くなる。
「……なんで“あたり”が三つもあるんです?」
「ひとつだけじゃ面白くないじゃないですか」
微笑みを絶やさず返すと、月島は黙って見つめ返してきた。その無言に込められた警戒心を感じながらも、菊乃はそのまま化粧箱を差し出す。分かっている。彼は決して油断などしない。月島のような男も、菊乃にとってはまた面白みのある人間である。
「よし、なら私が先に選ばせてもらうぞっ」
菊乃が差し出した化粧箱に並ぶふっくらとした最中を、鯉登は迷いなく一つ手に取った。その無邪気な様子を見て、月島は呆れたように肩を竦める。
「少尉殿、もう少し慎重に選ばれては」
「こういうのは勢いだ、うふふ」
鯉登は満面の笑みでそれにかぶりつく――次の瞬間、
「ん゛っ!!?」
鯉登の顔が一気に赤く染まり、目を剥いて立ち上がった。
「もぁ゙っ!なんじゃこんたぁあ!?」
「おめでとうございます。あたりですっ。ふふふっ」
菊乃は口元に手を当てて笑いを堪えている。
「うおぉ!辛っ、辛か!ないを入れたっ!?」
「わさびです」
「わ、わさび!?」
まさに不協和音。甘いの後にくるわさびのツンとした刺激のせいで、鯉登は鼻を押さえながら涙目で悶絶している。その横で、月島が無言のまま最中を一つ手に取り、落ち着いた仕草で口に運んだ。
「……普通にうまいです」
もぐもぐと味わいながら、無表情で一言。鯉登が目を剥いた。
「つ、月島は辛うなかとなっ!?」
「日頃の行い、ですかね」
微かに口角を上げぺろりと指先をなめる月島を、鯉登はむっとした顔で睨みつけ、
「なんじゃそん言い草は!おいん行いが悪かごたっらせんか !」
「そうは言っていませんよ。ただ、少尉殿はどうも引きが強いようで」
月島の淡々とした口調に、鯉登は拳を握りしめた。
「キェェェェェッ!次は絶対あたりじゃなか方を引いてやっ!」
周囲の芸者へ仲居たちがくすくすと笑い声を漏らし、楽しそうに見守っていた。
菊乃は思わず頬を緩める。そして、自らもひとつ摘まんで口へ運んだ。
「ん、おいしいっ」
「それは狡いですよ、菊乃さん」
「え?」
月島の一言に思わず瞬きをする菊乃に、鯉登が「そうだ」と言わんばかりに身を乗り出した。
「菊乃はあたりん位置をおべちょっじゃろ !入れ替えさせっ!」
「いいですよ。どうぞ」
菊乃は素直に化粧箱を差し出す。それを受け取った鯉登が背を向け、ぐるぐると最中をかき混ぜるように移動させる。それから、慎重な手つきで丁寧に並べる様を、無の感情で見守る月島。
大の大人、しかも軍人二人が菓子を囲んで戯れている様が実に奇妙で、菊乃の笑いは止まらない。
「ふふっ、見た目は全部一緒ですよ」
「完全に分からんごつしてや っ!」
「あははっ」
思わず腹を抱えて笑った。涙が滲んで肩が震える。
――ああ、またちゃんと笑って過ごせている。ふと胸に込み上げるものを笑いに紛らわせ、菊乃は鯉登の方を見やった。
化粧箱を菊乃に差し戻した鯉登は、まるで大勝負を前にしたように背筋を伸ばし、誇らしげに胸を張っている。その目は真剣そのものだ。
「さあ、次はどなたから引きますか?」
「おいじゃ!」
「どうぞ」
僅かに緊張した面持ちで、箱の中を一瞥した鯉登が、えいやっとばかりにひとつの最中を掴み上げた。
その一口は、果たして天国か地獄か。
鯉登が起こした微かな風に乗って、最中の香ばしい香りがふわりと舞った。
――ぜぇ、ぜぇ、と客間に響く荒い息遣い。
目の前には最中の空き箱。そして、目を剥いている鯉登がいた。
「三つともあてっしもた !ないごて っ!?」
肩を上下させて叫ぶその姿に、菊乃は思わず口元を押さえて笑みをこぼす。
「すべてあてられた方は、はじめてかも」
そう告げると、心からの笑みを湛えて、ふわりと柔らかく頭を下げる。
「おめでとうございます」と言った瞬間、菊乃と鯉登の視線がぴたりと合った。
一瞬、彼の表情が固まり、その頬がほんのりと赤みを帯びる。けれどすぐ様、騙されんぞとばかりに、
