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宮廷画家馬岱の秘めたる悔恨
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男は描いた、描く事で愛を示した。何故なら男には、それ以外の術を知らなかったからだ。ぼんやりと宙を眺め、垂れる涎を拭う事も出来ず、ただただ椅子に凭れる王のその姿を、筆で描いていく。今回は、凛々しい横顔を…と言う御依頼だった。依頼主は、この國の丞相だ。男はこの國に武官として仕えてきたが、いつからか宮廷お抱えの画家として、この國で知られるようになった。宮中の至る所に飾られている王の肖像画は、全て男が独りで描いてきたものだ。美しく大胆な色使いで彩られた、端正な王の美貌。足を止めて、肖像画を眺める者は数多く。新作はまだかと、男はいつも女官や同僚達に期待されていた。高価な画材は國から支給され、肖像画を一枚仕上げる度に恩賞を丞相から授けられる。武官として仕えていた時代よりも、よっぽど良い暮らしを男は約束されていた。ご栄転だと、武官達にはやっかみ半分に祝福され。画家奴隷だと、赤い髪の大将軍には哀れまれた。その通りだと、男は自虐している。納期を急かすせっかちな丞相のせいで、男の右手は疲れきっていた。肖像画一枚描く事に、どれだけ気力を消費するか。冷酷な丞相は、考えもしないだろうが。目を凝らす。過去戦場で男を射抜いた二重の瞳は光無く淀み、生気は微塵も感じられない。虚脱と言う表現が、ピッタリと当て嵌る。丞相が御要望である「凛々しい王の横顔」を、男は何年も見てはいなかった。あの丞相の無理難題は、処刑されたかつての丞相以上だと、男は大きな溜息を吐く。薄暗い裏方の仕事でさえ卒なくこなしてきた優秀な兵士が、今では画家として國中から賞賛されていると聞いたら、かつての丞相は何を思うだろうか。衝動のまま、描いていた横顔の瞳を青で塗り潰した。男は画家だ、描く事が仕事だ。だが、嘘は描けなかった。ぐちゃぐちゃにぐちゃぐちゃに、青色で塗り潰す。
「そんな様子で、描き終わるんですか?」
嘲弄する声がした。沢山の果物が盛り合わせられた皿を片手に、この國の丞相が部屋の扉を開いたのだ。此処は王の私室だが、丞相の寝所でもある。丞相は、一人だと食事も排泄もままならない王の世話をする為に、一臣下でありながら自由に出入りをしていた。この國は、近付いてくる人相の悪いこの丞相によって動いている。美しいまま時が止まった王は、正しく傀儡の王であった。果物の乗った皿を画材の上に置かれ、男はカッと青い目を見開く。が、直ぐに笑顔を作り、椅子に座ったまま男を見上げた。
「はは、法正丞相。あんまり急かさないでくださいよ」
「あまり筆が進まれていないようでしたので。ああ、気軽にどうぞ」
無花果を一欠口に放り込み、丞相は日焼けた顎を動かした。ある程度咀嚼したのか、相変わらず一点を見詰め微動だにしない王の青白い顎を右手で上に掴み、顔を寄せる。噛み砕かれた無花果が、丞相の真っ赤な舌から王の口に移される。吐き気が込み上げてくるのを我慢して、男はニコニコと陽気に笑ってみせた。自分の立ち位置は、充分に理解している。男はもう西涼の田舎武者ではなく、宮中で評判の画家なのだから。たとえ道化と、詰られようとも。
「甘ったるいものは、嫌いですよ」
「無花果、オレは好きですけどねぇ。陛下も、
「昔からよく、お召し上がりになられていましたよ。皮を剥くのは、オレの役目でしたが」
「…へえ」
唾液で濡れた唇を浅黒い骨張った指で拭い、丞相は片手でキャンバスを掴み上げる。青と濃紺、水色で描いた、塗り潰した横顔の肖像画を
