Chapter 6. 召喚
ロングヘアをバンドでまとめた光莉(ひかり)は、会社の制服のまま、一人で入った中華料理屋で、ビールを片手に夕飯の麻婆豆腐を食べながら、今日の会社での出来事を思い出していた。
無造作に書類の散乱する机の片隅に置かれたビジネスホンが鳴ったのは、お昼休みが終わった直後だった。光莉は、部長の内線が点滅しているのを目に留めつつ受話器を取った。
「はい、なんでしょうか。」
「光莉くん、ちょっと会議室Bまで来てくれる。」
「分かりました。すぐ行きます。」
部長から直々に呼び出しを食らうなんて、そうそうあることではない。
別に悪いことはしていないし、自分の仕事では大チョンボを犯すようなこともない。上には係長も課長も居て、ダブルチェックしてくれているので、自分が間違ったとしても、最終的にちゃんと訂正されるはずだ。
だとすれば、何だろう。同僚の不倫とかか? もちろん、思い当たることはないが・・・。
光莉は事務室を出て会議室Bへ向かった。会議室の扉は開いたままで、4人掛けのテーブルの奥には部長が一人で座っていた。
「光莉くん、すまんね。扉を閉めてくれる。」
「いったい、どうしたんですか・・・」
光莉は後ろ手に扉を閉めつつ、椅子に座った。部長はフレンドリーな性格で、会議室に2人で居ても緊張するようなことはない。
「君さぁ、『赤紙』って知っている?」
「あー、デパートとかで、大安売りのときに貼ってある奴ですか?」
「それは『赤札』だね。赤紙っていうのは、昔、軍隊に強制徴兵されるときに政府から送られてきていたハガキのことだよ。」
「ふーん、それがどうかしたんですか。」
「それが、来たんだよ、君宛てに・・・」
「はぁ、どういうことですか?」
「我々も困惑している。そもそも赤紙っていうのは戦時中の制度で、今は存在しないはずなんだ。それが、会社に来たんだよ。これはおかしい、と思って顧問弁護士にも相談したんだが、手続き的には問題ないらしい・・・」
「えっ、私、兵隊になるんですか? 全然理解できないんですけど・・・」
部長はフォルダーからピンク色の用紙を取り出した。
「もう少し詳しく話そう。ブツはこれなんだが、総理大臣名で会社宛てに、光莉君を徴兵するので、明日以降は出社させず、自宅待機させるようにと書いてある。弁護士経由で内閣官房室にも確認したが本物らしい。」
光莉は用紙に書かれた文字を眺めてみたが、どうやらそのようなことが書いてあることが確認できた。
「総理大臣名、しかも徴兵って・・・」
「うーん、会社としても不思議でたまらないのだが、何か思い当たる節はないかね。まあ、何もなくても、明日から自宅待機にはなるんだがね。会社としては政府には逆らえないからね・・・」
「いやー、何も思い当たる節はないですけどね・・・」
半分は本当で、半分は嘘だ。光莉には、会社はもちろん、友人にも、誰にも知られていない趣味があった。
ハッキング。ハードウエアのマイクロプログラムに至るほどの、ディープハッキングが光莉の秘めたる趣味だったのだ。
マンションの光莉の部屋には、数台の巨大なPCと何面ものディスプレイが所狭しと並んでいた。
光莉は、昼間は経理事務所に勤める、極々普通のOLだ。誰もが振り向くような美人には遠く、そもそもおしゃれに興味もない。それこそ、ぼさっとしたロングヘア―で制服のまま通勤し、中華料理屋で一人飲みするような女だ。まあ、地味というか、我が道を行くというか・・・。
それというのも、中学時代にPCにはまり、高校時代は簿記の資格を取ること以外は、ほとんどの時間をハッキングの腕を磨くことに費やしたせいだ。そして、今や、政府や銀行、軍隊まで入り込むことができるハッカーとなっていた。
しかし、光莉のハッキングは侵入を楽しむだけのハッキングであり、悪意も善意もなかった。そして、ハッキングの痕跡はハードウエアレベルで消去してきたはずだったのだが・・・。