「さては二人、示し合わせておったな!?卑怯だぞ!」
「そんなことはしていませんよ」
月島がぴんと姿勢を正し、凛とした声音で即答する。
鯉登は、ふんっとそっぽを向いてわさびのにおいが残る鼻をすすり、背中を向けてしょげた犬のように黙りこくってしまった。
そのとき、月島が菊乃の横へと静かに身を寄せる。その声は小さく、
「……穴をあけていましたね」
「月島さんの観察眼、恐れ入りました」
菊乃はくすりと笑って、悪戯が成功した子どものように片目をつむって見せた。月島はため息を吐き、眉をわずかに寄せる。
化粧箱に入っていた最中のうちあたりにだけ、側面に針で開けたごく小さな穴を忍ばせておいたのだ。
「次は、月島さんにもあたりを引いていただけるように頑張ろうっと」
「……お手柔らかにお願いします」
目を伏せた月島の横顔を見て、菊乃はまた微笑んだ。
「本日は、食後に甘味などいかがでしょう」
そう言いながら、菊乃はひとつの箱をそっと卓の上に置いた。その中には、餡子がたっぷり挟まった小ぶりな最中が品よく並んでいる。丸みを帯び少し歪な形が特徴的で、箱の表には菓子屋の名前が記されている。どこか気品と温かみのある佇まいだった。
「最中、ですか?」
月島が差し出されたそれに目を向ける。
「はい。東京で今話題のお店だそうで。取引先の方からいただいたんです」
そう答えながら、菊乃は二人の様子をそっと観察する。鯉登は、興味津々といった様子で覗きこみ、目を輝かせていた。菊乃から、ふふっと思わず笑みがこぼれる。子どもが新しいおもちゃを見た時のような、その素直な反応が微笑ましい。
「東京か!あちらではこういうものが流行っているのか」
一方の月島は、一歩引いたところで様子を伺っている。彼の眼差しは冷静で、どこか鋭い。その視線は菊乃へと一点集中されていた。
「せっかくですし、私と少し遊びませんか?」
菊乃が小首をかしげて微笑んだ。
「遊び?」
「この中に“あたり”を三つ入れています。一人ひとつずつ順に食べていくんです。どれかは引いてみてのお楽しみ」
その瞬間、鯉登の目がさらに輝きを増す。菊乃はその反応を見て、笑みを深くする。こういう素直な人がいると、より楽しい。
「なんだなんだ、あたりとは!まさか特別な味とかか?」
「ふふ、食べてみれば分かりますよ」
一方で、月島の目元が細くなる。
「……なんで“あたり”が三つもあるんです?」
「ひとつだけじゃ面白くないじゃないですか」
微笑みを絶やさず返すと、月島は黙って見つめ返してきた。その無言に込められた警戒心を感じながらも、菊乃はそのまま化粧箱を差し出す。分かっている。彼は決して油断などしない。月島のような男も、菊乃にとってはまた面白みのある人間である。
「よし、なら私が先に選ばせてもらうぞっ」
菊乃が差し出した化粧箱に並ぶふっくらとした最中を、鯉登は迷いなく一つ手に取った。その無邪気な様子を見て、月島は呆れたように肩を竦める。
「少尉殿、もう少し慎重に選ばれては」
「こういうのは勢いだ、うふふ」
鯉登は満面の笑みでそれにかぶりつく――次の瞬間、
「ん゛っ!!?」
鯉登の顔が一気に赤く染まり、目を剥いて立ち上がった。
「もぁ゙っ!なんじゃこんたぁあ!?」
「おめでとうございます。あたりですっ。ふふふっ」
菊乃は口元に手を当てて笑いを堪えている。
「うおぉ!辛っ、辛か!ないを入れたっ!?」
「わさびです」
「わ、わさび!?」
まさに不協和音。甘いの後にくるわさびのツンとした刺激のせいで、鯉登は鼻を押さえながら涙目で悶絶している。その横で、月島が無言のまま最中を一つ手に取り、落ち着いた仕草で口に運んだ。
「……普通にうまいです」
もぐもぐと味わいながら、無表情で一言。鯉登が目を剥いた。
「つ、月島は辛うなかとなっ!?」
「日頃の行い、ですかね」
微かに口角を上げぺろりと指先をなめる月島を、鯉登はむっとした顔で睨みつけ、
「なんじゃそん言い草は!
