第1章 アズカバンの囚人
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大広間の扉が重々しく開いた。
新学期を迎え、賑やかにざわめいていた生徒たちの声が、一瞬にして凍りつく。
その視線の先に現れたのは、まだ制服に着慣れていないひとりの少女だった。
陶磁器のように白い肌、紅玉のような瞳。
あまりにも儚く、同時に人ならざるものの気配を纏ったその姿に、生徒たちは息を呑んだ。
少女は壇上へと導かれる。
蝋燭の明かりが彼女の白い頬を照らし、静寂の中で足音だけが響いた。
「……名を」
ダンブルドアに促され、少女は喉が詰まりそうになりながらも、小さな声で答える。
「イリス」
その瞬間、広間に再びざわめきが広がった。
誰もがその名を反芻し、彼女の姿と結びつける。
美しい、と呟く者もいれば、怪物のようだと怯える者もいた。
ひそやかな笑い声、憐れみの囁き、憶測めいたささやき──幾重もの視線が、イリスを突き刺した。
少女の胸は締め付けられ、呼吸が浅くなる。
顔を上げてはいられず、視界を覆うのは床石ばかり。
耐えきれず、彼女は壇上を降り、俯いたまま大広間の扉を押し開けた。
その背中が広間から消えた途端、抑え込まれていた空気が弾けたようにざわめき出す。
──
「なぁ、今の子……」
ロンが口を開けたまま呟く。
「すごい目だったな。俺は……正直、近づきたくない」
「ロン!」
すかさずハーマイオニーがたしなめた。
「見てわからないの? あの子、すごく痩せていたじゃない。ずっと辛い目に遭ってきたに決まってるわ」
ロンは気まずそうに口を閉じ、スプーンをいじった。
その横で、ハリーは黙ったまま、閉じた扉の方を見つめている。
ハーマイオニーが首を傾げた。
「……ハリー、どうしたの?」
ハリーは小さく息を呑み、視線を外さずに答えた。
「……居場所がないように見えた。僕みたいに」
その言葉に、ロンもハーマイオニーも返す言葉を失った。
重い沈黙が落ち、彼らの胸にはそれぞれの想いが広がっていく。
美しさに心を奪われた者、恐れを抱いた者、憐れみを抱いた者。
だが、ハリーの胸に残ったのはただひとつ。
「孤独」の影を抱えたイリスの姿だった。
大広間を出た少女の足は、石の廊下をふらつくように進んでいた。
心臓の鼓動がまだ収まらず、胸の奥で波のようにざわめいている。
誰の視線ももうないはずなのに、背中に突き刺さる幻のような気配から逃れられなかった。
──牢獄。
──孤独。
どちらにせよ、結局ここも同じなのではないか。
そんな思いが渦巻きながら、少女は再び医務室へ戻ってきた。
ベッドに腰を下ろした途端、力が抜けたように項垂れ、ただ石床の一点を見つめる。
呼吸は浅く、言葉も出ない。
広間で浴びたあまりにも多くの視線と声が、頭の中でぐるぐると反響していた。
──
「まあ……お帰りなさい」
落ち着いた声と共に、ポンフリーが近づいてきた。
彼女は少女の憔悴を見て取ったのか、何も尋ねず、小さなカートを押してきた。
その上には、まだ湯気を立てる料理が整然と並んでいる。
「何も口にしていないでしょう?体がもたないわ。少しでいいから食べなさい」
少女はかすかに首を振ろうとした。
だが鼻先をくすぐった香りが、思いがけず心を揺らす。
温かなスープの匂い、柔らかそうなパンの香ばしさ。
これまで与えられてきた冷えた残飯とは、まるで別の世界のものだった。
ポンフリーは黙って椅子を引き、スプーンを手渡した。
「誰もあなたを縛りはしません。ただ……子どもが飢えていたら、食べさせてやるのが大人の務めですから」
昨日マクゴナガルが言った言葉と重なる響きが胸に触れ、少女はふとスプーンを受け取っていた。
おそるおそる口にしたスープは、驚くほど温かく、そして優しい味がした。
冷え切っていた体の内側に、ゆっくりと灯がともっていく。
一口、また一口。
気づけば皿は空になり、パンもすっかりなくなっていた。
「……全部……食べてしまった」
自分でも驚いて呟いた声は、かすかに震えていた。
ポンフリーはにっこりと微笑むだけで、何も言わなかった。
ただその沈黙は、責めるものでも同情でもなく、確かな肯定に満ちていた。
少女は胸の奥に小さな温もりを抱えながら、ベッドに背を預けた。
「牢獄」だと思っていたこの場所が、ほんの少しだけ揺らぎ始めていた。
扉が軋む音がして、少女ははっと顔を上げた。
黒いローブを翻し、険しい表情のままスネイプが医務室へ入ってくる。
「……随分と遅い朝食のようだな。」
低い声が、冷たい石壁に響く。
少女はとっさに俯き、食器を隠すように手を置いた。
まるで“食べてしまった”ことさえ、咎められるのではないかと思ったのだ。
だがスネイプの視線は食器ではなく、彼女の顔に落とされていた。
痩せ細った頬に、わずかだが血色が戻っている。
それを認めた一瞬、彼の目に不可解な揺らぎが走った。
「……動けるな」
吐き捨てるようにそう言い、彼はマントを翻した。
「支度をしろ。これから出る」
「……どこへ」
少女の声は小さく、掠れていた。
スネイプは振り返らずに答える。
「ダイアゴン横丁だ」
