第三章【秋季大会・地区大会編】
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「蹴りかまされたからって顔面に一撃入れたじゃないッスか、女に対してありゃだせーっすよ」
「仕方ねぇだろ、あ~痛ぇなクソが……! 」
「その後も取り押さえんのに相当苦労したっつーか……あの女、実は喧嘩慣れしてるんじゃねぇの……?」
薄暗い廃倉庫の片隅。鼻血を拭うリーダーの傍らで、男たちがぶつぶつと不満を漏らしていた。
その中心で、後ろ手にした両手首を結束バンドで強固に固定された悟が、冷たいコンクリートの上で荒い息を吐いていた。
殴れらた衝撃で口の端が切れ、口内に鉄の味が滲む。
悔しさに身をもがく度、痛めた左手首に、鋭い痛みが走る。
「手こずらせやがって……! ……チッ、泣き喚かせてコイツ自身の口から助けを請わせたかったが、悲鳴の一つもあげやしねぇ……!チッ、仕方ねぇか」
苛立ったリーダーの男が、奪い取った悟の携帯を開く。
「『ヒル魔』って奴から死ぬほど着信入ってるけど、お前の男か? まぁ、どーでもいいけどよ」
男は履歴を無視して画面を操作し、本命である「金剛阿含」の番号へと発信した。そのまま、これ見よがしに悟の顔の前に画面を掲げてみせる。
数回の無機質なコールの後、画面が「通話中」の表示へと切り替わった。
「もしもーし。テメーに恨みがある者なんだけどさぁ。これ、妹ちゃんの携帯だよね。言ってる意味、わかるよな?」
悟が血の滲む唇を噛み締めた、その時だった。
「よーぅ。雑魚の話す言葉なんざ、なんの意味も理解できねぇよ」
携帯のスピーカーからだけではない。
男たちの背後、倉庫の入り口の闇から、全く同じ声が重なって響いた。
「ひっ……!?」
驚愕して男たちが一斉に振り返る。
そこには、片手に携帯を握ったまま、大股で歩み寄ってくる金剛阿含の姿があった。
その瞬間、場の空気が一変した。
いつも退屈そうに周囲を見下し、余裕に満ちていた阿含の顔から、完全に笑みが消え失せていた。
あちこちに擦り傷を作り、衣服を汚し、結束バンドで無様に縛り上げられた満身創痍の妹。その姿を視界に収めた瞬間、阿含の双眸の奥に、凍りつくような冷たい怒火が灯る。
阿含にとって悟は、自分と同じ『神速のインパルス』という特別な繋がりを持つ、文字通り「己の一部」のような存在だ。
自分という絶対的な存在以外の、ゴミのような有象無象が、その体に触れるどころか危害を加えるなど万死に値する。己の神聖な領域を汚されたことへの、狂気的なまでの憤怒。阿含の全身から、誰の目にも明らかな、肌を刺すような凄絶な殺気が立ち上った。
「な、んで……電話する前からこの場所がわかってんだよ……!」
完全に面を食らうリーダーの男。しかし、悟のすぐ傍にいるという事実だけを盾に、すぐさまその口元に下卑た笑みを張り付かせた。
「まぁいい、お前の妹に――」
男が言葉を言い終わるより、早かった。
阿含の身体が文字通り「消えた」かと思った直後、凄まじい衝撃音と共に、一番近くにいた男が地面へと叩きつけられていた。そのままためらいなく振り下ろされる拳に、顎の骨が砕ける生々しい音が響く。
「あ゛〜? だから雑魚が何言っても聞こえねぇって言っただろ」
超高速の打撃。あまりの速さに、周囲の男たちは反応することすらできない。
「テ、テメェ……! 妹がどうなってもいいのかよ……!!」
恐怖に駆られた男の一人が、悟の髪を掴んで引き起こそうとする。だが、阿含はその脅しに眉一つ動かさず、むしろ獲物を見定めた獣のような瞳で冷酷に言い放つ。
「勝手にしろよ。もう既にそんだけやられてりゃ、たいして変わりゃしねぇよ」
阿含の歩みは止まらない。一歩、また一歩と、死神のように距離を詰めていく。
「……ただし。俺の目の前で、今ソイツに手ェ出してみろ。いっそ殺してくれと思えるほどに惨たらしく潰してやるよ。その薄汚ぇ
その言葉に嘘偽りがないことを、男たちは本能で理解した。
「今悟の髪を引いた野郎、テメーの頭皮ごと髪ひきちぎってやる」
ヒィ、と短い悲鳴が上がる。阿含は一切の手加減を排し、手当たり次第に男たちの肉体を蹂躙し、破壊していった。倉庫のあちこちから、鈍い打撃音と絶叫が響き渡る。
地獄絵図のような光景の中、悟は全身の痛みに耐えながら、必死に思考を巡らせていた。
いくら阿含であろうと、この場所を特定してこれほど早く現れるのは不可能だ。彼が絡んでいるとしか考えられない。
(私の居場所を、常に把握できるのは……)
悟の脳裏に、あの金髪の悪魔の姿が浮かぶ。
彼の姿を思い起こした瞬間、襲われてから今まで、恐怖にも暴力にも屈さず、決して流さなかった涙が、堰を切ったように目尻から溢れ落ちた。
「…ヒル魔さん……!」
声にならない掠れた声で、その名を呼んだ。
――バチチチッ!!!
激しい放電音と、青白い閃光。
次の瞬間、どさりと重い音を立てて、悟を後ろから取り押さえていた男が白目を剥いて地に伏せた。
男の背後、電気ショックの余韻を放つスタンガンを握り締め、影の中から現れたのは――。
「チッ、ふざけやがって……!!」
怒りと焦燥がこれでもかと入り混じった、聞き慣れた声。
拘束を失い、そのまま崩れ落ちそうになった悟の身体は、強い力で抱きすくめられた。
悟がヒル魔の腕の中で感じるのは、確かな体温。
鼻腔をくすぐったのは、微かな火薬の香り。
世界で一番安心できるその腕の中に包まれた瞬間、悟の身体から完全に力が抜けた。襲いかかっていた激しい恐怖が遠のいていくのを感じながら、悟はただ、その広い胸へと自身の身体を委ねた。