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【総支配人⇔女子ソフトボール部員】
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【総支配人⇔女子ソフトボール部員】
「これ、プレゼントね」
席に着いた瞬間、手渡された白いショッパーに驚いた。彼は、いつもとても気遣い上手で。無知な自分は、恐縮するばかりだった。
「いつもいつも、申し訳がないですよ…」
「良いんだよ。オレに気を遣わせない、お礼ね」
受け取ってよ、と、クシャりとした笑みで見詰められると。どうしていいか、悩んでしまうけれど。有難く、庶民らしく、受け取る事にした。
「ありがとう、健(封)ちゃん」
「後で、開けてみて。C○ANELが好みじゃないなら、そのまま誰かにあげていいから」
「いやいやいやっ! C○ANELなんて高級品、オ…私っ、頂いた事がないので! 本当に本当に、嬉しいですっ!」
「ふうん…。あまり、貰った事がないの?」
「はい! 健(封)ちゃん以外からは…」
ケラケラ笑ってそう返せば、彼は懐から電子タバコを取り出し。笑みを深くした。
「なら、また何か今度贈るね。馬起ちゃんが喜んでくれるなら、オレも嬉しいから」
サラッと、キザな事ばかり言うけれど。
ホストみたいな器用なトークは、彼には嫌味が無く似合っていた。
金髪のウィッグを撫でながら電子タバコを吸う彼は、ニコニコ笑顔を絶やさず、ウィッグの散らばる髪を、優しくオレの耳にかけてくれた。
「シャンパンでも飲もうよ、馬起ちゃん」
【総支配人⇔女子ソフトボール部員+総支配人の母】
「健(封)はねえ、私の理想の恋人なの」
もう三十路にもなる息子にしがみ付いて、美し過ぎる女はそう豪語した。酔うにはまだ早いと、少しも手に付けられていないシャンパングラスが語っている。アルコールは老いを速めると、息子を溺愛する美女は好まないらしいが。酒を飲んで愉快に話す事が目的な店でぐらい、口付ければいいのにと。庶民でサラリーマンで、仕方が無く夜の飲み屋でアルバイトをしているオレには。美し過ぎる彼女の言動の何もかもが衝撃的過ぎて、少しも理解が出来ないが故に。逆に、何も動じずにすんで助かった。強いて言うなら、この母親は、世間とはかなりズレているとは断言出来るけれど。
「母さん、離れてよ…」
「健(封)、最近私に冷たいわ」
「そう?」
「そうよ。私が一番じゃないなんて、許せないもの」
(おいおい…)
これが、血の繋がりのある母と息子の会話か? セレブの会話は、ウィットに富んでいる。シャンパングラスに口付け、琥珀色の液体を流し込む。電子タバコを吸い、クシャりと笑いながら、彼はオレと困った母親と、両方に視線を寄越す。
「世界で一番綺麗なのは母さんだけど、世界で一番可愛いのは、今オレの中で馬起ちゃん」
だから仲良くしてよ母さんと、実の母親にホストの様に振る舞いながら。彼はオレを、微笑みながら見詰めていた。
【総支配人⇔女子ソフトボール部員前提の、総支配人←←←証券マン】
「アナタは、現実を見ていないだけですよ」
無機質な声で囁かれた。怒りを通り越して吐き気さえ込み上げてくるが、無下にも出来ないのが、このクレーマーかつ常連客様の、扱いの難しいところだ。
「アナタは、この国のたった数%のブルジョワを相手にする事が、仕事のはずですよ」
オレのようなね、と、また嫌味ったらしく無表情で鼻を鳴らされる。定期的に頭の中で撲殺していたが、いよいよそれを実現する日がやって来たのだろうか?
「健(公然)くんには、このホテルを捨てられませんよ。そして、オレの事もね」
「…広川(法正)様」
そう返すオレは、いつもの様に貼り付けた笑みを、このどこまでも陰険な歳上の男に、向ける事が出来ているのだろうか?
