第44章
紅い鴉の夢主の名前
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煙が晴れた場所は背筋の凍る、懐かしい場所でした。
「……なんで」
大人が二人で生活出来るか否かといった広さの部屋。外からの光がうっすらと届く程度のカーテンで締め切られた窓がひとつ。今もまだ残っているのかすら分からない、幼い頃に龍羽と二人で過ごした家だ。
けれど感傷に浸っている場合ではないと思考を切り替えて状況の把握に努める。直前の記憶では幼いランボの持っていたバズーカに被弾していた。そのバズーカの作用なのだろうが、まるで過去に戻ってしまったのではないかと思うほど記憶のままの光景にあの時考えた事を思い出す。時を遡れる機械。
では、ここは、まさか。慌てて壁に掛けられているカレンダーを見ると日付は同じ。けれど年数が違う。ああ。ここは。
「十五年前の、私達の家……」
時間を遡れるという情報しかなかったが、今ここに幼い自分がいないのは何故なのか。何もかも中途半端に散らばっているということはさっきまでここにいたはず。可能性としては遡るのではなく過去の自分と入れ替わることが可能なだけで、同じ人間が同時に存在することは出来ないのではないかということ。それならば幼い自分がいないことにも説明がつく。ランボも幼い子供のほうしか見掛けなかったのでこの予想は妥当とみてよさそうである。幼い自分が元の時代にいるのならば綱吉達が相対してくれるだろうしそちらの心配はしなくてよさそうだ。過去の自分と入れ替わったタイミングで室内に一人きりということは龍羽は仕事中。出来れば今のうちに外に出てしまおうと玄関の扉を見つめる。……この頃はまだ出ていけと言われる前。一瞬、優しい頃の兄に会えるかと期待してしまった。しかし。
「……駄目、だ……」
思わず漏れた言葉にはっとする。そうだ。過去の人間と未来の人間が会ってはいけない。出来るだけ誰にも出会わないように過ごさなくては。早く、この家を出なくては。そう、考えた直後、ガチャリと響いた音と共に玄関の扉が開いてしまう。それが可能な人間は一人しかいない。
「…………え?」
現れたまだ十四歳の頃の育ての親の姿に懐かしさを覚えるがそれどころではない。まさか帰宅したところに鉢合わせしてしまうとは。逃げるためには窓を破るしか無いだろうかと算段を立てていると恐る恐るといった様子の兄が口を開いた。
「悧塢、なのか?」
この容姿ですぐに気付いたのだろう。順応力の高い兄に感心しながらも何も答えずに玄関の扉を見てから振り返って窓へと近付くと気配が強張ったのが伝わる。殺気は感じられないので視線だけをそちらに向けた。
「ま、待って! 少し! 少しだけ!!」
必死に呼び止める知っているよりも幼い、あの頃の優しい兄の声に留まってしまいそうになるが、その場を動かず話を促すと少しだけ必死な様子が薄れた兄が微笑みながら口を開いた。
「悧塢なのか? なんで、その、大人に?」
「未来で不手際があって一時的にこちらに来てしまったみたいで、あまり関わらないほうがいいと思うから私は……」
「行かないでくれ!」
仕事上で発揮するような俊敏さで距離を縮められ、流石は名の知れたヒットマンだと感心するが未来での彼のほうが数段速いなと目を細める。無理に逃げようとする素振りがないと分かるとどこかほっとした様子で悧塢を見つめるのは変わらない黒い瞳だ。
「少しでいいから、ここに……、ああ、綺麗だ。こんなに綺麗に育ったんだな。悧塢……」
ぞわり、と寒気に襲われる。幼い頃に向けられたことのない視線。どちらかと言うと未来の、自分がいた時代の彼が浮かべそうな笑み。連れて行かれそうになった時の顔に似ていた。
「なあ悧塢、俺は君と一緒に暮らしているかい? 幸せだろうなぁ。どんな風に呼び合ってる? デートもしてるのかな。ああ、知りたい、少しだけでも教えてくれないかい?」
「……なに、言って……」
「あれ? まだ繋がってないのかな? 俺いつからそんなヘタレになるんだ? 今のうちに仕込んでしまったほうがいいかもしれないなあ、なあ悧塢、俺は君に愛を囁いているかい? それだけでも教えてほしいな?」
こわい。それしか思い浮かばなかった。誰だ、目の前の男は。本当に兄なのだろうか。そんなことを考えていると視界が反転する。足を払われて抱き抱えられるように低いベッドへと転がされ、起き上がる間も無く覆い被さる兄に見下ろされた。
「それか、今ここで俺のものにしてしまおうか。そしたら悧塢が未来で俺を誘ってくれるかもしれないし、そうしてしまおうか」
「なに、待って! 龍兄離して!!」
「ああ駄目だなあ、目の前にこんな綺麗な悧塢がいるのに君が帰ってしまったらまだ幼い悧塢が戻ってくるんだろう? 君がいい。こっちに残ってよ?」
「……ぇ」
今、目の前の兄はなんと言ったのか。幼い自分はいらないと。未来の、目の前の自分を欲している。それは、つまり。
「私が、ここに来たから、」
「ん?」
今はまだ、兄に出ていけと言われる前の時代だ。少なくとも、あと二年の猶予はある。あの頃までは確かに優しい兄だった。けれど、そのきっかけは? 龍羽に何かがあってあの言葉を言ったのだとしたら?
「龍兄、“私”のこと、いらなくなったの?」
「そんなことないさ! “君”がいい! 俺は君と生涯を共にするんだ!」
ああ。どうか。
これが悪夢であってくれと、願わずにはいられなかった。
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