第三章【秋季大会・地区大会編】
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試合を翌日に控え、調整程度の練習を終えた泥門一同。グラウンドでの練習を引き上げ、ハァハァ三兄弟やセナらが着替えのために部室棟へと向かう。
いつものように皆がたむろするミーティング室を抜け、先頭に立つ十文字が、その奥にある更衣室の扉をガラリと開けると、予期せぬ光景が目に飛び込んできた。
「―――あ」
そこには、まさに着替えの最中である悟の姿があった。
ハッと息を呑んだ十文字と、驚いた悟の目が真正面からぶつかる。
「っ! すまねぇ!!!」
顔を真っ赤にした十文字は、咄嗟に扉をピシャリと閉めた。
凄まじい勢いで扉を閉めた十文字に、背後にいた黒木や戸叶、セナたちが怪訝な顔を向ける。
いつもなら、彼女は誰よりも遅くまでグラウンドに残って練習しているか、部室で敵チームの研究に没頭しているか、ヒル魔と戦略を練っていることがほとんどだ。だからこそ、このタイミングで着替えているなどという配慮が、十文字たちの頭からすっぽりと抜け落ちていたのだ。
「んだよ十文字、顔赤くして。さっさと着替えようぜ」
訝しむ黒木が更衣室の扉に手をかけようとした瞬間、十文字がその腕をガシッと力強く掴み、制止した。
「待て。……悟が着替えてる」
十文字の言葉に、黒木と戸叶が顔を見合わせ、お決まりのセリフを吐いた。
「ハ?ラッキースケベかよ?ラブコメの王道ハプニング勝ち取りやがって、羨ましい」
「ハァァァ? おい、ずりぃぞ!! どこまで見たんだよテメー!」
「うるせぇぞ。……おい開けようとすんな!」
ニヤニヤと茶化すように騒ぎ立てる二人。配慮が足りなかった悟への申し訳なさと、全力で茶化してくる不躾な二人への苛立ちで、十文字の身体がわなわなと震える。
「いい加減にしろよ…!!」
ミーティング室に十文字の怒声が響き渡ったその時、背後の更衣室の扉が遠慮がちに開いた。
急いで着替えたのであろう、少し髪の乱れた悟が出てくると、申し訳なさそうに両手を合わせた。
「なんだか、ごめんね……」
「いや、俺が悪いだろ……! マジですまねぇ……。今までタイミングとか、気ぃ使ってたよな」
深く頭を下げる十文字。黒木は「なんだよマジギレすんなよ」と十文字をジロリと睨みながら更衣室の扉を潜り、他の部員たちもそれに続く。
ミーティング室に残されたのは、悟と十文字の二人だけになった。
十文字は、気まずさから悟と目を合わせられないまま、先ほど扉の向こうで見てしまった光景を脳内で反芻していた。
やましい気持ちからではない。ただ、網膜に焼き付いて離れないのだ。
彼女の華奢な体に無数にできた生々しい痣。腕だけではなく、脚にも広範に当てられていた大きな傷用のパッド。左手首の重い捻挫といい、怪我が明らかに左半身に偏っていることから、十文字は彼女が車、あるいはバイクを用いてアスファルトを引きずられたのだと、正確に状況を予測し当てていた。
理不尽な暴力。生々しい痛みを想起させるその痛々しい姿に、十文字は改めて、ひどく胸を締め付けられていた。
感情に任せるなら、今すぐヒル魔の胸ぐらを掴んで「誰よりも傍にいながらどうして防げなかったのか」と詰め寄りたい。だが、あの悪魔の「首輪 」があったからこそこの程度で済んだのだという見方が現実的だ。
自身と彼女は、どこまでいっても所詮は「友人」や「チームメイト」の域を出ない。彼女がこれほどの目に遭わなくてはならなかった詳細を自分たちが知らされていないのは、彼女、あるいはヒル魔が「その必要がない」と判断したからだろう。
(俺じゃだめだってこと、わかりきってるけどよ……)
踏み込めない境界線。その虚しさに、十文字は無意識のうちに拳を強く握りしめていた。爪が掌に食い込むほどに。
だからといって、今ここで彼女に無理に追及し、辛い記憶を思い起こさせるような真似だけは絶対にしたくなかった。
