第1章 アズカバンの囚人
名前設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
視界が灰色の霧に覆われてから空気がねじ曲がり、肺が押し潰されるような圧迫感、身体中が引きつり、全ての方向感覚がおかしくなった。
耐えられない。
呼吸は自然と荒くなり、胃の奥から込み上げてくる吐き気。口を開けば血と唾液が混じったものがこぼれ落ちそうで必死に口を塞いだ。
頭は潰されたように痛み、視界は歪む。
気がつけば、彼の体に支えられ石畳の上に立っていた。
もう抵抗する余地などなく、ただ気分の悪さと眩暈に沈んでしまいそうだった。
ただ、肺に流れ込む空気が腐敗と血生臭かったものとは違い、澄み切っていて朝露のように清らかなで胸の痛みが和らいでいく。
そのおかげか室内にたどり着くことができた。
高い天井に、無数の蝋燭の灯り、魔力に満ち溢れた重厚な石作りの広間。
そこはあまりにも広大で閉ざされた薄汚い部屋とは比べ物にならなかった。
しかしこれもまた新しい牢獄へ続くのだろう。
ーー
少女の体が唐突に力を失った。
少女の腕を掴み支えていたスネイプに自然と体がこちらへ傾いてくる。反射的に少女の体を抱き止めた。
体は驚くほど軽く、まるで空虚そのものを抱いているかのようだった。
指先に触れる肌は冷え切り、骨ばかりで掴むのを躊躇うほど弱い。ほんのわずかな力で砕いてしまいそうなほどだ。
白銀の髪が腕に流れ落ち、頬にかかる。そこから覗く尖った耳はやはりガラスのように薄く、静脈が透けていた。
瞼は閉じられているが、その下に潜む色が、紅の残像がスネイプに焼き付いて離れない。
鋭く射抜かれたあの瞳、拒絶と絶望の奥に確かな芯を感じた。
「見事なものだ。ここまで衰弱させても消費し続けるとは・・・。」
少女を抱え直したスネイプは低い声でそう漏らす。
その声は怒りでもなく同情でもない、毒を含んだ冷笑のように響いた。
だが、無意識のうちに力がこもり、腕の中の軽すぎる体を落とすまいと支えていた。
その時、広間に足音が響いた。
蝋燭の光に照らされて現れたのは、白い髭を蓄えた老人──アルバス・ダンブルドアである。
青い瞳は静かに少女の姿を捉え、やがて深く嘆息した。
「……セブルスよ」
老いた声は、どこか寂しげに揺れていた。
「わしらは、あまりにも長く……見て見ぬふりをしてきたのじゃ。その重荷を背負わされたのは……他ならぬ、この子なのじゃよ」
スネイプは表情を変えず、ただ腕の中の軽さを噛みしめる。
ダンブルドアは少女を見つめ続け、なお柔らかな声で言葉を紡いだ。
「じゃが、こうしてここへ辿り着いてくれた。それだけで……まだ救いは残されておるのじゃ」
老人の声音には、確かな悔恨と同時に、静かな希望が宿っていた。
スネイプは沈黙を守ったまま、腕に抱く存在へ視線を落とす。
軽すぎる体。砕けそうな脆さ。だが紅の残像だけは、確かに消えずに残っている。
それが何を意味するのか──彼自身、まだ答えを見出せずにいた。
ーー
かすかな薬草の香りと、蝋燭の揺らめきが瞼の裏を照らした。
少女はゆっくりと目を開ける。
天井は白く、周囲には清浄な気配が漂っていた。
胸の奥に澱んでいた重苦しさがわずかに薄れ、呼吸は驚くほど軽い。
身じろぎした瞬間──驚きに瞳を揺らす。
皮膚を走っていた鋭い痛みは、以前よりも鈍くなっていた。
無数の裂傷はまだ癒え切っていないが、体の奥から生気がじんわりと満ちてくるのを感じる。
まるで、この場所そのものが己の肉体を少しずつ癒しているかのようだった。
──生気が満ちている。
確かに、癒えてきている。
だが、胸の奥の警戒は解けなかった。
また新しい牢獄に閉じ込められただけなのではないか。
ぎし、と扉の開く音がした。
現れたのは、白い髭の老人──アルバス・ダンブルドア。
その隣に立つのは、黒衣をまとった影のような男、セブルス・スネイプ。
ベッドに横たわる少女を見下ろし、ダンブルドアは穏やかな声で語りかけた。
「目を覚ましてくれて何よりじゃ。……ここはホグワーツ、魔法使いの学び舎じゃよ」
少女は答えず、ただ怯えにも似た視線を二人へ向ける。
老人は言葉を続けた。
「君には、まだ確かな魔力が残っておる。それは君を癒すだけでなく、この世界の命をも支える力となるじゃろう。だからこそ、ここへ連れて来たのじゃ。……守るためにな」
その声音は柔らかく、祖父が孫に諭すような温もりさえあった。
だが少女の耳には、別の意味が響く。
──魔力があるから。利用価値があるから。
結局は、生かされているにすぎない。
胸の奥が再び重く沈む。
ここもまた、自分を縛る牢獄にすぎない。
その視線に込められた拒絶を、スネイプは見逃さなかった。
唇にかすかな嘲りを漂わせ、静かに言い放つ。
「……結局この者にとっては、我々の善意など伝わらず。牢獄と、そう変わらぬということでしょうな」
ダンブルドアは眉を寄せながらも反論はせず、ただ少女を見つめ続ける。
その蒼い瞳にはなお希望が宿っていた。
しかし少女は、背筋を冷たく震わせ、視線を逸らすしかなかった。