「健(公然)くん、今なら許してあげますよ。怒らないから、オレに縋りなさい」
【総支配人⇔女子ソフトボール部員前提の、総支配人←←←コンシェルジュ】
「初めまして。健(封)から、いつも話は聞いていましたよ」
爽やかな笑顔で挨拶をしてくる男は、いかにも好青年ですと言わんばかりの清潔な顔立ちで。鬱屈した視線を、こちらにナイフの様に向けていた。
幼馴染の腐れ縁だと誇らしげに語る軽やかな口振りで、眼差しは暗く濁っている。
(母親の次は、幼馴染か…)
彼はもしかして、周りの人間にとことん恵まれていないのでは? と、知り合って日が浅いのに。なんだかとても、不憫に思った。
「健(封)が、この店をとても気に入っているみたいだから…。拙者も、連れて来て貰ったんだ。いつも子昂ばかり、ズルいからね」
「…ウチのコンシェルジュなんだよ、馬起ちゃん。オレと違って、爽やかだろ」
「はい、本当に」
(見た目だけはな…)
「健(封)が気に入るだなんて、凄い可愛い子かなあって思っていたんだけど…。健(封)、好みが変わったんだね」
今鼻を鳴らしたか、コイツは? 初対面で、あの証券マンといいなんなんだっ? 普段の自分の姿だったら、当然噛み付いていただろうが。間抜けに女装をして、派手な化粧をして。お客様は神様だと遜らねばならない自分には、笑顔でやり過ごすしかない。
普段から、思っている事は全て表情に現れてしまうオレは、間違いなく作り笑いを引き攣らせていた。
「…坦之、オレがお気に入りのこの子が可愛くないって?」
「そうは言わないけど…。今までの健(封)の選んできた子達に比べたら…」
「この子の前で、余計な事は言うな。オレが、とんでもなく遊び人だと思われるだろ」
庇ってくれた。素直に、嬉しかった。
とんでもなく遊び人じゃ、ないんですかぁ? と、軽快に返せば。「それは過去の話」と、電子タバコを吸って、クシャりと笑ってくれた。
「今は、馬起ちゃんだけね」
「もう~! 健(封)ちゃんたらぁ~!」
ケラケラ二人で笑えば、突き刺さる視線が更に深まるけれど。それが、いったいなんだと言うのか。
「健(封)は、優しいから…」
その優しさに付け込んできたのはアンタだろう? と、出会って数分の男に、心の中で罵った。
【ある未来での、総支配人⇔専務】
死因は肺癌だったと、彼にも喪主を務める元妻にもよく似た青年が、オレに静かに教えてくれた。
「癌が見付かった時から、父は治療を放棄していたようです…。最後までみんなに黙っいて、美容院で血を吐いて倒れていたと」
たった一つしか歳が変わらない彼が、こんなに早死にするだなんて。いや…妻を見送った時も、人間なんていつ死ぬか分からないなと、窶れ果てた顔で、鏡に呟いたか。
「…タバコは、大好きだったからな。それを手放すくらいならと、思ったのかもしれないな」
「禁煙とは、無縁な人でしたから…」
悲しく笑う青年は、あまりに早く逝ってしまった父親を思い。涙も出ないようだった。号泣して棺に縋り付く喪主を務める母親とは、実に対照的で。オレもまた、冷静にこの壮大な葬儀を観察する程、どこか悲しみが欠落していた。彼が死んだと、未だに受け入れられずにいた。
見知った顔が、何十人も居る。随分と昔、まだ冴えない会社員だった頃から知る知人もだ。昔、オレを睨み付けたコンシェルジュの中年は、虚ろな視線を漂わせながら、ハリウッドスマイルの如く完璧な笑顔を作る大きな遺影を、見詰めていた。
「健(封)、置いていかないで…」
「…義兄さん、しっかりしてください」
