第5章 死の秘宝
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第26話 穢れを愛と呼ぶのなら
あの日、イリスは自分自身を「穢れている」と言った。
その言葉が、いまだに胸の奥に刺さったままだ。
彼女があんなふうに自分を否定する姿は、痛々しくて見ていられなかった。
まるで若き日の自分を見ているようで、どうしようもなく胸が軋んだ。
救いたかった。
それだけが、確かな願いだった。
あの夜、イリスが胸に頭を預けてきたとき、確かに二人の間には穏やかな時間があった。
心が休まるような沈黙の中で、互いの存在を確かめ合った。
それなのに、なぜまた、あんなにも憔悴しているのか。
何がイリスをそこまで追い詰めるのか。
分からない。
分かるのは、彼女が今、闇に呑まれそうな危うさを纏っていることだけ。
自分に一体何ができるのか。
どうすれば、光の側へ引き戻せるのか。
イリス……教えてくれ。
───
完全に回復していないイリスが、今夜も呼び出されたと聞いた。
スネイプは不安を押さえきれず、静かに部屋へ向かう。
扉を叩こうとした時、ちょうどイリスが出てきた。
その顔は、血の気がなく青白い。
目の焦点が定まらず、まるで夢の中を歩いているようだった。
スネイプに一度も視線を向けることなく、弱々しい足取りで歩き出す。
手足は細く、頬はこけていた。
衣の下で見える骨の浮き上がりが、現実を突きつける。
こんな姿を見せても、彼女は決して弱音を吐かない。
だからこそ、余計に怖かった。
何も言葉が出ず、ただその背中を見送るしかできなかった。
守ると誓ったはずなのに、伸ばした手はいつも空を掴む。
背中が闇に溶けていくように遠ざかるたび、胸の奥で何かが千切れる音がした。
───
ヴォルデモートに呼ばれるたび、スネイプは己の役割を呪った。
何度も止めたかった。
だが、今の立場で逆らえばイリスの命さえ危うくなる。
「監視役」という名目で傍にいられるだけ、まだましだと自分に言い聞かせる。
それでも、終わった後は必ず彼女の体を拭き、薬を塗り、包帯を替える。
帝王が触れた痕を、ひとつ残らず拭い去るように。
その行為が、自分にできる唯一の贖罪だった。
イリスの体は穢れてなどいない。
触れた者たちこそが汚れている。
そう信じているのに、彼女の肌に触れるたび、胸の奥が締め付けられた。
あの白い髪、透き通る肌、赤い瞳。
そのどれもが痛々しく、美しかった。
彼女が安堵の表情を浮かべたとき、抱きしめたい衝動に駆られる。
それでも、触れれば壊してしまう気がして、指先ひとつ動かせなかった。
彼女が自分を安全地帯として見てくれること、それだけが救いだった。
だが、その救いも脆い幻のように思えた。
───
その夜、耳に届いたのは、聞き慣れない声だった。
甘く、掠れ、息を詰まらせるような声。
その声が響くたびに、胸がざわめいた。
あの部屋から、イリスの声が聞こえる。
そんなはずはない。これは苦痛の声だ。
そう思い込まなければ、心が壊れてしまいそうだった。
だが、耳に入る音には、痛み以外の色が混じっていた。
その音が、何よりもスネイプを追い詰めた。
我輩が彼女をこの屋敷に連れてきた。
我輩が、彼女をあの男の手に渡した。
その事実が、鋭い刃のように胸を抉る。
守るつもりが、壊している。
気づけば、呼吸が浅くなっていた。
それでも…。
心のどこかで、最も忌まわしい感情が顔を出した。
……あの声が、もしも我輩の名を呼ぶ声であったなら。
そう思った瞬間、胃の底がひっくり返る。
自分を殴りたくなるほどの嫌悪感が込み上げた。
自分の中にそんな欲が残っていたことが、許せなかった。
愛と欲の境界が一瞬で崩れ去る。
その曖昧さが、何より恐ろしかった。
───
声が止んでから、どれほどの時間が経ったのだろう。
