第三章【秋季大会・地区大会編】
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泥門高校のグラウンド。
ようやくチームの元へと戻ってきた悟の姿を見つけるなり、まもりが手にしていたバインダーを放り出して駆け寄ってきた。
「悟ちゃん!」
顔や四肢に残る痛々しい傷と、左手首に巻かれた分厚い包帯。その痛ましい姿を見た瞬間、まもりは悲痛な表情を浮かべ、壊れ物を扱うようにそっと悟を抱きしめた。
怪我の経緯や詳細は、すでにヒル魔からまもりとどぶろくにだけは伝えられている。
「大丈夫……なわけないよね。私が代わってあげられたら、どんなに良いか……」
背中に回されたまもりの手が、悔しさと心配で小さく震えている。悟は申し訳なさに目を伏せた。
ただならぬ空気を察し、練習の手を止めた他の部員たちもわらわらと集まってくる。その先頭を切って歩み寄ってきた十文字は、悟の顔を見るなりピタリと足を止めた。
「怪我したって聞いたけどよ……お前、その傷……」
不良として喧嘩慣れしている十文字の目が見開かれる。彼はただ痛ましさと心配の色をその顔に浮かべ、悟の顔を覗き込んだ。
「俺の目は節穴じゃねぇぞ。……そいつは、事故でできたもんじゃねぇ……!誰にやられた…!」
十文字の低い声が、怒りと、そして何より悟を傷つけられたことへの深い憂いで小さく震えていた。
まもりの腕から離れた悟が、仲間たちからの真っ直ぐな案じの眼差しに、たまらず唇を噛む。
「相手はもう報いは受けてるから……。大事な試合前なのに、ごめんなさい。左手を痛めて、パスキャッチはできそうもなくて……」
無事な右手で、痛む左手首をぎゅっと握りしめる。選手として、この決戦前に戦力を落とした自分がひどく不甲斐ない。
「それでも……どうか、私をフィールドに立たせてください」
懇願する悟の声に、セナとモン太が弾かれたように一歩前に出た。
「正直、身体は心配だけど……。僕たちが今まで、何度悟に助けてもらったか。プレーが万全じゃなくても、やれる事はたくさんあるよ!」
「悟がキャッチできねぇ分、俺がMAX活躍すればいい話だろ!? 任せろよ!」
セナの真っ直ぐな信頼と、モン太の明るい励まし。それに呼応するようにほかの部員たちも同調しようとした、その時だった。
「駄目だ。西部戦で悟はベンチに下げて、代打で助っ人の石丸を使う」
湧き上がるような仲間の熱意を、乾いた声が冷酷に両断した。
ボールを指先で弄びながら歩み寄ってきたヒル魔は、いつもの不敵な笑みすら浮かべず、ただ冷徹な目で悟を見下ろしていた。
「……テメーの問題に気づいてねぇな。今ここで、俺を抜いてみろ」
言葉と同時に、ヒル魔が重心を落とし身構える。
怪訝に思いながらも、悟はヒル魔に向かって駆け出した。ヒル魔のタックルの動きをその目で捉え、悟の身体はそれを躱そうとステップを踏み込もうとする。しかし。
「……っ!?」
動かなければいけないのに、悟の身体がほんの一瞬、石のように硬直 んでしまった。無理やりに身体を捻るが、それはいつもの神速のインパルスを活かした流麗なステップとは程遠い。
バランスを崩し、無様な体勢でなんとかヒル魔のタックル圏内から逃れる。
「どうして……私……」
荒い呼吸を繰り返しながら、悟は己の震える手を見つめた。自分の身体が、自分の意思とは無関係に竦み上がり、恐怖から逃げようとしている。
「気づいたか。止める気のねぇタックルに対してもこれだ。試合中の殺気立った野郎共相手だと、こんなもんじゃ済まねぇぞ」
振り返りもせず、ヒル魔は容赦のない現実を突きつけた。
突然の応酬と悟の異変に、セナや十文字たち他の部員が状況を飲み込めずに息を呑む中、いつの間にかそれを見ていたどぶろくが、静かに悟へと歩み寄ってきた。
「ちぃと、まずいな」
どぶろくは悟の前に立ち止まると、その顔を真剣な目で見つめた。
「悟嬢よ。前に、躱すのと逃げるのは違うって言ったよな。今のお前は敵から逃げちまってる。……痛みが怖ェか」
図星を突かれ、悟は震えるその手を固く握り締めた。
理不尽に受けた暴力によって肉体に刻まれた痛みの記憶。それが、彼女の卓越した反射神経を狂わせ、動きを縛る強固な鎖となっていたのだ。
「だがなヒル魔、試合に出さねぇってのも、悪手に思えるがな。何もしなけりゃ、その『悪癖』が消えることは無いだろう。それに、助っ人に悟の代わりは荷が重いだろうよ」
