第三章【秋季大会・地区大会編】
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西部の波状攻撃を止めるすべはなく、無情にも点差は開いていく。
【西部 29 ― 6 泥門】
前半、最後のプレー。エンドゾーンまで残り45ヤード。
ここで得点を逃せば、後半での逆転は不可能となり、事実上の敗北が確定する。まさに絶望のデッドライン。
前半最後のタイムアウトを要求し、時計を止めた泥門ベンチ。
しかし、司令塔であるヒル魔は、いつものように声を上げ、矢継ぎ早に指示を飛ばすことはなかった。スタジアムの入り口を見据えたまま、ただひたすらに、静かに「誰か」を待っているようだった。
悟は、横に立つヒル魔の横顔をじっと見つめる。
彼が今、誰に思いを馳せ、誰を待っているのか――それは痛いほどに分かりきっていた。
(ムサシさん……)
今、この絶望的な盤面をひっくり返すには、キッカー――ムサシが必要だ。
彼がフィールドに戻るための環境は悟により整えられた筈だ。しかし、どれほど外堀を埋めようと、彼本人にここへ戻る意思が無いとすれば……。
先ほどの自身のミスへの自責も相まって、暗い想像が悟の胸をよぎる。
(……ダメ。ヒル魔さんが諦めない限り、まだ勝算は残ってる。思考を止めるのはまだ早い)
弱気な考えを振り払うように、悟が強く頭を振った、まさにその時だった。
「待たせたな」
喧騒に包まれたスタジアムの中で、その低く落ち着いた声は、泥門の面々の耳に確かに届いた。
泥門ベンチにゆっくりと歩み寄る人影。それは、見間違えようもない、ムサシその人だった。
泥門部員たちの目が、信じられないものを見るように、驚きと喜びで大きく見開かれる。
「ムサシ〜!!!!」
誰よりも早くその名前を呼んだ栗田の丸い瞳から、堰を切ったように大粒の涙がこぼれ落ちる。
そして、ヒル魔もまた、いつも以上に深く、ひどく嬉しそうに口角を吊り上げた笑みを浮かべていた。
「ケケケ、遅えぞ……! 遅刻も遅刻だ。……悟!」
ヒル魔の呼びかけに、悟は力強く頷いた。
そして、自身のカバンの中から、預かっていた「キックティー」を大切そうに取り出すと、彼のもとへ駆け寄った。
そっと、両手で差し出されたそれを見て、ムサシは懐かしげに目を細めた。
「……こいつは、年代物だな」
「ああ、テメーが『あの試合』で、最後に蹴るはずだったキックティーだ」
ヒル魔の言葉に、ムサシは受け取ったキックティーを力強く、噛み締めるように握り込んだ。
そして、ゆっくりと悟を見下ろす。
「……悟。玉八に聞いてる。余計な気ィ回したみてぇだな」
悟がムサシが再びアメフト部に戻れるよう、工務店の職人たちやムサシの父親に頭を下げた事。お互いを想うあまりに生じていたすれ違いを取り除いてくれた事。そのすべてを知ったムサシは、短く息を吐いた。
「おかげでまた此処 に戻ってくる羽目になっちまった」
ため息まじりにそう言うと、ムサシの大きな手が、悟の頭をポン、と優しく撫でた。
「……礼を言う。ありがとうな」
その不器用で温かい感謝の言葉に、悟は少し照れたように俯きがちに首を振る。
「……感謝なら、ヒル魔さんに。全て、ヒル魔さんの入れ知恵ですから……」
「なんだ、謙虚な奴だな。どこぞの誰かさんに見習ってもらいたいもんだ」
悟の言葉にふっと笑みをこぼしたムサシが、視線をヒル魔へと向ける。
ヒル魔は「フン」と鼻を鳴らした。
「ごちゃごちゃ喋ってる暇はねぇぞ、早く防具付けやがれ、糞ジジイ」
悪態をつきながら、ヒル魔は悟の隣に立ち、ガシッと首に腕を回して自身の胸元へと引き寄せた。
「謙虚っつったか?言っておくが、コイツがただの腰の低い、ふやけたやつだと思ってんなら、見当違いだ」
「……そうだろうな。じゃなきゃ、お前に目を付けられるはずもねぇだろ」
ムサシの言葉に、ヒル魔の目が鋭く、そしてどこか誇らしげに光る。
「……あァ、俺が見つけた、俺の『原石』だ」
ヒル魔が放ったその言葉に、悟の肩が小さく跳ねた。
自らを飾る言葉としてはあまりにも真っ直ぐで、重いその評価。ムサシはニヤリと笑い返す。
「相変わらずクセぇこと言いやがる」
ムサシがヘルメットと防具、泥門のユニフォームを身につけ、ゆっくりとフィールドへ足を踏み出す。
蛭魔妖一、栗田良寛、そして武蔵厳。
かつて共に夢を見た三人が、再び同じフィールドに並び立った。長きにわたり欠けていた最後のピースが、ついに埋まったのだ。
泥門に、すべてのメンバーが揃った。
ここから始まるであろう、泥門デビルバッツによる西部への猛反撃。その幕開けを飾るのは、「60ヤードマグナム」の異名を持つムサシの右足から放たれるキックだ。
フィールドにムサシが立つ。その圧倒的な存在感に、スタジアムの空気がピンと張り詰めた。
ゴールポストは、45ヤード先。
高校生キッカーにとって、届かせることすら難しい距離。西部陣営も、突如として現れたムサシに対し、半信半疑の様子を見せていた。
「SET……HUT!」
ヒル魔がボールを受け取り、流れるような手捌きで指先を添え、ピタリとキックティーに固定する。ヒル魔の顔には微塵の疑いもない。
助走をつけたムサシの身体が躍動した。右足が、まるで丸太を振り下ろすかのような凄まじい風切り音を伴って、ボールを捉える。
ドゴォォォォン!!!