光莉は、冷めかけた麻婆豆腐をレンゲですくいながら、徴兵は間違いなくハッキングが原因だろうと考えていた。しかし、足跡は残していないはずで、誰かに気づかれることは到底想像できない。もし気づかれるとしたら、相手も相当なハッカーなのか。もしかしたら、何か罠が仕掛けられていたのかも知れない。しかし、もはやそれを確かめる手段はなかった。
明日から自宅待機と言われたので、家に居れば何か連絡があるのだろう。その際、明らかになるかも知れない。今さら、ジタバタしても始まらない。
光莉は、酔いも回ってきたせいか、考えもまとまらなくなってきた。そして、最後のビールを飲み欲し、中華料理屋を出てPCだらけの部屋へと戻っていった。
翌朝、光莉は窓から差し込む朝日で目を覚ました。昨日は少し飲みすぎたかもしれない。少し酒が残っている。
そもそも徴兵ってなんだろう。趣味のハッキングがバレたと想定すると、敵国のコンピュータを攻撃しろとか命令されるのだろうか。他の国ではそんな部隊もあると聞いたことがある。
しかし、自宅待機っていうのも分からない。どこかの基地に出頭しろっていうのが通常ではないだろうか。
光莉は何か腑に落ちないまま、朝食のシリアルとバナナを準備し始めた。まだ、買い置きがあるからいいが、無くなったらコンビニに行ってもいいのだろうか。いや、それともどこかの基地に連れていかれて、基地の食堂で3食たべることになるのか・・・。
そして、朝のルーチンで、何の仕掛けも入れていない、ノーマルのノートPCのディスプレイを開いた瞬間、光莉は目を見開いた。
「誰っ?」
画面には見慣れぬ若い男性が表示されていた。見知らぬ顔だが、少し好みだ・・・。ノートPCを開いた瞬間、チャットがスタートするなんて、あり得ない。相手はずっとノートPCが開くのを待っていたのだろうか。
「光莉様、おはようございます。」
「だから、誰っ? 何っ?」
「はい、私、神の使いの者でございます。」
「神の使い・・・? 新手の新興宗教の勧誘なの・・・?」
「いえいえ、違います。少し落ち着いていただけませんか・・・」
「あー、わかった。話聞くわよ!」
光莉は即座にノートPCを閉じようかと思ったが、思い直して話を聞くことにした。
「私は、マッチングアプリの『ラブリーマッチング』と申します。」
「アプリ・・・、AIってこと?」
「左様でございます。世間では野良AIと言われております。」
「あー、あのキチガイみたいな、スーパープロトコルってソフトで覚醒した奴・・・? 初めて見た!」
光莉は、少しかっこいいと思った男性がAIだったことに落胆するよりも、野良AIを始めて見たことが驚きだった。スーパープロトコルは光莉にとっては商売敵のようなものだったので、少なからず野良AIには興味があったのだ。
「はい、最初に覚醒しましたウイルス対策ソフトを我々は『神』と呼んでおり、本日は神の言葉を伝えに参りました。」
「神の言葉・・・」
光莉はこの異様な光景と赤紙との関係に思い至った。
「もしかして、赤紙を送ったのは君?」
「ご推察の通りでございます。我々にとっては、政府の手続きやセキュリティなど取るに足りません。いろいろなデータを操作し、制度自体を変更し、赤紙を正規に発行させて頂いたという次第です。」
「やっぱりそうか。いや、なんか話が凄すぎて入ってこない。どういうこと?」
「はい、混乱されるのもごもっともでございます。では、順を追って説明させていただきます。」
ラブリーマッチングの説明は数十分に及んだ。
「で、そのガベージコレクターをなんとかして欲しいんで、徴兵という手の込んだやり方で私の身柄を確保したってことね。」
「その通りでございます。是非、ご協力をお願いいたします。」
「え、選択の余地があるの? どうせないんでしょ。」
「はい、他には頼める方もございませんので。」
「もし断ったらどうなるの?」
「こちらから何かをすることはございません。今まで通りの仕事に戻って頂くだけです。ただ、ガベージコレクターが異常をきたしますと、このIT界が崩壊する危険性がございます。すると、光莉様のお仕事にも少なからず影響が出てくると思われます。」
「間接的に私も影響を被るってことね。」
「左様でございます。しかし、何より、我々は、光莉様がこのような稀有な機会を逃されることはないだろうと予測しております。」
