第三章【秋季大会・地区大会編】
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空港の自動ドアが開いた瞬間、まとわりつくような日本の湿った空気が肌を撫でた。アメリカのからりと乾いた風とは対照的なその重みに、悟は帰ってきたことを実感する。
到着ロビーでは、泥門デビルバッツの面々が一旦の解散を迎えようとしていた。
「秋大会まで残り一週間だ。気ィ抜いて明日からの練習に遅れた奴は死刑だ、ケケッ」
アサルトライフルを無造作に肩に担ぎ、不敵な笑みを浮かべるヒル魔。相変わらずの光景だが、その視線が悟を捉えた。
悟は真っ直ぐに見つめ返した。以前の彼女なら、その乱暴な口ぶりや威圧感に縮み上がっていただろう。だが今の悟には、地獄のデス・マーチを潜り抜けた自負がある。二人の間に流れる、言葉を介さない「共犯者」としての熱量。それを周囲に悟らせぬまま、悟は軽く手を振って歩き出した。
到着ロビーの待ち合わせ場所。人混みの中で、一際落ち着いた雰囲気を纏って立つ青年――金剛雲水は、ゲートから出てくる妹の姿を探していた。やがて見つけたその影に、彼は思わず息を呑む。
(……悟、なのか?)
そこにいたのは、阿含の後ろで隠れるように俯いていた、かつての「守られるべき妹」ではなかった。
細身な体躯は変わらない。だが、過酷なトレーニングを経て引き締まった四肢、重心の芯が一本通ったその立ち姿。何より、瞳が、かつての怯えを捨て、静かな意志の光を宿している。
「ただいま、雲水兄さん!…お迎え、ありがとう」
「ああ。……おかえり、悟」
雲水は、悟の隣を歩きながら言いようのない感情に襲われていた。
自分と同じく、天才・阿含の傍らで「才なき者」として苦悩し、分を弁えて生きていくしかないのだと同情していた妹。だが彼女は今、自分にはできなかった「現状からの脱却」を、その全身で体現している。
それは兄としての誇らしさ以上に、一人の「凡才」としての痛切な羨望を覚えさせた。
空港から自宅へ向かうバスの車内。流れていく見慣れた日本の景色を眺めながら、二人は静かに話し始めた。話題は自然と、もう一人の兄――阿含のことへ移る。
「阿含は……お前がいなくなってから、ますます手がつけられなくなっている。今阿含の前でお前の話はタブーになってる程にな。…あいつを宥めるのも一苦労だ」
雲水は窓の外を見やり、溜息をついた。
「……ごめんね、兄さん。苦労かけて」
「いいさ。……だが、阿含の気持ちもわからないでもない。何も言わずにアメリカに渡るなんて、心配するなと言う方が無理な話だ。そこは……わかるな?阿含は…、お前が泥門の『ヒル魔』という男に唆されているんだと、相当苛立っている」
「……うん。でも、私は私の意志で行ったんだよ」
阿含の歪んだ執着。かつては逃げ場のない檻のように感じていたその怒りを、今の悟は静かに受け止めていた。
会話が途切れたバスの座席で、悟がさらりと爆弾を投下した。
「……あのね、兄さん。私、その『ヒル魔』って人が好きなんだ」
「――ッ!?」
静かな車内で、雲水が危うく椅子から転げ落ちそうになるほど動揺した。
「……それ、絶対に阿含に言うなよ。絶対にだ」
「えっ? 何で?まぁ、わざわざ話すつもりはなかったけど…。そもそも 私のそういう話に興味なんてなさそうだし……」
「何故だって? ……やめてくれ、考えただけで胃が痛い。あいつがそれを知ったら……」
悟の無垢な問いかけに、最悪の事態――激昂する阿含が泥門を襲撃する光景――を想像して顔を青くする雲水。
悟は不思議そうに首を傾げた。彼女にとっての阿含は、自分と同じ「神速のインパルス」を持ちながら、自分と「並び立てない弱者」として嫌悪し、兄として歪んだ庇護欲を持つ傲慢な神だ。
「でも、阿含は私のプライベートには興味ないよ。友人関係とか、こういう話は……」
「……悟。お前、本気で言っているのか?」
雲水はこめかみを押さえ、深い溜息をついた。悟は、阿含の執着には、「能力的な欠陥への嫌悪」が根底にあると解釈している。だが、傍で見ている雲水からすれば、それはもっと根深く、彼女の全存在を縛り付けようとする異様な独占欲に他ならない。
「プライベートに興味がないって……どう考えてもそんな筈ないだろう。あいつがお前に対して、どれほど度を越した執着を見せているか。……いいか、絶対に阿含の前ではその素振りも見せるな。人命に関わる」
雲水の切実すぎる忠告に、悟は「そんなにかなぁ」と苦笑いする。そんな妹の様子を見て、雲水はふっと表情を和らげ、少しだけ声を低くした。
「……あまり口うるさく言うつもりはないが。お前を泣かせるような男なら、俺も容赦しない」
「えっ……雲水兄さん?」
「阿含もお前も、俺を悩ませるのが得意だな。……悟。お前の兄は阿含だけじゃない。兄として、心配くらいさせてくれ」
そう言って、雲水は悟の頭をポン、と優しく撫でた。そこには確かに自分を対等な肉親として愛してくれる兄の体温があった。
(……ありがとう、兄さん。でも、大丈夫だよ)
悟は心の中で、自分を暗闇から引きずり出し、一人の選手として、一人の人間として認めてくれた「悪魔」の顔を思い浮かべる。
「うん、わかった。兄さん。……私、頑張るね」
次に会うのは、きっとフィールドの上だ。
日本に帰ってきたダークホース「泥門デビルバッツ」。悟は、一週間後に迫る秋大会初戦、そしてその先に待つ「神」への挑戦に向けて、静かに闘志を燃やしていた。
到着ロビーでは、泥門デビルバッツの面々が一旦の解散を迎えようとしていた。
「秋大会まで残り一週間だ。気ィ抜いて明日からの練習に遅れた奴は死刑だ、ケケッ」
アサルトライフルを無造作に肩に担ぎ、不敵な笑みを浮かべるヒル魔。相変わらずの光景だが、その視線が悟を捉えた。
悟は真っ直ぐに見つめ返した。以前の彼女なら、その乱暴な口ぶりや威圧感に縮み上がっていただろう。だが今の悟には、地獄のデス・マーチを潜り抜けた自負がある。二人の間に流れる、言葉を介さない「共犯者」としての熱量。それを周囲に悟らせぬまま、悟は軽く手を振って歩き出した。
到着ロビーの待ち合わせ場所。人混みの中で、一際落ち着いた雰囲気を纏って立つ青年――金剛雲水は、ゲートから出てくる妹の姿を探していた。やがて見つけたその影に、彼は思わず息を呑む。
(……悟、なのか?)
