第一章【春季大会編】
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「……っ、……はぁ、……っ!」
泥門高校のグラウンド。夕闇が迫る中、悟の荒い呼吸だけが響く。
入部して早々、ヒル魔から課されたのは、今の彼女には過酷な基礎トレーニングの山だった。
(阿含なら、こんなの欠伸をしながらこなすだろう。
雲水兄さんなら、眉一つ動かさず完遂するだろう)
「はぁ……!はぁ……!」
泥にまみれた膝を叩き、悟は立ち上がる。
強い疲労感、息が苦しい。けれど、辛くはない。
初めて、自分自身の価値を認め、求めてくれた人がいる。ここが己の居場所になるかもしれない。その微かな希望が、悟を突き動かしていた。
「ケケケ! 死んでる暇はねぇぞ!」
ヒル魔の銃声が響く。
その時、グラウンドの入口から「ひいぃぃっ!」という情けない悲鳴が聞こえてきた。
「あ……小早川くん?」
ヒル魔に首根っこを掴まれて引きずられてきたのは、悟のクラスメイトの小早川セナだった。
「うちのランニングバックだ」
「えっ、えええっ!? 僕、選手なんて……!」
怯えるセナの姿は、昨日の悟そのものだった。
けれど、彼を見つめる悟の目は、彼自身も気づいていない「違和感」を捉えていた。
(……あの脚……)
小柄で虚弱そうな体躯だが、無駄のない筋肉のつき方の脚。
そして何より、彼の瞳の奥にある色。
抑圧され、誰かに過剰に護られてきた結果、自分の牙の研ぎ方を知らない……それは、鏡を見ているかのように悟と似ていた。
「小早川くん、大丈夫……?」
ヒル魔が部室へ資料を取りに行った隙に、悟は座り込んでいるセナに駆け寄り横に座る。
「あ、金剛さん……。どうして、君がアメフト部に……?」
「私は……選手として、入ったの。…変だよね?」
自嘲気味に笑うと、セナは慌てて首を振った。
「そんなことないよ! 金剛さんは、勇気があって凄いよ。…僕は、本当は主務として入っただけで選手なんて……。僕なんてただのパシリで……逃げることしかできないから」
「……ううん、そうじゃないよ」
悟はセナの脚を見つめる。
「神速のインパルス」は、彼がヒル魔の銃声から逃げた時の一瞬の蹴り出しを、スローモーションのように捉えていた。
「小早川くんも、誰かの影に隠れてきたんだね。本当は、そんなに凄い才能を持っているのに」
「え……?」
「君のその脚は、ただパシリに使ったり、逃げるためだけのものじゃない。いつか、誰よりも速く駆け抜けるための『黄金の脚』だよ。私にはわかるの。……良かったら、セナくんって呼んでもいい?」
悟が柔らかく微笑むと、セナはポカンと口を開けて私を見上げたあと慌てて答えた。
「もちろんだよ!…僕も悟さんって呼んでもいいかな?」
才能を見出されず、自分を無価値だと思い込んできた者同士。
広いグラウンドで、二人だけの静かな共鳴が生まれていた。
ババババババァン!!
突如として降り注いだ銃弾が、二人の間の地面を抉る。
「ひいぃっ!」
「ケケケ! 傷の舐め合いしてる暇があったら、一本でも多くダッシュしやがれ!」
仁王立ちするヒル魔の持つライフルの銃口からは、白煙が上がっていた。
ヒル魔は悟の方へずかずかと歩み寄ると、彼女の顔を覗き込むようにして、低く、威圧的な声を出した。
「……他人の心配してる暇なんざねぇぞ」
その瞳には、先ほどまでの彼には無い色が微かに混じっているように見えた。その色が何かはわからない。
ヒル魔は悟の手首を掴み、立ち上がらせるように自分の方へと引き寄せる。
「テメーは俺に、テメーの才能を預けたんだ。なら俺に従うべき……そうだろ?わかったら黙って走れ、死ぬ気でな」
(ヒル魔さん……)
セナを励ましていたはずの悟の意識は、一瞬でこの「悪魔」に引き戻されてしまったのだった。