いつもならすぐ呼ばれるはずなのに、今夜は違った。
不吉な静寂が、屋敷を包む。
気づけば、体が勝手に動いていた。
足音を殺して廊下を進むと、角の先で小さな息遣いが聞こえた。
暗がりの中、イリスが座り込んでいるのが見えた。
裸のまま、震え、肩を上下させている。
息が乱れ、喉を詰まらせ、過呼吸のように浅い呼吸を繰り返していた。
顔は涙で濡れ、目は虚ろで、何も見ていなかった。
その光景に、スネイプの胸が潰れそうになる。
何も言葉が出ない。
喉の奥が焼け付くようだった。
ようやく、震える声を絞り出す。
「……そんな姿で、なにをしてる。」
その声に、イリスの体が小さく震えた。
返事はなかった。
スネイプは迷わず歩み寄り、軽くなった体を抱き上げる。
彼女の体はあまりにも軽く、腕の中で壊れてしまいそうだった。
歩くたび、衣の裾が揺れ、静寂の中で足音だけが響いた。
イリス……
どうかその闇を、少しでも我輩に分けてくれ。
お前の痛みを、一人で抱え込むな。
心の中でそう祈ったが、声には出せなかった。
出してしまえば、自分の中の何かが壊れてしまう気がした。
───
イリスを部屋へ送った時、彼女は何かを抑えているように見えた。
あの時の沈黙を、なぜもっと深く読めなかったのか。
なぜ、彼女の瞳の奥で渦巻く闇を見抜けなかったのか。
彼女が放った言葉は、あまりにも脆く、あまりにも刺さるものだった。
「闇の帝王の言う通りなの?
私は穢れていて、そんな女を心から求める者はおらず、
私の存在はありのまま受け入れられることはないの?
人間にとっての、あなたにとっての私は一体何なの?」
胸の奥で何かが軋む音がした。
まるで刃で裂かれるような痛み。
イリスなら惑わされない。
そう過信していた。
あれほど強く、清らかな心を持つ者が、言葉ひとつで揺らぐなどと思わなかった。
だが、どれほど永く生きようとも、彼女が人間と共に過ごした時間は、ほんの僅かだ。
人の悪意に晒されるには、あまりにも無垢だった。
人間がどれほど醜く、脆く、汚れた存在であるか。
スネイプ自身が誰よりも知っている。
そして自分もその一部だ。
「……やめろ。」
低く、掠れた声が自然に漏れた。
あれは怒りではなかった。
イリスを傷つけるあの男への憎しみ、そして自分への不甲斐なさ。
全てを押し殺すような声だった。
彼女に近づく。
床が鳴るたび、心臓の音がそれに重なった。
その気配にイリスの体が強ばる。
それでも構わず、肩を掴んだ。
その細い肩は、熱を持って震えていた。
指先に伝わるその熱に、彼の呼吸が乱れる。
「二度と、そんなことを言うな……!!」
声が、部屋の空気を裂く。
抑えてきたものが溢れ出るように、言葉が続く。
「闇の帝王の言葉など、真実ではない!」
燃えるような声だった。
感情を押し殺してきた男の声ではなく、ひとりの人間としての叫び。
「お前が穢れているだと?
そんなもの、奴の作り出した呪縛に過ぎん!
お前は奪われたのではない。耐えて、立ち続けている。
その強さが、奴には理解できんのだ。
だから穢れという言葉でお前を縛ろうとする!」
吐き出すような言葉。
それでも声が震えた。
イリスがその肩に宿した痛みの分だけ、彼の声は掠れた。
息が触れ合うほど近い距離。
互いの呼吸が乱れ、空気が熱を帯びる。
スネイプはその顔を直視した。
涙を浮かべ、必死に耐えるイリスの姿が、胸を焼く。
彼女の苦しみを払うための言葉が、どれほど足りなくても、言わずにはいられなかった。
「……お前が、自分をそんな風に見ることだけは……
我輩が許さぬ。決してだ。」
声が震える。
それは怒りでも、叱責でもなかった。
ただ切実な祈りだった。
「我輩にとってお前は……」
喉が詰まり、言葉が出ない。
目を閉じ、かすかに息を整える。
