第三章【秋季大会・地区大会編】
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到着したのは、城下町病院だった。
深夜の暗い駐車場で、悟はヒル魔を不安げに見つめた。
「病院は……ダメですよ……」
絞り出すような声には、明らかな焦りが混じっていた。
「怪我の説明ができません。もし警察沙汰になって、大会出場取り消しなんて事になったら……!」
泥門デビルバッツの悲願であるクリスマスボウルへの道。自分の軽率な行動のせいで、皆の夢を潰すわけにはいかない。
「怪我の理由を説明する必要はねぇよ。身分も明かさねぇ。治療を受けさせるだけだ」
そう言うと、ヒル魔は懐から見慣れた黒い手帳――『脅迫手帳』を取り出し、ヒラヒラと振ってみせた。
強力な脅しのネタを持っており、病院内でも意のままに行動できるということだろう。
「……理解しました」
悟が小さく頷いた。後部座席のドアが開き、阿含も降りようとしたその時、ヒル魔が鋭い声で制止をかけた。
「糞ドレッドはここまでだ。さすがにその血濡れの格好は誤魔化しきれねぇだろうが」
「あ゛?」
「病院内に怪我してるやつがいるのは何も問題ねぇが、返り血まみれのやつがいてみろ。ソッコー通報されんぞ」
正論すぎる指摘に、阿含は忌々しげに舌打ちを落とすと、乱暴に運転席のドアを閉めた。
ヒル魔は運転席の窓ガラスをコンコンとノックし、不機嫌そうに窓を下ろした阿含へ、さらに取るべき行動を矢継ぎ早に指示する。
「テメーはその車、足が付かねぇように適当なところに捨てて家に帰れ。あと悟の着替え調達してこい」
有無を言わさぬ指示。阿含は何も答えず、ただエンジン音を響かせて車を急発進させ、夜の闇へと消えていった。
ヒル魔と悟が通されたのは、外来の処置室ではなく、入院病棟の奥にある静かな個室だった。
駆けつけた医師と看護師は、ベッドに座る悟のボロボロの姿を見てぎょっと息を呑んだ。すぐに看護師が手当てを始めるも、不自然なほどに事情を聞こうとはしない。
「左手首、腫れて痛みはあるでしょうが、痛めているのは靭帯で骨は問題ないように見えますよ。全治……2週間といったところでしょう。念のため、明日レントゲンを撮ったほうが良いね」
2週間。医師のその言葉の重みに、悟は打ちのめされたように深く項垂れた。
既に日をまたぎ、土曜日に差しかかっている。西部ワイルドガンマンズとの決戦は、目前に迫っていた。
処置を終え、逃げるように退室しようとする医師と看護師の背中に、ヒル魔が冷酷な声で釘を刺す。
「今日この場で起きたことは全て忘れろ。ついでにこの部屋は設備の故障でしばらく出入り禁止だ。いいな?」
「も、もももも、もちろんです!」
どもりながら即答する医師の横で、看護師は困惑した表情を浮かべて立ち尽くしていた。
無理もない。あちこちに傷を付けた、未成年の少女。その傍らに立つのは、金髪でピアスだらけの人相の悪い男。この男自身が彼女に危害を加えた張本人なのではないか、あるいはもっと深い犯罪に巻き込まれているのではないか――そのまま見なかったことにして良いものかと、看護師は良心の呵責に苛まれているようだった。
「あの……」
ふいに、悟が声を上げた。
「彼はこんな風貌ですけど、この怪我は彼が原因ではありません。……事情があって詳しくはお話できませんが、見逃してください。……手当てしてくれてありがとうございました」
悟は、痛む体を庇いながら、深々と頭を下げた。
その真摯な声と態度に、看護師はハッとしたように目を見開いた後、少しだけホッとしたような顔つきになり、「お大事に」と一言残して部屋を出て行った。
扉が閉まり、完全な静寂が訪れると、悟は肩の荷が下りたように小さく息を吐いた。
「……このタイミングで愛想良くして、何になる?いつもの無意識な『たらし』か?」
ヒル魔が胡散臭そうに尋ねる。
傷の手当てを受けながら、悟はずっと二人を観察していた。医師はヒル魔の顔色をうかがうように彼に視線を向けてばかりいたのに対し、看護師は悟の傷を見ながら顔をしかめ、時折その手を止め、考え込むように目を伏せていたのだ。
