第2章 炎のゴブレット
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第11話 幻影の一夜
大広間前は、浮かれた空気に満ちていた。
光を反射する装飾、笑い声、香水と蝋の匂い――どれも集中を散らすには十分だ。
壁際に身を置き、スネイプは冷ややかな視線で場の熱を測る。
馬鹿げた宴だ。舞台衣装と音楽と拍手で、何が磨かれるというのか。
そう毒づいた矢先、ざわめきが波のように変質した。
視線が一斉に、階段の上へと吸い寄せられる。
つられるように目を上げた瞬間、胸の内に小さく異音が走る。
階段の上に立つのは――イリス。
白銀の光を纏ったようなドレスが、石段の空気を柔らかく波立たせる。
真珠のごとく滑らかな布は肩を撫で、胸元の繊細なビジューが星のように瞬く。
髪は絹糸を崩さず流れ、紅の瞳は光を含んで透明に揺れた。

「……」
言葉はなかった。
ただ、周囲の息を飲む気配と、自分の視線が逸れないという事実だけが残る。
――舞台衣装だ。
照明の錯覚だ。
そう断じたはずの心が、足元の石の冷たさを忘れるほど、わずかに揺れた。
階段を降りるイリスの足取りは慎重だった。
裾を踏まぬよう、宝石の煌めきとともに白が流れる。
スネイプは数歩前に進み、彼女の前で立ち止まると、最小限の仕草で一礼した。
「――」
言葉は紡がない。
ただ左腕を差し出す。
躊躇の気配が彼女の肩を過ぎ、白い指が、そっと腕に載った。
その軽さと熱が、布越しに、意外なほど鮮やかに伝わってくる。
ゆっくりと歩を進める。
イリスの歩幅に合わせ、段差の手前で自然と速度を落とす。
緊張の入り混じった呼吸。指先のわずかな強張り。
滑らぬよう、手を返して支点を作ると、彼女の体重が一瞬だけ預けられ――すぐに離れた。
扉が開かれる。
金と群青の光があふれ、魔法の星空が頭上で流れる。
ざわめきは、今度は感嘆の波に変わった。
「……美しい」
「まるで神話の――」
くだらない。
だが、耳障りとは言い切れなかった。
整列の位置までイリスを導き、手を離す。
視線は一度も合わない。
――合えば、何かが崩れる気がしたからだ。
ワルツが始まる。
低い拍を数え、彼女の腰に手を添え、もう一方で指先を取る。
触れたところから、熱が遅れてじわりと広がる。
彼女の鼓動が、薄い布を隔てた自分の掌に触れる。
こちらも同じ速度で打っているのを、自覚してしまう。
「――今だ」
小さく、聞こえるかどうかの声量で合図を落とす。
イリスの足先が、音と同時に動く。
緊張はある。けれど、崩れない。
白のドレスは音楽に合わせて波打ち、宝石は水面の光のように瞬き続ける。
白銀の髪が肩へ、背へと流れ、細い首元でピアスが軌跡を描く。
――美しい。
頭の内にその語が浮かんだ瞬間、スネイプは内側から自分の舌を噛み殺した。
愚か者。
私は舞台の幻影に惑うほど安い男ではない。
これは訓練だ。見栄えを整える所作だ。
そうだ、これはただの「役割」――。
ステップは続く。
イリスの体は軽く、重心移動は素直だ。
彼女が息を詰める直前に、掌でほんのわずか重みを受け止めるだけで、動きは回る。
旋回のたびに、紅の瞳がこちらを掠める。
そこに浮かぶのは恐怖ではない――期待の熱と、慎ましい昂揚。
彼女は踊っている。
自分の足で、誰にも奪わせず。
一拍、二拍――。
触れている掌の熱が、次第にただの熱ではなく、どうしようもない現実として迫ってきた。
リリーの瞳が脳裏の奥で瞬く。
あの温もり。あの後悔。
それだけで、私の心はもう満ちている。
これ以上を許してはならない。
曲が収束する。
最後のステップで彼女の重心を受け止め、丁寧に戻す。
そして、音が止んだと同時に、手を離した。
早すぎると分かっている。
だが、必要だった。
これ以上、長く触れていてはいけない。
イリスの瞳が、ほんの一瞬だけ、寂しげに揺れた。
見なかったことにする。
背を向け、黒衣の裾を翻す。
掌に残る熱が、冷気の中で消えない。苛立つべきだ――なのに消えてほしくないと願う自分がいる。
人の波から離れ、廊下へ出る。
石の冷たさが靴底からあがり、喧噪が遠のく。
呼吸は整った。だが胸の鼓動は、まだ昔日の戦場にいるかのように落ち着かない。
「くだらぬ。照明と音楽の作る幻想だ。私は二度と――」
心の内で、低く言い切る。
リリーの名が、無言で胸奥に沈む。
それだけを携えて生きると決めた。
それに背くような感情は――認められない。
……廊下の先。
中庭に面した石窓のほとりに、白い影が立っていた。
イリス。
冷えた風に髪を揺らし、胸にそっと手を当てている。
横顔は静かで、しかし何かを確かめるように熱い。
声をかけることはしない。
ただ、目を離せなかった。
自分の中の何かが、彼女の輪郭を指差し、名づけようとしている。
気づいて、視線を断ち切る。
歩き出す。
黒衣の裾が、今夜に限って重い。
――認めるものか。
この気持ちは認めない。
いや、認められるはずがない。
そう言い聞かせ、足音だけを残して、スネイプは闇へ溶けた。
