第三章【秋季大会・地区大会編】
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秋の大会、西部ワイルドガンマンズ戦を二日後に控えた金曜日の深夜。
街灯がまばらに点在する人気の少ない住宅街を、悟は一人、荒い息を吐きながら走り続けていた。
試合前日である明日は、本番に万全を期すため、極端に負荷の強いトレーニングや深夜までのデータ分析を行うことはできない。つまり、今日この日の夜が、戦況予測の精度を上げ、まもりから託されたハンドサインを体に叩き込むための佳境だった。
疲弊しきった足を引きずるようにして、ついにノルマとしていた距離を走り終える。
「……っ、ふぅー……!」
立ち止まり、流れる汗を手の甲で拭いながら、悟は手元の資料をパタンと閉じた。
「うん、完璧……! 明日、ヒル魔さんとまもりさんに頼んで、最終確認しよう」
全てのサインを頭に叩き込めた達成感から、ホッと安堵の息を吐き出し、全身の気が緩んだ。
――その瞬間だった。
背後からライトを消したまま音もなく近づいてきた一台のワンボックスカーが近づく。その速度を緩めないままに、窓から身を乗り出した何者かの手が、悟の服を強引に掴み引いた。
「えっ――!?」
何が起きたのか把握する間もなく、悟の体は引きずられ、硬いアスファルトの上へと激しく転倒した。
咄嗟に庇うようについた左手首に激しい痛みが走る。打ち身による痛みに加え、あちこちに擦り傷を作り、生温かい血が流れる感覚があった。
「っう……!」
痛みに顔を歪め、地面にうずくまる悟。その周囲を、物陰や車内からぞろぞろと這い出てきた、複数のガラの悪い男たちが取り囲んだ。
「あーあー、血ィ出ちゃってるよ。手荒な真似してごめんね?阿含の妹ちゃん」
ニタニタと笑いながら見下ろしてくる男の目が、蛇のように細められる。
「逃げられると面倒だからさ……お前、アメフトの選手なんだろ?」
痛みに怯む悟の体を、複数名の男が容赦なく地面に押さえつけた。身動き一つ取れない。
全身の毛穴が粟立つような、悍ましい感覚。
悟はこれまで、絶対的な力を持つ実の兄・阿含に対して、常に息の詰まるような恐怖を抱いて生きてきた。だが、その恐怖はあくまで「支配」によるものだ。阿含の抑圧や脅しは、彼女から自由を奪う代わりに、彼女を強引に檻に閉じ込めることで外部の脅威から護ってもいたのだ。
しかし、今ここで彼女に向けられているものは違う。
明確な敵意。憎悪。そして何よりも、有無を言わさぬ理不尽な暴力。
これは、命そのものを脅かすような、本物の危機だった。
抗う術を持たないまま、悟は強引に車の後部座席へと引きずり込まれた。ポケットを探られ、ヒル魔から渡された携帯が乱暴に奪い取られる。
「妹ちゃんに恨みはないんだけどさ、ちょっと手伝って欲しくて。ここにいる奴らみんな、お前の兄貴に女取られたり、半殺しにされたり……まぁ、ぶっ殺したいほどの深ぁい恨みがあるってことだから」
前日の夜、悟の背後から不気味な視線を送っていた正体は、彼らの一人だったのだ。
「出せ。必要以上に痛めつけんなよ。用があるのは兄貴の方だ」
リーダー格の男が仲間に指示を出し、車が動き出す。
肉親である自分を盾にし、阿含への復讐を果たす。
絶対的な強者である阿含の前に直接立つ勇気を持たない有象無象による、姑息極まりない復讐劇。
暗い車内で男たちの嘲笑を聞きながら、悟の胸の中で、恐怖を塗り潰すほどの身を焦がすような怒りが燃え上がっていた。
「人でなし……!」
悟は、両脇を男に固められながらも、鋭く彼らを睨みつけた。