そして、震える唇からようやく絞り出すように言葉が落ちた。
「……お前は、この闇の中で我輩が唯一……息をしていられる理由なのだ。」
イリスの瞳が揺れた。
スネイプは掴んでいた肩をそっと放す。
指先に残る熱が、彼を責める。
「だから二度と、自分を汚れているなどと口にするな。」
真剣な瞳が彼女を見つめる。
それはまるで、自分自身への戒めのようでもあった。
その時、イリスの唇が震えた。
瞳が潤み、声が震える。
「私が汚れてないというなら、証明して。
私を……私のすべてを貪ってよ。
愛を求め、確認するために人間は肉体の繋がりを強く求めるんでしょう?」
その一言で、世界が凍りついた。
胸の奥で何かが砕けた音がした。
イリスの声は泣きながらも真っ直ぐで、どこか壊れた光を宿していた。
スネイプは息を詰めた。
喉の奥が焼けるように熱く、痛みが走る。
自分が彼女の体を求めるなど、許されない。
だが、何度願ったことだろう。
一度でも触れたいと、腕の中に抱き締めたいと、心の奥底で。
だが、それは彼女を傷つける。
自分が触れれば、それは彼女を再び縛る行為に変わる。
そうわかっているからこそ、何度も己を律してきた。
それでも、彼女の言葉が胸を抉った。
どうしてここまで追い詰められるまで、自分は気づかなかったのか。
なぜ、守ると誓ったのに、彼女に寄り添うことができなかったのか。
イリス……。
お前が壊れてしまう前に、どうして止めてやれなかった。
自責が胸を焼き尽くす。
「我輩にそんなことを望むな。
イリス、お前は何も分かっていない。」
声が低く掠れる。
それは拒絶の言葉ではなく、懇願に近かった。
これ以上彼女に新しい傷を作りたくないと、必死の制止だった。
だがイリスはその響きに傷つき、涙を浮かべる。
「わからない。あなたのことも、私自身のことも、何も分からない!
あなただって、私がどうしてこんな……どんな気持ちであなたに言ったか、分かる?」
その声が震え、涙が頬を伝う。
その姿が、痛いほど胸に刺さる。
彼女の心は今、限界に達していた。
救いを求めている。
それでも自分の手では、その闇に触れることはできない。
それは愛ではなく、愛の形を模倣した傷になるのだ。
スネイプは視線を逸らした。
その瞬間、イリスの胸の奥で何かが崩れていくのが分かった。
それでも彼には、ただ沈黙しか残されていなかった。
己の罪の重さが、再び彼を沈黙の檻へと閉じ込めていった。
あの日、イリスは自分自身を「穢れている」と言った。
その言葉が、いまだに胸の奥に刺さったままだ。
彼女があんなふうに自分を否定する姿は、痛々しくて見ていられなかった。
まるで若き日の自分を見ているようで、どうしようもなく胸が軋んだ。
救いたかった。
それだけが、確かな願いだった。
あの夜、イリスが胸に頭を預けてきたとき、確かに二人の間には穏やかな時間があった。
心が休まるような沈黙の中で、互いの存在を確かめ合った。
それなのに、なぜまた、あんなにも憔悴しているのか。
何がイリスをそこまで追い詰めるのか。
分からない。
分かるのは、彼女が今、闇に呑まれそうな危うさを纏っていることだけ。
自分に一体何ができるのか。
どうすれば、光の側へ引き戻せるのか。
イリス……教えてくれ。
───
完全に回復していないイリスが、今夜も呼び出されたと聞いた。
スネイプは不安を押さえきれず、静かに部屋へ向かう。
扉を叩こうとした時、ちょうどイリスが出てきた。
その顔は、血の気がなく青白い。
目の焦点が定まらず、まるで夢の中を歩いているようだった。
スネイプに一度も視線を向けることなく、弱々しい足取りで歩き出す。
手足は細く、頬はこけていた。
衣の下で見える骨の浮き上がりが、現実を突きつける。
こんな姿を見せても、彼女は決して弱音を吐かない。
だからこそ、余計に怖かった。
