第三章【秋季大会・地区大会編】
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金曜の深夜。携帯が短く振動した。
画面に表示された送り主は、泥門の「ヒル魔 」。何の興味も湧かず、そのまま無視して消去しようとした指が、プレビュー表示された一枚の地図画像にピタリと止まった。
そこには、見知らぬ場所で点灯する位置情報のピン。数秒の後、それが「悟の現在地」を示していると理解した瞬間、阿含の脳髄をどす黒い執着心と、耐え難い不快感が駆け巡った。
即座にヒル魔へと発信する。直後、もたらされた事の詳細は、全身の血を沸騰させるに十二分なものだった。
――己に恨みを持つゴミ共が、悟を攫った。
自分の預かり知らぬところで、有象無象が、自身の一部である悟に触れている。己という勝ち目のない存在への復讐のダシとして、神聖なる自らの領域が泥足で踏み荒らされている。
今までに無いプライドの毀損と、対象を跡形もなく破壊したくなるほどの憤怒。口元から、ギリ、と歯鳴りの音が漏れた。
廃倉庫の入り口に立ったタイミングで、自身の端末が鳴り響いた。
画面に表示された着信名は『悟』。
しかし、通話ボタンを押し聞こえてきたのは、妹のそれではなく、聞くに堪えない下卑た男の声だった。
スピーカー越しに響く、妹を人質にした身勝手な脅迫。自分をハメたつもりで勝ち誇る雑魚の言葉など、羽虫の羽音にも劣る雑音に過ぎない。
男の言葉を遮るように、鼻で笑った。
そして錆びついた倉庫に正面から立ち入り、静かに、だが威圧するように声を携帯へと吹き込む。
「よーぅ。雑魚の話す言葉なんざ、なんの意味も理解できねぇよ」
自身の持つ「神速のインパルス」は、コンマ数秒の間に倉庫内の状況をすべて視覚情報として捉え、脳へと叩き込んだ。
肝心の妹は無様にも、後ろ手に縛り上げられ、冷たいコンクリートの上に押さえつけられていた。いたるところに擦り傷を作り、服は汚れ、左頬は腫れ上がり、口の端からは血が流れている。
その傷跡と乱れた衣服の端々から、「彼女が男たちに力ずくで引きずり回され、必死に抵抗した」という過程を瞬時に逆算し、映像として脳裏に再生させた。
ゴミの一人が、何の躊躇もなく悟の頭髪をガシィ、と力任せに掴み上げる。
その瞬間、視界の中で、ひとつの「色」が酷く鮮明に跳ねた。
夜の闇よりも深い、紫を孕んだ黒。
照明の光を受け鈍く光るその髪色は、自身の髪と全く同じ色。自身との血縁を意味するそれが、無遠慮に、雑に、汚い手でくしゃりと掴み上げられている。
(……殺す)
自分という絶対神以外のゴミが、彼女に危害を加えた。
思考など不要だった。完全に脳が沸騰し、一切の手加減を排し、ただ目の前にある存在する価値もない雑魚共の邪魔な肉体を、ひたすらに破壊し、蹂躙する。顔面を陥没させ、顎の骨を砕き、四肢をへし折り、命乞いすら許さず一方的な暴力の嵐を叩きつけた。
「チッ、ゴミの血まみれじゃねぇかよ汚ねぇな」
数分後。周囲のすべてを動かない屍に変え、忌々しげに顔の血を拭う視線の先で、悟がゆっくりと上体を起こした。
いつの間にか悟の傍にいたヒル魔が、その場にしゃがみ込み、彼女の切れた口元へとそっと指を伸ばした。
あの男もまた、彼女に触れるべきではない有象無象の一人に過ぎない。
「オイ、何触ってんだカス……!」
本能的な独占欲からその行動を静止しようとした。
だが、ヒル魔はこちらの殺気など微塵も感じていないかのように、ただひたすらに悟の瞳を見つめ、その身を案じていた。
傷ついた彼女の身を最優先し、一切の感情を抑え込もうとする男。
自身の怒りと領域を汚された不快感を優先し、殺気を撒き散らす自分。