「私を連れてきたところで、阿含と取引なんてできないから……!!」
「えー? でも昨日、道端で楽しげに『兄さん』って言いながら電話してたじゃない?」
「それは……もう一人の兄と話してただけ……阿含じゃない!」
唇を噛み締め、悟は吠えた。
「こんな卑怯なことしないで、恨みがあるなら阿含と直接殴り合いでも何でもすればいい!!」
「るせぇな。いいからさ、さっさと電話して『オニーチャンタスケテ!』って呼び出してくんない?」
「誰が……!!」
男が奪った携帯を悟の顔の前に突きつけるが、悟は断固として首を縦に振らなかった。
やがて車が停まる。辿り着いたのは、深夜でひと気の全くない、薄暗い倉庫街の裏手だった。
「降りろ」と腕を引かれ、乱暴にアスファルトへ放り出される。
――その瞬間。悟は、待ち構えていたかのように地面を蹴った。
痛む左手首を庇いながらも、右足に全身の力を込め、バネのように跳ね起きる。そして、油断しきっていたリーダー格の男の顔面に向かって、渾身の蹴りを見舞った。
「がッ……!?」
クリーンヒットした男の鼻筋から、ブチャッと嫌な音を立てて鮮血が噴き出る。男は無様に仰け反り、地面に転がった。
生まれて初めて、人に暴力を振るった。
しかし、悟の胸の中に罪悪感など微塵もなかった。自身と兄に対して、こんな卑劣で姑息なやり方で牙を剥く彼らが、どうしても許せなかったのだ。
「……テメェ……!!」
だが、多勢に無勢。
激高した他の男たちによって、悟は再び背後から激しく取り押さえられ、冷たいコンクリートの地面へとねじ伏せられた。
鼻血を手で押さえながら立ち上がったリーダーの男が、般若のような形相で悟を見下ろす。
「このアマ……こっちが下手に出てりゃ……!!」
男が大きく腕を振り上げた。
「『必要分』は、痛めつけてやるよ!!」
暴力の雨が降ろうとする寸前。
絶望的な状況の中、悟は歯を食いしばり、決して彼らから目を逸らさなかった。
街灯がまばらに点在する人気の少ない住宅街を、悟は一人、荒い息を吐きながら走り続けていた。
試合前日である明日は、本番に万全を期すため、極端に負荷の強いトレーニングや深夜までのデータ分析を行うことはできない。つまり、今日この日の夜が、戦況予測の精度を上げ、まもりから託されたハンドサインを体に叩き込むための佳境だった。
疲弊しきった足を引きずるようにして、ついにノルマとしていた距離を走り終える。
「……っ、ふぅー……!」
立ち止まり、流れる汗を手の甲で拭いながら、悟は手元の資料をパタンと閉じた。
「うん、完璧……! 明日、ヒル魔さんとまもりさんに頼んで、最終確認しよう」
全てのサインを頭に叩き込めた達成感から、ホッと安堵の息を吐き出し、全身の気が緩んだ。
――その瞬間だった。
背後からライトを消したまま音もなく近づいてきた一台のワンボックスカーが近づく。その速度を緩めないままに、窓から身を乗り出した何者かの手が、悟の服を強引に掴み引いた。
「えっ――!?」
何が起きたのか把握する間もなく、悟の体は引きずられ、硬いアスファルトの上へと激しく転倒した。
咄嗟に庇うようについた左手首に激しい痛みが走る。打ち身による痛みに加え、あちこちに擦り傷を作り、生温かい血が流れる感覚があった。
「っう……!」
痛みに顔を歪め、地面にうずくまる悟。その周囲を、物陰や車内からぞろぞろと這い出てきた、複数のガラの悪い男たちが取り囲んだ。
「あーあー、血ィ出ちゃってるよ。手荒な真似してごめんね?阿含の妹ちゃん」
ニタニタと笑いながら見下ろしてくる男の目が、蛇のように細められる。
「逃げられると面倒だからさ……お前、アメフトの選手なんだろ?」