何も言葉が出ず、ただその背中を見送るしかできなかった。
守ると誓ったはずなのに、伸ばした手はいつも空を掴む。
背中が闇に溶けていくように遠ざかるたび、胸の奥で何かが千切れる音がした。
───
ヴォルデモートに呼ばれるたび、スネイプは己の役割を呪った。
何度も止めたかった。
だが、今の立場で逆らえばイリスの命さえ危うくなる。
「監視役」という名目で傍にいられるだけ、まだましだと自分に言い聞かせる。
それでも、終わった後は必ず彼女の体を拭き、薬を塗り、包帯を替える。
帝王が触れた痕を、ひとつ残らず拭い去るように。
その行為が、自分にできる唯一の贖罪だった。
イリスの体は穢れてなどいない。
触れた者たちこそが汚れている。
そう信じているのに、彼女の肌に触れるたび、胸の奥が締め付けられた。
あの白い髪、透き通る肌、赤い瞳。
そのどれもが痛々しく、美しかった。
彼女が安堵の表情を浮かべたとき、抱きしめたい衝動に駆られる。
それでも、触れれば壊してしまう気がして、指先ひとつ動かせなかった。
彼女が自分を安全地帯として見てくれること、それだけが救いだった。
だが、その救いも脆い幻のように思えた。
───
その夜、耳に届いたのは、聞き慣れない声だった。
甘く、掠れ、息を詰まらせるような声。
その声が響くたびに、胸がざわめいた。
あの部屋から、イリスの声が聞こえる。
そんなはずはない。これは苦痛の声だ。
そう思い込まなければ、心が壊れてしまいそうだった。
だが、耳に入る音には、痛み以外の色が混じっていた。
その音が、何よりもスネイプを追い詰めた。
我輩が彼女をこの屋敷に連れてきた。
我輩が、彼女をあの男の手に渡した。
その事実が、鋭い刃のように胸を抉る。
守るつもりが、壊している。
気づけば、呼吸が浅くなっていた。
それでも…。
心のどこかで、最も忌まわしい感情が顔を出した。
……あの声が、もしも我輩の名を呼ぶ声であったなら。
そう思った瞬間、胃の底がひっくり返る。
自分を殴りたくなるほどの嫌悪感が込み上げた。
自分の中にそんな欲が残っていたことが、許せなかった。
愛と欲の境界が一瞬で崩れ去る。
その曖昧さが、何より恐ろしかった。
───
声が止んでから、どれほどの時間が経ったのだろう。
いつもならすぐ呼ばれるはずなのに、今夜は違った。
不吉な静寂が、屋敷を包む。
気づけば、体が勝手に動いていた。
足音を殺して廊下を進むと、角の先で小さな息遣いが聞こえた。
暗がりの中、イリスが座り込んでいるのが見えた。
裸のまま、震え、肩を上下させている。
息が乱れ、喉を詰まらせ、過呼吸のように浅い呼吸を繰り返していた。
顔は涙で濡れ、目は虚ろで、何も見ていなかった。
その光景に、スネイプの胸が潰れそうになる。
何も言葉が出ない。
喉の奥が焼け付くようだった。
ようやく、震える声を絞り出す。
「……そんな姿で、なにをしてる。」
その声に、イリスの体が小さく震えた。
返事はなかった。
スネイプは迷わず歩み寄り、軽くなった体を抱き上げる。
彼女の体はあまりにも軽く、腕の中で壊れてしまいそうだった。
歩くたび、衣の裾が揺れ、静寂の中で足音だけが響いた。
イリス……
どうかその闇を、少しでも我輩に分けてくれ。
お前の痛みを、一人で抱え込むな。
心の中でそう祈ったが、声には出せなかった。
出してしまえば、自分の中の何かが壊れてしまう気がした。
───
イリスを部屋へ送った時、彼女は何かを抑えているように見えた。
あの時の沈黙を、なぜもっと深く読めなかったのか。
なぜ、彼女の瞳の奥で渦巻く闇を見抜けなかったのか。
彼女が放った言葉は、あまりにも脆く、あまりにも刺さるものだった。
「闇の帝王の言う通りなの?
私は穢れていて、そんな女を心から求める者はおらず、
私の存在はありのまま受け入れられることはないの?