そこにいたのは、阿含の後ろで隠れるように俯いていた、かつての「守られるべき妹」ではなかった。
細身な体躯は変わらない。だが、過酷なトレーニングを経て引き締まった四肢、重心の芯が一本通ったその立ち姿。何より、瞳が、かつての怯えを捨て、静かな意志の光を宿している。
「ただいま、雲水兄さん!…お迎え、ありがとう」
「ああ。……おかえり、悟」
雲水は、悟の隣を歩きながら言いようのない感情に襲われていた。
自分と同じく、天才・阿含の傍らで「才なき者」として苦悩し、分を弁えて生きていくしかないのだと同情していた妹。だが彼女は今、自分にはできなかった「現状からの脱却」を、その全身で体現している。
それは兄としての誇らしさ以上に、一人の「凡才」としての痛切な羨望を覚えさせた。
空港から自宅へ向かうバスの車内。流れていく見慣れた日本の景色を眺めながら、二人は静かに話し始めた。話題は自然と、もう一人の兄――阿含のことへ移る。
「阿含は……お前がいなくなってから、ますます手がつけられなくなっている。今阿含の前でお前の話はタブーになってる程にな。…あいつを宥めるのも一苦労だ」
雲水は窓の外を見やり、溜息をついた。
「……ごめんね、兄さん。苦労かけて」
「いいさ。……だが、阿含の気持ちもわからないでもない。何も言わずにアメリカに渡るなんて、心配するなと言う方が無理な話だ。そこは……わかるな?阿含は…、お前が泥門の『ヒル魔』という男に唆されているんだと、相当苛立っている」
「……うん。でも、私は私の意志で行ったんだよ」
阿含の歪んだ執着。かつては逃げ場のない檻のように感じていたその怒りを、今の悟は静かに受け止めていた。
会話が途切れたバスの座席で、悟がさらりと爆弾を投下した。
「……あのね、兄さん。私、その『ヒル魔』って人が好きなんだ」
「――ッ!?」
静かな車内で、雲水が危うく椅子から転げ落ちそうになるほど動揺した。
「……それ、絶対に阿含に言うなよ。絶対にだ」
「えっ? 何で?まぁ、わざわざ話すつもりはなかったけど…。そもそも 私のそういう話に興味なんてなさそうだし……」
「何故だって? ……やめてくれ、考えただけで胃が痛い。あいつがそれを知ったら……」
悟の無垢な問いかけに、最悪の事態――激昂する阿含が泥門を襲撃する光景――を想像して顔を青くする雲水。
悟は不思議そうに首を傾げた。彼女にとっての阿含は、自分と同じ「神速のインパルス」を持ちながら、自分と「並び立てない弱者」として嫌悪し、兄として歪んだ庇護欲を持つ傲慢な神だ。
「でも、阿含は私のプライベートには興味ないよ。友人関係とか、こういう話は……」
「……悟。お前、本気で言っているのか?」
雲水はこめかみを押さえ、深い溜息をついた。悟は、阿含の執着には、「能力的な欠陥への嫌悪」が根底にあると解釈している。だが、傍で見ている雲水からすれば、それはもっと根深く、彼女の全存在を縛り付けようとする異様な独占欲に他ならない。
「プライベートに興味がないって……どう考えてもそんな筈ないだろう。あいつがお前に対して、どれほど度を越した執着を見せているか。……いいか、絶対に阿含の前ではその素振りも見せるな。人命に関わる」
雲水の切実すぎる忠告に、悟は「そんなにかなぁ」と苦笑いする。そんな妹の様子を見て、雲水はふっと表情を和らげ、少しだけ声を低くした。
「……あまり口うるさく言うつもりはないが。お前を泣かせるような男なら、俺も容赦しない」
「えっ……雲水兄さん?」
「阿含もお前も、俺を悩ませるのが得意だな。……悟。お前の兄は阿含だけじゃない。兄として、心配くらいさせてくれ」
そう言って、雲水は悟の頭をポン、と優しく撫でた。そこには確かに自分を対等な肉親として愛してくれる兄の体温があった。
(……ありがとう、兄さん。でも、大丈夫だよ)
悟は心の中で、自分を暗闇から引きずり出し、一人の選手として、一人の人間として認めてくれた「悪魔」の顔を思い浮かべる。
「うん、わかった。兄さん。……私、頑張るね」
次に会うのは、きっとフィールドの上だ。
日本に帰ってきたダークホース「泥門デビルバッツ」。悟は、一週間後に迫る秋大会初戦、そしてその先に待つ「神」への挑戦に向けて、静かに闘志を燃やしていた。