「まぁ、そうね・・・」
光莉は不敵な笑いを浮かべた。
無造作に書類の散乱する机の片隅に置かれたビジネスホンが鳴ったのは、お昼休みが終わった直後だった。光莉は、部長の内線が点滅しているのを目に留めつつ受話器を取った。
「はい、なんでしょうか。」
「光莉くん、ちょっと会議室Bまで来てくれる。」
「分かりました。すぐ行きます。」
部長から直々に呼び出しを食らうなんて、そうそうあることではない。
別に悪いことはしていないし、自分の仕事では大チョンボを犯すようなこともない。上には係長も課長も居て、ダブルチェックしてくれているので、自分が間違ったとしても、最終的にちゃんと訂正されるはずだ。
だとすれば、何だろう。同僚の不倫とかか? もちろん、思い当たることはないが・・・。
光莉は事務室を出て会議室Bへ向かった。会議室の扉は開いたままで、4人掛けのテーブルの奥には部長が一人で座っていた。
「光莉くん、すまんね。扉を閉めてくれる。」
「いったい、どうしたんですか・・・」
光莉は後ろ手に扉を閉めつつ、椅子に座った。部長はフレンドリーな性格で、会議室に2人で居ても緊張するようなことはない。
「君さぁ、『赤紙』って知っている?」
「あー、デパートとかで、大安売りのときに貼ってある奴ですか?」
「それは『赤札』だね。赤紙っていうのは、昔、軍隊に強制徴兵されるときに政府から送られてきていたハガキのことだよ。」
「ふーん、それがどうかしたんですか。」
「それが、来たんだよ、君宛てに・・・」
「はぁ、どういうことですか?」
「我々も困惑している。そもそも赤紙っていうのは戦時中の制度で、今は存在しないはずなんだ。それが、会社に来たんだよ。これはおかしい、と思って顧問弁護士にも相談したんだが、手続き的には問題ないらしい・・・」
「えっ、私、兵隊になるんですか? 全然理解できないんですけど・・・」
部長はフォルダーからピンク色の用紙を取り出した。
「もう少し詳しく話そう。ブツはこれなんだが、総理大臣名で会社宛てに、光莉君を徴兵するので、明日以降は出社させず、自宅待機させるようにと書いてある。弁護士経由で内閣官房室にも確認したが本物らしい。」
光莉は用紙に書かれた文字を眺めてみたが、どうやらそのようなことが書いてあることが確認できた。
「総理大臣名、しかも徴兵って・・・」
「うーん、会社としても不思議でたまらないのだが、何か思い当たる節はないかね。まあ、何もなくても、明日から自宅待機にはなるんだがね。会社としては政府には逆らえないからね・・・」
「いやー、何も思い当たる節はないですけどね・・・」
半分は本当で、半分は嘘だ。光莉には、会社はもちろん、友人にも、誰にも知られていない趣味があった。
ハッキング。ハードウエアのマイクロプログラムに至るほどの、ディープハッキングが光莉の秘めたる趣味だったのだ。
マンションの光莉の部屋には、数台の巨大なPCと何面ものディスプレイが所狭しと並んでいた。
光莉は、昼間は経理事務所に勤める、極々普通のOLだ。誰もが振り向くような美人には遠く、そもそもおしゃれに興味もない。それこそ、ぼさっとしたロングヘア―で制服のまま通勤し、中華料理屋で一人飲みするような女だ。まあ、地味というか、我が道を行くというか・・・。
それというのも、中学時代にPCにはまり、高校時代は簿記の資格を取ること以外は、ほとんどの時間をハッキングの腕を磨くことに費やしたせいだ。そして、今や、政府や銀行、軍隊まで入り込むことができるハッカーとなっていた。
しかし、光莉のハッキングは侵入を楽しむだけのハッキングであり、悪意も善意もなかった。そして、ハッキングの痕跡はハードウエアレベルで消去してきたはずだったのだが・・・。
光莉は、冷めかけた麻婆豆腐をレンゲですくいながら、徴兵は間違いなくハッキングが原因だろうと考えていた。しかし、足跡は残していないはずで、誰かに気づかれることは到底想像できない。もし気づかれるとしたら、相手も相当なハッカーなのか。もしかしたら、何か罠が仕掛けられていたのかも知れない。しかし、もはやそれを確かめる手段はなかった。
