第三章【秋季大会・地区大会編】
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悟を送り届けた後、雲水が神龍寺のグラウンドに戻った頃には、空は不吉なほど真っ赤な夕焼けに染まっていた。
グラウンドには、重苦しい空気が停滞している。部員たちが怯えたように、それでいて一糸乱れぬ動きで練習を繰り返す最中。ベンチに、練習着にすら着替えず、気だるげに身を投げ出している男がいた。
金剛阿含。
彼がそこに居るだけで、練習場はさながら処刑場のような緊張感に支配される。
「……阿含。居たのか」
雲水が歩み寄ると、阿含は鼻先で笑った。
「よう、雲子ちゃん。……遅ぇんだよ」
「……悟を迎えにいってきた」
その名前を聞いた途端、阿含の口角がピクリと引きつる。雲水は隣に腰を下ろし、阿含の鋭い横顔を見据えて言った。
「元気そうだったぞ」
「……あ゛〜? 興味ねぇよ」
低く、地を這うような威圧的な声。ようやく向けられた瞳には、妹を案じる色など微塵もないように見える。だが、双子の兄である雲水にだけは、その瞳の奥で燻る歪んだ感情の機微が見えていた。
「俺が今日、あいつを空港まで迎えに行くことは教えたよな。……様子を知りたくて、練習する気もないのに此処にいたんだろう?」
「……ハッ、んなわけねぇだろ。誰があんな出涸らしの様子なんざ気にすんだよ」
阿含は居住まいが悪そうに、フイと視線を逸らした。その「動揺」の隙間を、雲水は見逃さない。
「……そんなに気になるなら、お前が迎えにでも行けばよかったろう。到着時間は伝えた筈だ」
「おい…………くだらねェこと抜かしてると、そのツラ捻り潰すぞ」
阿含から放たれる殺気が一段と強くなる。だが、それは図星を突かれた時の子供じみた拒絶に近い。自分から離れ、あろうことか「カス(ヒル魔)」の元へ身を寄せた妹への、言葉にできない苛立ち。
雲水は溜息をつき、グラウンドで泥にまみれる部員たちへ視線を移した。
「……見違えたよ。以前の悟とは、纏っている空気がまるで違っていた。自信に満ちていて、それでいて驕らず落ち着いていて……何というか、すごく大人びた雰囲気を持つようになった」
間を空けて、雲水は言葉を付け加える。
「あれが、本来の彼女なんだろう」
「……あ゛? ……当てつけか、あぁ?」
阿含の声の温度が、一気に氷点下まで下がった。自分という絶対強者の影で震えているのが悟の「正解」だと信じている阿含にとって、それは許しがたい侮辱だった。
(……これ以上は、まずいか?)
雲水の脳裏に警鐘が鳴る。だが、ここで引けば悟はまた阿含の歪んだ独占欲に塗りつぶされる。雲水は胃の痛みを堪え、核心に踏み込んだ。
「心当たりがあるから、そう思うんだ。阿含……悟はお前が思うより弱くない。それを認められないのは、お前の後ろめたさのせいじゃないのか?」
「……何だと?」
「悟に傷を負わせた日の事だ。……あの日から、お前のあいつへの執着は際限が無くなった。弱者として扱い、庇護という名の檻に閉じ込める事で、お前は自分の犯した罪を償っているつもりなんじゃないか」
ピキ、と。
阿含の纏う空気が物理的な圧力となって雲水を襲う。阿含の指がベンチの縁を、みしりと鳴らした。
「……テメーに、何がわかる」
「兄だからわかる。お前のその暴力性が、あの日悟だけじゃなく…。…誰よりもお前自身を傷つけたこともな。だがあいつはもう、その傷を乗り越えつつあるぞ」
「…………」
阿含は無言で立ち上がると、無造作にドレッドヘアを揺らし、吐き捨てるように言った。
「……チッ、くだらねぇ。たかが一ヶ月で何ができるってんだ。カスは、どこまで行ってもカスのままだろ」
そう言い残して、阿含は背を向けて去っていく。
だが、その歩みはいつもより僅かに速く、隠しきれない苛立ちと、認めがたい焦燥に揺れていた。
雲水は、一人残されたベンチで重い溜息をひとつ吐く。
これから始まる秋季大会。
過去を乗り越え、自分の才能という牙を剥き始めた悟と、過去の呪縛に囚われたままの阿含。
