第1章 アズカバンの囚人
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湖底に広がる青緑の光が、冷たい石壁を淡く染めていた。
スリザリン寮の談話室。重々しい静けさの中に入ってきたイリスを、生徒たちの視線が一斉にさらった。
「……あの子が、スリザリンに?」
「目が……赤い」
「あの見た目、なんだか気味が悪いわ」
ささやきは好奇と恐怖に揺れ、彼女の周囲で渦を巻く。
フードの奥に隠した耳さえも、暴かれるのではないかという恐怖が胸を締め付けた。
「お前は注目を浴びる。好奇の目も、恐怖の目も──すべて受けることになる。忘れるな」
傍らに立つスネイプの低い声は突き放すようだった。
だがイリスにとって、それは唯一、言葉をかけてくれる大人の声でもあった。
──
新学期二日目。大広間に座っても、ざわめきは止まなかった。
「やっぱりスリザリンに行ったのか」グリフィンドールの少年が呟く。
「……あんなに痩せて、大丈夫なの?」ハッフルパフの少女が心配そうにする。
「生きてるエルフなんて、本当にいるのか?」レイブンクローの生徒は目を見開いていた。
ハリーが視線を送った。けれどイリスは気づいても俯いて逸らす。
「やっぱ感じ悪いよな」
ロンがぼそりとこぼす。
「ロン!」ハーマイオニーがたしなめる。
ハリーは何も言わなかった。ただ扉の方を、去っていった背中を追うように見つめ続けた。
──
休憩時間。スリザリン寮の片隅で、同級生が意地悪そうに近づいた。
「お前……本当にエルフなのか?」
「その耳、本物かどうか……確かめてやるよ」
伸ばされた手。
その瞬間、イリスの目には、見世物小屋の男たちの手が重なった。
凍り付くように体が硬直し、息が止まる。
その刹那、腕に絡まっていた白蛇がするりと姿を現し、鋭く鎌首をもたげて威嚇した。
「ひっ……!」
生徒は蒼ざめて飛び退き、仲間とともに走り去っていく。
「気味が悪い……」
「やっぱり危険だ!」
と声を残して。
イリスはただ震えながら後ずさった。
守られた。だが同時に孤立は深まる。
胸の奥に、恐怖と安堵が入り混じった複雑な感情が渦を巻いた。
──
その夜。
寮には戻れず、イリスはスリザリンの長い廊下の窓辺に座っていた。
窓の向こうには湖が広がり、深い青緑の光がゆらめいている。魚影が淡く影を落とし、静けさはどこか異世界のようだった。
体育座りのまま自分の肩を抱き、顔を膝に埋める。
昼間伸ばされた手が、あの小屋の記憶と重なり、胸を締め上げる。
白蛇は静かに隣でとぐろを巻き、寄り添うように身を傾けた。
「……思い出してしまった」
掠れた声が、自分だけの耳に落ちた。
「生徒は既に就寝の時間だが?」
背後から、冷たい声。
振り返ると、スネイプが立っていた。
黒衣は闇に溶け、輪郭さえ曖昧に見えた。
だが、不思議なことに──その存在だけは確かに、はっきりとそこにあった。
月光を背にした影は、いつもよりもさらに深く見えた。
イリスは掠れた声で答える。
「……心を落ち着けたかったの」
沈黙が落ちる。湖底の光と、蝋燭の炎だけが揺れている。
やがてイリスは、小さく、途切れ途切れに言葉を紡ぎ始めた。
見世物小屋から連れ出された瞬間から
大広間で浴びた視線の痛み。
医務室で口にした食事の驚き。
蛇と杖に“呼ばれた”ときの温もり。
組み分け帽子の言葉。
そして昼間の出来事──耳に触れられそうになった恐怖と、守られた安堵。
声は細く、途切れがちだった。だが彼女にとってそれは、自分を整理するための精一杯の言葉だった。
スネイプはただ黙って聞いていた。
否定も、慰めもなく。だが遮ることもなかった。
「……そうか」
一言だけ。
深入りしない距離のまま静かに返事をするスネイプ。
イリスは思わず顔を上げ彼を見た。イリスは目を見開き、スネイプが真剣に聞いてくれていたことに驚いた。
そしてイリスは胸の奥に微かな安堵を覚えた。
──この人だけが、わたしの心を少し知っている。
その感覚は、震える胸の奥にそっと沈み、夜の湖底の光と溶け合っていった。

