第三章【秋季大会・地区大会編】
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西部のパス攻撃は止まらない。
フィールドを切り裂くような鋭い弾道が次々とレシーバーの胸に収まり、泥門のディフェンス陣はじわじわと自陣エンドゾーンへと後退を余儀なくされていた。
焦燥感がフィールドを包む中、ついに泥門の司令塔・蛭魔妖一が動く。
執拗なブリッツでパススピードを上げさせ、西部の思考速度を削り続けたのは、すべてこの一瞬のため。
指令は「入替 ブリッツ」。
スナップアウトと同時、黒木が猛然とキッドへ向かって突進する中、本来なら最前線で壁となるはずの巨漢・栗田が後方へと下がった。
黒木が突っ込むことで生じた、わかりやすい隙、パスコース。
キッドが早撃ちでそこへボールを放ろうとした瞬間、誰もいないはずのそのスペースに、突如として巨大な肉の壁が立ち塞がった。
西部のレシーバーに重なるように位置取った栗田が、両腕を大きく広げてパスを待ち構える。
「殺 った!!!」
ヒル魔の確信に満ちた咆哮が響く。
泥門の奇策に、西部のオフェンス陣から驚愕のどよめきが上がった。
あとは、キッドの手から放たれたボールを栗田がキャッチしインターセプトが成立するか、少なくともファンブルが決まる。誰もがそう確信した。
だが。
栗田が身構え、何秒待っても――来るはずのボールが現れることはなかった。
「……っ!?」
ヒル魔の顔から、余裕の笑みが剥がれ落ちる。
キッドは、パスを投げるモーションに入ってからのわずか0.2秒の間に、ヒル魔の仕掛けた罠を見破っていた。
(……なるほど、考えたねェ)
コンマ数秒の思考。キッドは振りかぶった右腕を止め、瞬時にボールを抱え込んだ。そして、自らの走へと切り替えると、栗田が下がったことで空いたラインの穴へ、滑るように走り込んだ。
「上じゃねぇ、下だ!!」
ヒル魔が叫び、自らカバーへと走る。だが、後手に回った代償はあまりにも大きく、その足は全く届かない。
栗田の巨体の横をすり抜け、キッドが悠々とタッチダウンを決めようとした、その瞬間だった。
栗田の巨大な身体を死角とし、一つの人影が弾丸のように飛び出してきた。
「……!」
キッドの走に気付いていたのは、ヒル魔の他にもう一人だけ存在した。
悟だ。恐怖で身体が強張っていたはずの彼女が、ヘルメットの奥で目を血走らせ、必死の形相でキッドの腰へとダイブする。
「行かせない……!!!」
渾身のタックル。
しかし、キッドの身体を捉えようと腕を回した瞬間、悟の左手首に、脳天を貫くような鋭い痛みが走った。左腕の力が、決定的な瞬間に抜け落ちる。
自陣エンドゾーン間際。もつれ合うようにして、二人の身体が芝生の上へと激しく倒れ込んだ。
「タッチダァァゥン!」
審判の宣言と、得点を知らせる甲高い笛の音がスタジアムに響き渡る。
もつれ合いながらも、キッドが限界まで伸ばしたボールを持つ右腕は、エンドゾーンのラインを僅かに割っていた。
泥門の面々に、冷や水を浴びせられたような沈黙が落ちる。
ヒル魔の渾身の奇策が、真っ向から打ち破られたのだ。その事実がもたらす絶望は計り知れない。
「…………っ」
エンドゾーン間際の芝生の上で、悟はギリッと奥歯を噛み締めた。
(止められなかった……!)
もし、左腕が万全の状態であれば。痛みに耐えきれず力が抜けさえしなければ、あるいはラインの手前で止められたのではないか。
そんな激しい自責の念に駆られ、悟は強く拳を握りしめた。
「やれやれ、さすがだね。危なかったよ」
ユニフォームを手で払いながら、キッドがゆっくりと立ち上がる。
「……これでさっきのブリッツの借りは返せたかな」
息を吐きながら見下ろしてくるキッドを、悟はヘルメット越しに鋭い眼光で睨みつけた。
「おっと、怖い怖い……」
飄々とした様子で肩をすくめるキッド。悟は無言のまま立ち上がり、彼に背を向けて歩き出す。
その背中を見送るキッドの目は、全く笑っていなかった。
(彼女の走プレーもパスプレーも、今日はまだ一度も無い。……「出来ない」のだとしたら?)