、上から下まで舐める様な視線で見下ろされた。そんな仕草でさえゾッとしてしまうが、それでも笑顔を崩す事はない。男は、「少し行き詰まっているんです」と、露骨に顔を歪ませる丞相相手に、穏やかに微笑んでみせた。「凛々しい横顔」と言う構図が浮かばないのは事実だ。見抜かれている事を、隠す必要もない。無理を要求してきたのは、この丞相なのだから。「ふん」と眉を寄せる丞相から、キャンバスを受け取る。こっそりと、画材の上に置かれた皿を机に移した。
「気に食わないな」
「あはは! 安心してくださいよ、法正丞相。ちゃんと期日までには、完成させますって」
「色合いが気に食わない。色彩を変えてください」
「青の色調が、ですか?」
「ええ。アナタの瞳の色じゃないですか」
男は、絶句した。貼り付けた笑顔のまま、肉の動きがピタリと固まってくれた事に感謝しながら。
「期日はそのままに。横顔が描けないのであれば、春画に変更しましょうか?」
アナタの絵は、高く売れるんですよ。そう肩を叩かれて。男は絵を描く事以外で、王を愛する術が無い自分を呪った。
(君が笑えないなら、嘘でも作った顔でもオレは笑っていよう。たとえ、道化だと詰られようとも)
【宮廷画家馬岱の秘めたる悔恨】
「そんな様子で、描き終わるんですか?」
嘲弄する声がした。沢山の果物が盛り合わせられた皿を片手に、この國の丞相が部屋の扉を開いたのだ。此処は王の私室だが、丞相の寝所でもある。丞相は、一人だと食事も排泄もままならない王の世話をする為に、一臣下でありながら自由に出入りをしていた。この國は、近付いてくる人相の悪いこの丞相によって動いている。美しいまま時が止まった王は、正しく傀儡の王であった。果物の乗った皿を画材の上に置かれ、男はカッと青い目を見開く。が、直ぐに笑顔を作り、椅子に座ったまま男を見上げた。
「はは、法正丞相。あんまり急かさないでくださいよ」
「あまり筆が進まれていないようでしたので。ああ、気軽にどうぞ」
無花果を一欠口に放り込み、丞相は日焼けた顎を動かした。ある程度咀嚼したのか、相変わらず一点を見詰め微動だにしない王の青白い顎を右手で上に掴み、顔を寄せる。噛み砕かれた無花果が、丞相の真っ赤な舌から王の口に移される。吐き気が込み上げてくるのを我慢して、男はニコニコと陽気に笑ってみせた。自分の立ち位置は、充分に理解している。男はもう西涼の田舎武者ではなく、宮中で評判の画家なのだから。たとえ道化と、詰られようとも。
「甘ったるいものは、嫌いですよ」
「無花果、オレは好きですけどねぇ。陛下も、
「昔からよく、お召し上がりになられていましたよ。皮を剥くのは、オレの役目でしたが」
「…へえ」
唾液で濡れた唇を浅黒い骨張った指で拭い、丞相は片手でキャンバスを掴み上げる。青と濃紺、水色で描いた、塗り潰した横顔の肖像画を
、上から下まで舐める様な視線で見下ろされた。そんな仕草でさえゾッとしてしまうが、それでも笑顔を崩す事はない。男は、「少し行き詰まっているんです」と、露骨に顔を歪ませる丞相相手に、穏やかに微笑んでみせた。「凛々しい横顔」と言う構図が浮かばないのは事実だ。見抜かれている事を、隠す必要もない。無理を要求してきたのは、この丞相なのだから。「ふん」と眉を寄せる丞相から、キャンバスを受け取る。こっそりと、画材の上に置かれた皿を机に移した。
「気に食わないな」
「あはは! 安心してくださいよ、法正丞相。ちゃんと期日までには、完成させますって」
「色合いが気に食わない。色彩を変えてください」
「青の色調が、ですか?」
「ええ。アナタの瞳の色じゃないですか」
男は、絶句した。貼り付けた笑顔のまま、肉の動きがピタリと固まってくれた事に感謝しながら。
「期日はそのままに。横顔が描けないのであれば、春画に変更しましょうか?」
アナタの絵は、高く売れるんですよ。そう肩を叩かれて。男は絵を描く事以外で、王を愛する術が無い自分を呪った。
(君が笑えないなら、嘘でも作った顔でもオレは笑っていよう。たとえ、道化だと詰られようとも)
【宮廷画家馬岱の秘めたる悔恨】
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