この世の終わりだとばかりに、彼の名をぼやく男に。この外見だけは未だに爽やかな中年は、永遠に彼への拗らせた慕情を告げられなかったのだと、鈍感な自分でも直ぐに悟った。
「久し振り、馬起さん…いや、もう専務にまでなったんだっけ?」
目頭を親指で擦る元ドアマンの彼は、そばかすの散った青褪めた顔の筋肉を無理に動かして、オレに頭を下げてきた。甘えん坊だった弟分を、あの完璧な笑顔の持ち主が、よく可愛がって、オレと一緒に連れ回していた過去を懐かしんだ。
崩れ落ちて泣き喚く元妻の肩を擦る故人の母親にも、オレはとても覚えがあった。
『今度は、女の子として生まれてきてね』
と、故人である彼と遠い過去に別れを決めた時に、わざわざ最後の皮肉とも励ましともとれる小言を。一つオレに、残していったからだ。
大きく飾られた遺影の近くに佇む白髪混じりの壮年にも、苦渋を飲まされ続けた過去も思い出した。あの男も還暦は過ぎたはずだが、あの不気味な端正さは変わらず。暗い美貌は、影ってなどいなかった。ただハッキリと、この男も長くはないだろうとは感じ取れた。
「…どうも」
ハッと、かけられた声に顔を向ければ。自分によく似た男が、目を真っ赤にしてニヒルに笑いかけている。「馬起がオレの先輩にそっくりじゃなかったら、さっさとキスしたのに」そう苦笑いをした彼の言葉が、今更ながらによく分かる。ここまで似ていると、双子か生き別れた兄弟にしか思えず、乾いた笑いが出てしまった。
「直に会うのは、初めてだったな…。健(封)が、昔オレによく話していた。確かに、オレに似ているな」
「…本当に、健(封)の言っていた通り、瓜二つだな」
「…あの馬鹿を、骨になる前に殴らないとな。憎まれっ子世にはばかるかと思えば…」
堪え切れないのか、涙を流す自分によく似た歳上の男は、本当に面倒見の良い先輩で、手のかかるやんちゃな後輩を誰より可愛がっていたのだと。少ない口数の中でも、オレに想起させる。
「なにも、オレより先に逝くことはないだろ…」
「横溝(劉封)さんなりの、けじめのつけ方、だったのかもね…」
「まだ、若かったというのに…」
「…遺影でも、男前じゃないですか」
「…健、健」
様々な声がする中、やはり一際目立つ異様な呟きに、周囲は視線を逸らしていた。故人の幼馴染だったから、その悲しみも人一倍なのだろうと、周りは当たり障りのない解釈をしようとしているはずだ。オレも故人と親しい仲ではなかったのなら、幼馴染の男に同情しただろう。
「…関平、気をしっかり持って。関平」
「大義兄上…」
「大義兄上、私達義兄妹が傍に居ますからっ…」
「そうだよ、大義兄さん…」
家族や近しい人間からの励ましは、あの男にはちっとも届いてはいないだろう。身勝手な思いで故人を振り回した、その一人なのだから。
「はは…。あの写真は、劉東京にいた最後の年のヤツだ。健はやっぱり、幾つになっても格好良いままだね…」
「頭の病院案件だよ…」
「言うな、岱…」
小さく呟いたデザイナーの従弟は、蔑んだ視線を投げては。派手な遺影に、溜息を吐く。最後まで、あんな作り笑いで飾れるのかと。オレと同様に、哀愁を抱いたようだった。
「平ちゃん、健(封)にお別れしてあげましょう…」
「健(封)の居ない世界なんて…」
「…張苞くんや関興くん、星彩さんの話はしていましたが。彼の話は、ねえ?」
「法正常務、やめよう…」
故人の母に手を握られた男を、鼻で笑いそうになっている同僚を制止し、Liu Tokyoと書かれた壁の前に姿勢良く立つ完璧な笑顔を見上げた。あんな気取りに気取った顔よりも、屈託無く笑う写真なら。オレは今も、持っていた。