突きつけられた決定的なスタンスの違いに、無意識に奥歯を再び強く噛み締める。言葉にならない苛立ちが、胸の奥で渦を巻いた。
悲痛な顔で左手首を抑える悟を見た瞬間、脳裏に凄惨な記憶が鮮烈にフラッシュバックした。
かつて、自分が激昂のままに彼女の左腕に負わせた傷。流れ落ちる血と、恐怖と痛みに歪んだ彼女の顔。
(また、俺の、せい…で…)
彼女をこんな目に遭わせた大元の原因は、傲岸不遜に生きてきた自分だ。そして今、目の前で悲痛な表情を浮かべ、左腕を抑える彼女の姿は、あの日のトラウマを残酷なまでに抉り出してきた。
その二つの負い目から目を背けるように、さらなる破壊へと逃げ込もうとした。血に濡れた拳を強く握り込み、悟の前に踏み出す。
「オイ、悟。生きてんなら教えろ。まだ終わってねぇ。直接テメーに手ぇ出した奴だ……! 特に顔と左手首、やったのはどのゴミか教えろ、息の根止めてやる……!!」
彼女への償いはまだ足りない。彼女に危害を加えたゴミ共を、もっと痛めつけなくてはならない。そうしなければ、己の中にあるぐちゃぐちゃになった感情の行き場がない。
だが、その切迫し暴走せんとする己を止めたのは、他でもない悟自身だった。
「……言いたくない」
「あ゛〜? 何甘っちょろい事言ってんだ。テメーがこのゴミ共に何されたかわかってんのか」
悟は静かに、しかし決して譲らない強さで言い放った。
「……家族に、そんな事させられない。私のために、阿含にこれ以上業を背負ってほしくない」
その言葉に、心が激しく揺さぶられる。
自分をこんな目に遭わせた元凶であり、かつて決して消えない傷を負わせたのは……。そんな自分を、彼女は不条理な仇としてではなく、「家族」として扱い、これ以上の罪を重ねないよう繋ぎ止めようとしている。
ダイヤモンドのように気高く、そしてあまりにも脆い妹の、痛切な祈り。
その祈りに完全に言葉を失い、行き場をなくした怒りと暴力を、無理やりにでも押し留めるしかなかった。ただひどく苦しい敗北感とともに、その血に塗れた拳をゆっくりと下ろすしかなかった。
画面に表示された送り主は、泥門の「
そこには、見知らぬ場所で点灯する位置情報のピン。数秒の後、それが「悟の現在地」を示していると理解した瞬間、阿含の脳髄をどす黒い執着心と、耐え難い不快感が駆け巡った。
即座にヒル魔へと発信する。直後、もたらされた事の詳細は、全身の血を沸騰させるに十二分なものだった。
――己に恨みを持つゴミ共が、悟を攫った。
自分の預かり知らぬところで、有象無象が、自身の一部である悟に触れている。己という勝ち目のない存在への復讐のダシとして、神聖なる自らの領域が泥足で踏み荒らされている。
今までに無いプライドの毀損と、対象を跡形もなく破壊したくなるほどの憤怒。口元から、ギリ、と歯鳴りの音が漏れた。
廃倉庫の入り口に立ったタイミングで、自身の端末が鳴り響いた。
画面に表示された着信名は『悟』。
しかし、通話ボタンを押し聞こえてきたのは、妹のそれではなく、聞くに堪えない下卑た男の声だった。
スピーカー越しに響く、妹を人質にした身勝手な脅迫。自分をハメたつもりで勝ち誇る雑魚の言葉など、羽虫の羽音にも劣る雑音に過ぎない。
男の言葉を遮るように、鼻で笑った。
そして錆びついた倉庫に正面から立ち入り、静かに、だが威圧するように声を携帯へと吹き込む。
「よーぅ。雑魚の話す言葉なんざ、なんの意味も理解できねぇよ」
自身の持つ「神速のインパルス」は、コンマ数秒の間に倉庫内の状況をすべて視覚情報として捉え、脳へと叩き込んだ。
肝心の妹は無様にも、後ろ手に縛り上げられ、冷たいコンクリートの上に押さえつけられていた。いたるところに擦り傷を作り、服は汚れ、左頬は腫れ上がり、口の端からは血が流れている。
