第二章【アメリカ合宿編】
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荒野の夜は、昼間の酷熱が嘘のように冷たい静寂を連れてくる。
泥門デビルバッツの面々が泥のように眠りにつく中、悟は一人、デコトラの横に座り込みノートパソコンの光に照らされていた。
画面に並ぶのは、秋大会を見据えた他校の膨大な分析データ。指先がキーボードを叩くたび、硬質な音が夜の闇に吸い込まれていく。
ふとした拍子に、昼間、ヒル魔に髪を弾かれた感覚が蘇り、悟は無意識に自分の髪に触れた。
「アハーハー!夜風が冷えるよ、マイレディ!」
不意に背後から響いた華やかな声と共に、肩に重みを感じた。
見れば、派手な色のジャケットがかけられている。現れたのは、自信満々の笑みを浮かべた瀧夏彦だった。
「今日のヒッチハイク、君は実に輝いていた! 僕の美しさには……まあ、あと一歩及ばないとはいえ、あのヒッチハイクの一瞬で着替えてしまうのは勿体ないほどエレガンスだったよ!」
「夏彦くん、ありがとう。…これ、夜でも目立つから迷子にならなさそうだね」
悟が苦笑していると、暗闇からもう一つの足音が近づいてきた。
「……おい、バカ。こんな夜中に騒いでんじゃねぇよ。練習で疲れてんだろ、さっさと寝ろ」
現れたのは十文字だった。険しい表情だが、その瞳には夏彦への苛立ちよりも、悟への気遣いが滲んでいる。
「なんだい、君も彼女の美しさに当てられたのかい? わかるよ、僕の次に――」
「バカ兄貴! あんたは何を寝ぼけてんのよ!」
どこからともなく現れた鈴音が、夏彦の耳を容赦なく引っ張り上げる。そのまま「あいたたた!」と情けない声を上げる兄を暗闇へと引きずっていった。
嵐が去った後のような静寂が戻り、焚き火の爆ぜる音だけが響く。
十文字は悟の横に視線を落とし、少し躊躇してから口を開いた。
「……隣、座ってもいいか?」
「うん。どうぞ」
十文字は適度な距離を保ちながら、彼女の隣に腰を下ろした。彼はしばらくの間、悟のパソコン画面を眺めていたが、やがて深い溜息をつく。
「あんまり根詰めんなよ。……お前、すぐ無茶するからな。これ以上、目の前で倒れられるのは御免だ」
その言葉に、悟の胸がちくりと痛んだ。
デス・マーチの序盤、極限の疲労で意識を失った自分を、誰よりも早く抱き留め、気が急いている私を休むよう諭してくれたのは十文字だった。あの時の、彼の縋るような声音と、硬く逞しい腕の感触を覚えている。
「大丈夫。倒れるような無理はしてないよ。……休息の大切さは、身を持って知ったからね」
「……ならいい」
十文字は焚き火の揺れる炎を見つめたまま、拳を膝の上で握りしめた。
しばらくの沈黙。
夜風が二人の間を吹き抜け、悟の髪を揺らす。
「……今日の昼間のことだけどよ」
十文字が、絞り出すような声で言った。
「普段も……綺麗、だとは思ってた。…だけどありゃ反則だ。…綺麗過ぎて、目が離せなくて…正直見惚れてた。他の野郎に見せたくないとも思った」
真っ直ぐな、一点の曇りもない賛辞と、溢れ出す悟への想い。
悟の心拍が跳ね上がる。十文字の横顔は、いつもの不良じみた鋭さが消え、隠しきれない独占欲と、それ以上に深い慈しみに満ちていた。
「十文字くん、私は……」
十文字の気持ちを察し、悟の唇が震える。
彼の気持ちには応えられない。自分には、地獄を共に歩むと決めた、あの悪魔のような男への想いがある。
それを打ち明けようと、悟が意を決して彼の方を向いた瞬間――。
十文字の大きな手が、優しく、けれど拒む隙を与えない力強さで、悟の手を包み込んだ。
「言うな。…お前の気持ちは、なんとなくわかってる。入学してから、ずっとお前のことを見てきたからな」
十文字は悟の目を見据えた。
「始めは、危なっかしくて放っておけねぇだけだってダセェ言い訳並べてたんだ。気持ちを認めてからも、お前の視線が誰に向いてるかを知って諦めようとも思った。…けど、どうしても無理なんだよ」
十文字の瞳には、彼女がヒル魔に向ける眼差しを、ずっと側で、痛みと共に確認し続けてきた男の覚悟が宿っていた。
「だから、少し時間をくれないか? アイツよりお前を大事にできるのは俺だって……言葉でも行動でも、少しずつ伝えてぇんだ」
「でも、それは十文字くんが傷つくことに……」
「良いんだ。…お前が嫌がることはしねぇ。約束する。」
十文字は悟の手を優しく握り直し、切なげに微笑んだ。
「……今はただ、こうしてお前の隣にいさせてくれりゃ、それで十分だ」
あまりに真摯で、あまりに真っ直ぐな言葉。その熱に、悟は拒絶の言葉を飲み込むしかなかった。
十文字の掌から伝わるのは、ヒル魔とは対極にある、不器用で、愚直なまでにひたむきな想い。
しばらくして、十文字は名残惜しそうにその手を放すと、「じゃあな。冷える前に寝ろよ」とだけ残して去っていった。
一人残された悟は、熱を持った自分の手元を見つめる。
ヒル魔との間にある、共犯者のようなヒリつく関係。
十文字から差し出された、包み込むような深い愛情。