「そうは言っていませんよ。ただ、少尉殿はどうも引きが強いようで」
月島の淡々とした口調に、鯉登は拳を握りしめた。
「キェェェェェッ!次は絶対あたりじゃなか方を引いてやっ!」
周囲の芸者へ仲居たちがくすくすと笑い声を漏らし、楽しそうに見守っていた。
菊乃は思わず頬を緩める。そして、自らもひとつ摘まんで口へ運んだ。
「ん、おいしいっ」
「それは狡いですよ、菊乃さん」
「え?」
月島の一言に思わず瞬きをする菊乃に、鯉登が「そうだ」と言わんばかりに身を乗り出した。
「菊乃はあたりん位置を
「いいですよ。どうぞ」
菊乃は素直に化粧箱を差し出す。それを受け取った鯉登が背を向け、ぐるぐると最中をかき混ぜるように移動させる。それから、慎重な手つきで丁寧に並べる様を、無の感情で見守る月島。
大の大人、しかも軍人二人が菓子を囲んで戯れている様が実に奇妙で、菊乃の笑いは止まらない。
「ふふっ、見た目は全部一緒ですよ」
「完全に
「あははっ」
思わず腹を抱えて笑った。涙が滲んで肩が震える。
――ああ、またちゃんと笑って過ごせている。ふと胸に込み上げるものを笑いに紛らわせ、菊乃は鯉登の方を見やった。
化粧箱を菊乃に差し戻した鯉登は、まるで大勝負を前にしたように背筋を伸ばし、誇らしげに胸を張っている。その目は真剣そのものだ。
「さあ、次はどなたから引きますか?」
「おいじゃ!」
「どうぞ」
僅かに緊張した面持ちで、箱の中を一瞥した鯉登が、えいやっとばかりにひとつの最中を掴み上げた。
その一口は、果たして天国か地獄か。
鯉登が起こした微かな風に乗って、最中の香ばしい香りがふわりと舞った。
――ぜぇ、ぜぇ、と客間に響く荒い息遣い。
目の前には最中の空き箱。そして、目を剥いている鯉登がいた。
「三つとも
肩を上下させて叫ぶその姿に、菊乃は思わず口元を押さえて笑みをこぼす。
「すべてあてられた方は、はじめてかも」
そう告げると、心からの笑みを湛えて、ふわりと柔らかく頭を下げる。
「おめでとうございます」と言った瞬間、菊乃と鯉登の視線がぴたりと合った。
一瞬、彼の表情が固まり、その頬がほんのりと赤みを帯びる。けれどすぐ様、騙されんぞとばかりに、
「さては二人、示し合わせておったな!?卑怯だぞ!」
「そんなことはしていませんよ」
月島がぴんと姿勢を正し、凛とした声音で即答する。
鯉登は、ふんっとそっぽを向いてわさびのにおいが残る鼻をすすり、背中を向けてしょげた犬のように黙りこくってしまった。
そのとき、月島が菊乃の横へと静かに身を寄せる。その声は小さく、
「……穴をあけていましたね」
「月島さんの観察眼、恐れ入りました」
菊乃はくすりと笑って、悪戯が成功した子どものように片目をつむって見せた。月島はため息を吐き、眉をわずかに寄せる。
化粧箱に入っていた最中のうちあたりにだけ、側面に針で開けたごく小さな穴を忍ばせておいたのだ。
「次は、月島さんにもあたりを引いていただけるように頑張ろうっと」
「……お手柔らかにお願いします」
目を伏せた月島の横顔を見て、菊乃はまた微笑んだ。