「脅しだけでは足りないと思ったんです。特にあの看護師さん、『このまま放っておいて良いのか』って、迷ってたように見えました」
悟は淡々と自身の考えを述べる。ヒル魔は腕を組み、それを黙って聞いている。
「……これは持論ですけど、良からぬことに自分の意思ではないにしろ与してしまったとき、人は『自分は悪くない』と思える何かが必要なんです」
二人の反応を見るに、直接脅しを受けたのはあの医師であり、看護師は指示を受けて処置をしたに過ぎない。
「今回でいえば、大人として、暴行を受けた未成年を見て見ぬふりする理由が必要でした。『医師の指示だから』だけでは弱い」
「それで、懇切丁寧に頭下げてたってわけか。自分は被害者じゃなく、俺と同じく病院を『脅す側』で、見て見ぬふりをされることを望んでるっつー事を示すために」
「もちろん、感謝は本心でもあります。ただ、絶対に通報されるのだけは避けないと」
自分の痛みや恐怖よりも、チームを最優先し、瞬時に相手の心理をコントロールしてみせた。その自己犠牲的な立ち回りに、ヒル魔は眉をひそめながらも、その実、感嘆の息を漏らしてもいた。
「ケケケ、抜け目なしってか。良い子ちゃんなだけじゃねぇとは思ってたが、期待以上だ」
そう言って、ヒル魔は労うように、悟の頭を撫でようとその手を伸ばした。
その瞬間、悟の肩がビクリと大きく跳ね、全身が僅かな間、硬直した。ほんの一瞬の出来事。しかし、その無意識の拒絶反応に、ヒル魔の目がスッと細まる。
「えっと……急だったので、ちょっとびっくりしたんですかね……」
悟はすぐに表情を取り繕ったが、ヒル魔は伸ばしかけた手を静かに下ろした。
己の挙動の不自然さを誤魔化すように、悟は早口で言葉を紡いだ。
「私、皆が闘ってるのをただ見ているだけなんて事、したくないです。キャッチは難しくても……走プレーなら……」
「…………」
無言のまま、ヒル魔は何かを深く考え込んでいた。
悟が自分自身ですら気づいていない、「男性の接近に対する本能的な恐怖」という心の傷 。その芽生えを、ヒル魔はすでに見越していた。
「……ヒル魔さん?」
不安そうに見つめてくる悟を、ヒル魔は真っ向から見据えた。
「西部戦の事は俺が考える。テメーは今は寝ろ」
「西部戦まで時間がありません。今できることをやらないと……。『勝つため』に最善を尽くしたいんです」
壁にかかった時計の秒針の音が、悟の胸の奥で重く響いていた。
試合は刻一刻と近づいてきている。どれほど深く息を吸い込んでも、酸素は決して満たされることなく、焦りと息苦しさだけが砂時計の砂のように体内を滑り落ちていく。
「そんな余裕のねぇ状態で、まともな案が浮かぶわけ無ェだろうが。寝ろ、それが『勝つため』に最善の行動だ」
如何に悟が気丈に振る舞おうと、男たちに拉致され、暴行を受けたという出来事が、彼女の心身に与える影響が少ないはずがない。
ヒル魔の正論に、悟は苦い顔をしながらも引き下がった。
「……わかりました。……寝るって、ここで、ですか?」
「そのために個室空けさせたんだよ。……俺の隣が、テメーにとっての安息の地、なんじゃねぇのか」
少しからかうような、けれどどこか熱を帯びた声に、悟は小さく息をついた。
「……それもそうですね」
悟がベッドに横たわると、そのすぐ隣で、ヒル魔が腕を組んで座り込む。
余程焦って駆けつけたのだろう。常に持ち歩いているはずのノートパソコンすら、彼の手元にはなかった。
「ヒル魔さん、無理しなくて良いんですよ」
「あ? 今俺がやるべきことは、テメーを寝かしつけることなんだよ」
「ふふ、なんですか、それ」
緊張の糸が少しだけ解け、悟の唇からようやく僅かな笑い声がこぼれた。
「……寝るまでの間だけ、手を握ってくれますか?」
ぽつりとこぼれた、珍しい甘えの言葉。
ヒル魔はフンと鼻を鳴らした。
「ガキか。……高く付くぞ、ケケ」
言いながらも、その大きな手は、そっと悟の右手を包み込んだ。
温かく、力強い感触。悟は心底安心したように目を閉じ、程なくして静かな寝息を立て始めた。
薄暗い病室の中。
寝付いた彼女の隣で、握った手をそのままに、ヒル魔はただその寝顔を見つめ続けていた。
