第41章
紅い鴉の夢主の名前
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「綱吉さん、仕事が溜まっているのなら執務室へ行ったほうがいいのではないですか?」
クロームの体に負担が掛かってはいけないからと悧塢が落ち着いてから早々に医務室を後にするが、涙も乾かぬうちに悧塢に言われた台詞がこれである。気遣ったつもりがボスとして心配されてしまうとは情けない。というか悔しい。まだそんなことに思考を割けるほど冷静だったのかと。確かに先日仕事が溜まっていると口を滑らせた。だが今。再会を喜び涙で頬を濡らした直後の今。なんという切り替えの早さ。感涙で濡れた瞳をもう少し堪能したいなんて煩悩を抱いていた罰だろうか。リボーンに見られたら絶対に笑われる。
けれど仕事が溜まっているのも事実なので仕方なく執務室に足を運び、彼女には仕分けを手伝ってもらって書類に目を通す。そんな折、手元の端末がある信号を拾って明滅した。ああよかった、また彼女の笑顔が見られそうだと自然と頬が弛んだ。
「悧塢、お客さんだよ」
「え?」
扉を指差して示してやれば、視線を向けた先から足音が聞こえた。ひとつは大股で急いでいるのがありありと伝わる音。もうひとつは追いかけてくるように少し遅れて近付いてくる音。そして勢い良く開かれた扉の向こうから現れたのは、龍に怪我を負わされ療養していた山本だ。
「悧塢!」
「! 武さん!」
ああ。久しぶりに聞く友の声にこちらまで嬉しくなる。回復したという報告は聞いていた。画面上では何度かやり取りもしている。それでも肉声で聞く友の声に安堵の息が溢れる。
「無事でよかった」
「それは、こちらのセリフです……ごめんなさい……私のせいで……!」
「悪いのは龍だ。悧塢は悪くない」
「っ」
息を詰める気配がした。その優しい言葉を聞くのは何度目だろう。彼女にとっては罪悪感から掬い上げる言葉でもあり、責任を感じる言葉でもある。そもそも彼女自身がその言葉を受け入れきれていないのだ。俺達が何を言ったところで自分の中に落とし込めはしない。ふと、もうひとつの足音が近付いて開け放たれたままの扉の向こうから顔を覗かせた。
「元気そうで何よりだ」
「! 笹川さん!」
「傷の手当て、感謝するぞ悧塢。ちゃんと伝えられんままだったから気掛かりでな」
「いえ、そんな……笹川さんは子供を守ろうとして……」
「そんな俺を悧塢は助けてくれたんだ。礼を言うのは当たり前だぞ」
「……はい、お二人とも、ご無事で何よりです」
「悧塢もな。本当に元気そうな姿を見れて安心したぜ」
「私だって、心配したんです……すみま……いえ、本当に無事に会えて、よかったです……」
再び溢れる涙に嗚咽。そんな彼女の頭を山本が撫でお兄さんが背中を擦る。嬉し泣きをする悧塢を独占してしまいたいが今は無粋なので大人しく腹の奥底に沈めておいた。
久々に。本当に久しぶりに守護者全員揃って悧塢の作った食事を摂っている。まあクロームは大事をとって医務室で食事させてはいるが。悧塢自身にも着席させ、犬と千種も、蔭と珱も食卓を囲っていて、こんなにも彼女のことを大事に思ってくれている者達に囲まれて、悧塢は今生きているのだ。
「今日は日本食にしてみたのですが、どうでしょうか……」
「久しぶりに食う悧塢の飯ウマイ、しかも和食とか最高」
「お口にあって良かったです」
「あ! 獄寺、梅干しあるか? 久しぶりに食いてえ」
「俺も貰えるか」
「お前らなぁ……確かある。ちょっと待ってろ」
山本とお兄さんが獄寺に尋ねたのが聞き慣れない単語だったらしい。悧塢が首を傾げて厨房へ向かう背中を視線で追っていた。数秒と待たずに厨房から帰ってきた獄寺の手元には小さな壺が乗せられていて、彼女の視線はそれに釘付けである。まるで初めて動物を見た子供だ。慣れた手つきで山本とお兄さんの皿に梅干しを乗せた獄寺はそんな様子の悧塢の皿にも梅干しを置いてやる。
「何ですか、これ」
「梅干しだ」
「ウメボシ……」
「あれ、和食作れるのに知らないんだ。日本では有名な食べ物だよ」
「……なんか、酸っぱい匂いですね……」
「ん、口開けてごらん?」
彼女の皿に盛られた梅干しを指で摘まんで顔の前に持っていけば渋い顔でこちらを見るが、俺が譲歩しないと判ると諦めて口をあけた。可愛いなんて思いながら悧塢の口に放り込んだ瞬間、こちらが驚くほど椅子から飛び上がった。いや、冗談ではなく。本当に跳ねたのだ。なんだその反応可愛い。
「∑♭□@*£#●※\!!??」
「え」
「悧塢さん大丈夫ですか!?」
尋常ではない狼狽え方をする悧塢に珱が慌てて駆け寄り声を掛けるが涙を浮かべながら首を横に大きく振り耐えきれないとばかりに食事が盛られた皿に手を伸ばす。吐く気かもしれない。
「……悧塢って刺激物駄目なんだな」
「っれっっ!!」
「あー出すな出すな」
「!!??」
予想通り皿に吐き出そうとする彼女の口を手のひらで押さえると絶望しきった顔でこちらを見上げてくる。こんなときでも可愛いと感じてしまうのは流石にヤバい奴だろうか。ごめん、と心の中で謝りつつも口ではイタズラを並べ立てていた。
「……じゃあ俺が食うから俺の口に出して」
「「はぁ!?」」
「っ!!!」
「あはは、じょうだ、」
冗談。そう、本当に冗談のつもりだったのだ。いつものように照れて赤くなる彼女を見たくて。涙を流しながら頬を染める彼女はきっとかわいいなんてくだらないことを考えて。椅子が床を引き摺る音が聞こえたのと、立ち上がったことで自分の手が彼女の口から離れるのはほとんど同時だったと思う。次いで両頬が彼女の暖かい手のひらで包まれ、目の前が暗くなる。夜を写したような悧塢の黒髪が目の前に広がっているのだと理解した時には喋ろうとして半開きだった口の中に梅干しが押し込まれていた。
「
一瞬何を言われているのかすら理解できなかった。それほどまでに今の一瞬の出来事に思考力を奪われて。ようやく頭が回り出すが、悧塢は既に口を濯ぎに厨房へ走った後だったようだった。いや、そんなことよりも。
「……え」
「「「えええええ!!??」」」
「…………」
悧塢の行動を理解した瞬間、全身が沸騰したように火照って仕方がない。唇は触れていない。触れてはいないがあれは駄目だ、ほとんど疑似体験じゃないか。しかも悧塢からのキスの疑似体験とか何のご褒美? 口を押さえる。中には少しだけ温もりのある梅干し。酸っぱい。現実だ。現実なのだ。悧塢が。あの悧塢が自分に。ぐるぐる回る思考と共に頭もふらついて椅子から転げ落ちてしまった。顔があつい。
「うそ、だろ……?」
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