それでも、瞼の裏にはなお、白銀の輝きと紅の瞳が焼き付いて離れなかった。
大広間前は、浮かれた空気に満ちていた。
光を反射する装飾、笑い声、香水と蝋の匂い――どれも集中を散らすには十分だ。
壁際に身を置き、スネイプは冷ややかな視線で場の熱を測る。
馬鹿げた宴だ。舞台衣装と音楽と拍手で、何が磨かれるというのか。
そう毒づいた矢先、ざわめきが波のように変質した。
視線が一斉に、階段の上へと吸い寄せられる。
つられるように目を上げた瞬間、胸の内に小さく異音が走る。
階段の上に立つのは――イリス。
白銀の光を纏ったようなドレスが、石段の空気を柔らかく波立たせる。
真珠のごとく滑らかな布は肩を撫で、胸元の繊細なビジューが星のように瞬く。
髪は絹糸を崩さず流れ、紅の瞳は光を含んで透明に揺れた。

「……」
言葉はなかった。
ただ、周囲の息を飲む気配と、自分の視線が逸れないという事実だけが残る。
――舞台衣装だ。
照明の錯覚だ。
そう断じたはずの心が、足元の石の冷たさを忘れるほど、わずかに揺れた。
階段を降りるイリスの足取りは慎重だった。
裾を踏まぬよう、宝石の煌めきとともに白が流れる。
スネイプは数歩前に進み、彼女の前で立ち止まると、最小限の仕草で一礼した。
「――」
言葉は紡がない。
ただ左腕を差し出す。
躊躇の気配が彼女の肩を過ぎ、白い指が、そっと腕に載った。
その軽さと熱が、布越しに、意外なほど鮮やかに伝わってくる。
ゆっくりと歩を進める。
イリスの歩幅に合わせ、段差の手前で自然と速度を落とす。
緊張の入り混じった呼吸。指先のわずかな強張り。
滑らぬよう、手を返して支点を作ると、彼女の体重が一瞬だけ預けられ――すぐに離れた。
扉が開かれる。
金と群青の光があふれ、魔法の星空が頭上で流れる。
ざわめきは、今度は感嘆の波に変わった。
「……美しい」
「まるで神話の――」
くだらない。
だが、耳障りとは言い切れなかった。
整列の位置までイリスを導き、手を離す。
視線は一度も合わない。
――合えば、何かが崩れる気がしたからだ。
ワルツが始まる。
低い拍を数え、彼女の腰に手を添え、もう一方で指先を取る。
触れたところから、熱が遅れてじわりと広がる。
彼女の鼓動が、薄い布を隔てた自分の掌に触れる。
こちらも同じ速度で打っているのを、自覚してしまう。
「――今だ」
小さく、聞こえるかどうかの声量で合図を落とす。
イリスの足先が、音と同時に動く。
緊張はある。けれど、崩れない。
白のドレスは音楽に合わせて波打ち、宝石は水面の光のように瞬き続ける。
白銀の髪が肩へ、背へと流れ、細い首元でピアスが軌跡を描く。
――美しい。
頭の内にその語が浮かんだ瞬間、スネイプは内側から自分の舌を噛み殺した。
愚か者。
私は舞台の幻影に惑うほど安い男ではない。
これは訓練だ。見栄えを整える所作だ。
そうだ、これはただの「役割」――。
ステップは続く。
イリスの体は軽く、重心移動は素直だ。
彼女が息を詰める直前に、掌でほんのわずか重みを受け止めるだけで、動きは回る。
旋回のたびに、紅の瞳がこちらを掠める。
そこに浮かぶのは恐怖ではない――期待の熱と、慎ましい昂揚。
彼女は踊っている。
自分の足で、誰にも奪わせず。
一拍、二拍――。
触れている掌の熱が、次第にただの熱ではなく、どうしようもない現実として迫ってきた。
リリーの瞳が脳裏の奥で瞬く。
あの温もり。あの後悔。
それだけで、私の心はもう満ちている。
これ以上を許してはならない。
曲が収束する。
最後のステップで彼女の重心を受け止め、丁寧に戻す。
そして、音が止んだと同時に、手を離した。
早すぎると分かっている。
だが、必要だった。
これ以上、長く触れていてはいけない。
イリスの瞳が、ほんの一瞬だけ、寂しげに揺れた。
見なかったことにする。
背を向け、黒衣の裾を翻す。
掌に残る熱が、冷気の中で消えない。苛立つべきだ――なのに消えてほしくないと願う自分がいる。
人の波から離れ、廊下へ出る。
石の冷たさが靴底からあがり、喧噪が遠のく。
呼吸は整った。だが胸の鼓動は、まだ昔日の戦場にいるかのように落ち着かない。
「くだらぬ。照明と音楽の作る幻想だ。私は二度と――」
心の内で、低く言い切る。
リリーの名が、無言で胸奥に沈む。
それだけを携えて生きると決めた。
それに背くような感情は――認められない。
……廊下の先。
中庭に面した石窓のほとりに、白い影が立っていた。
イリス。
冷えた風に髪を揺らし、胸にそっと手を当てている。
横顔は静かで、しかし何かを確かめるように熱い。
声をかけることはしない。
ただ、目を離せなかった。
自分の中の何かが、彼女の輪郭を指差し、名づけようとしている。
気づいて、視線を断ち切る。
歩き出す。
黒衣の裾が、今夜に限って重い。
――認めるものか。
この気持ちは認めない。
いや、認められるはずがない。
そう言い聞かせ、足音だけを残して、スネイプは闇へ溶けた。
それでも、瞼の裏にはなお、白銀の輝きと紅の瞳が焼き付いて離れなかった。