扉の前で気まずそうに立ちすくんでいた悟が、黙り込んだままの十文字を不思議そうに見つめていた。
悟がまもりとどぶろを除くチームメイトに詳細を伝えなかったのは、選手として直接フィールドに上がる彼らには、余計な心配などかけず試合に集中して欲しいという配慮からだった。お互いを思い合う気持ちがすれ違っているのだ。
「……あの、私、あがるね? おつかれさま」
重い空気に耐えきれなくなったのか、悟がそう言って十文字の横をすり抜けようとした、その瞬間。
ドンッ、と鈍い音が響いた。
十文字が咄嗟に腕を伸ばし、彼女の顔の横の壁に強く手をついて、その行く手を塞いだのだ。
「じゅ、十文字くん……?」
驚いて目を丸くする悟を、十文字は至近距離で見下ろす。
(……今日は笑ってる顔、見てねぇな)
十文字はふと、そんな当たり前のことに気がついた。
グラウンドに現れてからずっと、彼女は自分を責め、必死に自身の居場所を守ろうと歯を食いしばるばかりだった。
自分が彼女を笑顔にできる事は何かないものか――十文字はただそれだけを思い詰めていた。それは、先ほど彼が感じていた己の無力感や虚しさ、そして心の奥底で抱き続けている恋慕すらを凌駕する、ひたすらに彼女の幸福だけを願う不器用な祈りだった。
「……悟、走れるか? ちょっと付き合えよ」
言うが早いか、十文字は怪我をしていない悟の右腕をしっかりと掴み、部室から駆け出した。
「えっ!? 付き合えって、どこに行くの……!?」
突然のことに困惑し、慌てて十文字の背中を追従する悟。
ちんたらしていては、すぐにあの悪魔に嗅ぎつけられ、止められてしまうだろう。さながら、悪魔からの逃避行だ。
「またやろうぜ、『不良』ごっこ。ラスベガスの時みてぇに!」
「えぇ……? ぜんぜん理解できてないんだけど……っ」
息を切らして走りながら、背後の悟が抗議の声を上げる。
戸惑う彼女をぐいぐいと引っ張りながら振り返った十文字の顔には、部室での重苦しい空気など微塵も感じさせない、悪戯を思いついた子供が、内緒の遊びに相棒を引きずり込むような――そんな不敵で、どこか楽しげな企みの色が浮かんでいた。
いつものように皆がたむろするミーティング室を抜け、先頭に立つ十文字が、その奥にある更衣室の扉をガラリと開けると、予期せぬ光景が目に飛び込んできた。
「―――あ」
そこには、まさに着替えの最中である悟の姿があった。
ハッと息を呑んだ十文字と、驚いた悟の目が真正面からぶつかる。
「っ! すまねぇ!!!」
顔を真っ赤にした十文字は、咄嗟に扉をピシャリと閉めた。
凄まじい勢いで扉を閉めた十文字に、背後にいた黒木や戸叶、セナたちが怪訝な顔を向ける。
いつもなら、彼女は誰よりも遅くまでグラウンドに残って練習しているか、部室で敵チームの研究に没頭しているか、ヒル魔と戦略を練っていることがほとんどだ。だからこそ、このタイミングで着替えているなどという配慮が、十文字たちの頭からすっぽりと抜け落ちていたのだ。
「んだよ十文字、顔赤くして。さっさと着替えようぜ」
訝しむ黒木が更衣室の扉に手をかけようとした瞬間、十文字がその腕をガシッと力強く掴み、制止した。
「待て。……悟が着替えてる」
十文字の言葉に、黒木と戸叶が顔を見合わせ、お決まりのセリフを吐いた。
「ハ?ラッキースケベかよ?ラブコメの王道ハプニング勝ち取りやがって、羨ましい」
「ハァァァ? おい、ずりぃぞ!! どこまで見たんだよテメー!」
「うるせぇぞ。……おい開けようとすんな!」
ニヤニヤと茶化すように騒ぎ立てる二人。配慮が足りなかった悟への申し訳なさと、全力で茶化してくる不躾な二人への苛立ちで、十文字の身体がわなわなと震える。
「いい加減にしろよ…!!」
ミーティング室に十文字の怒声が響き渡ったその時、背後の更衣室の扉が遠慮がちに開いた。
急いで着替えたのであろう、少し髪の乱れた悟が出てくると、申し訳なさそうに両手を合わせた。