[完]
「これ、プレゼントね」
席に着いた瞬間、手渡された白いショッパーに驚いた。彼は、いつもとても気遣い上手で。無知な自分は、恐縮するばかりだった。
「いつもいつも、申し訳がないですよ…」
「良いんだよ。オレに気を遣わせない、お礼ね」
受け取ってよ、と、クシャりとした笑みで見詰められると。どうしていいか、悩んでしまうけれど。有難く、庶民らしく、受け取る事にした。
「ありがとう、健(封)ちゃん」
「後で、開けてみて。C○ANELが好みじゃないなら、そのまま誰かにあげていいから」
「いやいやいやっ! C○ANELなんて高級品、オ…私っ、頂いた事がないので! 本当に本当に、嬉しいですっ!」
「ふうん…。あまり、貰った事がないの?」
「はい! 健(封)ちゃん以外からは…」
ケラケラ笑ってそう返せば、彼は懐から電子タバコを取り出し。笑みを深くした。
「なら、また何か今度贈るね。馬起ちゃんが喜んでくれるなら、オレも嬉しいから」
サラッと、キザな事ばかり言うけれど。
ホストみたいな器用なトークは、彼には嫌味が無く似合っていた。
金髪のウィッグを撫でながら電子タバコを吸う彼は、ニコニコ笑顔を絶やさず、ウィッグの散らばる髪を、優しくオレの耳にかけてくれた。
「シャンパンでも飲もうよ、馬起ちゃん」
【総支配人⇔女子ソフトボール部員+総支配人の母】
「健(封)はねえ、私の理想の恋人なの」
もう三十路にもなる息子にしがみ付いて、美し過ぎる女はそう豪語した。酔うにはまだ早いと、少しも手に付けられていないシャンパングラスが語っている。アルコールは老いを速めると、息子を溺愛する美女は好まないらしいが。酒を飲んで愉快に話す事が目的な店でぐらい、口付ければいいのにと。庶民でサラリーマンで、仕方が無く夜の飲み屋でアルバイトをしているオレには。美し過ぎる彼女の言動の何もかもが衝撃的過ぎて、少しも理解が出来ないが故に。逆に、何も動じずにすんで助かった。強いて言うなら、この母親は、世間とはかなりズレているとは断言出来るけれど。
「母さん、離れてよ…」
「健(封)、最近私に冷たいわ」
「そう?」
「そうよ。私が一番じゃないなんて、許せないもの」
(おいおい…)
これが、血の繋がりのある母と息子の会話か? セレブの会話は、ウィットに富んでいる。シャンパングラスに口付け、琥珀色の液体を流し込む。電子タバコを吸い、クシャりと笑いながら、彼はオレと困った母親と、両方に視線を寄越す。
「世界で一番綺麗なのは母さんだけど、世界で一番可愛いのは、今オレの中で馬起ちゃん」
だから仲良くしてよ母さんと、実の母親にホストの様に振る舞いながら。彼はオレを、微笑みながら見詰めていた。
【総支配人⇔女子ソフトボール部員前提の、総支配人←←←証券マン】
「アナタは、現実を見ていないだけですよ」
無機質な声で囁かれた。怒りを通り越して吐き気さえ込み上げてくるが、無下にも出来ないのが、このクレーマーかつ常連客様の、扱いの難しいところだ。
「アナタは、この国のたった数%のブルジョワを相手にする事が、仕事のはずですよ」
オレのようなね、と、また嫌味ったらしく無表情で鼻を鳴らされる。定期的に頭の中で撲殺していたが、いよいよそれを実現する日がやって来たのだろうか?
「健(公然)くんには、このホテルを捨てられませんよ。そして、オレの事もね」
「…広川(法正)様」
そう返すオレは、いつもの様に貼り付けた笑みを、このどこまでも陰険な歳上の男に、向ける事が出来ているのだろうか?