悟は一選手としてのみならず、作戦への造詣が深くヒル魔の参謀としての役割、また時には他部員の状況を広い視野で把握し、必要とあれば鼓舞する等精神的な支柱でもあるのだ。
「………チッ」
どぶろくの指摘に、ヒル魔は小さく舌打ちをして黙り込んだ。彼自身、最強西部との試合に彼女を出さない選択肢など無いという事は理解している。その司令塔としての判断と、今の悟を戦場に出す危険を憂う気持ちの狭間で葛藤しているのだ。
「一種のショック療法ってやつだな。あえて恐怖に自ら突っ込むことで慣れさせなきゃなるめぇ」
どぶろくの言葉に、グラウンドの空気が一層張り詰める。
「身体的にも、精神的にも、かなりのストレスがかかっちまうのは避けられねぇが……どうする悟? 戦いから距離を置くっつーのも選択の一つではあるが……改善は見込めねぇだろう。なんにせよ、大事なのはお前さんの意思だ」
全員の視線が、悟に集まる。
悟は、ゆっくりと顔を上げた。
恐怖の残滓でまだ微かに震える足に力を込める。そして、ヒル魔とどぶろくを真っ直ぐに見据えた。その瞳には意地と、アメリカンフットボールの選手としての誇りが、静かに、しかし激しく燃え上がっていた。
「……やるからには、死ぬ気で臨みます」
震えをねじ伏せるような、低く、力強い声。
「なので、試合に出させてください」
悟の覚悟を受け止め、どぶろくが大きく頷いた。
「わかった。痛めてる箇所、傷の位置を教えな。急ごしらえだが、今できる最適な受け身のやり方を考えよう」
どぶろくはそう言うと、いつになく真剣な手付きで悟の包帯の巻かれた左手首に触れた。セナやまもりたちが心配そうに見守る中、ヒル魔は、一歩引いた場所からその光景を冷静に見つめていた。
トラウマで肉体を硬直させる選手など、フィールドではただの標的に過ぎない。その隙がそのままチームにとっての致命傷に繋がる。
だが同時に、どぶろくの言う通り、ここで戦場から逃がせば、彼女の選手生命が終わってしまう可能性がある。それもまた理解していた。
そして何より――この対西部の絶望的な盤面において、勝率を「0%」から僅かでも引き上げるためには、彼女という駒がどうしても必要だった。たとえそれが、痛みに耐え、未だに恐怖に苦しむ彼女を、戦場へと引きずり込むことを意味するのだとしても。
ヒル魔は、信頼する右腕であり、かけがえの無い彼女を過酷な運命に投じることに割り切れなさを抱えていた。
ようやくチームの元へと戻ってきた悟の姿を見つけるなり、まもりが手にしていたバインダーを放り出して駆け寄ってきた。
「悟ちゃん!」
顔や四肢に残る痛々しい傷と、左手首に巻かれた分厚い包帯。その痛ましい姿を見た瞬間、まもりは悲痛な表情を浮かべ、壊れ物を扱うようにそっと悟を抱きしめた。
怪我の経緯や詳細は、すでにヒル魔からまもりとどぶろくにだけは伝えられている。
「大丈夫……なわけないよね。私が代わってあげられたら、どんなに良いか……」
背中に回されたまもりの手が、悔しさと心配で小さく震えている。悟は申し訳なさに目を伏せた。
ただならぬ空気を察し、練習の手を止めた他の部員たちもわらわらと集まってくる。その先頭を切って歩み寄ってきた十文字は、悟の顔を見るなりピタリと足を止めた。
「怪我したって聞いたけどよ……お前、その傷……」
不良として喧嘩慣れしている十文字の目が見開かれる。彼はただ痛ましさと心配の色をその顔に浮かべ、悟の顔を覗き込んだ。
「俺の目は節穴じゃねぇぞ。……そいつは、事故でできたもんじゃねぇ……!誰にやられた…!」
十文字の低い声が、怒りと、そして何より悟を傷つけられたことへの深い憂いで小さく震えていた。
まもりの腕から離れた悟が、仲間たちからの真っ直ぐな案じの眼差しに、たまらず唇を噛む。
「相手はもう報いは受けてるから……。大事な試合前なのに、ごめんなさい。左手を痛めて、パスキャッチはできそうもなくて……」
無事な右手で、痛む左手首をぎゅっと握りしめる。選手として、この決戦前に戦力を落とした自分がひどく不甲斐ない。
「それでも……どうか、私をフィールドに立たせてください」
懇願する悟の声に、セナとモン太が弾かれたように一歩前に出た。
「正直、身体は心配だけど……。僕たちが今まで、何度悟に助けてもらったか。プレーが万全じゃなくても、やれる事はたくさんあるよ!」
「悟がキャッチできねぇ分、俺がMAX活躍すればいい話だろ!? 任せろよ!」
セナの真っ直ぐな信頼と、モン太の明るい励まし。それに呼応するようにほかの部員たちも同調しようとした、その時だった。