人間にとっての、あなたにとっての私は一体何なの?」
胸の奥で何かが軋む音がした。
まるで刃で裂かれるような痛み。
イリスなら惑わされない。
そう過信していた。
あれほど強く、清らかな心を持つ者が、言葉ひとつで揺らぐなどと思わなかった。
だが、どれほど永く生きようとも、彼女が人間と共に過ごした時間は、ほんの僅かだ。
人の悪意に晒されるには、あまりにも無垢だった。
人間がどれほど醜く、脆く、汚れた存在であるか。
スネイプ自身が誰よりも知っている。
そして自分もその一部だ。
「……やめろ。」
低く、掠れた声が自然に漏れた。
あれは怒りではなかった。
イリスを傷つけるあの男への憎しみ、そして自分への不甲斐なさ。
全てを押し殺すような声だった。
彼女に近づく。
床が鳴るたび、心臓の音がそれに重なった。
その気配にイリスの体が強ばる。
それでも構わず、肩を掴んだ。
その細い肩は、熱を持って震えていた。
指先に伝わるその熱に、彼の呼吸が乱れる。
「二度と、そんなことを言うな……!!」
声が、部屋の空気を裂く。
抑えてきたものが溢れ出るように、言葉が続く。
「闇の帝王の言葉など、真実ではない!」
燃えるような声だった。
感情を押し殺してきた男の声ではなく、ひとりの人間としての叫び。
「お前が穢れているだと?
そんなもの、奴の作り出した呪縛に過ぎん!
お前は奪われたのではない。耐えて、立ち続けている。
その強さが、奴には理解できんのだ。
だから穢れという言葉でお前を縛ろうとする!」
吐き出すような言葉。
それでも声が震えた。
イリスがその肩に宿した痛みの分だけ、彼の声は掠れた。
息が触れ合うほど近い距離。
互いの呼吸が乱れ、空気が熱を帯びる。
スネイプはその顔を直視した。
涙を浮かべ、必死に耐えるイリスの姿が、胸を焼く。
彼女の苦しみを払うための言葉が、どれほど足りなくても、言わずにはいられなかった。
「……お前が、自分をそんな風に見ることだけは……
我輩が許さぬ。決してだ。」
声が震える。
それは怒りでも、叱責でもなかった。
ただ切実な祈りだった。
「我輩にとってお前は……」
喉が詰まり、言葉が出ない。
目を閉じ、かすかに息を整える。
そして、震える唇からようやく絞り出すように言葉が落ちた。
「……お前は、この闇の中で我輩が唯一……息をしていられる理由なのだ。」
イリスの瞳が揺れた。
スネイプは掴んでいた肩をそっと放す。
指先に残る熱が、彼を責める。
「だから二度と、自分を汚れているなどと口にするな。」
真剣な瞳が彼女を見つめる。
それはまるで、自分自身への戒めのようでもあった。
その時、イリスの唇が震えた。
瞳が潤み、声が震える。
「私が汚れてないというなら、証明して。
私を……私のすべてを貪ってよ。
愛を求め、確認するために人間は肉体の繋がりを強く求めるんでしょう?」
その一言で、世界が凍りついた。
胸の奥で何かが砕けた音がした。
イリスの声は泣きながらも真っ直ぐで、どこか壊れた光を宿していた。
スネイプは息を詰めた。
喉の奥が焼けるように熱く、痛みが走る。
自分が彼女の体を求めるなど、許されない。
だが、何度願ったことだろう。
一度でも触れたいと、腕の中に抱き締めたいと、心の奥底で。
だが、それは彼女を傷つける。
自分が触れれば、それは彼女を再び縛る行為に変わる。
そうわかっているからこそ、何度も己を律してきた。
それでも、彼女の言葉が胸を抉った。
どうしてここまで追い詰められるまで、自分は気づかなかったのか。
なぜ、守ると誓ったのに、彼女に寄り添うことができなかったのか。
イリス……。
お前が壊れてしまう前に、どうして止めてやれなかった。
自責が胸を焼き尽くす。
「我輩にそんなことを望むな。
イリス、お前は何も分かっていない。」
声が低く掠れる。
それは拒絶の言葉ではなく、懇願に近かった。
これ以上彼女に新しい傷を作りたくないと、必死の制止だった。
だがイリスはその響きに傷つき、涙を浮かべる。
「わからない。あなたのことも、私自身のことも、何も分からない!
あなただって、私がどうしてこんな……どんな気持ちであなたに言ったか、分かる?」
その声が震え、涙が頬を伝う。
その姿が、痛いほど胸に刺さる。
彼女の心は今、限界に達していた。
救いを求めている。
それでも自分の手では、その闇に触れることはできない。
それは愛ではなく、愛の形を模倣した傷になるのだ。
スネイプは視線を逸らした。
その瞬間、イリスの胸の奥で何かが崩れていくのが分かった。
それでも彼には、ただ沈黙しか残されていなかった。
己の罪の重さが、再び彼を沈黙の檻へと閉じ込めていった。