スタジアム中に響き渡ったのは、ボールを蹴ったとは思えないような、重く腹に響く破裂音だった。
放たれた楕円球は、西部のディフェンス陣の遥か上空をぶち抜き、荒々しい放物線を描いて空高く舞い上がっていく。
キッドが、西部の選手たちが、そして観客たちが、言葉を失ったままその軌道を見上げていた。
伸びる。どこまでも伸びていく。
ボールは、はるか先のゴールポストの中央を、まだ余力を残したまま見事に射抜いた。
「フィールドゴール!!」
審判の両手が真っ直ぐに天へと掲げられる。
その瞬間、静まり返っていたスタジアムを揺るがすような、大歓声が爆発した。
【西部 29 ― 9 泥門】
「っしゃぁぁぁぁっ!!!」
「すげぇぇ!! なんだ今のキック!!」
泥門ベンチから、割れんばかりの歓喜の声が上がる。
悟 は両手で口元を覆い、見開かれた目でその光景を見つめていた。
これが、泥門デビルバッツの「60ヤードマグナム」。ヒル魔が待ち望み、決して諦めず、信じ続けた男の力。
「……ケケケ、当然だ」
ムサシを見据え、ヒル魔は余裕と誇りに満ちた笑みを浮かべた。
点差はまだ大きく開いている。しかし、泥門を覆っていたあの絶望の空気は、ムサシの一撃によって完全に打ち砕かれていた。
【西部 29 ― 6 泥門】
前半、最後のプレー。エンドゾーンまで残り45ヤード。
ここで得点を逃せば、後半での逆転は不可能となり、事実上の敗北が確定する。まさに絶望のデッドライン。
前半最後のタイムアウトを要求し、時計を止めた泥門ベンチ。
しかし、司令塔であるヒル魔は、いつものように声を上げ、矢継ぎ早に指示を飛ばすことはなかった。スタジアムの入り口を見据えたまま、ただひたすらに、静かに「誰か」を待っているようだった。
悟は、横に立つヒル魔の横顔をじっと見つめる。
彼が今、誰に思いを馳せ、誰を待っているのか――それは痛いほどに分かりきっていた。
(ムサシさん……)
今、この絶望的な盤面をひっくり返すには、キッカー――ムサシが必要だ。
彼がフィールドに戻るための環境は悟により整えられた筈だ。しかし、どれほど外堀を埋めようと、彼本人にここへ戻る意思が無いとすれば……。
先ほどの自身のミスへの自責も相まって、暗い想像が悟の胸をよぎる。
(……ダメ。ヒル魔さんが諦めない限り、まだ勝算は残ってる。思考を止めるのはまだ早い)
弱気な考えを振り払うように、悟が強く頭を振った、まさにその時だった。
「待たせたな」
喧騒に包まれたスタジアムの中で、その低く落ち着いた声は、泥門の面々の耳に確かに届いた。
泥門ベンチにゆっくりと歩み寄る人影。それは、見間違えようもない、ムサシその人だった。
泥門部員たちの目が、信じられないものを見るように、驚きと喜びで大きく見開かれる。
「ムサシ〜!!!!」
誰よりも早くその名前を呼んだ栗田の丸い瞳から、堰を切ったように大粒の涙がこぼれ落ちる。
そして、ヒル魔もまた、いつも以上に深く、ひどく嬉しそうに口角を吊り上げた笑みを浮かべていた。
「ケケケ、遅えぞ……! 遅刻も遅刻だ。……悟!」
ヒル魔の呼びかけに、悟は力強く頷いた。
そして、自身のカバンの中から、預かっていた「キックティー」を大切そうに取り出すと、彼のもとへ駆け寄った。
そっと、両手で差し出されたそれを見て、ムサシは懐かしげに目を細めた。
「……こいつは、年代物だな」
「ああ、テメーが『あの試合』で、最後に蹴るはずだったキックティーだ」
ヒル魔の言葉に、ムサシは受け取ったキックティーを力強く、噛み締めるように握り込んだ。
そして、ゆっくりと悟を見下ろす。
「……悟。玉八に聞いてる。余計な気ィ回したみてぇだな」
