第三章【秋季大会・地区大会編】
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「そうか……。やっぱり厳ちゃん、ずっと我慢してたんだよな」
静まり返った廊下で、職人の一人――玉八(たまはち)が、ぽつりと溢した。
悟から泥門デビルバッツの切迫した現状と、何としてもムサシに戻ってきてほしいという強い意志を伝えられ、職人たちは一様に真摯な表情でそれを受け止めていた。
「実はな、俺たちもこのままじゃいけねぇって、ずっと思ってたんだ」
玉八は頭を掻きながら、周囲の仲間たちと視線を交わす。
「厳ちゃんがいつでも高校に戻れるようにさ……、密かにおやっさんの入院資金、職人の皆で少しずつ貯めてたんだよ。だけど、あの頑固者にどう受け取ってもらえば良いのか分からなくて……。厳ちゃんのあの性格じゃ、素直に受け取るようには到底思えないんだ」
皆ムサシの青春を奪ってしまったことに負い目を感じ、どうにかしてやりたいと葛藤していた。
その時、廊下の話し声を聞きつけたのか、病室の扉が内側からガラリと音を立てて開いた。
「オイお前ら、廊下で話し込んでんじゃねぇよ。病院の迷惑になるだろ」
声を飛ばしてきたのは、鋭い眼光を放つ男――武蔵工務店の棟梁であり、ムサシの父親、高蔵半左衛門だった。病床の身とはいえ、その声には職人を束ねてきた威厳が満ちている。
「おやっさん! 厳ちゃんのアメフト部の後輩が、こうしてわざわざ出向いてくれたんだよ」
玉八がすかさず声をかける。
悟は一歩前に進み出ると、姿勢を正し、逃げも隠れもしない真っ直ぐな目で丁寧に自己紹介を述べた。ムサシの父は、ふんと鼻を鳴らし、顎で室内を指した。
「そうか……アメフト部の……わざわざ訪ねさせて申し訳ねぇな。あんたが話したい事は、なんとなくわかってる」
促されて病室へと入る。おやっさんはベッドに背を預けながら、じろりと悟の顔を見つめた。そして、彼女の頬に残る、昨夜の事件で負った生々しい暴行の傷痕に目を留める。
「……てっきりマネージャーかと思ったんだが……。その顔の傷は、アメフトでか?」
「あっ、これは……」
不意の問いかけに、悟は言葉を詰まらせた。
説明に窮する彼女の様子を見て、ムサシの父はそれを「激しい練習や試合での負傷」だと解釈したようだった。ふ、と厳格な顔に、僅かな感銘の入り混じった笑みが浮かぶ。
「ふん、女の身でアメフトたぁ、たまげたな。仲間がこんな傷作ってまで闘ってるのを見捨てるような、そんな薄情な男に育てた覚えはねぇってのに、あの馬鹿息子は……」
「……ヒル魔さんと栗田さん……厳さんの友人達は、ずっと彼を待ち続けてるんです」
悟は一歩も引かずに言葉を返した。ヒル魔や栗田の想いをその声に宿す。
「直接、厳さんの覚悟を見てしまったからこそ、残された彼らはこの1年半、何も言えずにただ待つことしかできなかったんです」
「厳の奴、『俺の居場所はもうねぇ』なんて大ボラ吹きやがって……」
ムサシの父の拳が、不甲斐ない息子への怒りで白くなる。
ムサシが並べ立てた言い訳が、周囲を、そして何より父親自身をこれ以上苦しめないための不器用な嘘だったことは、とっくに看破されていた。
「私は、武蔵工務店の内情も、厳さんの立場も、すべてを理解しきれているとは言えません。私ごときが軽々しく口出しすべき事柄じゃないことも、重々承知しています」
悟はそこでもう一度、深く、深く頭を下げた。
「ですが、どうか……、厳さんの……『ムサシ』さんの背中を、押してもらえませんか……?」
沈黙が病室を支配する。窓から差し込む朝の光が、ムサシの父の刻まれた深い皺を照らし出していた。
やがて、ムサシの父が一つ息を吐き出すと、笑みを浮かべた。
「俺だって、まだ棟梁としての……厳の父親としての矜持は忘れちゃいねぇよ」
「!! それじゃあ……!」
悟がパッと顔を上げた。
「……要は、俺の健在を厳に示してやりゃあ良いんだ。嬢ちゃん……ちょっとひとつ、頼まれてくれねぇか」
ムサシの父からの頼み事――それは、病院の庭先から「手のひらに収まる程度の、手頃な小石を調達してきて欲しい、という奇妙なものだった。
悟はすぐに階下へと向かい、庭の隅からいくつか手頃な石を拾い上げると、水道の蛇口できれいに念入りに泥を洗い流し、再び306号室のドアを叩いた。
「これで、よろしいですか?」
差し出された小石を、ムサシの父は武骨な右手でしっかりと包み込むように握りしめた。
「……古い人間だと笑われるかもしれねぇがな……。昔から、厳が半端なことをした時、いつも
小石を包み込んだ拳をぐっと突き出し、ムサシの父は苦笑する。
「見ての通り、今の俺はこの体たらくだ。まともに力が入らねぇ。ヤツを心の底から納得させる
「あの、私……」
そこまでさせてしまうのか、と悟は胸を突かれ、言葉を詰まらせた。
病床の身体に無茶をさせようとしているのは、他ならぬ自分自身だ。罪悪感が首をもたげる。しかし、ムサシの父は握った拳を力強く振って、それを笑い飛ばした。
「嬢ちゃんが悪いと思う必要はねぇぞ。いずれはつけなきゃならなかったケジメだ、任せときな」
後ろに控えていた玉八が、涙を堪えるように鼻をすすりながら、力強く一歩前に出た。
「俺たちも明日、またここに来るよ。全員で厳ちゃんをフィールドに叩き返してやる。……血ィ流すのは、次は俺たちの番だ」
ムサシのフィールドへの帰還を阻んでいた家業という逆風が、今、彼と泥門デビルバッツの追い風へと変わる。
悟は彼らに向かって、深々と頭を下げた。ムサシの父と、武蔵工務店のすべての人々へ、心からの感謝を込めて。
病院のロビーを出ると、眩しい朝の光が悟の視界を白く染めた。
悟の手には、ヒル魔から託されたムサシのキックティー。
強固に絡み合っていた盤面の駒が動き出したことは間違いない。ムサシを縛る鎖は、今、完全に解かれた筈だ。
(布石は打った。あとの私がやれることは、彼らとムサシさんを信じて待つことだけだ)
西部ワイルドガンマンズ戦へのタイムリミットは、刻一刻と近づいている。
悟の胸から焦りや緊張は消えていない。悟はひたすらに、泥門の「60ヤードマグナム」が再びフィールドへ参上する未来を願うばかりなのだった。