アメリカの広大な夜空の下、悟の心は、自分でも制御できないほど大きく揺れ動いていた。
泥門デビルバッツの面々が泥のように眠りにつく中、悟は一人、デコトラの横に座り込みノートパソコンの光に照らされていた。
画面に並ぶのは、秋大会を見据えた他校の膨大な分析データ。指先がキーボードを叩くたび、硬質な音が夜の闇に吸い込まれていく。
ふとした拍子に、昼間、ヒル魔に髪を弾かれた感覚が蘇り、悟は無意識に自分の髪に触れた。
「アハーハー!夜風が冷えるよ、マイレディ!」
不意に背後から響いた華やかな声と共に、肩に重みを感じた。
見れば、派手な色のジャケットがかけられている。現れたのは、自信満々の笑みを浮かべた瀧夏彦だった。
「今日のヒッチハイク、君は実に輝いていた! 僕の美しさには……まあ、あと一歩及ばないとはいえ、あのヒッチハイクの一瞬で着替えてしまうのは勿体ないほどエレガンスだったよ!」
「夏彦くん、ありがとう。…これ、夜でも目立つから迷子にならなさそうだね」
悟が苦笑していると、暗闇からもう一つの足音が近づいてきた。
「……おい、バカ。こんな夜中に騒いでんじゃねぇよ。練習で疲れてんだろ、さっさと寝ろ」
現れたのは十文字だった。険しい表情だが、その瞳には夏彦への苛立ちよりも、悟への気遣いが滲んでいる。
「なんだい、君も彼女の美しさに当てられたのかい? わかるよ、僕の次に――」
「バカ兄貴! あんたは何を寝ぼけてんのよ!」
どこからともなく現れた鈴音が、夏彦の耳を容赦なく引っ張り上げる。そのまま「あいたたた!」と情けない声を上げる兄を暗闇へと引きずっていった。
嵐が去った後のような静寂が戻り、焚き火の爆ぜる音だけが響く。
十文字は悟の横に視線を落とし、少し躊躇してから口を開いた。
「……隣、座ってもいいか?」
「うん。どうぞ」
十文字は適度な距離を保ちながら、彼女の隣に腰を下ろした。彼はしばらくの間、悟のパソコン画面を眺めていたが、やがて深い溜息をつく。
「あんまり根詰めんなよ。……お前、すぐ無茶するからな。これ以上、目の前で倒れられるのは御免だ」
その言葉に、悟の胸がちくりと痛んだ。
デス・マーチの序盤、極限の疲労で意識を失った自分を、誰よりも早く抱き留め、気が急いている私を休むよう諭してくれたのは十文字だった。あの時の、彼の縋るような声音と、硬く逞しい腕の感触を覚えている。
「大丈夫。倒れるような無理はしてないよ。……休息の大切さは、身を持って知ったからね」
「……ならいい」
十文字は焚き火の揺れる炎を見つめたまま、拳を膝の上で握りしめた。
しばらくの沈黙。
夜風が二人の間を吹き抜け、悟の髪を揺らす。
「……今日の昼間のことだけどよ」
十文字が、絞り出すような声で言った。
「普段も……綺麗、だとは思ってた。…だけどありゃ反則だ。…綺麗過ぎて、目が離せなくて…正直見惚れてた。他の野郎に見せたくないとも思った」
真っ直ぐな、一点の曇りもない賛辞と、溢れ出す悟への想い。
悟の心拍が跳ね上がる。十文字の横顔は、いつもの不良じみた鋭さが消え、隠しきれない独占欲と、それ以上に深い慈しみに満ちていた。
「十文字くん、私は……」
十文字の気持ちを察し、悟の唇が震える。
彼の気持ちには応えられない。自分には、地獄を共に歩むと決めた、あの悪魔のような男への想いがある。
それを打ち明けようと、悟が意を決して彼の方を向いた瞬間――。
十文字の大きな手が、優しく、けれど拒む隙を与えない力強さで、悟の手を包み込んだ。
「言うな。…お前の気持ちは、なんとなくわかってる。入学してから、ずっとお前のことを見てきたからな」
十文字は悟の目を見据えた。
「始めは、危なっかしくて放っておけねぇだけだってダセェ言い訳並べてたんだ。気持ちを認めてからも、お前の視線が誰に向いてるかを知って諦めようとも思った。…けど、どうしても無理なんだよ」
十文字の瞳には、彼女がヒル魔に向ける眼差しを、ずっと側で、痛みと共に確認し続けてきた男の覚悟が宿っていた。
「だから、少し時間をくれないか? アイツよりお前を大事にできるのは俺だって……言葉でも行動でも、少しずつ伝えてぇんだ」
「でも、それは十文字くんが傷つくことに……」
「良いんだ。…お前が嫌がることはしねぇ。約束する。」
十文字は悟の手を優しく握り直し、切なげに微笑んだ。
「……今はただ、こうしてお前の隣にいさせてくれりゃ、それで十分だ」
あまりに真摯で、あまりに真っ直ぐな言葉。その熱に、悟は拒絶の言葉を飲み込むしかなかった。
十文字の掌から伝わるのは、ヒル魔とは対極にある、不器用で、愚直なまでにひたむきな想い。
しばらくして、十文字は名残惜しそうにその手を放すと、「じゃあな。冷える前に寝ろよ」とだけ残して去っていった。
一人残された悟は、熱を持った自分の手元を見つめる。
ヒル魔との間にある、共犯者のようなヒリつく関係。
十文字から差し出された、包み込むような深い愛情。
アメリカの広大な夜空の下、悟の心は、自分でも制御できないほど大きく揺れ動いていた。