第一章【春季大会編】
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手首を掴まれたまま、悟は校舎の裏手にある古びた小屋へと連れ込まれた。
乱暴に扉が開けられると、そこには異様な光景が広がっていた。壁一面を埋め尽くす膨大な写真やデータ、積み上げられたビデオテープ。煩雑に置かれたユニフォーム。――全てアメフトに関するものだ。
「ひ、ヒル魔! まさか女の子を拉致してきたの!? 」
部屋の奥から現れたのは、山のように大きな体躯を持つ男子生徒だった。彼は悟を見るなり、慌てふためいている。
「ケケケ、いいから黙ってろ糞 デブ」
「……ヒル魔、っていうんですね。あなたの名前」
悟は掴まれていた手首をさすりながら、ようやく男の名前を口にした。
悟は彼の名前を知っている。蛭魔 妖ー 。兄が忌々しげに彼の名を呟くのを聞いたことがあった。
彼は泥門高校の悪魔と噂される男である。
目の前の巨漢の男子生徒――栗田寛一が向ける心配そうな視線のおかげで、悟の強張っていた肩の力が少しだけ抜ける。
「座れ」
ヒル魔と呼ばれた男は、部屋の中央にある椅子を指差し、モニターのスイッチを入れた。
映し出されたのは、独特のドレッドヘアをなびかせてフィールドを駆け、相手選手を蹂躙する男の姿。
「……阿含」
悟の声が小さく震える。画面の中の彼女の兄は、触れるものすべてを破壊するかのような、圧倒的な「暴力」そのものだった。
「『神速のインパルス』。人間の限界、脳から筋肉への伝達速度0.11秒。……テメーも持ってるもんだ」
ヒル魔の言葉に、悟は強く首を振った。
「違います。私は……兄の足元にも及びません。視えていても、反応できても、私の体はついていけません。私は、ただの出来損ない……阿含の劣化版なんです」
自嘲気味に吐き出し、悟は左腕の傷を見つめた。
この傷は覚悟の証だ。けれど同時に、己がどれだけ足掻いても兄には勝てないことを示す、絶望の印でもあった。
ドォン!!
突然、ヒル魔が机を激しく叩いた。
至近距離まで詰め寄ったヒル魔の瞳が、悟の視線を逃さず捉える。
「体の強さなんざ、後からいくらでも作れる。程度はあるがな。それにごまかしなんていくらでもきくもんだ、ケケッ」
ヒル魔は不敵に口角を上げた。
「その『神速のインパルス』は、天からの貰いもんだ。テメーが腐らせようとしても、俺がそうはさせねぇ」
「ヒル魔さん……」
「いいか、奴の影に一生隠れてんじゃねぇ。お前の価値を俺が知らしめてやるよ。兄貴といわず、アメフトっつー世界全てにな」
ヒル魔はまるで、悟の魂に直接刻み込むように言葉を重ねる。
「お前は、俺に見つけられちまったってこだ。……観念しやがれ」
心臓が、ドクンと大きく跳ねた。
「…今まで誰も、私自身の価値なんて見てくれなかった」
誰もが悟を「阿含の妹」として、あるいは「阿含になれなかった失敗作」として見ていた。
なのに、この男は、ヒル魔だけは、悟の持つ「神速のインパルス」を、本物だと断じたのだ。
「……私に、できることがあるんでしょうか」
「ケケケ、できねぇ事を考えてる暇はねぇ。駒を最大限に活かすのが俺のやり方だ」
悟が、ゆっくりと立ち上がった。
(まだ、自分の力を信じられるわけじゃない。けれど、この人が言う「私の価値」を、私も見てみたいと思ってしまった)
「わかりました……やらせてください。泥門デビルバッツの……選手として」
「あわわ、女の子が選手!? 大丈夫かなぁ……」
心配そうにオロオロする栗田の横で、ヒル魔は今までで一番邪悪で、一番魅力的な笑みを浮かべた。