泥門デビルバッツの司令塔として、そして彼女を護ると誓った一人の男として。これから立ち向かうであろう「心の傷 」という厄介な敵の存在の重さに耐えかねるように、ヒル魔の長い睫毛が、微かに震えていた。
深夜の暗い駐車場で、悟はヒル魔を不安げに見つめた。
「病院は……ダメですよ……」
絞り出すような声には、明らかな焦りが混じっていた。
「怪我の説明ができません。もし警察沙汰になって、大会出場取り消しなんて事になったら……!」
泥門デビルバッツの悲願であるクリスマスボウルへの道。自分の軽率な行動のせいで、皆の夢を潰すわけにはいかない。
「怪我の理由を説明する必要はねぇよ。身分も明かさねぇ。治療を受けさせるだけだ」
そう言うと、ヒル魔は懐から見慣れた黒い手帳――『脅迫手帳』を取り出し、ヒラヒラと振ってみせた。
強力な脅しのネタを持っており、病院内でも意のままに行動できるということだろう。
「……理解しました」
悟が小さく頷いた。後部座席のドアが開き、阿含も降りようとしたその時、ヒル魔が鋭い声で制止をかけた。
「糞ドレッドはここまでだ。さすがにその血濡れの格好は誤魔化しきれねぇだろうが」
「あ゛?」
「病院内に怪我してるやつがいるのは何も問題ねぇが、返り血まみれのやつがいてみろ。ソッコー通報されんぞ」
正論すぎる指摘に、阿含は忌々しげに舌打ちを落とすと、乱暴に運転席のドアを閉めた。
ヒル魔は運転席の窓ガラスをコンコンとノックし、不機嫌そうに窓を下ろした阿含へ、さらに取るべき行動を矢継ぎ早に指示する。
「テメーはその車、足が付かねぇように適当なところに捨てて家に帰れ。あと悟の着替え調達してこい」
有無を言わさぬ指示。阿含は何も答えず、ただエンジン音を響かせて車を急発進させ、夜の闇へと消えていった。
ヒル魔と悟が通されたのは、外来の処置室ではなく、入院病棟の奥にある静かな個室だった。
駆けつけた医師と看護師は、ベッドに座る悟のボロボロの姿を見てぎょっと息を呑んだ。すぐに看護師が手当てを始めるも、不自然なほどに事情を聞こうとはしない。
「左手首、腫れて痛みはあるでしょうが、痛めているのは靭帯で骨は問題ないように見えますよ。全治……2週間といったところでしょう。念のため、明日レントゲンを撮ったほうが良いね」
2週間。医師のその言葉の重みに、悟は打ちのめされたように深く項垂れた。
既に日をまたぎ、土曜日に差しかかっている。西部ワイルドガンマンズとの決戦は、目前に迫っていた。
処置を終え、逃げるように退室しようとする医師と看護師の背中に、ヒル魔が冷酷な声で釘を刺す。
「今日この場で起きたことは全て忘れろ。ついでにこの部屋は設備の故障でしばらく出入り禁止だ。いいな?」
「も、もももも、もちろんです!」
どもりながら即答する医師の横で、看護師は困惑した表情を浮かべて立ち尽くしていた。
無理もない。あちこちに傷を付けた、未成年の少女。その傍らに立つのは、金髪でピアスだらけの人相の悪い男。この男自身が彼女に危害を加えた張本人なのではないか、あるいはもっと深い犯罪に巻き込まれているのではないか――そのまま見なかったことにして良いものかと、看護師は良心の呵責に苛まれているようだった。
「あの……」
ふいに、悟が声を上げた。
「彼はこんな風貌ですけど、この怪我は彼が原因ではありません。……事情があって詳しくはお話できませんが、見逃してください。……手当てしてくれてありがとうございました」
悟は、痛む体を庇いながら、深々と頭を下げた。
その真摯な声と態度に、看護師はハッとしたように目を見開いた後、少しだけホッとしたような顔つきになり、「お大事に」と一言残して部屋を出て行った。
扉が閉まり、完全な静寂が訪れると、悟は肩の荷が下りたように小さく息を吐いた。
「……このタイミングで愛想良くして、何になる?いつもの無意識な『たらし』か?」
ヒル魔が胡散臭そうに尋ねる。
傷の手当てを受けながら、悟はずっと二人を観察していた。医師はヒル魔の顔色をうかがうように彼に視線を向けてばかりいたのに対し、看護師は悟の傷を見ながら顔をしかめ、時折その手を止め、考え込むように目を伏せていたのだ。