彼の視線は、悟の「左腕」にじっと注がれていた。
(そして今、タックルを受けた時……明らかに、左腕の力が弱かった)
その不自然な左右差に気が付いたキッドが目を細め、ぽつりと独り言を溢す。
「……怪我、かな。同情はするけど、手加減はできないねぇ」
その後のプレー。西部ディフェンス陣の動きは、残酷なまでに露骨だった。
セナへのマークが厚くなり、逆に、これまで徹底されていたはずの悟へのマークが、不自然なほどに手薄になったのだ。
息を弾ませながらハドルに戻った悟は、深く俯いたまま口を開いた。
「セナ、ごめん…」
「えっ?」
「さっきのキッドさんへのタックルが、甘かった。西部に私の怪我がバレたんだと思う。……私のせいでセナにマークが集中してる」
重苦しい沈黙が落ちた。
セナをはじめとする泥門の部員たちは、自責の念に押し潰されそうになっている悟へ、かける言葉が見つからなかった。
その沈黙を切り裂いたのは、ヒル魔の平坦な声だった。
「そもそもこの試合、これまで一度も悟の走 もパスも使ってねぇんだ。どのみち敵さんに勘付かれる頃合いだ」
「……私をオフェンス時、ベンチに下げてください」
ヒル魔の言葉に、苦渋の表情を浮かべた悟がぽつりと溢した。
それは、自身への戦力外通告。
穴となった自分がいれば、セナやチームへの負担が増す。ならばいっそ自分を外すべきだという悟の判断に、部員たちはハッと息をのんだ。
「そんな……!」
セナが縋るような声を上げる。
狼狽える周囲の中で、唯一表情を変えずにいたヒル魔が、鋭い視線を悟へと突き刺した。
「考え無しに、わざわざ不調のテメーを両面 で使うわきゃねぇだろ。テメーのリハビリのためじゃねぇ、勝つためにやってんだ」
淡々としながらも、確固たる意志を持った声。
「ベンチに下げんのが最善なら、とっくにそうしてる。――本当にそれが最善、ならな」
「……!」
「焦んな。テメーの出番は用意してある。……とっておきのな。わかったらさっさとポジションにつきやがれ!」
悟は顔を上げ、ヒル魔の背中を見つめた。
ヒル魔という男が試合中、決して情に流されて采配を振るうような人物ではないことは、泥門の誰もが知っている周知の事実だ。
誰よりも勝利に固執するあの悪魔が、あえて手負いの彼女をフィールドに残している。
それはつまり――水面下で、西部を屠るための「何か」を画策しているということに他ならなかった。
フィールドを切り裂くような鋭い弾道が次々とレシーバーの胸に収まり、泥門のディフェンス陣はじわじわと自陣エンドゾーンへと後退を余儀なくされていた。
焦燥感がフィールドを包む中、ついに泥門の司令塔・蛭魔妖一が動く。
執拗なブリッツでパススピードを上げさせ、西部の思考速度を削り続けたのは、すべてこの一瞬のため。
指令は「
スナップアウトと同時、黒木が猛然とキッドへ向かって突進する中、本来なら最前線で壁となるはずの巨漢・栗田が後方へと下がった。
黒木が突っ込むことで生じた、わかりやすい隙、パスコース。
キッドが早撃ちでそこへボールを放ろうとした瞬間、誰もいないはずのそのスペースに、突如として巨大な肉の壁が立ち塞がった。
西部のレシーバーに重なるように位置取った栗田が、両腕を大きく広げてパスを待ち構える。
「
ヒル魔の確信に満ちた咆哮が響く。
泥門の奇策に、西部のオフェンス陣から驚愕のどよめきが上がった。
あとは、キッドの手から放たれたボールを栗田がキャッチしインターセプトが成立するか、少なくともファンブルが決まる。誰もがそう確信した。
だが。
栗田が身構え、何秒待っても――来るはずのボールが現れることはなかった。
「……っ!?」
ヒル魔の顔から、余裕の笑みが剥がれ落ちる。
キッドは、パスを投げるモーションに入ってからのわずか0.2秒の間に、ヒル魔の仕掛けた罠を見破っていた。
(……なるほど、考えたねェ)
コンマ数秒の思考。キッドは振りかぶった右腕を止め、瞬時にボールを抱え込んだ。そして、自らの走へと切り替えると、栗田が下がったことで空いたラインの穴へ、滑るように走り込んだ。
「上じゃねぇ、下だ!!」
ヒル魔が叫び、自らカバーへと走る。だが、後手に回った代償はあまりにも大きく、その足は全く届かない。
栗田の巨体の横をすり抜け、キッドが悠々とタッチダウンを決めようとした、その瞬間だった。
栗田の巨大な身体を死角とし、一つの人影が弾丸のように飛び出してきた。
「……!」
キッドの走に気付いていたのは、ヒル魔の他にもう一人だけ存在した。
悟だ。恐怖で身体が強張っていたはずの彼女が、ヘルメットの奥で目を血走らせ、必死の形相でキッドの腰へとダイブする。
「行かせない……!!!」
渾身のタックル。
しかし、キッドの身体を捉えようと腕を回した瞬間、悟の左手首に、脳天を貫くような鋭い痛みが走った。左腕の力が、決定的な瞬間に抜け落ちる。
自陣エンドゾーン間際。もつれ合うようにして、二人の身体が芝生の上へと激しく倒れ込んだ。
「タッチダァァゥン!」
審判の宣言と、得点を知らせる甲高い笛の音がスタジアムに響き渡る。
もつれ合いながらも、キッドが限界まで伸ばしたボールを持つ右腕は、エンドゾーンのラインを僅かに割っていた。
泥門の面々に、冷や水を浴びせられたような沈黙が落ちる。
ヒル魔の渾身の奇策が、真っ向から打ち破られたのだ。その事実がもたらす絶望は計り知れない。
「…………っ」
エンドゾーン間際の芝生の上で、悟はギリッと奥歯を噛み締めた。
(止められなかった……!)