「駄目だ。西部戦で悟はベンチに下げて、代打で助っ人の石丸を使う」
湧き上がるような仲間の熱意を、乾いた声が冷酷に両断した。
ボールを指先で弄びながら歩み寄ってきたヒル魔は、いつもの不敵な笑みすら浮かべず、ただ冷徹な目で悟を見下ろしていた。
「……テメーの問題に気づいてねぇな。今ここで、俺を抜いてみろ」
言葉と同時に、ヒル魔が重心を落とし身構える。
怪訝に思いながらも、悟はヒル魔に向かって駆け出した。ヒル魔のタックルの動きをその目で捉え、悟の身体はそれを躱そうとステップを踏み込もうとする。しかし。
「……っ!?」
動かなければいけないのに、悟の身体がほんの一瞬、石のように
バランスを崩し、無様な体勢でなんとかヒル魔のタックル圏内から逃れる。
「どうして……私……」
荒い呼吸を繰り返しながら、悟は己の震える手を見つめた。自分の身体が、自分の意思とは無関係に竦み上がり、恐怖から逃げようとしている。
「気づいたか。止める気のねぇタックルに対してもこれだ。試合中の殺気立った野郎共相手だと、こんなもんじゃ済まねぇぞ」
振り返りもせず、ヒル魔は容赦のない現実を突きつけた。
突然の応酬と悟の異変に、セナや十文字たち他の部員が状況を飲み込めずに息を呑む中、いつの間にかそれを見ていたどぶろくが、静かに悟へと歩み寄ってきた。
「ちぃと、まずいな」
どぶろくは悟の前に立ち止まると、その顔を真剣な目で見つめた。
「悟嬢よ。前に、躱すのと逃げるのは違うって言ったよな。今のお前は敵から逃げちまってる。……痛みが怖ェか」
図星を突かれ、悟は震えるその手を固く握り締めた。
理不尽に受けた暴力によって肉体に刻まれた痛みの記憶。それが、彼女の卓越した反射神経を狂わせ、動きを縛る強固な鎖となっていたのだ。
「だがなヒル魔、試合に出さねぇってのも、悪手に思えるがな。何もしなけりゃ、その『悪癖』が消えることは無いだろう。それに、助っ人に悟の代わりは荷が重いだろうよ」
悟は一選手としてのみならず、作戦への造詣が深くヒル魔の参謀としての役割、また時には他部員の状況を広い視野で把握し、必要とあれば鼓舞する等精神的な支柱でもあるのだ。
「………チッ」
どぶろくの指摘に、ヒル魔は小さく舌打ちをして黙り込んだ。彼自身、最強西部との試合に彼女を出さない選択肢など無いという事は理解している。その司令塔としての判断と、今の悟を戦場に出す危険を憂う気持ちの狭間で葛藤しているのだ。
「一種のショック療法ってやつだな。あえて恐怖に自ら突っ込むことで慣れさせなきゃなるめぇ」
どぶろくの言葉に、グラウンドの空気が一層張り詰める。
「身体的にも、精神的にも、かなりのストレスがかかっちまうのは避けられねぇが……どうする悟? 戦いから距離を置くっつーのも選択の一つではあるが……改善は見込めねぇだろう。なんにせよ、大事なのはお前さんの意思だ」
全員の視線が、悟に集まる。
悟は、ゆっくりと顔を上げた。
恐怖の残滓でまだ微かに震える足に力を込める。そして、ヒル魔とどぶろくを真っ直ぐに見据えた。その瞳には意地と、アメリカンフットボールの選手としての誇りが、静かに、しかし激しく燃え上がっていた。
「……やるからには、死ぬ気で臨みます」
震えをねじ伏せるような、低く、力強い声。
「なので、試合に出させてください」
悟の覚悟を受け止め、どぶろくが大きく頷いた。
「わかった。痛めてる箇所、傷の位置を教えな。急ごしらえだが、今できる最適な受け身のやり方を考えよう」
どぶろくはそう言うと、いつになく真剣な手付きで悟の包帯の巻かれた左手首に触れた。セナやまもりたちが心配そうに見守る中、ヒル魔は、一歩引いた場所からその光景を冷静に見つめていた。
トラウマで肉体を硬直させる選手など、フィールドではただの標的に過ぎない。その隙がそのままチームにとっての致命傷に繋がる。
だが同時に、どぶろくの言う通り、ここで戦場から逃がせば、彼女の選手生命が終わってしまう可能性がある。それもまた理解していた。
そして何より――この対西部の絶望的な盤面において、勝率を「0%」から僅かでも引き上げるためには、彼女という駒がどうしても必要だった。たとえそれが、痛みに耐え、未だに恐怖に苦しむ彼女を、戦場へと引きずり込むことを意味するのだとしても。
ヒル魔は、信頼する右腕であり、かけがえの無い彼女を過酷な運命に投じることに割り切れなさを抱えていた。