黒で塗りつぶしたキャンバス
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次の週末。
俺は大事にしてる絵の一枚を潰さないようにソッとポスター筒に差し入れる。
妻は怪訝そうに俺をみていたがすぐに興味をなくしたのか、別の部屋に引っ込む。
きっと彼女の世界のコミュニティへ向かう準備をするだろう。
愛してた。急いで結婚するほどに。だけど彼女は夢を諦めた俺への罪悪感で潰れそうになって、俺はそれを大丈夫だ。としか言えなかった。
──安心させることができなかった。
俺は彼女になにも言わない。どこで何しているか
彼女もなにも言わない。
あの熱は急激に冷めて今は空っぽだ。
(俺が描く絵は、今の彼女にとって「俺に夢を諦めさせた証拠」でしかない。見たくもない粗大ゴミと同じだ)
虚しさを感じながら仕事に出る準備を淡々と進める。
あの女の素顔はどういう顔をするのか。
見たくなった。
「先に出る」
返事はない。
ガチャリ。ドアを開くと冬の刺すような風が俺の頭を切り替えさせた。
────────
「ありがとー。マジで持ってきてくれるなんて思わなかったわー!」
「それだけか?」
確認するように尋ねてる自分は何を求めてたのか。
食い入るようにみてた。俺の描いた絵を感覚を共有した。そう思った。
家に置けば妻を追い詰めるだけの俺の絵を、あの夜、あいつだけが吸い寄せられるように見つめていた。俺の描いた絵を理解したのは、世界であいつだけだと思った。
「……いや、いい」
期待、したんだ。柄にもなく。
この女の喜ぶ顔が見たかった。気付きたくなかった俺のなかに、まだ残ってたらしい、渡したくない。独占したい。あの目を俺に向けてほしい。できるなら笑ってほしい、俺だけに。
やめておけ。俺の中で警戒のアラームが響く。
お前は家庭があるだろ?
アイツは、これからなんにでもなれる。
俺とは、違う。
だから俺は間違った。抑えが利くようなら最初っからそうしてたはずだ。
まだ名前も知らない女だ。まだ、なにも知らない相手だ。
────────
その夜は俺は持ち場の二階のバーで矢鱈と色目を使う女の相手をしていた。
別にどうとも思わない。
聞かれたことに答え、相手の話に一言、二言返してやればいいだけの中身のねぇ会話。
カツ、カツ。
客か。男ならいい。この女もそっちに行くはずだ。
少し疲れたような、いつもの陽気な調子のいい顔してるアイツが俺の前に現れた。
あからさまに、しまった!と言いたげな表情。
運よく席に着いたアイツ。逃がしたくない。
少しでも目を離せば、すぐにあの人のなかに紛れるように消えていくだろう。
バーテンダー失格と言われてもいい。
先客を放ってアイツに声をかけ、なんとか場をつなぐ。あっちに行かなくて大丈夫なのか?あっちを接客しろ!とばかりの視線に苛ついた。
「…リヴァイ……」
色気をこれでもかと含んだ女の声が聞こえるが今はそれどころじゃねえ。
隙を見せたら、身を翻す。
せっかく俺の城にきたのに逃がす真似はできねぇ。
アイツの戸惑いが手に取るようにわかる。
口から出る言葉は愛想がいいとは言えない。
できるだけ落ち着いて見えるように、縫い付ける。
その時、重低音の効いた音響から新しい曲がかかるとホッとした顔をした。逃げられる。
「 行かなきゃ!!じゃあねー!!」
引き止める間もなく去っていく背中に声をかけそうになる。
「行かないで、だって」
苦笑いの声が聞こえて、不思議そうな顔のアイツはまた俺の前にいる。
先客のアシスト。情ねぇ。
仕事に戻ったり、我慢できなくて声をかけたり。
なにかできるような器用さも無い俺はアイツの連れが迎えに来たのを止めることすらできなかった。
冷ややかな先客の視線が針のように俺を突き刺していた。