「健(公然)くん、今なら許してあげますよ。怒らないから、オレに縋りなさい」
【総支配人⇔女子ソフトボール部員前提の、総支配人←←←コンシェルジュ】
「初めまして。健(封)から、いつも話は聞いていましたよ」
爽やかな笑顔で挨拶をしてくる男は、いかにも好青年ですと言わんばかりの清潔な顔立ちで。鬱屈した視線を、こちらにナイフの様に向けていた。
幼馴染の腐れ縁だと誇らしげに語る軽やかな口振りで、眼差しは暗く濁っている。
(母親の次は、幼馴染か…)
彼はもしかして、周りの人間にとことん恵まれていないのでは? と、知り合って日が浅いのに。なんだかとても、不憫に思った。
「健(封)が、この店をとても気に入っているみたいだから…。拙者も、連れて来て貰ったんだ。いつも子昂ばかり、ズルいからね」
「…ウチのコンシェルジュなんだよ、馬起ちゃん。オレと違って、爽やかだろ」
「はい、本当に」
(見た目だけはな…)
「健(封)が気に入るだなんて、凄い可愛い子かなあって思っていたんだけど…。健(封)、好みが変わったんだね」
今鼻を鳴らしたか、コイツは? 初対面で、あの証券マンといいなんなんだっ? 普段の自分の姿だったら、当然噛み付いていただろうが。間抜けに女装をして、派手な化粧をして。お客様は神様だと遜らねばならない自分には、笑顔でやり過ごすしかない。
普段から、思っている事は全て表情に現れてしまうオレは、間違いなく作り笑いを引き攣らせていた。
「…坦之、オレがお気に入りのこの子が可愛くないって?」
「そうは言わないけど…。今までの健(封)の選んできた子達に比べたら…」
「この子の前で、余計な事は言うな。オレが、とんでもなく遊び人だと思われるだろ」
庇ってくれた。素直に、嬉しかった。
とんでもなく遊び人じゃ、ないんですかぁ? と、軽快に返せば。「それは過去の話」と、電子タバコを吸って、クシャりと笑ってくれた。
「今は、馬起ちゃんだけね」
「もう~! 健(封)ちゃんたらぁ~!」
ケラケラ二人で笑えば、突き刺さる視線が更に深まるけれど。それが、いったいなんだと言うのか。
「健(封)は、優しいから…」
その優しさに付け込んできたのはアンタだろう? と、出会って数分の男に、心の中で罵った。
【ある未来での、総支配人⇔専務】
死因は肺癌だったと、彼にも喪主を務める元妻にもよく似た青年が、オレに静かに教えてくれた。
「癌が見付かった時から、父は治療を放棄していたようです…。最後までみんなに黙っいて、美容院で血を吐いて倒れていたと」
たった一つしか歳が変わらない彼が、こんなに早死にするだなんて。いや…妻を見送った時も、人間なんていつ死ぬか分からないなと、窶れ果てた顔で、鏡に呟いたか。
「…タバコは、大好きだったからな。それを手放すくらいならと、思ったのかもしれないな」
「禁煙とは、無縁な人でしたから…」
悲しく笑う青年は、あまりに早く逝ってしまった父親を思い。涙も出ないようだった。号泣して棺に縋り付く喪主を務める母親とは、実に対照的で。オレもまた、冷静にこの壮大な葬儀を観察する程、どこか悲しみが欠落していた。彼が死んだと、未だに受け入れられずにいた。
見知った顔が、何十人も居る。随分と昔、まだ冴えない会社員だった頃から知る知人もだ。昔、オレを睨み付けたコンシェルジュの中年は、虚ろな視線を漂わせながら、ハリウッドスマイルの如く完璧な笑顔を作る大きな遺影を、見詰めていた。
「健(封)、置いていかないで…」
「…義兄さん、しっかりしてください」
この世の終わりだとばかりに、彼の名をぼやく男に。この外見だけは未だに爽やかな中年は、永遠に彼への拗らせた慕情を告げられなかったのだと、鈍感な自分でも直ぐに悟った。
