第1章 アズカバンの囚人
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ホグワーツの大広間は、朝からざわついていた。 生徒たちは色とりどりのマフラーを巻き、ホグズミード行きの準備に胸を弾ませている。
「ハニーデュークスに行こう!」
「ゾンコの悪戯専門店も!」
楽しげな声があちこちで飛び交う。
イリスも手元の羊皮紙を見て、小さく息を吐いた。 ──保護者の署名がなければ行けない。 彼女にはそんなものはない。
外の世界に心惹かれたが、それ以上にどうしようもない現実があった。
廊下の窓辺から、楽しげに外へ出ていく人々を見送る。 胸の奥に小さな空洞が広がっていくのを感じた。
──
「君も残ったんだね」
背後から声がして振り返ると、そこにはハリーが立っていた。
彼もまた許可証を持たず、取り残されたひとり。 その瞳には、イリスと同じ影が揺れていた。
「僕と同じだと思って──」
そう言ったとき、双子の兄弟──フレッドとジョージが現れ、ハリーに羊皮紙を手渡した。
「忍びの地図さ!」
2人の 得意げな声に、ハリーの顔は驚きと期待で明るくなる。
どうやらその地図は、人のいる場所が見える魔法の地図で、合言葉を言わなければ見ることが出来ないものらしい。
それを使えば先生たちに見つからないようホグズミードへ抜け出すことができると...。
「一緒に来ない?」
嬉々とした表情でハリーが誘った。
だが、イリスは小さく首を振った。
「……ルールを破るのは、嫌」
その声音は静かで、迷いはなかった。
イリスにとって、ルールは人間が勝手に作った曖昧なものではなかった。
ルールがあるのは、必ず過去に誰かが痛みや不利益を被ったから。
自然の掟と同じで、それを破れば必ず代償がある。
だからこそ、彼女には「破る」という発想がそもそもなかった。
「そっか、じゃあ僕は行ってくるよ」
頑固なイリスにハリーは肩をすくめ、透明マントを翻すと姿を消した。
イリスはその場にひとり残り、足音だけが遠ざかっていくのを聞いた。
──
広い城内を歩く。 窓の外は雪をかぶった森。 鳥の羽ばたき、遠くで鹿の鳴く声。 誰もいない廊下に差し込む光の粒子を眺め、イリスは小さな安らぎを覚えていた。
……あの小屋にいた頃、鉄と泥の中では、何も感じられなかった。
風も、陽の匂いも、命のざわめきも、すべてが遠ざけられていた。
だから今、こうして世界の美しさを「感じられる」ことが、奇跡のように思えた。
ここに留まる理由はそれだけで十分過ぎるほどだ。
──
空が薄暗くなり、空気も肌寒くなってきた頃、生徒たちの声がポツポツと聞こえ始めた。
正門広場で本を片手にうたた寝をしていたイリスは目を覚まし、戻ってきた生徒の群れの中に沈んだ顔のハリーを見つけた。 両脇には心配そうなハーマイオニーとロン。
「……どうしたの?」
イリスは思わず問いかけた。
ハリーはうつむいたまま、小さく呟く。
「……シリウス・ブラック……あいつが、僕の両親を裏切った……名付け親だったのに……。
父さんの親友だったのに……!!!」
途切れ途切れの言葉。
イリスは紅い瞳を見開き、思わず問いかけそうになった。
──名付け親?
名前を付けてくれただけの人の事なのか?
エルフの社会には存在しない絆。
血でも契約でもなく、人が互いに「名を与える役目」を結ぶなど、彼女には理解できなかった。
その概念の重さを掴めず、胸の奥で疑問が渦を巻く。
けれどハリーの吐き出した悲しみだけは、伝わってきた。
「……悲しいね」
結局、それしか言えなかった。
それが今のイリスには精一杯の言葉だった。
ハリーたちは沈んだ背中を寄せ合い、廊下を去っていった。 イリスはその姿を見送りながら、胸の中でざわめく問いを抱えたまま歩き出した。
──
辿り着いたのは、魔法薬学の教室だった。 中ではスネイプがひとり、瓶を並べていた。
「……ひとり遊びはもう飽きたのか?」
イリスを見ることなく作業をしながら冷ややかな皮肉を言う。...彼なりの挨拶だ。
イリスは立ち尽くし、やがて口を開いた。
「人は……死をどう受け止めるの?」
スネイプは一瞬動きを止めた。 そして顔を背け、淡々と答える。
「……人は死を恐れる。大切なものを奪われ、二度と戻らぬと知っているからだ」
短い沈黙が落ちる。 瓶の影が揺れ、彼の声はさらに低く続いた。
「死を怖れぬ者などいない。……お前もいずれその時が来る。そしてこの意味に気づくのだ。
全てを失ってもなお、生き続ける方がよっぽど残酷なのだと...」
吐き出された声の奥には、冷たさよりも深い影が潜んでいた。スネイプはハッとしたように、視線を宙に泳がせた。
ほんの刹那、誰かを思い出すような、痛みに似た色が瞳に宿る。
だがすぐに顔を背け、瓶を乱暴に棚へ戻し始めた。
それは自らの心の揺らぎを隠そうとする不器用な動作に見えた。
イリスは紅い瞳を瞬かせた。
いつもは氷のように揺るがない男が、今、確かに隙を見せた。
彼にも「失ったもの」がある──その事実に驚き、胸がざわめいた。
それと同時にイリスは長らく感じていなかった気持ちを抱いた。誰かに認められている安心感を...。隙を見せ、心の闇を垣間見せることは仲間だと認めているからこその出来事だ。
──つまりスネイプは無意識であろうともイリスの存在を認めていることになる。
様々な感情を感じたイリスだが、もうひとつ気になることがあったそれは
いずれ自分にも「死を恐れる日」が来るということ──
その言葉は理解の外にあった。
だが今はただ、その意味を知りたいと強く思った。
