第二章【アメリカ合宿編】
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他の部員たちがすでに各自のメニューに散り始めた頃、悟はひとり、練習前のストレッチに勤しんでいた。
「やってしまった……完全な寝坊……!テーピングもしてもらっちゃったし」
彼女の上に一枚の影が落ちる。十文字だ。彼はすでに一汗かいた様子で、ドリンクを片手に悟を見下ろしている。
「……おう。ちゃんと休んだんだろうな」
「おかげさまでよく眠れたよ。……少し寝すぎちゃったくらい」
悟が申し訳なさそうに、けれど昨夜よりずっと明るい顔で答えると、十文字は膝を折り、まじまじとその顔を覗き込んだ。
「ん、見られる顔になったな。……昨日は、急に触れてすまなかった」
十文字は視線を合わせ、真摯に謝罪を口にする。
「ううん、心配かけてごめんね。……助けてくれて、ありがとう」
悟の真っ直ぐな感謝に、十文字の耳がわずかに赤くなる。
彼は今朝、ヒル魔が悟をお姫様抱っこで運んでいった光景を思い出していた。ヒル魔の「上書き」という言葉こそ知らないが、ヒル魔の行動が自分に対する明確な牽制であることは、男の直感で理解していた。
「……今朝のヒル魔のあれは……いや、なんでもない。先に行く」
十文字はそれだけ言い残すと、逃げるように自分の持ち場へと戻っていった。
遅れを取り戻すべく、悟はヒル魔たちの走るルートへと駆け出した。その際、彼女は自分の身体に起きている異変に気づく。
(身体が……軽い。それに、頭の中が驚くほどクリアだ……)
昨日までの、脳が熱を持つような気怠さがない。ヒル魔らと合流後、すぐに耳栓を装着し「ミラーリング練習」を開始する。
これまで彼女は、モン太たちの筋肉の動き、視線、重心の移動をひとつひとつ言語化し、計算して組み立てていた。しかし、デスマーチでの極限の追い込みから、深い睡眠を経て整理された脳は、その膨大なデータを無意識下で超高速演算する領域に達していた。
(来る、右――。次は三歩でカット――)
もはや意識的に考える必要すらない。視える予兆に感覚的に従うだけで、悟の身体はモン太や雪光と寸分違わぬ動きをトレースしていく。
「なんだよ……悟、お前……」
隣を走るモン太が、背筋に寒いものを感じて声を漏らす。雪光もまた、自分の影が意志を持って動いているかのような、完璧すぎる追従に畏怖を覚えた。悟自身も驚いていた。どぶろくの言っていた「考えることが自然体になるまで」という境地は、これほどまでの世界だったのか。
異質な動きを見たどぶろくが悟を呼び止めた。その目は、彼女が到達した新たなステージを見抜いていた。
「悟、一旦パスルート練習は離脱だ。耳栓外して、ヒル魔の後ろを走ってみな。午後からはセナの後ろだ。……別世界が待ってるはずだぜ」
「耳栓を、外して……?」
「ああ。情報を制限した中で磨いたその『悪魔の予言』、解放してみな。ついでに仲間の生身のデータをその脳に直接叩き込め」
耳栓を外した瞬間、熱風の唸りとアスファルトを蹴る音が流れ込んできた。
まずはヒル魔の追走だ。悟は、ヒル魔が放つ、特有の「ブラフ」が混じった不規則なリズムを背後から観察する。
(ヒル魔さんが投げようとしているパスルートは……)
「ケケッ!」
背後でブツブツと呟きルートを言い当てる悟をチラ見し、ヒル魔の口角が吊り上がる。彼女の「悪魔の予言」が、単なる予測を超え、自分という人間の「思考の癖」まで飲み込もうとしている。その完成が近いことを、ヒル魔は確信していた。
午後。悟は、石を蹴りながら走り続けるセナの真後ろについた。
(……足取りが重い。でも、リズムは崩れてない)
(僅かに右に寄れてきてる……。……あ)
悟の脳内のシミュレーターが、一瞬先の未来を弾き出す。
(次の一歩、つまずいて体勢を崩す――!)