「久し振り、馬起さん…いや、もう専務にまでなったんだっけ?」
目頭を親指で擦る元ドアマンの彼は、そばかすの散った青褪めた顔の筋肉を無理に動かして、オレに頭を下げてきた。甘えん坊だった弟分を、あの完璧な笑顔の持ち主が、よく可愛がって、オレと一緒に連れ回していた過去を懐かしんだ。
崩れ落ちて泣き喚く元妻の肩を擦る故人の母親にも、オレはとても覚えがあった。
『今度は、女の子として生まれてきてね』
と、故人である彼と遠い過去に別れを決めた時に、わざわざ最後の皮肉とも励ましともとれる小言を。一つオレに、残していったからだ。
大きく飾られた遺影の近くに佇む白髪混じりの壮年にも、苦渋を飲まされ続けた過去も思い出した。あの男も還暦は過ぎたはずだが、あの不気味な端正さは変わらず。暗い美貌は、影ってなどいなかった。ただハッキリと、この男も長くはないだろうとは感じ取れた。
「…どうも」
ハッと、かけられた声に顔を向ければ。自分によく似た男が、目を真っ赤にしてニヒルに笑いかけている。「馬起がオレの先輩にそっくりじゃなかったら、さっさとキスしたのに」そう苦笑いをした彼の言葉が、今更ながらによく分かる。ここまで似ていると、双子か生き別れた兄弟にしか思えず、乾いた笑いが出てしまった。
「直に会うのは、初めてだったな…。健(封)が、昔オレによく話していた。確かに、オレに似ているな」
「…本当に、健(封)の言っていた通り、瓜二つだな」
「…あの馬鹿を、骨になる前に殴らないとな。憎まれっ子世にはばかるかと思えば…」
堪え切れないのか、涙を流す自分によく似た歳上の男は、本当に面倒見の良い先輩で、手のかかるやんちゃな後輩を誰より可愛がっていたのだと。少ない口数の中でも、オレに想起させる。
「なにも、オレより先に逝くことはないだろ…」
「横溝(劉封)さんなりの、けじめのつけ方、だったのかもね…」
「まだ、若かったというのに…」
「…遺影でも、男前じゃないですか」
「…健、健」
様々な声がする中、やはり一際目立つ異様な呟きに、周囲は視線を逸らしていた。故人の幼馴染だったから、その悲しみも人一倍なのだろうと、周りは当たり障りのない解釈をしようとしているはずだ。オレも故人と親しい仲ではなかったのなら、幼馴染の男に同情しただろう。
「…関平、気をしっかり持って。関平」
「大義兄上…」
「大義兄上、私達義兄妹が傍に居ますからっ…」
「そうだよ、大義兄さん…」
家族や近しい人間からの励ましは、あの男にはちっとも届いてはいないだろう。身勝手な思いで故人を振り回した、その一人なのだから。
「はは…。あの写真は、劉東京にいた最後の年のヤツだ。健はやっぱり、幾つになっても格好良いままだね…」
「頭の病院案件だよ…」
「言うな、岱…」
小さく呟いたデザイナーの従弟は、蔑んだ視線を投げては。派手な遺影に、溜息を吐く。最後まで、あんな作り笑いで飾れるのかと。オレと同様に、哀愁を抱いたようだった。
「平ちゃん、健(封)にお別れしてあげましょう…」
「健(封)の居ない世界なんて…」
「…張苞くんや関興くん、星彩さんの話はしていましたが。彼の話は、ねえ?」
「法正常務、やめよう…」
故人の母に手を握られた男を、鼻で笑いそうになっている同僚を制止し、Liu Tokyoと書かれた壁の前に姿勢良く立つ完璧な笑顔を見上げた。あんな気取りに気取った顔よりも、屈託無く笑う写真なら。オレは今も、持っていた。
[完]
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