「決定だ。ケケケ、面白くなってきやがった……!」
この日、悟は悪魔の導きにより、フィールドへと続く地獄の門を潜ったのだった。
乱暴に扉が開けられると、そこには異様な光景が広がっていた。壁一面を埋め尽くす膨大な写真やデータ、積み上げられたビデオテープ。煩雑に置かれたユニフォーム。――全てアメフトに関するものだ。
「ひ、ヒル魔! まさか女の子を拉致してきたの!? 」
部屋の奥から現れたのは、山のように大きな体躯を持つ男子生徒だった。彼は悟を見るなり、慌てふためいている。
「ケケケ、いいから黙ってろ
「……ヒル魔、っていうんですね。あなたの名前」
悟は掴まれていた手首をさすりながら、ようやく男の名前を口にした。
悟は彼の名前を知っている。蛭魔 妖ー 。兄が忌々しげに彼の名を呟くのを聞いたことがあった。
彼は泥門高校の悪魔と噂される男である。
目の前の巨漢の男子生徒――栗田寛一が向ける心配そうな視線のおかげで、悟の強張っていた肩の力が少しだけ抜ける。
「座れ」
ヒル魔と呼ばれた男は、部屋の中央にある椅子を指差し、モニターのスイッチを入れた。
映し出されたのは、独特のドレッドヘアをなびかせてフィールドを駆け、相手選手を蹂躙する男の姿。
「……阿含」
悟の声が小さく震える。画面の中の彼女の兄は、触れるものすべてを破壊するかのような、圧倒的な「暴力」そのものだった。
「『神速のインパルス』。人間の限界、脳から筋肉への伝達速度0.11秒。……テメーも持ってるもんだ」
ヒル魔の言葉に、悟は強く首を振った。
「違います。私は……兄の足元にも及びません。視えていても、反応できても、私の体はついていけません。私は、ただの出来損ない……阿含の劣化版なんです」
自嘲気味に吐き出し、悟は左腕の傷を見つめた。
この傷は覚悟の証だ。けれど同時に、己がどれだけ足掻いても兄には勝てないことを示す、絶望の印でもあった。
ドォン!!
突然、ヒル魔が机を激しく叩いた。
至近距離まで詰め寄ったヒル魔の瞳が、悟の視線を逃さず捉える。
「体の強さなんざ、後からいくらでも作れる。程度はあるがな。それにごまかしなんていくらでもきくもんだ、ケケッ」
ヒル魔は不敵に口角を上げた。
「その『神速のインパルス』は、天からの貰いもんだ。テメーが腐らせようとしても、俺がそうはさせねぇ」
「ヒル魔さん……」
「いいか、奴の影に一生隠れてんじゃねぇ。お前の価値を俺が知らしめてやるよ。兄貴といわず、アメフトっつー世界全てにな」
ヒル魔はまるで、悟の魂に直接刻み込むように言葉を重ねる。
「お前は、俺に見つけられちまったってこだ。……観念しやがれ」
心臓が、ドクンと大きく跳ねた。
「…今まで誰も、私自身の価値なんて見てくれなかった」
誰もが悟を「阿含の妹」として、あるいは「阿含になれなかった失敗作」として見ていた。
なのに、この男は、ヒル魔だけは、悟の持つ「神速のインパルス」を、本物だと断じたのだ。
「……私に、できることがあるんでしょうか」
「ケケケ、できねぇ事を考えてる暇はねぇ。駒を最大限に活かすのが俺のやり方だ」
悟が、ゆっくりと立ち上がった。
(まだ、自分の力を信じられるわけじゃない。けれど、この人が言う「私の価値」を、私も見てみたいと思ってしまった)
「わかりました……やらせてください。泥門デビルバッツの……選手として」
「あわわ、女の子が選手!? 大丈夫かなぁ……」
心配そうにオロオロする栗田の横で、ヒル魔は今までで一番邪悪で、一番魅力的な笑みを浮かべた。
「決定だ。ケケケ、面白くなってきやがった……!」
この日、悟は悪魔の導きにより、フィールドへと続く地獄の門を潜ったのだった。