予想通り、セナの足がアスファルトの亀裂にかかり、身体が大きく泳いだ。悟の超反応が、セナを支えようと手を伸ばす。しかし――。
「……っ!?」
悟の手は空を切った。
転倒するかに思えたセナは無理やり地面を蹴り、急加速を見せたのだ。砂煙を残して、セナの背中が遠のく。
「……今……僕……ブレーキ踏まなかった……?」
走るのを止めたセナが、振り向き驚いた顔で悟を見つめ、ポツリと呟いた。
「うん……! まったく予測できなかったよ!」
悟もまた、呆然と立ち尽くしていた。完璧だと思っていた自分の予言を、セナの「走」が凌駕した瞬間。
「そっか……。石を蹴る手前で極端に歩幅を短くすればいいんだ……!」
セナが、ついに「ブレーキをかけないカット」の第一歩を掴んだ。
そして悟は、その歴史的な瞬間の唯一の目撃者となった。泥門デビルバッツの各々の「才能」の進化。
悟は成長の兆しという希望に瞳を光らせ、セナと共に再び走り出したのであった。
「やってしまった……完全な寝坊……!テーピングもしてもらっちゃったし」
彼女の上に一枚の影が落ちる。十文字だ。彼はすでに一汗かいた様子で、ドリンクを片手に悟を見下ろしている。
「……おう。ちゃんと休んだんだろうな」
「おかげさまでよく眠れたよ。……少し寝すぎちゃったくらい」
悟が申し訳なさそうに、けれど昨夜よりずっと明るい顔で答えると、十文字は膝を折り、まじまじとその顔を覗き込んだ。
「ん、見られる顔になったな。……昨日は、急に触れてすまなかった」
十文字は視線を合わせ、真摯に謝罪を口にする。
「ううん、心配かけてごめんね。……助けてくれて、ありがとう」
悟の真っ直ぐな感謝に、十文字の耳がわずかに赤くなる。
彼は今朝、ヒル魔が悟をお姫様抱っこで運んでいった光景を思い出していた。ヒル魔の「上書き」という言葉こそ知らないが、ヒル魔の行動が自分に対する明確な牽制であることは、男の直感で理解していた。
「……今朝のヒル魔のあれは……いや、なんでもない。先に行く」
十文字はそれだけ言い残すと、逃げるように自分の持ち場へと戻っていった。
遅れを取り戻すべく、悟はヒル魔たちの走るルートへと駆け出した。その際、彼女は自分の身体に起きている異変に気づく。
(身体が……軽い。それに、頭の中が驚くほどクリアだ……)
昨日までの、脳が熱を持つような気怠さがない。ヒル魔らと合流後、すぐに耳栓を装着し「ミラーリング練習」を開始する。
これまで彼女は、モン太たちの筋肉の動き、視線、重心の移動をひとつひとつ言語化し、計算して組み立てていた。しかし、デスマーチでの極限の追い込みから、深い睡眠を経て整理された脳は、その膨大なデータを無意識下で超高速演算する領域に達していた。
(来る、右――。次は三歩でカット――)
もはや意識的に考える必要すらない。視える予兆に感覚的に従うだけで、悟の身体はモン太や雪光と寸分違わぬ動きをトレースしていく。
「なんだよ……悟、お前……」
隣を走るモン太が、背筋に寒いものを感じて声を漏らす。雪光もまた、自分の影が意志を持って動いているかのような、完璧すぎる追従に畏怖を覚えた。悟自身も驚いていた。どぶろくの言っていた「考えることが自然体になるまで」という境地は、これほどまでの世界だったのか。
異質な動きを見たどぶろくが悟を呼び止めた。その目は、彼女が到達した新たなステージを見抜いていた。
「悟、一旦パスルート練習は離脱だ。耳栓外して、ヒル魔の後ろを走ってみな。午後からはセナの後ろだ。……別世界が待ってるはずだぜ」
「耳栓を、外して……?」
「ああ。情報を制限した中で磨いたその『悪魔の予言』、解放してみな。ついでに仲間の生身のデータをその脳に直接叩き込め」
耳栓を外した瞬間、熱風の唸りとアスファルトを蹴る音が流れ込んできた。
まずはヒル魔の追走だ。悟は、ヒル魔が放つ、特有の「ブラフ」が混じった不規則なリズムを背後から観察する。
(ヒル魔さんが投げようとしているパスルートは……)
「ケケッ!」
背後でブツブツと呟きルートを言い当てる悟をチラ見し、ヒル魔の口角が吊り上がる。彼女の「悪魔の予言」が、単なる予測を超え、自分という人間の「思考の癖」まで飲み込もうとしている。その完成が近いことを、ヒル魔は確信していた。
午後。悟は、石を蹴りながら走り続けるセナの真後ろについた。
(……足取りが重い。でも、リズムは崩れてない)
(僅かに右に寄れてきてる……。……あ)
悟の脳内のシミュレーターが、一瞬先の未来を弾き出す。
(次の一歩、つまずいて体勢を崩す――!)
予想通り、セナの足がアスファルトの亀裂にかかり、身体が大きく泳いだ。悟の超反応が、セナを支えようと手を伸ばす。しかし――。
「……っ!?」
悟の手は空を切った。
転倒するかに思えたセナは無理やり地面を蹴り、急加速を見せたのだ。砂煙を残して、セナの背中が遠のく。
「……今……僕……ブレーキ踏まなかった……?」
走るのを止めたセナが、振り向き驚いた顔で悟を見つめ、ポツリと呟いた。
「うん……! まったく予測できなかったよ!」
悟もまた、呆然と立ち尽くしていた。完璧だと思っていた自分の予言を、セナの「走」が凌駕した瞬間。
「そっか……。石を蹴る手前で極端に歩幅を短くすればいいんだ……!」
セナが、ついに「ブレーキをかけないカット」の第一歩を掴んだ。
そして悟は、その歴史的な瞬間の唯一の目撃者となった。泥門デビルバッツの各々の「才能」の進化。
悟は成長の兆しという希望に瞳を光らせ、セナと共に再び走り出したのであった。