悟がムサシが再びアメフト部に戻れるよう、工務店の職人たちやムサシの父親に頭を下げた事。お互いを想うあまりに生じていたすれ違いを取り除いてくれた事。そのすべてを知ったムサシは、短く息を吐いた。
「おかげでまた
ため息まじりにそう言うと、ムサシの大きな手が、悟の頭をポン、と優しく撫でた。
「……礼を言う。ありがとうな」
その不器用で温かい感謝の言葉に、悟は少し照れたように俯きがちに首を振る。
「……感謝なら、ヒル魔さんに。全て、ヒル魔さんの入れ知恵ですから……」
「なんだ、謙虚な奴だな。どこぞの誰かさんに見習ってもらいたいもんだ」
悟の言葉にふっと笑みをこぼしたムサシが、視線をヒル魔へと向ける。
ヒル魔は「フン」と鼻を鳴らした。
「ごちゃごちゃ喋ってる暇はねぇぞ、早く防具付けやがれ、糞ジジイ」
悪態をつきながら、ヒル魔は悟の隣に立ち、ガシッと首に腕を回して自身の胸元へと引き寄せた。
「謙虚っつったか?言っておくが、コイツがただの腰の低い、ふやけたやつだと思ってんなら、見当違いだ」
「……そうだろうな。じゃなきゃ、お前に目を付けられるはずもねぇだろ」
ムサシの言葉に、ヒル魔の目が鋭く、そしてどこか誇らしげに光る。
「……あァ、俺が見つけた、俺の『原石』だ」
ヒル魔が放ったその言葉に、悟の肩が小さく跳ねた。
自らを飾る言葉としてはあまりにも真っ直ぐで、重いその評価。ムサシはニヤリと笑い返す。
「相変わらずクセぇこと言いやがる」
ムサシがヘルメットと防具、泥門のユニフォームを身につけ、ゆっくりとフィールドへ足を踏み出す。
蛭魔妖一、栗田良寛、そして武蔵厳。
かつて共に夢を見た三人が、再び同じフィールドに並び立った。長きにわたり欠けていた最後のピースが、ついに埋まったのだ。
泥門に、すべてのメンバーが揃った。
ここから始まるであろう、泥門デビルバッツによる西部への猛反撃。その幕開けを飾るのは、「60ヤードマグナム」の異名を持つムサシの右足から放たれるキックだ。
フィールドにムサシが立つ。その圧倒的な存在感に、スタジアムの空気がピンと張り詰めた。
ゴールポストは、45ヤード先。
高校生キッカーにとって、届かせることすら難しい距離。西部陣営も、突如として現れたムサシに対し、半信半疑の様子を見せていた。
「SET……HUT!」
ヒル魔がボールを受け取り、流れるような手捌きで指先を添え、ピタリとキックティーに固定する。ヒル魔の顔には微塵の疑いもない。
助走をつけたムサシの身体が躍動した。右足が、まるで丸太を振り下ろすかのような凄まじい風切り音を伴って、ボールを捉える。
ドゴォォォォン!!!
スタジアム中に響き渡ったのは、ボールを蹴ったとは思えないような、重く腹に響く破裂音だった。
放たれた楕円球は、西部のディフェンス陣の遥か上空をぶち抜き、荒々しい放物線を描いて空高く舞い上がっていく。
キッドが、西部の選手たちが、そして観客たちが、言葉を失ったままその軌道を見上げていた。
伸びる。どこまでも伸びていく。
ボールは、はるか先のゴールポストの中央を、まだ余力を残したまま見事に射抜いた。
「フィールドゴール!!」
審判の両手が真っ直ぐに天へと掲げられる。
その瞬間、静まり返っていたスタジアムを揺るがすような、大歓声が爆発した。
【西部 29 ― 9 泥門】
「っしゃぁぁぁぁっ!!!」
「すげぇぇ!! なんだ今のキック!!」
泥門ベンチから、割れんばかりの歓喜の声が上がる。
悟 は両手で口元を覆い、見開かれた目でその光景を見つめていた。
これが、泥門デビルバッツの「60ヤードマグナム」。ヒル魔が待ち望み、決して諦めず、信じ続けた男の力。
「……ケケケ、当然だ」
ムサシを見据え、ヒル魔は余裕と誇りに満ちた笑みを浮かべた。
点差はまだ大きく開いている。しかし、泥門を覆っていたあの絶望の空気は、ムサシの一撃によって完全に打ち砕かれていた。