「脅しだけでは足りないと思ったんです。特にあの看護師さん、『このまま放っておいて良いのか』って、迷ってたように見えました」
悟は淡々と自身の考えを述べる。ヒル魔は腕を組み、それを黙って聞いている。
「……これは持論ですけど、良からぬことに自分の意思ではないにしろ与してしまったとき、人は『自分は悪くない』と思える何かが必要なんです」
二人の反応を見るに、直接脅しを受けたのはあの医師であり、看護師は指示を受けて処置をしたに過ぎない。
「今回でいえば、大人として、暴行を受けた未成年を見て見ぬふりする理由が必要でした。『医師の指示だから』だけでは弱い」
「それで、懇切丁寧に頭下げてたってわけか。自分は被害者じゃなく、俺と同じく病院を『脅す側』で、見て見ぬふりをされることを望んでるっつー事を示すために」
「もちろん、感謝は本心でもあります。ただ、絶対に通報されるのだけは避けないと」
自分の痛みや恐怖よりも、チームを最優先し、瞬時に相手の心理をコントロールしてみせた。その自己犠牲的な立ち回りに、ヒル魔は眉をひそめながらも、その実、感嘆の息を漏らしてもいた。
「ケケケ、抜け目なしってか。良い子ちゃんなだけじゃねぇとは思ってたが、期待以上だ」
そう言って、ヒル魔は労うように、悟の頭を撫でようとその手を伸ばした。
その瞬間、悟の肩がビクリと大きく跳ね、全身が僅かな間、硬直した。ほんの一瞬の出来事。しかし、その無意識の拒絶反応に、ヒル魔の目がスッと細まる。
「えっと……急だったので、ちょっとびっくりしたんですかね……」
悟はすぐに表情を取り繕ったが、ヒル魔は伸ばしかけた手を静かに下ろした。
己の挙動の不自然さを誤魔化すように、悟は早口で言葉を紡いだ。
「私、皆が闘ってるのをただ見ているだけなんて事、したくないです。キャッチは難しくても……走プレーなら……」
「…………」
無言のまま、ヒル魔は何かを深く考え込んでいた。
悟が自分自身ですら気づいていない、「男性の接近に対する本能的な恐怖」という
「……ヒル魔さん?」
不安そうに見つめてくる悟を、ヒル魔は真っ向から見据えた。
「西部戦の事は俺が考える。テメーは今は寝ろ」
「西部戦まで時間がありません。今できることをやらないと……。『勝つため』に最善を尽くしたいんです」
壁にかかった時計の秒針の音が、悟の胸の奥で重く響いていた。
試合は刻一刻と近づいてきている。どれほど深く息を吸い込んでも、酸素は決して満たされることなく、焦りと息苦しさだけが砂時計の砂のように体内を滑り落ちていく。
「そんな余裕のねぇ状態で、まともな案が浮かぶわけ無ェだろうが。寝ろ、それが『勝つため』に最善の行動だ」
如何に悟が気丈に振る舞おうと、男たちに拉致され、暴行を受けたという出来事が、彼女の心身に与える影響が少ないはずがない。
ヒル魔の正論に、悟は苦い顔をしながらも引き下がった。
「……わかりました。……寝るって、ここで、ですか?」
「そのために個室空けさせたんだよ。……俺の隣が、テメーにとっての安息の地、なんじゃねぇのか」
少しからかうような、けれどどこか熱を帯びた声に、悟は小さく息をついた。
「……それもそうですね」
悟がベッドに横たわると、そのすぐ隣で、ヒル魔が腕を組んで座り込む。
余程焦って駆けつけたのだろう。常に持ち歩いているはずのノートパソコンすら、彼の手元にはなかった。
「ヒル魔さん、無理しなくて良いんですよ」
「あ? 今俺がやるべきことは、テメーを寝かしつけることなんだよ」
「ふふ、なんですか、それ」
緊張の糸が少しだけ解け、悟の唇からようやく僅かな笑い声がこぼれた。
「……寝るまでの間だけ、手を握ってくれますか?」
ぽつりとこぼれた、珍しい甘えの言葉。
ヒル魔はフンと鼻を鳴らした。
「ガキか。……高く付くぞ、ケケ」
言いながらも、その大きな手は、そっと悟の右手を包み込んだ。
温かく、力強い感触。悟は心底安心したように目を閉じ、程なくして静かな寝息を立て始めた。
薄暗い病室の中。
寝付いた彼女の隣で、握った手をそのままに、ヒル魔はただその寝顔を見つめ続けていた。
泥門デビルバッツの司令塔として、そして彼女を護ると誓った一人の男として。これから立ち向かうであろう「