オルレット、兄に負ける

どうにも気が乗らないという日がある。
憂鬱げに道を行き、そんな気も知らず誘いを掛けてくる人間の多さにも辟易する。普段ならばイイ玩具にしてあげると乗るところだが生憎そんな気にもならず。ただ不愉快だと多少の痛い目を合わせて追い払い、しかし何度かそれを繰り返せばそれすら億劫になり今はただぼんやりと木陰で休む羽目になっている。こちらに来てからは羽を伸ばす事もままならず、窮屈な人の身体に閉じ籠もるしかない日々に嫌気が差し鬱憤が溜まっているのかもしれない。それを晴らせる体のいい玩具はないかしらと盛大な溜め息を吐けば、聞き慣れた声が耳に届いた。
「大丈夫ですか?随分と気分の優れないご様子ですが。」
「…やだ。ものすごく小うるさいのが来たわ。」
「おい、せめて合わせるフリくらいはしろ。」
外面だけは紳士のような善人の真似をして無害な人間を演じておいて、その裏では言葉巧みに人心をコントロールし自身の忠実なる下僕、信者に作り変え、その生命力を互いの望み望まれるままに有効活用していく毒のような男。まさしく五神獣の長に相応しい暗躍ぶりだが、最近は妙に小言くさいのが鼻に付く。以前は我が主のために務めを果たせなどとあくまで義務的なものだったというのに、今日のように調子や体裁まで気にかけてくるのは人の世に少し飼い慣らされすぎではないのだろうか。
「何でここにいるのよ。ご自慢の専用席があるでしょ。」
「今は星読みの方で動いてるんだ、情報収集もある程度は必要だからな。ところでお前は何をしてるんだ。そんな所に居ても無駄に目立ってるだけだぞ。」
「うるさいわね!誰にだって気が乗らない時くらいあるでしょ!」
「あのな…上手く擬態しろとは言ったが人と同じように振る舞えとは言ってない。少し飼い慣らされすぎなんじゃないのか?」
どの口が言うか。思わず面食らえばそれを見てそこまで大層な事を言ったつもりはないがとも言いたげに向こうも面食らったように瞬きをしている。
あくまで自分のは使命の範疇と言いたい訳だ。勝手をするのは好きだが、一方的に言い聞かされるのは趣味ではない。その言い分を持ち出されれば何も言い返せなくなり、余計に腹立たしさが増し気分も下降していく。不貞腐れそっぽを向けばそんな事などまるでお構い無しにと手を取ってくる。一体誰のせいでここまで気分が悪くなったと思っているのか。
「とにかく場所を移動するぞ。同じ人通りが少ないなら魔物といた方が余程マシだ。」
「どういう意味よォ!貴方本当にわたしに気をかけるつもりあるわけ!?」

人の喧騒に疲れ木陰で休めば説教に捕まり余計に疲れ果て、更にはまた賑やかな街に逆戻りとは。
勝手な兄の後をこれでもかと不機嫌露わについてゆく。しかし当人はすれ違い声を掛けられる度にこれでもかという猫被りで気前良く対応している。詰まらないが、淡々とそれを眺めていくうちにその様子がだんだん面白くなっていく。こちらが何もせずとも事が進んでゆく気楽さに多少平常心が戻ったこともあり、今はこの男にさてどう落とし前をつけさせるかと思考を巡らせる事が楽しくて仕方がない。先程までの不快さはどこへやら、新たな玩具を手にして気分は上々である。
「ふふ、美男美女でとてもお似合いですね。」
人の良さそうな女が声を掛けてくる。連なって歩き、片や心ここにあらずといった風ににこやかにしていれば確かに傍から見ればそう映るものか。真面目で見るからに型からはみ出た事が苦手そうで、なかなかこれは良い反応を示してくれそうだとほくそ笑む。相も変わらず薄ら笑いを貼り付けながら否定の言葉を吐こうとした兄の腕を取り、突然の行動に仰天とした二人の視線を一身に集める。さあ覚悟なさい、人の気も知らず連れ回した罰よ。存分に恥をかくといいわ!
「でもね聞いてくれる?彼ったらとんでもなく意地悪なの。頭は固いしドケチだしぃ、」
「そ、そうなんですか。意外ですね…。」
「そうなのよぉ!わたしも困って仕方ないの、なにか一言いってあげてもらえないかしら!」
ラゼムを見上げ困惑し逡巡する女とまた下らないことをとつまらなそうに視線を寄こす兄に多少気が収まる。偶にはドン引かれて終わる事があってもいいんじゃない?だって完璧な人間なんていないもの、あとで慰めてあげるわよ。口ほどに物を言わせて一瞥する。そんなこちらの気など素知らぬふりで、胸に手を当てこれみよがしに礼儀正しくお辞儀してみせる兄。
「これは失礼を。しかしどうか気を悪くされないで下さいね。こう言いますが、こちらのワガママな一面も彼女の可愛い…失礼、魅力の1つなんですよ。日々こうして元気を頂いてるところです。」
「ふふ、そうだったんですね。お幸せそうで何よりです。」
見るからにデマカセを真に受けてるんじゃないわよ!これだから人間は!などとは言えず、一通り惚気を当て体よく女を追い払った後に待っていたのは勿論溜め息とお小言である。
「気は済んだか?これに懲りたらあまり余計なことはするなよ。」
「…いけしゃあしゃあとよく回る舌だこと。さすがどこぞの教主様やってるだけはあるわね。」
「これはどうも。お褒めに預かり光栄です。」
「止めなさいよキモチワルイ。わたしの前で次同じ事したらぶっ飛ばすわよ。」
肩をすくませ笑う兄に「ようやく調子が戻ってきたな」と言われ返す言葉が出ない。結局何もかもこの男の手のひらの上で転がされただけではないだろうか。どうせ星読みがなんたらも、こちらの様子を伺うための適当な言い訳だろう。
「別にいつもと変わらないわよ、人の子みたいに扱わないでちょうだい…でも残念だったわね。このせいで宣教活動の方が疎かになったんじゃなくて?」
何だか一方的に負けたような悔しさが滲み出て減らず口のつもりが自虐のようになってしまった。まあ例えなんであれ、とにかくこの兄貴面に一矢報いられれば今日の事は見逃してやるのだから、そろそろ大人しく引いてほしいのだが。
「おかげで悪い虫がつかなくて良かっただろ。」
本当に、全くもって素で返してくるものだから。言いたかった言葉は全部飲み込むしかないのである。
そうして本当に魔物ばかりで人の気のないところに放り出され、人の気を知ってるのか知る気がないのか、またそこで一物抱える日々を過ごすこととなるのであった。


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