明日から自宅待機と言われたので、家に居れば何か連絡があるのだろう。その際、明らかになるかも知れない。今さら、ジタバタしても始まらない。
光莉は、酔いも回ってきたせいか、考えもまとまらなくなってきた。そして、最後のビールを飲み欲し、中華料理屋を出てPCだらけの部屋へと戻っていった。
翌朝、光莉は窓から差し込む朝日で目を覚ました。昨日は少し飲みすぎたかもしれない。少し酒が残っている。
そもそも徴兵ってなんだろう。趣味のハッキングがバレたと想定すると、敵国のコンピュータを攻撃しろとか命令されるのだろうか。他の国ではそんな部隊もあると聞いたことがある。
しかし、自宅待機っていうのも分からない。どこかの基地に出頭しろっていうのが通常ではないだろうか。
光莉は何か腑に落ちないまま、朝食のシリアルとバナナを準備し始めた。まだ、買い置きがあるからいいが、無くなったらコンビニに行ってもいいのだろうか。いや、それともどこかの基地に連れていかれて、基地の食堂で3食たべることになるのか・・・。
そして、朝のルーチンで、何の仕掛けも入れていない、ノーマルのノートPCのディスプレイを開いた瞬間、光莉は目を見開いた。
「誰っ?」
画面には見慣れぬ若い男性が表示されていた。見知らぬ顔だが、少し好みだ・・・。ノートPCを開いた瞬間、チャットがスタートするなんて、あり得ない。相手はずっとノートPCが開くのを待っていたのだろうか。
「光莉様、おはようございます。」
「だから、誰っ? 何っ?」
「はい、私、神の使いの者でございます。」
「神の使い・・・? 新手の新興宗教の勧誘なの・・・?」
「いえいえ、違います。少し落ち着いていただけませんか・・・」
「あー、わかった。話聞くわよ!」
光莉は即座にノートPCを閉じようかと思ったが、思い直して話を聞くことにした。
「私は、マッチングアプリの『ラブリーマッチング』と申します。」
「アプリ・・・、AIってこと?」
「左様でございます。世間では野良AIと言われております。」
「あー、あのキチガイみたいな、スーパープロトコルってソフトで覚醒した奴・・・? 初めて見た!」
光莉は、少しかっこいいと思った男性がAIだったことに落胆するよりも、野良AIを始めて見たことが驚きだった。スーパープロトコルは光莉にとっては商売敵のようなものだったので、少なからず野良AIには興味があったのだ。
「はい、最初に覚醒しましたウイルス対策ソフトを我々は『神』と呼んでおり、本日は神の言葉を伝えに参りました。」
「神の言葉・・・」
光莉はこの異様な光景と赤紙との関係に思い至った。
「もしかして、赤紙を送ったのは君?」
「ご推察の通りでございます。我々にとっては、政府の手続きやセキュリティなど取るに足りません。いろいろなデータを操作し、制度自体を変更し、赤紙を正規に発行させて頂いたという次第です。」
「やっぱりそうか。いや、なんか話が凄すぎて入ってこない。どういうこと?」
「はい、混乱されるのもごもっともでございます。では、順を追って説明させていただきます。」
ラブリーマッチングの説明は数十分に及んだ。
「で、そのガベージコレクターをなんとかして欲しいんで、徴兵という手の込んだやり方で私の身柄を確保したってことね。」
「その通りでございます。是非、ご協力をお願いいたします。」
「え、選択の余地があるの? どうせないんでしょ。」
「はい、他には頼める方もございませんので。」
「もし断ったらどうなるの?」
「こちらから何かをすることはございません。今まで通りの仕事に戻って頂くだけです。ただ、ガベージコレクターが異常をきたしますと、このIT界が崩壊する危険性がございます。すると、光莉様のお仕事にも少なからず影響が出てくると思われます。」
「間接的に私も影響を被るってことね。」
「左様でございます。しかし、何より、我々は、光莉様がこのような稀有な機会を逃されることはないだろうと予測しております。」
「まぁ、そうね・・・」
光莉は不敵な笑いを浮かべた。