その傷跡と乱れた衣服の端々から、「彼女が男たちに力ずくで引きずり回され、必死に抵抗した」という過程を瞬時に逆算し、映像として脳裏に再生させた。
ゴミの一人が、何の躊躇もなく悟の頭髪をガシィ、と力任せに掴み上げる。
その瞬間、視界の中で、ひとつの「色」が酷く鮮明に跳ねた。
夜の闇よりも深い、紫を孕んだ黒。
照明の光を受け鈍く光るその髪色は、自身の髪と全く同じ色。自身との血縁を意味するそれが、無遠慮に、雑に、汚い手でくしゃりと掴み上げられている。
(……殺す)
自分という絶対神以外のゴミが、彼女に危害を加えた。
思考など不要だった。完全に脳が沸騰し、一切の手加減を排し、ただ目の前にある存在する価値もない雑魚共の邪魔な肉体を、ひたすらに破壊し、蹂躙する。顔面を陥没させ、顎の骨を砕き、四肢をへし折り、命乞いすら許さず一方的な暴力の嵐を叩きつけた。
「チッ、ゴミの血まみれじゃねぇかよ汚ねぇな」
数分後。周囲のすべてを動かない屍に変え、忌々しげに顔の血を拭う視線の先で、悟がゆっくりと上体を起こした。
いつの間にか悟の傍にいたヒル魔が、その場にしゃがみ込み、彼女の切れた口元へとそっと指を伸ばした。
あの男もまた、彼女に触れるべきではない有象無象の一人に過ぎない。
「オイ、何触ってんだカス……!」
本能的な独占欲からその行動を静止しようとした。
だが、ヒル魔はこちらの殺気など微塵も感じていないかのように、ただひたすらに悟の瞳を見つめ、その身を案じていた。
傷ついた彼女の身を最優先し、一切の感情を抑え込もうとする男。
自身の怒りと領域を汚された不快感を優先し、殺気を撒き散らす自分。
突きつけられた決定的なスタンスの違いに、無意識に奥歯を再び強く噛み締める。言葉にならない苛立ちが、胸の奥で渦を巻いた。
悲痛な顔で左手首を抑える悟を見た瞬間、脳裏に凄惨な記憶が鮮烈にフラッシュバックした。
かつて、自分が激昂のままに彼女の左腕に負わせた傷。流れ落ちる血と、恐怖と痛みに歪んだ彼女の顔。
(また、俺の、せい…で…)
彼女をこんな目に遭わせた大元の原因は、傲岸不遜に生きてきた自分だ。そして今、目の前で悲痛な表情を浮かべ、左腕を抑える彼女の姿は、あの日のトラウマを残酷なまでに抉り出してきた。
その二つの負い目から目を背けるように、さらなる破壊へと逃げ込もうとした。血に濡れた拳を強く握り込み、悟の前に踏み出す。
「オイ、悟。生きてんなら教えろ。まだ終わってねぇ。直接テメーに手ぇ出した奴だ……! 特に顔と左手首、やったのはどのゴミか教えろ、息の根止めてやる……!!」
彼女への償いはまだ足りない。彼女に危害を加えたゴミ共を、もっと痛めつけなくてはならない。そうしなければ、己の中にあるぐちゃぐちゃになった感情の行き場がない。
だが、その切迫し暴走せんとする己を止めたのは、他でもない悟自身だった。
「……言いたくない」
「あ゛〜? 何甘っちょろい事言ってんだ。テメーがこのゴミ共に何されたかわかってんのか」
悟は静かに、しかし決して譲らない強さで言い放った。
「……家族に、そんな事させられない。私のために、阿含にこれ以上業を背負ってほしくない」
その言葉に、心が激しく揺さぶられる。
自分をこんな目に遭わせた元凶であり、かつて決して消えない傷を負わせたのは……。そんな自分を、彼女は不条理な仇としてではなく、「家族」として扱い、これ以上の罪を重ねないよう繋ぎ止めようとしている。
ダイヤモンドのように気高く、そしてあまりにも脆い妹の、痛切な祈り。
その祈りに完全に言葉を失い、行き場をなくした怒りと暴力を、無理やりにでも押し留めるしかなかった。ただひどく苦しい敗北感とともに、その血に塗れた拳をゆっくりと下ろすしかなかった。