もし、左腕が万全の状態であれば。痛みに耐えきれず力が抜けさえしなければ、あるいはラインの手前で止められたのではないか。
そんな激しい自責の念に駆られ、悟は強く拳を握りしめた。
「やれやれ、さすがだね。危なかったよ」
ユニフォームを手で払いながら、キッドがゆっくりと立ち上がる。
「……これでさっきのブリッツの借りは返せたかな」
息を吐きながら見下ろしてくるキッドを、悟はヘルメット越しに鋭い眼光で睨みつけた。
「おっと、怖い怖い……」
飄々とした様子で肩をすくめるキッド。悟は無言のまま立ち上がり、彼に背を向けて歩き出す。
その背中を見送るキッドの目は、全く笑っていなかった。
(彼女の走プレーもパスプレーも、今日はまだ一度も無い。……「出来ない」のだとしたら?)
彼の視線は、悟の「左腕」にじっと注がれていた。
(そして今、タックルを受けた時……明らかに、左腕の力が弱かった)
その不自然な左右差に気が付いたキッドが目を細め、ぽつりと独り言を溢す。
「……怪我、かな。同情はするけど、手加減はできないねぇ」
その後のプレー。西部ディフェンス陣の動きは、残酷なまでに露骨だった。
セナへのマークが厚くなり、逆に、これまで徹底されていたはずの悟へのマークが、不自然なほどに手薄になったのだ。
息を弾ませながらハドルに戻った悟は、深く俯いたまま口を開いた。
「セナ、ごめん…」
「えっ?」
「さっきのキッドさんへのタックルが、甘かった。西部に私の怪我がバレたんだと思う。……私のせいでセナにマークが集中してる」
重苦しい沈黙が落ちた。
セナをはじめとする泥門の部員たちは、自責の念に押し潰されそうになっている悟へ、かける言葉が見つからなかった。
その沈黙を切り裂いたのは、ヒル魔の平坦な声だった。
「そもそもこの試合、これまで一度も悟の
「……私をオフェンス時、ベンチに下げてください」
ヒル魔の言葉に、苦渋の表情を浮かべた悟がぽつりと溢した。
それは、自身への戦力外通告。
穴となった自分がいれば、セナやチームへの負担が増す。ならばいっそ自分を外すべきだという悟の判断に、部員たちはハッと息をのんだ。
「そんな……!」
セナが縋るような声を上げる。
狼狽える周囲の中で、唯一表情を変えずにいたヒル魔が、鋭い視線を悟へと突き刺した。
「考え無しに、わざわざ不調のテメーを
淡々としながらも、確固たる意志を持った声。
「ベンチに下げんのが最善なら、とっくにそうしてる。――本当にそれが最善、ならな」
「……!」
「焦んな。テメーの出番は用意してある。……とっておきのな。わかったらさっさとポジションにつきやがれ!」
悟は顔を上げ、ヒル魔の背中を見つめた。
ヒル魔という男が試合中、決して情に流されて采配を振るうような人物ではないことは、泥門の誰もが知っている周知の事実だ。
誰よりも勝利に固執するあの悪魔が、あえて手負いの彼女をフィールドに残している。
それはつまり――水面下で、西部を屠るための「何か」を画策しているということに他ならなかった。