「なんだか、ごめんね……」
「いや、俺が悪いだろ……! マジですまねぇ……。今までタイミングとか、気ぃ使ってたよな」
深く頭を下げる十文字。黒木は「なんだよマジギレすんなよ」と十文字をジロリと睨みながら更衣室の扉を潜り、他の部員たちもそれに続く。
ミーティング室に残されたのは、悟と十文字の二人だけになった。
十文字は、気まずさから悟と目を合わせられないまま、先ほど扉の向こうで見てしまった光景を脳内で反芻していた。
やましい気持ちからではない。ただ、網膜に焼き付いて離れないのだ。
彼女の華奢な体に無数にできた生々しい痣。腕だけではなく、脚にも広範に当てられていた大きな傷用のパッド。左手首の重い捻挫といい、怪我が明らかに左半身に偏っていることから、十文字は彼女が車、あるいはバイクを用いてアスファルトを引きずられたのだと、正確に状況を予測し当てていた。
理不尽な暴力。生々しい痛みを想起させるその痛々しい姿に、十文字は改めて、ひどく胸を締め付けられていた。
感情に任せるなら、今すぐヒル魔の胸ぐらを掴んで「誰よりも傍にいながらどうして防げなかったのか」と詰め寄りたい。だが、あの悪魔の「
自身と彼女は、どこまでいっても所詮は「友人」や「チームメイト」の域を出ない。彼女がこれほどの目に遭わなくてはならなかった詳細を自分たちが知らされていないのは、彼女、あるいはヒル魔が「その必要がない」と判断したからだろう。
(俺じゃだめだってこと、わかりきってるけどよ……)
踏み込めない境界線。その虚しさに、十文字は無意識のうちに拳を強く握りしめていた。爪が掌に食い込むほどに。
だからといって、今ここで彼女に無理に追及し、辛い記憶を思い起こさせるような真似だけは絶対にしたくなかった。
扉の前で気まずそうに立ちすくんでいた悟が、黙り込んだままの十文字を不思議そうに見つめていた。
悟がまもりとどぶろを除くチームメイトに詳細を伝えなかったのは、選手として直接フィールドに上がる彼らには、余計な心配などかけず試合に集中して欲しいという配慮からだった。お互いを思い合う気持ちがすれ違っているのだ。
「……あの、私、あがるね? おつかれさま」
重い空気に耐えきれなくなったのか、悟がそう言って十文字の横をすり抜けようとした、その瞬間。
ドンッ、と鈍い音が響いた。
十文字が咄嗟に腕を伸ばし、彼女の顔の横の壁に強く手をついて、その行く手を塞いだのだ。
「じゅ、十文字くん……?」
驚いて目を丸くする悟を、十文字は至近距離で見下ろす。
(……今日は笑ってる顔、見てねぇな)
十文字はふと、そんな当たり前のことに気がついた。
グラウンドに現れてからずっと、彼女は自分を責め、必死に自身の居場所を守ろうと歯を食いしばるばかりだった。
自分が彼女を笑顔にできる事は何かないものか――十文字はただそれだけを思い詰めていた。それは、先ほど彼が感じていた己の無力感や虚しさ、そして心の奥底で抱き続けている恋慕すらを凌駕する、ひたすらに彼女の幸福だけを願う不器用な祈りだった。
「……悟、走れるか? ちょっと付き合えよ」
言うが早いか、十文字は怪我をしていない悟の右腕をしっかりと掴み、部室から駆け出した。
「えっ!? 付き合えって、どこに行くの……!?」
突然のことに困惑し、慌てて十文字の背中を追従する悟。
ちんたらしていては、すぐにあの悪魔に嗅ぎつけられ、止められてしまうだろう。さながら、悪魔からの逃避行だ。
「またやろうぜ、『不良』ごっこ。ラスベガスの時みてぇに!」
「えぇ……? ぜんぜん理解できてないんだけど……っ」
息を切らして走りながら、背後の悟が抗議の声を上げる。
戸惑う彼女をぐいぐいと引っ張りながら振り返った十文字の顔には、部室での重苦しい空気など微塵も感じさせない、悪戯を思いついた子供が、内緒の遊びに相棒を引きずり込むような――そんな不敵で、どこか楽しげな企みの色が浮かんでいた。