痛みに怯む悟の体を、複数名の男が容赦なく地面に押さえつけた。身動き一つ取れない。
全身の毛穴が粟立つような、悍ましい感覚。
悟はこれまで、絶対的な力を持つ実の兄・阿含に対して、常に息の詰まるような恐怖を抱いて生きてきた。だが、その恐怖はあくまで「支配」によるものだ。阿含の抑圧や脅しは、彼女から自由を奪う代わりに、彼女を強引に檻に閉じ込めることで外部の脅威から護ってもいたのだ。
しかし、今ここで彼女に向けられているものは違う。
明確な敵意。憎悪。そして何よりも、有無を言わさぬ理不尽な暴力。
これは、命そのものを脅かすような、本物の危機だった。
抗う術を持たないまま、悟は強引に車の後部座席へと引きずり込まれた。ポケットを探られ、ヒル魔から渡された携帯が乱暴に奪い取られる。
「妹ちゃんに恨みはないんだけどさ、ちょっと手伝って欲しくて。ここにいる奴らみんな、お前の兄貴に女取られたり、半殺しにされたり……まぁ、ぶっ殺したいほどの深ぁい恨みがあるってことだから」
前日の夜、悟の背後から不気味な視線を送っていた正体は、彼らの一人だったのだ。
「出せ。必要以上に痛めつけんなよ。用があるのは兄貴の方だ」
リーダー格の男が仲間に指示を出し、車が動き出す。
肉親である自分を盾にし、阿含への復讐を果たす。
絶対的な強者である阿含の前に直接立つ勇気を持たない有象無象による、姑息極まりない復讐劇。
暗い車内で男たちの嘲笑を聞きながら、悟の胸の中で、恐怖を塗り潰すほどの身を焦がすような怒りが燃え上がっていた。
「人でなし……!」
悟は、両脇を男に固められながらも、鋭く彼らを睨みつけた。
「私を連れてきたところで、阿含と取引なんてできないから……!!」
「えー? でも昨日、道端で楽しげに『兄さん』って言いながら電話してたじゃない?」
「それは……もう一人の兄と話してただけ……阿含じゃない!」
唇を噛み締め、悟は吠えた。
「こんな卑怯なことしないで、恨みがあるなら阿含と直接殴り合いでも何でもすればいい!!」
「るせぇな。いいからさ、さっさと電話して『オニーチャンタスケテ!』って呼び出してくんない?」
「誰が……!!」
男が奪った携帯を悟の顔の前に突きつけるが、悟は断固として首を縦に振らなかった。
やがて車が停まる。辿り着いたのは、深夜でひと気の全くない、薄暗い倉庫街の裏手だった。
「降りろ」と腕を引かれ、乱暴にアスファルトへ放り出される。
――その瞬間。悟は、待ち構えていたかのように地面を蹴った。
痛む左手首を庇いながらも、右足に全身の力を込め、バネのように跳ね起きる。そして、油断しきっていたリーダー格の男の顔面に向かって、渾身の蹴りを見舞った。
「がッ……!?」
クリーンヒットした男の鼻筋から、ブチャッと嫌な音を立てて鮮血が噴き出る。男は無様に仰け反り、地面に転がった。
生まれて初めて、人に暴力を振るった。
しかし、悟の胸の中に罪悪感など微塵もなかった。自身と兄に対して、こんな卑劣で姑息なやり方で牙を剥く彼らが、どうしても許せなかったのだ。
「……テメェ……!!」
だが、多勢に無勢。
激高した他の男たちによって、悟は再び背後から激しく取り押さえられ、冷たいコンクリートの地面へとねじ伏せられた。
鼻血を手で押さえながら立ち上がったリーダーの男が、般若のような形相で悟を見下ろす。
「このアマ……こっちが下手に出てりゃ……!!」
男が大きく腕を振り上げた。
「『必要分』は、痛めつけてやるよ!!」
暴力の雨が降ろうとする寸前。
絶望的な状況の中、悟は歯を食いしばり、決して彼らから目を逸らさなかった。