「……全く。どうしてあそこまで頑ななんだ、お前は……」
血のような夕焼けが、雲水の長い影をグラウンドに引き伸ばしていた。
グラウンドには、重苦しい空気が停滞している。部員たちが怯えたように、それでいて一糸乱れぬ動きで練習を繰り返す最中。ベンチに、練習着にすら着替えず、気だるげに身を投げ出している男がいた。
金剛阿含。
彼がそこに居るだけで、練習場はさながら処刑場のような緊張感に支配される。
「……阿含。居たのか」
雲水が歩み寄ると、阿含は鼻先で笑った。
「よう、雲子ちゃん。……遅ぇんだよ」
「……悟を迎えにいってきた」
その名前を聞いた途端、阿含の口角がピクリと引きつる。雲水は隣に腰を下ろし、阿含の鋭い横顔を見据えて言った。
「元気そうだったぞ」
「……あ゛〜? 興味ねぇよ」
低く、地を這うような威圧的な声。ようやく向けられた瞳には、妹を案じる色など微塵もないように見える。だが、双子の兄である雲水にだけは、その瞳の奥で燻る歪んだ感情の機微が見えていた。
「俺が今日、あいつを空港まで迎えに行くことは教えたよな。……様子を知りたくて、練習する気もないのに此処にいたんだろう?」
「……ハッ、んなわけねぇだろ。誰があんな出涸らしの様子なんざ気にすんだよ」
阿含は居住まいが悪そうに、フイと視線を逸らした。その「動揺」の隙間を、雲水は見逃さない。
「……そんなに気になるなら、お前が迎えにでも行けばよかったろう。到着時間は伝えた筈だ」
「おい…………くだらねェこと抜かしてると、そのツラ捻り潰すぞ」
阿含から放たれる殺気が一段と強くなる。だが、それは図星を突かれた時の子供じみた拒絶に近い。自分から離れ、あろうことか「カス(ヒル魔)」の元へ身を寄せた妹への、言葉にできない苛立ち。
雲水は溜息をつき、グラウンドで泥にまみれる部員たちへ視線を移した。
「……見違えたよ。以前の悟とは、纏っている空気がまるで違っていた。自信に満ちていて、それでいて驕らず落ち着いていて……何というか、すごく大人びた雰囲気を持つようになった」
間を空けて、雲水は言葉を付け加える。
「あれが、本来の彼女なんだろう」
「……あ゛? ……当てつけか、あぁ?」
阿含の声の温度が、一気に氷点下まで下がった。自分という絶対強者の影で震えているのが悟の「正解」だと信じている阿含にとって、それは許しがたい侮辱だった。
(……これ以上は、まずいか?)
雲水の脳裏に警鐘が鳴る。だが、ここで引けば悟はまた阿含の歪んだ独占欲に塗りつぶされる。雲水は胃の痛みを堪え、核心に踏み込んだ。
「心当たりがあるから、そう思うんだ。阿含……悟はお前が思うより弱くない。それを認められないのは、お前の後ろめたさのせいじゃないのか?」
「……何だと?」
「悟に傷を負わせた日の事だ。……あの日から、お前のあいつへの執着は際限が無くなった。弱者として扱い、庇護という名の檻に閉じ込める事で、お前は自分の犯した罪を償っているつもりなんじゃないか」
ピキ、と。
阿含の纏う空気が物理的な圧力となって雲水を襲う。阿含の指がベンチの縁を、みしりと鳴らした。
「……テメーに、何がわかる」
「兄だからわかる。お前のその暴力性が、あの日悟だけじゃなく…。…誰よりもお前自身を傷つけたこともな。だがあいつはもう、その傷を乗り越えつつあるぞ」
「…………」
阿含は無言で立ち上がると、無造作にドレッドヘアを揺らし、吐き捨てるように言った。
「……チッ、くだらねぇ。たかが一ヶ月で何ができるってんだ。カスは、どこまで行ってもカスのままだろ」
そう言い残して、阿含は背を向けて去っていく。
だが、その歩みはいつもより僅かに速く、隠しきれない苛立ちと、認めがたい焦燥に揺れていた。
雲水は、一人残されたベンチで重い溜息をひとつ吐く。
これから始まる秋季大会。
過去を乗り越え、自分の才能という牙を剥き始めた悟と、過去の呪縛に囚われたままの阿含。
「……全く。どうしてあそこまで頑ななんだ、お前は……」
血のような夕焼けが、雲水の長い影をグラウンドに引き伸ばしていた。